tag:blogger.com,1999:blog-3507817856077847392024-02-19T12:44:28.700+09:00ホツマツタヱ・ミカサフミ 現代語訳ヲシテ文献の『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』の現代語訳文を紹介しているブログサイトです。その他にも解説・考察・フィールドワークによる研究成果などを掲載しています。Unknownnoreply@blogger.comBlogger614125tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-85367818276669568422017-08-27T04:06:00.000+09:002019-09-16T00:36:55.771+09:00「ヲシテ文献」に見る 賀茂祭(葵祭) [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgp6Fw3oL9ouP9jrmI8f6VyPXYACQ3n3aO_1PCIXDQiT2aIqZ4RFdNmW3MehepQHRybrsbD61GJyeOHoOUZAFoCVBi6-PzowaCipTWOtzrr8r7a9_Wsn7EbRKVF2FRqbGFDjO3R-ZMJ_2k/s1600/226a2956-12dd-457d-8008-fafdf5deef9f.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:ヲシテ文献に見る 賀茂祭(葵祭) [京都府]" border="0" data-original-height="362" data-original-width="644" height="223" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgp6Fw3oL9ouP9jrmI8f6VyPXYACQ3n3aO_1PCIXDQiT2aIqZ4RFdNmW3MehepQHRybrsbD61GJyeOHoOUZAFoCVBi6-PzowaCipTWOtzrr8r7a9_Wsn7EbRKVF2FRqbGFDjO3R-ZMJ_2k/s400/226a2956-12dd-457d-8008-fafdf5deef9f.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:ヲシテ文献に見る 賀茂祭(葵祭) [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>賀茂祭(かもまつり)</b>とは、京都市の<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_38.html" target="_blank">賀茂御祖神社(下鴨神社)</a></b>と<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_16.html" target="_blank">賀茂別雷神社(上賀茂神社)</a></b>で、毎年5月15日に行なわれる例祭であり、一般的には<b>葵祭(あおいまつり)</b>の名で知られています。<br />
<br />
古くは<b>陰暦四月の中の酉の日</b>に行われていたとされ、祭の当日には牛車・勅使・供奉者の衣冠・牛馬などの全てが<b>葵鬘(あおいかずら)</b>で飾られたことから葵祭と呼ばれるようになったとされています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
<b>『賀茂縁起』</b>によれば、「太古に<b>別雷神(ワケイカヅチ)</b>が(上賀茂神社の北北西に位置する)神山(こうやま)に降臨した際、神託によって奥山の賢木を取り阿礼(あれ)に立て、種々の綵色(いろあや)を飾って走馬を行い、<b>葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)</b>を装って祭を行った」とされ、これが上賀茂神社における祭祀の起源とされる。<br />
<br />
また、「第29代欽明天皇の御代(539~571年)、国内は激しい風雨に見舞われて五穀が実らなかったので、欽明天皇28年(567年)、賀茂大神の崇敬者であった卜部伊吉若日子(うらべのいきわかひこ)に占わせたところ賀茂大神の祟りと出たため、若日子を勅使として4月の吉日に祭礼を行い、馬には鈴をかけ、人は猪頭(ししがしら)をかぶって駆競(かけくらべ)をしたところ、風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になった」とあり、これが賀茂祭の起源であるとされている。<br />
<br />
その後、奈良時代になると、和銅4年(711年)4月に元明天皇により「毎年の賀茂祭の日には国司が親しく祭場に臨み、祭が無事に執り行われているか検察せよ」との勅命が下されたという。<br />
<br />
また、平安時代になると、大同2年(807年)4月に平城天皇によって賀茂祭が勅祭となり、弘仁元年(810年)には嵯峨天皇によって賀茂神社にも斎院(伊勢神宮の斎宮に倣った巫女)が定められて賀茂祭にも奉仕したとされる。また、弘仁10年(819年)3月16日には賀茂祭を中祀(祭りの前3日間を潔斎して行う祭祀)として斎行せよとの勅命が下され、当時の神社の祭祀において最も重要な扱いを受け、貞観年中(859~876年)に勅祭としての賀茂祭の儀式次第が定められて壮麗な祭儀として完成し、庶民からも人気を集めたとされている(『源氏物語』などに当時の様子が記される)。<br />
<br />
しかし、室町中期頃より次第に衰微していったとされ、応仁の乱の後に廃絶となったという。<br />
<br />
その後、江戸時代の元禄7年(1694年)に幕府の協力によって再開され、これ以降の賀茂祭では 内裏宸殿の御簾・牛車(御所車)・勅使・供奉者の衣冠・牛馬の全てが「葵の葉」で飾られるようになったことから「葵祭」と呼ばれるようになったという(使用される葵は「フタバアオイ」で、毎年 賀茂神社から御所に納められているとされる)。なお、賀茂祭(葵祭)は明治3年(1870年)まで執行されたが、これ以降はしばらく中絶されて、単に奉幣使のみの参向となったとされている。<br />
<br />
また 近代になると、明治17年(1884年)に明治天皇の旧儀復興の仰せにより、賀茂神社の賀茂祭は いわゆる日本三勅祭の一つとして厳粛に祭儀が執行されることになり、祭日も古来の4月吉日(第2の酉の日)から新暦の5月15日と改められたとされる(他の勅祭は 春日大社の春日祭・石清水八幡宮の石清水祭)。<br />
<br />
なお、行列は大正15年(1926年)に整備されたが、昭和の国内情勢の激変によって昭和18年(1943年)より行列は中止され、社頭の儀のみの斎行となったという。<br />
<br />
その後、昭和28年(1953年)に葵祭行列協賛会の後援を得て行列が復活し、昭和31年(1956年)に斎王に代わる「斎王代」を中心とする女人列も復興された。これにより、往時のように華やかで美しい行装が行われるようになって現在に至るとされている(現代では賀茂祭は京都三大祭の一つとして人気を集めている)。<br />
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://kamigamojinja.jp/kamo/index.html" target="_blank">賀茂祭(上賀茂神社)</a><br />
・<a href="https://www.kyokanko.or.jp/aoi/" target="_blank">葵祭(京都市観光協会)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%91%B5%E7%A5%AD" target="_blank">葵祭(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2017/06/blog-post_11.html" target="_blank">賀茂神社の葵祭(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/A/aoikatura.html" target="_blank">アオイカツラノメヲマツリ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>トヨタマヒメについて</h3>
<br />
<b>・ハテスミの娘</b><br />
<b>・兄弟に、トヨツミヒコ(兄)・タケツミヒコ(弟)・オトタマヒメ(妹)がいる</b><br />
→ トヨツミヒコ(カモタケスミ)はトヨタマヒメに付き添ってキタノツに向かい、後に河合を賜る<br />
→ オトタマヒメは、ミツハメの社に籠もったトヨタマヒメの進言でヒコホオテミの妻となる<br />
<b>・ヒコホオテミの内宮となり、ウガヤフキアワセズを産んだ</b><br />
→ この際、自らを恥じてヒコホオテミと距離を置く<br />
→ ニニキネによって和解する<br />
<b>・ヒコホオテミと共にシノ宮で神上がり、ミヅハ宮 (貴船神社) に葬られる</b><br />
→ 死後、アヰソロノカミという贈名を与えられる<br />
→ 太古、船を創案した六人として六船霊の第六とされる<br />
<br />
<h3>ヒコホオテミについて</h3>
<br />
<b>・ニニキネとアシツヒメ (コノハナサクヤヒメ) の三男で、ホノアカリ、ホノススミの弟に当たる</b><br />
<b>・いくつかの名前がある</b><br />
→ ヤマサチヒコ:常に狩を楽しんでいたため(海幸山幸の山幸彦)<br />
→ ツクシヲキミ:ニニキネの治世において、ツクシ(九州)を統治していたことから(筑紫を統べる君)<br />
→ ケヰノカミ(気比の神):ヒコホオテミの贈り名・縁結びの神<br />
→ ミヲヤニツカフアマキミ:アマテルがホオテミに与えた名<br />
<b>・キタツに居た時、兄のホノススミ(海幸彦)と争って勝利する(海幸山幸神話)</b><br />
→ ホノススミの釣鉤を無くしたことがキッカケで争いが生ずる<br />
→ この時にトヨタマヒメと出会う<br />
→ 釣鉤を見つけて返したが、兄は弟の功績を認めなかったため、武力を行使して兄を屈服させる(仲直りした)<br />
<b>・トヨタマヒメを内宮(正妻)として、ウガヤフキアワセズを生む</b><br />
→ モトメ(コモリの娘)、イソヨリヒメを妻とする(後にイソヨリヒメをタケスミの妻として与える)<br />
→ 結局、内宮に加え六局の后を揃えて十二后を成す<br />
<b>・ニニキネの皇位を継承し、コヤネを左臣・コモリ右臣とする </b><br />
<b>・最後はトヨタマヒメと共に大津のシノ宮で神上がり、遺言により遺骸はイササワケ宮に葬られる</b><br />
<br />
<h3>ニニキネについて</h3>
<br />
<b>・オシホミミとタクハタチチヒメの二男で、クシタマホノアカリの弟に当たる</b><br />
<b>・タカヒコネの指導の下で馬術を覚え、馬の厳乗りを得たとされる</b><br />
<b>・ニハリの地に宮を立てる際、クシヒコを召して宮造りの法を定めさせた</b><br />
→ 炎を吐くオコロ(土竜)にオコロカミの名を与えて宮を守らせた<br />
→ 宮造りの法を定めたクシヒコにヲコヌシ(大国主)の名を与えた(これが大黒柱の由来となったという)<br />
<b>・ニハリの新宮に入る際にウツロヰに邪魔されたものの、罰を与えようとするアマテルからウツロヰを庇った</b><br />
→ ウツロヰを庇ったことによって仲が親密となり、以後 東北の方角を守るはウツロヰノヲマサキミと定めた<br />
<b>・ニハリ宮からツクバ宮、フタアレへと遷宮し、それから6万年無事に治めたことから"ヰツノカミ"と称えられる</b><br />
→ フタアレからニハリに戻った際には、今までの功績から"ヰツヲヲカミ"と称えられた<br />
<b>・アマテルに諸国開拓の巡幸を拒否された際、イセ周辺に井堰や堤を成して田に豊作を招いた</b><br />
<b>・イセ周辺の開拓の功績からアマテルより八州巡幸の詔が出され、諸国の壮大な開拓事業が始まる</b><br />
<b>・八州巡りが決まると、三種宝がニニキネに授けられることになる</b><br />
→ これにより、カスガとコモリを左右の臣とし、諸臣を連れて壮大な土木開拓事業を行い始める<br />
<b>・八州巡りの途中でサルタヒコと出会い、サルタヒコの働きによってミカミヤマを造成した</b><br />
→ この功績よりサルタに好むウスメとサルヘの名を与えた<br />
<b>・タチカラヲを召してハラミ山を中心に四方を開拓し、八つの湖を造成した</b><br />
→ その後、天を築いた峰に写して伊豆浅間峰の造成した<br />
<b>・アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)を娶って、ホノアカリ、ホノススミ、ヒコホオテミの三つ子を儲けた</b><br />
→ この際、一悶着あってアシツヒメと一時的に不仲になるが、後に正式な后として迎える<br />
<b>・八州巡りが一段落すると、アマテルより"ハラノヲキミ"の名を賜った</b><br />
<b>・ヤマクイにヒヱノヤマを造成させるなどの事業を成したことから、"ワケイカツチノアマキミ"の名を賜った</b><br />
→ これはクニトコタチに代わる新たな功績を立てたニニキネを讃えて、アマテルが贈った尊称である<br />
→ この後も引き続き諸国の開拓事業を進めたとされる<br />
<b>・ハラミ山の麓(富士山麓)のサカオリ宮をハラアサマ宮に改めて遷宮した</b><br />
→ この後もニシナカクニ(中国地方)やツクシ(九州)の開拓も行っている<br />
<b>・子のヒコホオテミがトヨタマヒメと仲違いした際、ミツハメの社に出向いてトヨタマヒメを説得した</b><br />
<b>・晩年に死期が迫ると、ヒコホオテミに遺勅を遺してカゴシマに遷る</b><br />
→ ここからアサマに昇る朝日に向かい、タカチホに沈む夕日と別れて過ごした(故にヒムカフクニという)<br />
<b>・タカチホの峰にて神上がると、ナルカミを別けて土を活かしたことから"ワケイカツチノスヘラカミ"と称えられた</b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;">※要約すると、壮年期には諸国の開拓事業を成功させ富士周辺を拠点に活躍し、晩年期には九州へ行きタカチホで没した</span><br />
<br />
<h3>ヒコホオテミとトヨタマヒメの故事</h3>
<br />
賀茂神社(上賀茂・下鴨神社)および賀茂祭の歴史と『ホツマツタヱ』の記述を照らし合わせると、「<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_21.html" target="_blank">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文</a></b>」にある「<b>ヒコホオテミとトヨタマヒメの故事</b>」が深く関連しているように思われます。以下が26文の要約です。<br />
<br />
<div style="background-color: #ffffcc; border: 1px solid #7f6000; padding: 10px;">
<span style="color: #7f6000;"><b>ニニキネ</b>が皇位を子の<b>ヒコホオテミ</b>に譲ろうとした時のこと、これは各地に伝えられ、ツクシ(九州)を治めていた<b>ヒコホオテミ</b>に御幸が求められた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;"><b>ニニキネ</b>の居るキタツ(敦賀)までは、オオカメ船ならば一ヶ月以上、カモ船であれば一ヶ月、オオワニ船であればすぐに着くという。また、当時 ヒコホオテミの后である<b>トヨタマヒメ</b>は妊娠していたため、<b>ヒコホオテミ</b>は父・<b>ニニキネ</b>を慮って自らは速いオオワニ船に乗って先にキタツに向かい、<b>トヨタマヒメ</b>にはカモ船に乗せて後から来るように命じた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">この際、<b>トヨタマヒメ</b>の出産時期が重なることから、予め松原(気比の松原)に産屋を建させておき、そこで待っているように命じていた。<b>トヨタマヒメ</b>は その通りにしたが、キタツに着いた時には産屋は屋根も葺き終わっていない状態であり、やむなく未完成の産屋で<b>御子</b>を出産することになった。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">産まれた御子は、<b>コヤネ</b>に<b>"カモヒト"</b>と名付けられ、<b>トヨタマヒメ</b>より<b>"ナギサタケ ウガヤ フキアワセズ"</b>の名が与えられた。なお、この名は、<b>トヨタマヒメ</b>の出産までの経緯に由来する。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;"><b>トヨタマヒメ</b>がキタツに向かている時のこと、途中でカモ船がチクラ(磐)にぶつかって壊れてしまい、船に乗っていた<b>トヨタマヒメ・タケスミ・ホタカミ</b>らは諸共に渚に落ちてしまった。そこで、<b>トヨタマヒメ</b>は猛心でタツやミツチの力を得て、泳いで磯に上陸した。この後、別の船でキタツに向かったのだが、<b>トヨタマヒメ</b>は腹の御子のためとはいえ、<b>ナギサ・タケ</b>の本性を現してしまったことを恥じていた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;"><b>トヨタマヒメ</b>が産屋に入った時のこと、これを聞いた<b>ヒコホオテミ</b>は心を躍らせながら松原に向かった。<b>ヒコホオテミ</b>は<b>カツテカミ</b>より"妻が出産する際、夫は決して産屋を覗いてはならない"という古く重要な風習があることを聞いていたが、これを破って産屋を覗いてしまった。すると、中に居た<b>トヨタマヒメ</b>は腹這いで装いも無い姿であったため、<b>ヒコホオテミ</b>はそっと戸を閉めた。また、その音に気付いた<b>トヨタマヒメ</b>は ここでも自らの姿を恥じた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">その後、<b>トヨタマヒメ</b>は弟の<b>タケスミ</b>と共に6月の禊をしてからヲニフ(遠敷)に到った。その際、今までの醜態を恥じていた<b>トヨタマヒメ</b>は、<b>御子</b>を抱きながら「母は恥じています、もう会わないでおくれ」と言い、<b>御子</b>を棄ててワケツチ(賀茂)の北にあるミツハメの社(貴船神社)で休むことにした。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">このことが<b>ニニキネ</b>の居るミヅホ宮に告げられると、<b>トヨタマヒメ</b>を思い留まらせるために<b>ホタカミ</b>が派遣された。命令を受けた<b>ホタカミ</b>はミツハメの社に向かって<b>トヨタマヒメ</b>に返事を求めたが、音沙汰は無かったため、弟の<b>タケスミ</b>に後を任せてミヅホ宮に事の次第を報告した。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">すると、<b>トヨタマヒメ</b>の家族であるツクシ(九州)の<b>ハテスミ</b>(父)と<b>オトタマヒメ</b>(妹)に説得が命じられ、両名がミツハメの社に向かって説得を試みたが、<b>トヨタマヒメ</b>は「御子はオトタマヒメに任せます」との返事をした。このため、<b>ヒコホオテミ</b>は<b>オトタマヒメ</b>を娶って后とした。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">この後、<b>ニニキネ</b>は正式に<b>ヒコホオテミ</b>に譲位した。一方、<b>トヨタマヒメ</b>については、しばしば呼び出しに向かっていたものの、ミツハメの社を出ようとしなかった。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;"><b>ヒコホオテミ</b>が皇位に就いた翌年、<b>ニニキネ</b>はワケツチ(賀茂)の<b>葵・桂</b>を袖に掛けてミツハメの社に向かった。<b>ニニキネ</b>が自らが訪れると、<b>トヨタマヒメ</b>はようやく社から出てきた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">その時、<b>ニニキネ</b>は葉を持って「これを何だ?」と問うと、<b>トヨタマヒメ</b>は「葵葉でございます」と答えた。また、別の葉を持って「これは何だ?」と問うと、「桂葉でございます」と答えた。<b>ニニキネ</b>が「いつ頃 果てるか?」と問うと、<b>トヨタマヒメ</b>は「まだ果てないでしょう」と答えた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">そこで、<b>ニニキネ</b>は「汝は世を棄てて道を外れるか?」と問うと、</span><b style="color: #7f6000;">トヨタマヒメ</b><span style="color: #7f6000;">は畏れて「外れたくありませんが、渚を泳ぐ嘲りに腹這いの恥を重ねた身では内宮(帝の正妻)は務まらないでしょう」と答えた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">すると、<b>ニニキネ</b>は「そなたが言う恥とは恥に似て恥にあらず、しかと聞け。産後は因み(因縁)を絶つもの、これは産後から元に戻るまでの75日掛かるためである。ヒコホオテミは予てよりカツテカミに忠告されていたにもかかわらず産屋を覗いてしまった。よって、この恥は そなたの恥では無く、ヒコホオテミの恥なのである」と言った。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">また、<b>ニニキネ</b>は話を続け「竜の子は千年海に棲んでタツタを知り、千年山に棲んでタツフルを知り、千年里に棲んでツクハナルを知るという。故に このミイキを悟って君(君主)となるのだ。そなたは渚に落ちて果てる間際、御種(孕み子)を慮って猛心を成して泳ぎ助かったのであろう、これによってハイキ(地活)を知った。そして、内宮になったことで嘲りを免れる、これによってアイキ(天活)を知った。そこで今一つ、<b>葵・桂の妹背(夫婦の和合)</b>を得ればヒトイキ(人活)を悟ることになるだろう。故、この三つを知ればタツキミ(竜君)の如く神となるのだ」と言い聞かせた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">ここで<b>トヨタマヒメ</b>が「竜君とは何ですか?」と問うと、<b>ニニキネ</b>は「竜はヒレ、三つを知る故にウロコキミである。カンツミ(上位)の存在があるという三つ(天地人)を知れば人は神となるのだ」と答えた。<b>ニニキネ</b>の言葉を聞いた<b>トヨタマヒメ</b>は、それ以降 恥や怖れを口にしなかった。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">そして、<b>トヨタマヒメ</b>が<b>ニニキネ</b>を<b>ミホツヒメ</b>(ニニキネの叔母)の御幸に伴わせて送り出すと、<b>ニニキネ</b>は<b>トヨタマヒメ</b>が気を留めたことに喜び、<b>ミホツヒメ</b>も応えて頷き「太上君(ニニキネ)の心ある共感を得た君(ヒコホオテミ)と姫(トヨタマヒメ)は、日と月のように睦まじくなるでしょう」と言った。そこで、<b>ニニキネ</b>は<b>タケスミ</b>に「トヨタマヒメを養え」と言ってカアヒ(河合・賀茂)の地を与えた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">ミツハメの社から戻った<b>ニニキネ</b>は、<b>ヒコホオテミ</b>への遺言として「天に日月が照れば人も草にも影響し、暗になれば冷やしてしまう。地の君も同じく、暗になれば民は枯れてしまうだろう。汝は政を執り、コヤネ・コモリと共に治めよ。宮内の治はミホツヒメに任せよ」と伝えた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">この後、<b>ニニキネ</b>はカゴシマ(鹿児島)に向かい、タカチホの峰で神上がった。<b>ニニキネ</b>はナルカミ(雷)を別けて土を活かしたことから<b>"ワケイカツチノスヘラカミ"</b>と称された。<b>ニニキネ</b>が崩御すると、<b>ヒコホオテミ</b>は喪に入り、<b>トヨタマヒメ</b>もワケツチヤマにて48回喪に服した。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">その後、<b>トヨタマヒメ</b>は<b>ヒコホオテミ</b>の元へ戻ることになった。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">これ以前のこと、<b>トヨタマヒメ</b>は葵と桂を紙に包み、ミヒキグサを文箱に収めて奉っていた。<b>ヒコホオテミ</b>が その文箱を開けると『沖つ鳥 上下を治むる 君ならで 世の事々を えやは防がん』という歌が入っていた。<b>ヒコホオテミ</b>は この歌を三度詠むと涙をこぼし、膝に乗せた葵が裳に染みた。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">そして、迎えの輿に乗った<b>トヨタマヒメ</b>の宮入りを喜び、葵を紋に写させて錦を織った。これより、"コアオイ"の御衣に"ココチリ"と"ヤマハトイロ"の三つの紋が成立し、神祭りの装いであるミハモ(御衣裳)にあしらわれることになった。</span></div>
<br />
<h3>ホツマツタヱ26文「ヒコホオテミとトヨタマヒメの故事」のポイント</h3>
<br />
上記の「<b>ヒコホオテミとトヨタマヒメの故事</b>」の補足を以下にまとめておきます。<br />
<br />
<div style="background-color: #eaffd6; border: 1px solid #38761d; padding: 10px;">
<b><span style="color: #38761d;">・上賀茂神社の主祭神である賀茂別雷大神は、ホツマではニニキネのことだと思われる</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマ24文に「ニニキネはイカツチ分けて恵みの神を生む功績から"ワケイカツチノアマキミ"の名を賜った」とある</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマ26文に「ニニキネは雷を別けて土を活かしたことから"ワケイカツチノスヘラカミ"と称えられた」とある</span><br />
<b><span style="color: #38761d;">・貴船神社の社伝とホツマ26文ほかにおけるトヨタマヒメとの関わりに一致点が多い</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → 「『ホツマツタヱ』に見る 貴船神社」の備考を参照</span><br />
<b><span style="color: #38761d;">・ホツマ26文には、ニニキネが葵・桂の喩えと以ってトヨタマヒメを説得した旨が記される</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマには「陰陽和合」という趣旨の教えが至る箇所に記されており、「葵・桂」も「陰・陽」の喩えの一つとされる</span><br />
<span style="color: #38761d;"> ⇒ 桂と葵の葉は形が類似するが、桂は天に向かうことから男、葵は地に向かうことから女に比喩される</span><br />
<b><span style="color: #38761d;">・下鴨神社の主祭神である賀茂建角身命は、ホツマではカモスミのことだと思われる</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマ26文に「ニニキネがカモスミにトヨタマヒメを養うよう命じ、カアヒ(河合・賀茂)を与えた」とある</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → 下鴨神社の主祭神である玉依姫命は、ホツマではカモスミの娘であり、後に白羽の矢から御子を産む(社伝に一致)</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → 河合神社 祭神の玉依姫命の父母は、ホツマではカモスミ・イソヨリヒメであり、両者はカアヒノカミとされる</span></div>
<br />
<h3>ミカサフミの記述</h3>
<br />
『ミカサフミ』にも賀茂祭と同様の祭があったことが記されています。当文献では「<b>アオイカツラノメヲマツリ</b>」と呼ばれ、4月末に行われる夏の祭であったとされています。<br />
<br />
<div style="background-color: #ffffcc; border: 1px solid #7f6000; padding: 10px;">
<span style="color: #7f6000;">輪の中に三光(三陽)の足が中心で結ぶ、これがカミカタチである。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">メの嘗は大陰の水の女神が4月より、大陽を招き0陰4陽として夏を告げる。衣からワタヌキし、月の半ばのサビラキにイナルノカミを祀る。また、その末には<b>"アオイカツラノメヲマツリ"</b>を催行する。</span><br />
<span style="color: #7f6000;"><br /></span>
<span style="color: #7f6000;">5月には、葵の両葉上に和する露を舐めようとしてヱモキ・アヤメが伸長する。サツサ(端午の頃)はヰワタ(岩田帯)を締めて、馬の乗り比べを行う。そのときの馬は5尺5寸のツツタチの馬である。</span></div>
<br />
<span style="color: #674ea7;">※4月の末に"アオイカツラノメヲマツリ"を催行するとある。アオイカツラ(葵・桂)は陰陽の喩えであると考えられる</span><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の対応箇所</h2>
<br />
<h3>『ホツマツタヱ』</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_21.html" target="_blank">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文</a><br />
<br />
<h3>『ミカサフミ』</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_499.html" target="_blank">ミカサフミ7文 嘗事の文:タのヲシテの形(夏前半について)【4】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_663.html" target="_blank">ミカサフミ9文 年内になす事の文:タのヲシテの形【4】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>斎院について</h3>
<br />
伊勢神宮には、皇室から選ばれた未婚の皇族女子(内親王・女王)が神に奉仕するための巫女として捧げられる<b>斎王(さいおう)</b>という制度が古くからあり、これに倣って嵯峨天皇の御代(平安初期)に賀茂神社にも<b>斎院(さいいん)</b>が定められたとされます(斎王は総称であり、伊勢神宮の巫女は斎宮と呼ばれる)。<br />
<br />
この斎院が定められる経緯として「嵯峨天皇が平城上皇と対立した際、賀茂大神に対して"我が方に利あらば、皇女を阿礼少女として捧げる"と、皇女を大神の巫女として捧げる旨を誓い、後に平城上皇との争いに勝利したことから、皇女の有智子内親王が初代賀茂斎院となった」という故事があり、これに基づいて始まり、鎌倉初期まで続けられたとされています。<br />
<br />
<h3>賀茂祭の歴史について</h3>
<br />
<b>『賀茂縁起』</b>にある上賀茂神社・賀茂祭の起源には、ヲシテ文献である<b>『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』</b>の記述と一致する点が多く含まれています。一般的な賀茂祭(葵祭)の解説においては省かれがちな記述であるため、ここにまとめて再度検証してみたいと思います。<br />
<br />
<div style="background-color: #eaffd6; border: 1px solid #38761d; padding: 10px;">
<b><span style="color: #38761d;">【賀茂縁起による歴史】</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"><br /></span>
<span style="color: #38761d;">『賀茂縁起』によれば、「太古に別雷神(ワケイカヅチ)が神山(こうやま)に降臨した際、神託によって奥山の賢木を取り阿礼(あれ)に立て、種々の綵色(いろあや)を飾って走馬を行い、葵楓(あおいかつら)の蔓(かずら)を装って祭を行った」とされ、これが上賀茂神社における祭祀の起源とされる。</span><br />
<span style="color: #38761d;"><br /></span>
<b><span style="color: #38761d;">【ヲシテ文献との比較】</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"><br /></span>
<b><span style="color: #38761d;">・太古に別雷神(ワケイカヅチ)が神山(こうやま)に降臨した</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマにおいて、ニニキネはワケイカツチノカミと称えられている</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマにおいて、タマヨリヒメはワケツチ宮の軒に刺さった白羽の矢より懐妊し、ミケイリを産んだ</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマにおいて、白羽の矢はワケツチカミ(ニニキネ)であると云われるようになったとされる</span><br />
<span style="color: #38761d;"> ⇒ 上記は「上賀茂神社の社伝」と「山城国風土記の記述」に一致する</span><br />
<b><span style="color: #38761d;">・別雷神の降臨後、神託より賢木を阿礼に立てて、種々の綵色を飾って走馬を行い、葵楓の蔓を装って祭を行った</span></b><br />
<span style="color: #38761d;"> → ホツマにおいて、ニニキネは夫婦別れしたトヨタマヒメを、葵・桂の喩えを以って説得した</span><br />
<span style="color: #38761d;"> ⇒ この説話において、葵・桂はホツマの趣旨である陰陽和合に通じるものと取れる</span><br />
<span style="color: #38761d;"> ⇒ ホツマ24文にも「カグツチ(火神)とミヅハメ(水神)の生んだ葵葉と桂」という陰陽を示唆する一節がある</span><br />
<span style="color: #38761d;"> → ミカサにおいて、4月末にはアオイカツラノメヲマツリを催行するとあり、5月に馬の乗り比べを行うとある</span></div>
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金: </b>無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>日時: </b>5月15日 10:30~15:40頃</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="https://www.kyokanko.or.jp/aoi/index.html" target="_blank">https://www.kyokanko.or.jp/aoi/index.html</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-11350638681704433692016-07-03T16:27:00.001+09:002019-09-15T02:13:43.695+09:00『ホツマツタヱ』に見る 御穂神社(三保大明神) [静岡県]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjFM_X2GCj9EsfXFzLQw8oGzdPeiRCQk9snpazOiE9ZktYBdNysNqiYU_66_nt7qYXwlxPDnjVcT8QG7PbdfvIib3BfCwx5n-oXArwDqvBqrA-cKzE-Kav06kB9KdYhPSy0A7X5olhGDxQ/s1600/c455f3b4-d278-4202-a9ba-6bec52ad2029.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:御穂神社(三保大明神) [静岡県] " border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjFM_X2GCj9EsfXFzLQw8oGzdPeiRCQk9snpazOiE9ZktYBdNysNqiYU_66_nt7qYXwlxPDnjVcT8QG7PbdfvIib3BfCwx5n-oXArwDqvBqrA-cKzE-Kav06kB9KdYhPSy0A7X5olhGDxQ/s400/c455f3b4-d278-4202-a9ba-6bec52ad2029.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:御穂神社(三保大明神) [静岡県] " width="400" /></a></div>
<br />
<b>御穂神社(みほじんじゃ)</b>とは、静岡県静岡市清水区三保にある神社であり、駿河国三宮となっています。<br />
<br />
境内は世界遺産に登録された景勝地の「<b>三保の松原</b>」に繋がっており、間を繋ぐ参道は「<b>神の道</b>」と名付けられています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
<b>由緒書</b>によれば、創建年代は不詳とされるものの、千古の昔より三保の中心に鎮座していたとされる。<br />
<br />
また、「<b>平成祭データ</b>」には「大国主之命(オオクニヌシ)は須佐之男之命(スサノオ)の御子であり、豊葦原瑞穂国を治めていた。天孫瓊々杵尊(ニニギ)が天降ると国土を快く譲ったため、天照大神は大国主命が二心が無いことを認め、高皇産霊尊(タカムスビ)の御子の中で一番美しい三穂津姫命(ミホツヒメ)を大后に定めた。そこで<b>大国主命は三穂津彦命(ミホツヒコ)と改名</b>し、二神は揃って羽車に乗って三保の浦に降臨し、我が国土の隆昌と皇室の繁栄とを守るため三保の神奈昆(かむなび)に鎮座した」とある<br />
<br />
その他<b>、『駿河雑志』</b>には「日本武尊(ヤマトタケル)が勅命により社領を寄進した」とあり、他に「出雲国の御穂埼(島根県松江市美保関町)から遷座した神である」という伝承もあるとされる。<br />
<br />
このように創建には諸説あるものの、古くから三保の中心に鎮座する神社として知られ、「<b>三保大明神</b>」と称されて、国土開発の神、海の神と崇められていたとされている。<br />
<br />
なお、天から天女が舞い降りた「<b>羽衣伝説</b>」ゆかりの社としても有名であり、平安期には延喜式内社(『延喜式神名帳』に列せられる神社)となり、中世以降は武士の篤い崇敬を集めたとも云われている。<br />
<br />
また、神社ゆかりの祭礼である<b>筒粥神事(つつがゆしんじ)</b>では、海岸において神迎えの儀式が行われ、その際に神の依りついた神籬が松並木を通って境内にもたらされることから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・三穗津彦命(ミホツヒコ):</b>大己貴命(オオナムチ)の別名とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 建御名方命(タケミナカタ)・三保須々美命(ミホススミ)であるという説もある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・三穗津姫命(ミホツヒメ):</b>高皇産霊尊(タカムスビ)の御子で大国主の妻となったとされる</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【境内社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・子安神社:</b>須佐之男命(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・末社五社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・磯前神社:</b>少彦名神(スクナヒコナ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・呉服之神社:</b>長白羽命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・産霊神社:</b>高皇産霊命(タカミムスヒ)、神皇産霊命(カミムスヒ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・胡夫大夫神社:</b>事代主命(コトシロヌシ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・稲荷神社:</b>宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、大宮姫神(オオミヤヒメ)、太田命(オオタ)を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・末社三社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・八幡神社:</b>応神天皇(八幡神)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・八雲神社:</b>須佐之男命(スサノオ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・神明社:</b>天照大神(アマテラス)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【境外社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・羽車神社:</b>穂津彦命(大国主命)、三穂津姫命(ミホツヒメ)を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%A9%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">御穂神社(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/01/blog-post_94.html" target="_blank">御穂神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://www.genbu.net/data/suruga/miho_title.htm" target="_blank">御穂神社(玄松子の記憶)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Mi/mihojinja.html" target="_blank">ミホジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>当社由緒との対応箇所</h3>
<br />
・カシマタチ(国譲り)の際、オホナムチの子のクシヒコ(コトシロヌシ)は父に出雲を譲るよう進言した<br />
・オホナムチは出雲を譲ると、オシホミミよりツカルアソベのアカルミヤを賜り、一族を引き連れて津軽に遷った<br />
・その後、タカミムスヒはクシヒコに「娘のミホツヒメを娶って80万のカミを司り、テルヒコを守護せよ」と命じられた<br />
・クシヒコはタカミムスヒに従ってミホツヒメと結婚し、ヨロギの地を賜った<br />
・そして、二人は間にミホヒコという子を儲けた<br />
・後にミホヒコは妻との間に計36人の子を儲けて見事に養育したことから、コモリカミのヲシテ(璽)を賜った<br />
<br />
<h3>クシヒコについて</h3>
<br />
・オホナムチとタケコ(オキツシマヒメ)の第一子であり、アマテルの孫に当たる<br />
・オホナムチのコトシロヌシ(代行役)として天に仕え、オオモノヌシの業務を代わって務める<br />
・カシマタチの際は、父のオホナムチに天に従うよう進言する文書を送った<br />
・カシマタチの後にタカミムスヒに娘のミホツヒメを娶ってオオモノヌシになるよう命じられる<br />
・ミホツヒメと結婚してヨロギの地を賜った後に医学・薬学の道を開き、子のミホヒコを儲ける<br />
・テルヒコ(クシタマホノアカリ)が大和を治めることになると、これに同行する<br />
・テルヒコがイカルガ宮に座した際、すぐにアスカへの遷宮の詔を発するが、これに異議を唱えて落ちる<br />
・その後、ニニキネに仕えて種々の功績を挙げたことから、ヲコヌシ(大国主)となる<br />
・晩年にはアマテルから二尊のアマノサカホコを譲り受け、それを抱いて三諸山の洞に入る<br />
・死後はヤマトノカミ、ヤマトオオクニタマとして祀られる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_649.html">ホツマツタヱ10文 カシマ立ち 釣鯛の文:クシヒコとミホツヒメの結婚【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_500.html">ホツマツタヱ10文 カシマ立ち 釣鯛の文:コモリカミ【11】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>当社の特徴</h3>
<br />
・天から天女が舞い降りた「羽衣伝説」ゆかりの社として有名<br />
・海岸において神迎えの儀式が行われる「筒粥神事(つつがゆしんじ)」がある<br />
<br />
<h3>ホツマにおける仮説</h3>
<br />
・当社の由緒と『ホツマツタヱ』にある記述が悉く一致する<br />
・当社祭神はクシヒコとミホツヒメの夫婦であると思われる<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 静岡県静岡市清水区三保1073(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BE%A1%E7%A9%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0001119,138.5208771,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x5d83107362d302c9?sa=X&ved=0ahUKEwiZj4ihy9HNAhXBJpQKHU1IBwYQ_BIIhQEwCg" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 新清水駅(徒歩83分)、しずてつジャストライン 「羽衣の松入口」下車</span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-67810320878850550512016-06-24T00:43:00.000+09:002019-09-15T02:11:13.040+09:00『ホツマツタヱ』に見る 皇大神宮(伊勢神宮 内宮) [三重県]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNU-cyU1VRzOLoSIiObhGCAReCHFC0wb3T0rJIdexMVa6-Y3RFU0qq5fKqOrROEH952209Q9DPX4t1oTlYSG0iUlwFdXb8PoMQvbu3fDeTF84lY6zNKHqzYxLE3UCWfu1nA7TZObWlymg/s1600/5caabf59-6529-4274-866a-16439ed42930.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:皇大神宮(伊勢神宮 内宮) [三重県]" border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgNU-cyU1VRzOLoSIiObhGCAReCHFC0wb3T0rJIdexMVa6-Y3RFU0qq5fKqOrROEH952209Q9DPX4t1oTlYSG0iUlwFdXb8PoMQvbu3fDeTF84lY6zNKHqzYxLE3UCWfu1nA7TZObWlymg/s400/5caabf59-6529-4274-866a-16439ed42930.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:皇大神宮(伊勢神宮 内宮) [三重県]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>皇大神宮(こうたいじんぐう)</b>とは三重県伊勢市にある神社であり、一般的には<b>伊勢神宮</b>として知られています。<br />
<br />
当社は伊勢の<b>内宮(ないくう)</b>に当たり、古くから天照大御神を祀る神社として人々から篤い崇敬を集めています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
社伝によれば、創建は<b>垂仁天皇26年</b>とされる。<br />
<br />
『日本書紀』によれば、天照大神の御杖代となった倭姫命(ヤマトヒメ)は、天照大神の神霊が宿った八咫鏡を携えて諸国を巡幸していたが、伊勢に訪れた際に天照大神より「是の神風の伊勢の国は常世之浪重浪帰(とこよのなみしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ」との神託が下り、これを契機に伊勢の地に鎮座することになったと伝えられている。<br />
<br />
なお、『風土記』および『倭姫命世記』にも、伊勢関連の伝承が記されている。<br />
<br />
<span style="color: #3d85c6;"><b>関連リンク:</b><a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/01/blog-post_42.html" target="_blank">伊勢にまつわる伝説・伝承</a></span><br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ):</b>最高の神格を持つ太陽を神格化した神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 三種の神器の1つである八咫鏡(やたのかがみ)を神体とする</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 『倭姫命世記』などによればこの八咫鏡は「八頭(八頭花崎八葉形)」という</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 伊勢神宮では「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」あるいは「皇大御神(すめおおみかみ)」と呼ばれる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 神職が神前で神名を唱えるときは「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言う</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『倭姫命世記』によれば、祭神の天照大御神は「大日靈貴(オホヒルメノムチ)」という</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『日本書紀』によれば、「大日靈貴(オオヒルメノムチ)」はイザナギ・イザナミに産み出された日神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 『日本書紀』では、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は別の書による神名と記される</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『古事記』によれば、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」はイザナギの左眼から化成したとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 『古事記』では、イザナギの禊から化成した最後の三神(三貴子)は誕生したときから特別に尊いとされた</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は『古事記』による名称である</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『竹内文書』によれば、「天照皇大神」は別名を「天疎日向津比売尊(あまさかるひにむかつひめ)」というとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">【相殿神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・天手力男神(あめのたぢからおのかみ):</b>天岩戸神話でアマテラスを岩戸から引っ張り出した神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 左方に祀られており、弓を神体とする</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと):</b>オシホミミの妻、ホアカリとニニギの母に当たる神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 右方に祀られており、剣を神体とする</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【内宮別宮】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・風日折宮:</b>級長津彦命(シナツヒコ)・級長戸辺命(シナツヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・荒祭宮:</b>天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 一説にセオリツヒメを指すとされる</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【内宮所管社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・瀧祭神:</b>瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 磐座形式で祀られた社</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・四至神:</b>四至神(みやのめぐりのかみ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 磐座形式で祀られた社</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・御稲御倉:</b>御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 平安期はウケモチ、鎌倉期はウカノミタマを祀るとされた</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・由貴御倉:</b>由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・御酒殿:</b>御酒殿神(みさかどののかみ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・子安神社:</b>木花開耶姫神(コノハナサクヤヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・大山祇神社:</b>大山祇神(オオヤマツミ)を祀る</span></div>
<br />
<h3>豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)</h3>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ3B73oV5HLrdNZKXIoMwE7tg7AnLBW48Wg_xXDAwk-lj9KZ8XDcSShjWDwcx_-GkloMvusemxKc24ErXzqcdSPQVJICre3tRO9_Jl61WQ11q5efgR46YD2SFi6rlmo1ingnEv3MVVU6w/s1600/59a079c149c046afba0a5be4e1d4a72a.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:豊受大神宮(伊勢神宮 外宮) [三重県]" border="0" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgZ3B73oV5HLrdNZKXIoMwE7tg7AnLBW48Wg_xXDAwk-lj9KZ8XDcSShjWDwcx_-GkloMvusemxKc24ErXzqcdSPQVJICre3tRO9_Jl61WQ11q5efgR46YD2SFi6rlmo1ingnEv3MVVU6w/s320/59a079c149c046afba0a5be4e1d4a72a.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:豊受大神宮(伊勢神宮 外宮) [三重県]" width="320" /></a></div>
<br />
<b>豊受大神宮(とようけだいじんぐう)</b>は、伊勢神宮の2つの正宮の内の1つであり、<b>外宮(げくう)</b>とも呼ばれている。<br />
<br />
社伝によれば、皇大神宮(内宮)の創祀の約500年後の<b>第21代雄略天皇の時代</b>、天皇の夢の中に天照大御神(アマテラス)が現れて「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」という神託が下り、それを以って豊受大神(とようけのおおかみ)が丹波国から内宮付近の山田の原に遷されたとされる。<br />
<br />
また、豊受大神の元々の鎮座地である丹後の真名井神社(現・籠神社摂社)の社伝によれば、雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたとされている。<br />
<br />
なお、雄略天皇は景行天皇よりも大分 後の時代となるため、ヲシテ文献に豊受大神宮は登場しない(前身はマナヰのアサヒ宮(真名井神社に比定)であるとされる)。<br />
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">【外宮の祭神】</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<b><span style="color: #a64d79;">主祭神</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<b><span style="color: #a64d79;">・豊受大神(とようけのおおかみ)</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<b><span style="color: #a64d79;">相殿神</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<b><span style="color: #a64d79;">・御伴神(みとものかみ)三座</span></b></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.isejingu.or.jp/" target="_blank">皇大神宮(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE" target="_blank">皇大神宮(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/02/blog-post_68.html" target="_blank">皇大神宮(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/02/blog-post_68.html" target="_blank">コウタイジングウ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>サコクシロウチ宮について</h3>
<br />
・アマテルは晩年になると、内宮のセオリツヒメはミモカワ付近に最期の地であるサコクシロウチを得た<br />
・アマテルは、イサワの宮からサコクシロウチに宮を遷し、そこで2万年過ごしたという<br />
・アマテルはサコクシロウチ宮に自生した50鈴の真榊を見て死期を悟り、諸神を集めて世を離れる詔を発した<br />
・その際、アマテルはマナヰのアサヒ宮を自らの墓所とするように伝えると、サルタを召して穴を掘らせた<br />
・そして、諸神に遺命を伝えて神上がった<br />
・その後、神逝の神輿はマナヰに到り、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られることになった<br />
・この後、コヤネはサコクシロウチ宮を「アマテル神の内つ宮」と改め、自らはイセの神臣となった<br />
・なお、サコクシロウチは「天の輪の中心」を意味し、ウチは伊勢の「宇治」の由来となったと推測される<br />
・そして、このウチ(宇治)に後にイセ宮(内宮)が建てられることになる<br />
<br />
<h3>イセ宮の創建の経緯</h3>
<br />
・トヨスキヒメから御杖代の役を託されたヤマトヒメは、イソベに遷ってアマテル神を鎮めた<br />
・その後、アマテル神より「良き宮所は南にあり」との神託が下ったことから、オオワカゴをその地に派遣した<br />
・オオワカゴがヰスズガワに到ると、208万歳になるサルタヒコが現れた<br />
・サルタヒコはアマテルより預かった神宝をオオワカゴに渡し、これを主に渡すように告げて去って行った<br />
・オオワカゴが神宝をヤマトヒメに渡すと、ヤマトヒメはウチ(伊勢の宇治)に到り、当地にイセ宮を建てることにした<br />
・この際、サルタヒコの功績を讃えてサルタヒコの座っていたアグライシを祀った<br />
・その後、オオワカゴらに宮地を整備させ、宮地の真ん中にオオミヤハシラを立ててイセ宮を造営した<br />
・これを垂仁天皇に告げると、天皇は早速 伊勢の神主らを定める詔を発した<br />
・この後、伊勢の神主らは各々がイセ宮を詣でたという<br />
・なお、イセ宮の創建当初はイセ宮が内宮であり、アサヒ宮が外宮に当てられた<br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
<b>・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる</b><br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる<br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h3>トヨケについて</h3>
<br />
・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である<br />
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる<br />
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた<br />
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された<br />
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという<br />
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた<br />
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_172.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテルの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_785.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:世に遺す歌【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_113.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:還し宣歌【8】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_915.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテル最期の詔【9】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_992.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_485.html">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテル亡き後のカスガ【11】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_166.html">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢神宮(内宮)の造営と、皇室の御幸【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_786.html">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>伊勢神宮について</h3>
<br />
・現在のように大規模に造成されたのは、第40代天武天皇から第41代持統天皇の時代とされる<br />
・神苑には神使として神鶏が放し飼いにされている<br />
→ ホツマによれば、庭鳥(鶏)を飼えば民のカラカレ(空枯れ)は無くなるとされる<br />
・伊勢神宮の周辺には、菊花紋章と六芒星の刻まれた謎の灯篭がある<br />
→ ホツマによれば、キクは「高貴・究極・中心」なる意味を持つとされる<br />
→ 六芒星には「対極なる要素の調和」の意があるとも云われ、ホツマにおけるイセ(妹背)の意と合致する<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 三重県伊勢市宇治館町1(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E7%A5%9E%E5%AE%AE/@34.45501,136.725793,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xf009663753f60ca7!8m2!3d34.45501!4d136.725793" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業: </b>5:00~18:00(夏期19:00、冬季17:00)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通: </b>伊勢市駅または宇治山田駅からバス、五十鈴川駅(徒歩39分)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b><br /></b></span>
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b><a href="http://www.isejingu.or.jp/" target="_blank">http://www.isejingu.or.jp/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-84570530910917079172016-06-22T15:54:00.000+09:002019-09-15T02:08:31.958+09:00『ホツマツタヱ』に見る 磯部神社 [三重県]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiEiIvkUQ1hhOT2TB0oYgT-HGcx1Zl8DgYwFK6XGz7Lg7DcYeq5-77v1Avdp7eC7qfNPgODhjsRaUobzB7mKx7HH0DJbSOOutHqyXiOpisQBlxYUglmGoWxXMjyorL4afw9jKdIDD949EM/s1600/3bd33d892e2c4fa9b29707a411841e35.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:磯部神社 [三重県]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEiEiIvkUQ1hhOT2TB0oYgT-HGcx1Zl8DgYwFK6XGz7Lg7DcYeq5-77v1Avdp7eC7qfNPgODhjsRaUobzB7mKx7HH0DJbSOOutHqyXiOpisQBlxYUglmGoWxXMjyorL4afw9jKdIDD949EM/s400/3bd33d892e2c4fa9b29707a411841e35.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:磯部神社 [三重県]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>磯部神社(いそべじんじゃ)</b>とは三重県志摩郡磯部町にある神社であり、<b>磯部郷の惣社</b>であるとされています。<br />
<br />
<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post.html">伊雑宮</a></b>に関連する社とされ、祭神に正哉吾勝勝速日天忍穗耳尊(オシホミミ)など計48柱の神々を祀っています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
創祀については不詳とされるが、古くから伊雑宮の摂末社の如く扱われており、歴代の伊雑宮の神職らによって その氏神・産土神として奉祀されてきたと云われている。また、社殿の造営の折には伊雑宮竝大歳社(佐美長神社)の古殿を拝領して、その造修を営んできたとされる。<br />
<br />
その後、明治末期に発布された神社合祀令に関する勅令に則って、村内十大字(除坂崎)の神社を現在地に合祀し、社名を磯部神社と改めた磯部郷の総社となったとされる。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">・正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊(マサカアカツカチハヤビアメノオシホミミ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・天穂日命(アメノホヒ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・天津彦根命(アメツヒコネ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・活津彦根命(イクツヒコネ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・熊野櫲樟日命(クマノクスヒ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・田心姫命(タゴリヒメ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・湍津姫命(タギツヒメ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)</span></b><br />
<b><span style="color: #0b5394;">・他40柱</span></b></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<span style="color: #674ea7;"><b>・護国社:</b>571柱の神を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・その他</span></b></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/" target="_blank">磯部神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/10/blog-post_9.html" target="_blank">磯部神社(人文研究見聞録)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>イソミヤについて</h3>
<br />
・ヤマトヒメはイイノよりイソベの地に遷り、遂にアマテルの神霊をイセ宮(サコクシロ内宮)に遷した<br />
・ヤマトヒメは108歳の時に御杖代をヰモノ姫に継承し、自らは内端殿のイソミヤに退いて アマテル神を祀って静かに過ごした<br />
・現在は磯神社に比定<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_166.html">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢神宮(内宮)の造営と、皇室の御幸【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_556.html">ホツマツタヱ38文 ヒシロの代 クマソ打つ文:御杖代の代替り【22】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>磯部神社について</h3>
<br />
・創祀は不詳とされるが、伊雑宮に関連する社であると思われる<br />
・伊勢周辺にある「菊花紋章」と「六芒星」の刻まれた灯篭が境内に建つ<br />
・鮫を神使としており、伊雑宮にまつわる「七本鮫」の伝説に関わる<br />
<br />
<h3>イソミヤについて</h3>
<br />
・ホツマにおけるイソミヤは磯神社に比定される<br />
・磯神社は明治までは八王子社であった<br />
・戦後に磯神社に改められたとされる<br />
・ホツマにおいてヤマトヒメはイソベに遷ったと記される<br />
・磯部神社は現在は磯部郷の総社である<br />
・イソベという地は磯部神社周辺ではないかとも考えられる<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 三重県志摩市磯部町恵利原1250(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@34.3770443,136.8038264,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x12cfc016d8141710!8m2!3d34.3770443!4d136.8038264" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 上之郷駅(徒歩12分)</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/" target="_blank">http://kyoka.mie-jinjacho.or.jp/shrine/%E7%A3%AF%E9%83%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-72740046256738391982016-06-22T14:59:00.001+09:002019-09-15T02:06:15.685+09:00『ホツマツタヱ』に見る 住吉大社 [大阪府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhIvuEVhztbuoizT0Ch4isoF9cXZPrcDzCxtq70qBqdSP66BkuyC4BuO8TNkHpR_9-7Bk3-QXw2I4WdhUmTQTbsxog5xE9ljCmpZy7slgbhngKJKaYUo4FXPjftpUGuLldX8P3ivV0b70/s1600/19e973de-119f-4170-b691-96113b871c0a.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:住吉大社 [大阪府]" border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhhIvuEVhztbuoizT0Ch4isoF9cXZPrcDzCxtq70qBqdSP66BkuyC4BuO8TNkHpR_9-7Bk3-QXw2I4WdhUmTQTbsxog5xE9ljCmpZy7slgbhngKJKaYUo4FXPjftpUGuLldX8P3ivV0b70/s400/19e973de-119f-4170-b691-96113b871c0a.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:住吉大社 [大阪府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>住吉大社(すみよしたいしゃ)</b>とは大阪市住吉区にある神社であり、全国の<b>住吉神社の総本社</b>として知られています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
由緒書によれば、<b>住吉大神</b>(底筒男命・中筒男命・表筒男命の総称)から「吾(あ)が和魂(にぎみたま)を宜しく大津渟中倉長峡(おおつのぬなくらのながお)に居くべし、便ち因りて往来ふ船を看む」との神託が下ったことから、神功皇后摂政11年辛卯の歳(AD.211)に<b>神功皇后</b>が当地で鎮祭を為したことに始まるとされている。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・底筒男命(ソコツツノオ):</b>イザナギが黄泉国から戻ってきた後に行った禊で生まれた</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・中筒男命(ナカツツノオ):</b>同上</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・表筒男命(ウワツツノオ):</b>同上</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・神功皇后(じんぐうこうごう):</b>仲哀天皇の皇后であり、応神天皇の母</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEinkvfJZZ3I85f0Hoyea63wgvVYLLn7X7vJTlXv93LlyS72w6qZYdvqHkSAmVuEaIEaWrVb9rbIws7m78JnNJrf8Xjko9W6N0RDGqq0asLUc4ma3CWiLjLAWQJlkmrDZGlvMZhXWZeAIZM/s1600/da53b445-ff53-45c1-bef6-3a66909d4839.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:住吉大社 [大阪府]" border="0" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEinkvfJZZ3I85f0Hoyea63wgvVYLLn7X7vJTlXv93LlyS72w6qZYdvqHkSAmVuEaIEaWrVb9rbIws7m78JnNJrf8Xjko9W6N0RDGqq0asLUc4ma3CWiLjLAWQJlkmrDZGlvMZhXWZeAIZM/s320/da53b445-ff53-45c1-bef6-3a66909d4839.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:住吉大社 [大阪府]" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">児安社</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【摂社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・大海神社:</b>豊玉彦命(トヨタマヒコ)、豊玉姫命(トヨタマヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・若宮八幡宮:</b>誉田別尊 (ほんだわけ)、武内宿禰(たけしうちのすくね)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・志賀神社:</b>底津少童命(ソコツワダツミ)、中津少童命(ナカツワダツミ)、表津少童命(ウワツワダツミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・船玉神社:</b>天鳥船命(アメノトリフネ)、猿田彦神(サルタヒコ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【末社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・楯社:</b>武甕槌命(タケミカヅチ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・鉾社:</b>経津主命(フツヌシ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・侍者社:</b>田裳見宿祢(たもみのすくね)、市姫命(いちひめ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・后土社:</b>土御祖神(ツチノミオヤ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・楠珺社:</b>宇迦魂命(ウカノミタマ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・市戎大国社:</b>事代主命(コトシロヌシ)、大國主命(オオクニヌシ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・種貸社:</b>倉稲魂命(ウガノミタマ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・児安社:興台産霊神(コゴトムスビ)</b>を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・海士子社:</b>鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・龍社:</b>水波野女神(ミヅハノメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・八所社:</b>素盞鳴尊(スサノオ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・新宮社:</b>伊邪那美命(イザナミ)、事解男命(コトサカノオ)、速玉男命(ハヤタマノオ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・立聞社:</b>天児屋根命(アメノコヤネ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・貴船社:</b>高龗神(タカオカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・星宮:</b>国常立命(クニノトコタチ)、竈神(カマドノガミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・五社:</b>大領・板屋・狛・津・高木・大宅・神奴祖神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・薄墨社:</b>国基霊神(くにもとのみたま)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・斯主社:</b>国盛霊神(つもりくにもりのみたま)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・今主社:</b>国助霊神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・招魂社:</b>諸霊神を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.sumiyoshitaisha.net/index.html" target="_blank">住吉大社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE" target="_blank">住吉大社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/06/blog-post_13.html" target="_blank">住吉大社(人文研究見聞録)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>ココトムスビについて</h3>
<br />
・ツハヤムスビの孫のヰチチ(ヰチヂ)のこと<br />
・フツヌシの妹のアサカヒメを娶ってアマノコヤネを儲ける<br />
・タマカエシの方法を開発する<br />
・タマカエシの功によって"ココトムスビ"と"カスガドノ"という名を賜り、春日県を治めることになる<br />
・老年となったことから春日県の統治権を返還し、代わりにクシタマホノアカリが大和を治めることになる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所(ココトムスビ関連)</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_42.html">ホツマツタヱ8文 霊還し ハタレ打つ文:ココトムスビとタマカエシ【22】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_246.html">ホツマツタヱ8文 霊還し ハタレ打つ文:カスガマロ(アマノコヤネ)の誕生【23】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>住吉大社について</h3>
<br />
・住吉大社の<b>児安社</b>で<b>興台産霊神(コゴトムスビ)</b>が祀られている<br />
<br />
<h3>興台産霊神(コゴトムスビ)について</h3>
<br />
・『日本書紀』第七段一書(三)に「天兒屋命(アメノコヤネ)の父」として表記される<br />
・『尊卑分脈』藤原氏系図では「興台産霊命が王主命の許登能床遅媛命を娶り、天児屋根命を生んだ」とされる<br />
・「高田天神社の社伝」では「津速産霊神(ツハヤムスビ)の孫が天兒屋命(アメノコヤネ)である」とされる<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%BD%8F%E5%90%89%E5%A4%A7%E7%A4%BE/@34.6127972,135.4929406,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xa7f51dfe4d001f82!8m2!3d34.6127972!4d135.4929406" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 6:00~17:00</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 住吉大社駅(徒歩3分)</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.sumiyoshitaisha.net/index.html" target="_blank">http://www.sumiyoshitaisha.net/index.html</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-72722709825637209482016-06-16T18:02:00.002+09:002019-09-15T02:03:50.224+09:00『ホツマツタヱ』に見る 河合神社 [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEil6zAFbTiF8-MGB88ibiddHBo8whnGDasG_FlQ1j_MAykIMco_iWPt4Yc1StD_hTGLQDU9xX-q4DDL4XhYQhI193DHzOk2cQ0DTgmyg0vHxjyxghHnSBegpCk4jqctOExeThkYnR-plhY/s1600/936afb08e8a24338b252251ad78a8543.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:河合神社 [京都府]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEil6zAFbTiF8-MGB88ibiddHBo8whnGDasG_FlQ1j_MAykIMco_iWPt4Yc1StD_hTGLQDU9xX-q4DDL4XhYQhI193DHzOk2cQ0DTgmyg0vHxjyxghHnSBegpCk4jqctOExeThkYnR-plhY/s400/936afb08e8a24338b252251ad78a8543.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:河合神社 [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>河合神社(かわいじんじゃ)</b>とは京都市左京区にある神社であり、<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_38.html">下鴨神社</a></b>の境内の糺の森に位置しています。<br />
<br />
下鴨神社の摂社であり、『方丈記』の著者・鴨長明の所縁の神社としても知られているようです。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
由緒書によれば、創建年代は不詳であるが、神武天皇の時代に創始されたと伝えられる。<br />
<br />
なお、平安期の太政官符には「河合社、是御祖、別雷 両神の描裔神 也」とあり、上賀茂神社・下鴨神社の祭神がともに祀られていたという記録もあることから、元来はここが賀茂神社の元宮であったという説もあるとされる。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・玉依姫命(タマヨリヒメ):</b>神武天皇の母神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『風土記』にも同名の神が出てくるが、この神とは別とされる</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">・六社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・諏訪社:</b>建御方神(タケミナカタ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・衢 社:</b>八衢毘古神(ヤチマタヒコ)、八衢比賣神(ヤチマタヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・稲荷社:</b>宇迦之御魂神(ウカノミタマ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・竃 神:</b>奥津日子神(オクツヒコ)、奥津比賣神(オクツヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・印 社:</b>霊璽(れいじ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・由木社:</b>少彦名神(スクナヒコナ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・任部社(専女社):</b>八咫烏命(ヤタガラス)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・貴布禰神社:</b>高龗神(タカオカミ)を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・三井社(三塚社)</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・中社:</b>賀茂建角身命(カモタケツノミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・西社:</b>伊賀古夜日賣命(イカコヤヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・東社:</b>玉依媛賣命(タマヨリヒメ)を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.shimogamo-jinja.or.jp/" target="_blank">下鴨神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">下鴨神社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/09/blog-post_85.html" target="_blank">河合神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ka/kaahi.html" target="_blank">カアヒノミヤ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ka/kamomioyajinja.html" target="_blank">カワイジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>タマヨリヒメについて</h3>
<br />
<b>・カモタケスミとイソヨリヒメの娘</b><br />
→ 両親は子宝に恵まれなかったが、ワケツチカミ(ニニキネ)に祈願したことでタマヨリヒメを授かったとされる<br />
⇒ ホツマではトヨタマヒメの妹はオトタマヒメとされるため、『記紀』とは異なる<br />
<b>・両親が亡くなると その喪祭をして、一人でワケツチカミ(ニニキネ)に参詣した際にウツロヰと出会う</b><br />
→ そこでウツロヰと問答した後、タマヨリヒメがワケツチ宮を詣でて禊をしていると宮の軒に白羽の矢が刺さった<br />
→ この後にタマヨリヒメは懐妊し、やがて一人の男児(ミケイリ)を出産した<br />
→ 処女懐胎であったが、男児が3歳になった時に白羽の矢を指して父であると言った<br />
→ これにより、白羽の矢はワケツチカミ(ニニキネ)であると云われるようになった<br />
<b>・タマヨリヒメは娶ってくれる者を探したが見つからず、しばらくタカノノモリに隠れ住んだ</b><br />
→ そこでワケイカツチの祠を成し、常にワケイカツチの御影を祀ったという<br />
<b>・その後、ウガヤによって御子のヰツセの乳母を募集する御告れが出された</b><br />
→ この時 乳の出が良いタマヨリヒメの噂がウガヤに届き、タマヨリヒメが召されることになった<br />
→ タマヨリヒメはウガヤの内局となってヰツセを養育した<br />
→ この際、連れ子であったミケイリも同時に引き取られた<br />
→ また、ウガヤとタマヨリヒメは間にイナヰイを儲けた<br />
<b>・その後、タマヨリヒメはウガヤの内宮となった</b><br />
→ この後に生まれた御子はカンヤマトイワレヒコのミコトと名付けられた(初代 神武天皇に当たる)<br />
<br />
<h3>カモタケスミについて</h3>
<br />
・ハテツミ(他書の豊玉彦)の子であり、トヨタマヒメ、オトタマヒメとは兄妹関係に当たる<br />
・トヨタマヒメが出産のためにホオテミの元に向かう際、船が壊れてタケスミも共に渚に落ちてしまったという<br />
・ミツハメの社に籠ったトヨタマヒメがニニキネに説得された後、トヨタマヒメを養うよう命じられてカワイの地を賜る<br />
・ホオテミからウチ侍のイソヨリヒメを与えられたことにより、イソヨリヒメと結婚する<br />
→ これによってタケスミは「カアヒノタチ(河合の領主)」となった<br />
・長年の間 子が出来なかったとき、ワケツチカミに祈ると夢で神託を得てタマヨリヒメを授かる<br />
・亡くなった後は妻と共に「カアヒノカミ」として祀られた<br />
・死後はアタネが山背国造となり、タケスミの政を引き継いだとされる<br />
<br />
<h3>カアヒノカミについて</h3>
<br />
・「カアヒノタチ」であったタケスミと 妻のイソヨリヒメと共に「カアヒノカミ」として祀られた<br />
→ すなわち、「カアヒノカミ」とは「カモタケスミ」と「イソヨリヒメ」を指す<br />
<br />
<h3>カアヒノミヤについて</h3>
<br />
・「カアヒノカミ」は当社に祀られた<br />
・神武天皇の即位の際、河合宮に納められていたヤタ鏡を取り出している<br />
→ タマヨリヒメによって納められていたと考えられる<br />
・ウガヤとタマヨリヒメは、死後に「ミヲヤカミ」「メヲノカミ」として併せ祀られる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_99.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_818.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメの誕生【12】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_909.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメとワケイカツチの子【13】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_198.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:出雲の御子【14】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_431.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:カンヤマトイワレヒコの誕生【15】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_184.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:ウガヤの最期【20】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_372.html">ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:イワレヒコの治世【4】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_168.html">ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:賀茂社にニニキネとウガヤを祀る【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_301.html">ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:賀茂社の新造と御幸【6】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>河合神社について</h3>
<br />
・由緒や祭神は、ホツマを下敷きに考えると概ね合点が行く<br />
→ ホツマに従えば、カアヒカミ(タケツミヒコ+イソヨリヒメ)とミヲヤカミ(ウガヤ+タマヨリヒメ)を祀る<br />
⇒ 最初にタマヨリヒメによって、両親のタケツミヒコとイソヨリヒメが「カアヒカミ」として祀られた<br />
⇒ ウガヤとタマヨリヒメの死後、当社に「ミヲヤカミ」「メヲノカミ」として併せ祀られた<br />
→ 当初は河合社にミヲヤカミが祀られていたが、垂仁朝にオオカモによって社殿の新造と遷宮が為された<br />
⇒ 垂仁朝に新造される下鴨神社の前身の一つとなっている<br />
・社の古名を鴨河合坐小社宅神社(かものかわあいにますおこそやけのじんじゃ) という<br />
→ 他に只洲社(ただすしゃ)とも云う<br />
→ 祭神は「御祖、別雷両神之苗裔之神」とされる<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府京都市左京区下鴨泉川町(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%8B%E9%B4%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0370066,135.7724455,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x3b83b327fe5cdcc?sa=X&ved=0ahUKEwj7hf-Ol6zNAhWGIqYKHQWwD-EQ_BIIiAEwDA" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 6:30~17:00</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 出町柳駅(徒歩8分)、京都市バス「下鴨神社前」下車</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.shimogamo-jinja.or.jp/" target="_blank">http://www.shimogamo-jinja.or.jp/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-66808677077464051572016-06-16T17:49:00.001+09:002019-09-15T01:59:35.859+09:00『ホツマツタヱ』に見る 賀茂御祖神社(下鴨神社) [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYFuWZjMh3eIpop-zgYgpRs1t2oOEZy2RTAgeKekorJvyeVA_EIEJH1PT3A2Ohf1h9J3y8J5GG8oYAXJX4HKbHO2RY-B5ZvAyneOyAjwnWL8rvswN_Qg5WHKwqSmXXqpRdSPA_QCe0jWs/s1600/77414bfc66d44491a322f1cafa80cef3.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:賀茂御祖神社(下鴨神社) [京都府] " border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjYFuWZjMh3eIpop-zgYgpRs1t2oOEZy2RTAgeKekorJvyeVA_EIEJH1PT3A2Ohf1h9J3y8J5GG8oYAXJX4HKbHO2RY-B5ZvAyneOyAjwnWL8rvswN_Qg5WHKwqSmXXqpRdSPA_QCe0jWs/s400/77414bfc66d44491a322f1cafa80cef3.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:賀茂御祖神社(下鴨神社) [京都府] " width="400" /></a></div>
<br />
<b>賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)</b>とは京都市左京区にある神社であり、山城国一宮とされています。<br />
<br />
通称 <b>下鴨神社(しもがもじんじゃ)</b>と呼ばれ、毎年5月には<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_16.html">上賀茂神社</a></b>と共に<b>賀茂祭(葵祭)</b>が行われることで有名です。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
社伝によれば、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したとされる。<br />
<br />
また、当社の最古の祭である御生神事(みもれしんじ、現在の御蔭祭)が第2代綏靖天皇の時代に始められ、第10代崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるとされることから、創祀は相当古いと推定されている。<br />
<br />
なお、境外摂社である御蔭神社(京都市左京区上高野東山)は、太古に鴨大神が降臨したとされる御蔭山に当たり、天武天皇6年(677年)に山背國司が造営した賀茂神宮は御蔭神社であるという説が唱えられているとされる。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・玉依姫命(タマヨリヒメ):</b>賀茂別雷命の母神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『山城国風土記』に由来する玉依姫命</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 『記紀』におけるタマヨリヒメ(トヨタマヒメの妹)とは別とする説もある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・賀茂建角身命(カモタケツヌミ):</b>玉依姫命の父神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 主に八咫烏の別名と定義される</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ これにより、山城の賀茂氏(賀茂県主)の始祖とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 一説に阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)を指すとも言われる</span></div>
<br />
<h3>関連社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【摂社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・河合神社:</b>玉依姫命(神武天皇の母神)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・六社:</b>建御方神、八衢毘古神、八衢比賣神、宇迦之御魂神、奥津日子神、奥津比賣神、霊璽、少彦名神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・任部社:</b>八咫烏命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・三井社:</b>賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依媛賣命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・出雲井於神社:</b>建速須佐乃男命を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;"> ・岩本社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;"> ・橋本社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・三井神社:</b>伊賀古夜日売命、賀茂建角身命、玉依媛命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・諏訪社:</b>建御名方神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・小杜社:</b>水分神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・白鬚社:</b>大伊乃伎命(猿田彦神)を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・日吉神社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・貴布祢神社:</b>高龗神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【末社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<b><span style="color: #674ea7;">・印璽社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・言社:</b>大国主別名七神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・井上社:</b>瀬織津姫命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・相生社:</b>神皇産霊神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・愛宕社:</b>火産霊神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・稲荷社:</b>宇迦之御魂神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・祓社:</b>玉依媛命、賀茂建角身命、祓戸大神を祀る</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・印納社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・沢田社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・河崎社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・賀茂斎院歴代斎王神霊社</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【境外摂社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・賀茂波爾神社(赤の宮):</b>波爾安日子、波爾安日女神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b> ・稲荷社:</b>赤宮稲荷大明神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・御蔭神社(出雲高野神社):</b>賀茂建角身命荒魂、玉依日売命荒魂を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.shimogamo-jinja.or.jp/" target="_blank">下鴨神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%BE%A1%E7%A5%96%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">下鴨神社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/09/blog-post_76.html" target="_blank">下鴨神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ka/kamomioyajinja.html" target="_blank">カモミオヤジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Mi/mikagejinja.html" target="_blank">ミカゲジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>タマヨリヒメについて</h3>
<b><br /></b>
<b>・カモタケスミとイソヨリヒメの娘</b><br />
→ 両親は子宝に恵まれなかったが、ワケツチカミ(ニニキネ)に祈願したことでタマヨリヒメを授かったとされる<br />
⇒ ホツマではトヨタマヒメの妹はオトタマヒメとされるため、『記紀』とは異なる<br />
<b>・両親が亡くなると その喪祭をして、一人でワケツチカミ(ニニキネ)に参詣した際にウツロヰと出会う</b><br />
→ そこでウツロヰと問答した後、タマヨリヒメがワケツチ宮を詣でて禊をしていると宮の軒に白羽の矢が刺さった<br />
→ この後にタマヨリヒメは懐妊し、やがて一人の男児(ミケイリ)を出産した<br />
→ 処女懐胎であったが、男児が3歳になった時に白羽の矢を指して父であると言った<br />
→ これにより、白羽の矢はワケツチカミ(ニニキネ)であると云われるようになった<br />
<b>・タマヨリヒメは娶ってくれる者を探したが見つからず、しばらくタカノノモリに隠れ住んだ</b><br />
→ そこでワケイカツチの祠を成し、常にワケイカツチの御影を祀ったという<br />
<b>・その後、ウガヤによって御子のヰツセの乳母を募集する御告れが出された</b><br />
→ この時 乳の出が良いタマヨリヒメの噂がウガヤに届き、タマヨリヒメが召されることになった<br />
→ タマヨリヒメはウガヤの内局となってヰツセを養育した<br />
→ この際、連れ子であったミケイリも同時に引き取られた<br />
→ また、ウガヤとタマヨリヒメは間にイナヰイを儲けた<br />
<b>・その後、タマヨリヒメはウガヤの内宮となった</b><br />
→ この後に生まれた御子はカンヤマトイワレヒコのミコトと名付けられた(初代 神武天皇に当たる)<br />
<br />
<h3>カモタケスミについて</h3>
<br />
・ハテツミ(他書の豊玉彦)の子であり、トヨタマヒメ、オトタマヒメとは兄妹関係に当たる<br />
・トヨタマヒメが出産のためにホオテミの元に向かう際、船が壊れてタケスミも共に渚に落ちてしまったという<br />
・ミツハメの社に籠ったトヨタマヒメがニニキネに説得された後、トヨタマヒメを養うよう命じられてカワイの地を賜る<br />
・ホオテミからウチ侍のイソヨリヒメを与えられたことにより、イソヨリヒメと結婚する<br />
→ これによってタケスミは「カアヒノタチ(河合の領主)」となった<br />
・長年の間 子が出来なかったとき、ワケツチカミに祈ると夢で神託を得てタマヨリヒメを授かる<br />
・亡くなった後は妻と共に「カアヒノカミ」として祀られた<br />
・死後はアタネが山背国造となり、タケスミの政を引き継いだとされる<br />
<br />
<h3>カアヒノカミについて</h3>
<br />
・「カアヒノタチ」であったタケスミと 妻のイソヨリヒメと共に「カアヒノカミ」として祀られた<br />
→ すなわち、「カアヒノカミ」とは「カモタケスミ」と「イソヨリヒメ」を指す<br />
<br />
<h3>ウガヤについて</h3>
<br />
<b>・ヒコホオテミとトヨタマヒメの子</b><br />
→ 出産までの経緯から「ナギサタケウガヤフキアワセズ」と名付けられる<br />
<b>・即位した際、アマテルから「ミヲヤアマキミ」の名を賜る</b><br />
→ これは、アマテルがアメノミチを得るためのカグノフミとミヲヤモアミを授けたことに由来する<br />
→ ウガヤの代からアマカミ(天尊)によって代々治められていた治世が、スヘラカミ(地尊)に移ったとされる<br />
<b>・ウガヤは7鈴(42万年)の間、タダスノトノから地上を豊かに治めていたとされる</b><br />
→ しかし、ウガヤは齢が13鈴(78万歳)になっても后を娶らず、子も居なかった<br />
→ そこで、ヨツギフミを以って代嗣を授かれるように12后を設けた<br />
→ その中でも若いヤセヒメを内宮とし、後にヰツセ御子を儲けた<br />
→ しかし、ヰツセを産んだヤセヒメは間もなく亡くなってしまう<br />
<b>・ヤセヒメが亡くなると、ヰツセを養育する乳が必要になった</b><br />
→ そこでヰツセの乳母を募集した時にタマヨリヒメを見つけ、やがて后に迎えて内宮とした<br />
→ タマヨリヒメが内宮になった後に生まれた御子が、タケヒト(神武天皇)であった<br />
<b>・晩年はツクシへの巡幸を乞われ、ツクシを治めてカゴシマに居着く</b><br />
→ ウガヤはヲニフ宮(福井県小浜市遠敷)、タガ宮(滋賀県多賀町多賀)を経てカゴシマ宮に遷ったとされる<br />
<b>・死期が迫るとミヤサキに遷り、そこに訪れたタケヒトとアメタネコに遺命を伝えてミヤサキ山の洞穴で神上がった</b><br />
→ 死後は所縁の場所で様々な神名で祀られたとされる<br />
⇒ ツクシ:ツクシスベラギ<br />
⇒ タガ:ヒウガノカミ<br />
⇒ ヲニフ:カモノカミ<br />
⇒ ミヤサキ:ミヲヤカミ<br />
<b>・内宮のタマヨリヒメが神上がると河合社に併せ祀られて「ミヲヤカミ」「メヲノカミ」として有名になったという</b><br />
<br />
<h3>ミヲヤカミについて</h3>
<br />
・ホツマ中ではアマテル、ニニキネ、ウガヤ、ウガヤ+タマヨリヒメを指す語として登場する<br />
→ 御祖・上祖の意であり、一定の流れの祖となった者に与えられる尊称であると思われる<br />
<br />
<h3>タカノノモリについて</h3>
<br />
・タマヨリヒメが隠れ住んだ森のことであり、ワケイカツチの祠が造られたとされる<br />
→ 別名をイヅモヂモリと云うとされる<br />
⇒ 一説には京都の北部全体を出雲路と称すると云う<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_99.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_818.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメの誕生【12】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_909.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメとワケイカツチの子【13】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_198.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:出雲の御子【14】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_431.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:カンヤマトイワレヒコの誕生【15】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_184.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:ウガヤの最期【20】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_168.html">ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:賀茂社にニニキネとウガヤを祀る【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_301.html">ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:賀茂社の新造と御幸【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_663.html">ミカサフミ9文 年内になす事の文:タのヲシテの形【4】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>下鴨神社について</h3>
<br />
・由緒や祭神は、ホツマを下敷きに考えると概ね合点が行く<br />
→ ホツマに従えば、カアヒカミ(タケツミヒコ+イソヨリヒメ)とミヲヤカミ(ウガヤ+タマヨリヒメ)を祀る<br />
→ 当初は河合社にミヲヤカミが祀られていたが、垂仁朝にオオカモによって社殿の新造と遷宮が為された<br />
→ 御蔭神社の社伝から、タカノノモリのワケイカツチの祠が前身の一つと考えられる(他に河合神社)<br />
<br />
<h3>賀茂祭について</h3>
<br />
・賀茂神社において、5月15日(陰暦4月の中の酉の日)に行なわれる例祭のことで「葵祭」とも呼ばれる<br />
・ミカサフミには、4月の月末に「アオヒカツラノメヲマツリ」を行うとある<br />
・ホツマでは葵に関連深いとされるが、現在の葵祭でも葵の葉を頭に挿している<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料(一部有料)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> </span><span style="background-color: #f1f1f1; color: #45818e; font-family: "arial" , "tahoma" , "helvetica" , "freesans" , sans-serif; font-size: 14.3px; line-height: 20.02px;">京都府京都市 左京区下鴨泉川町59</span><span style="color: #45818e;">(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%8B%E9%B4%A8%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0370066,135.7724455,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x3b83b327fe5cdcc?sa=X&ved=0ahUKEwjeq-nVkqzNAhXj6aYKHblLARsQ_BIImwEwEQ" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 6:30~18:00</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 出町柳駅(徒歩13分)、京都市バス「下鴨神社前」下車</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.shimogamo-jinja.or.jp/" target="_blank">http://www.shimogamo-jinja.or.jp/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-85734140629727330812016-06-16T17:34:00.002+09:002019-09-15T01:56:13.376+09:00『ホツマツタヱ』に見る 賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEga0NCxtisUx-3FLWFkajPsBEFY2SisQffvplvpKHFv1OtOR69mZ2UDjeaklbtSm1rzWWcrPyyc9ILc8KVA5qB9SP-5d8EcL_CVOPDjJicj7jcbWXGSXeLjEPIeEEIFOhB_6sqN_vXgp28/s1600/b9e4455c70ba42d5b8516540a790b2f5.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEga0NCxtisUx-3FLWFkajPsBEFY2SisQffvplvpKHFv1OtOR69mZ2UDjeaklbtSm1rzWWcrPyyc9ILc8KVA5qB9SP-5d8EcL_CVOPDjJicj7jcbWXGSXeLjEPIeEEIFOhB_6sqN_vXgp28/s400/b9e4455c70ba42d5b8516540a790b2f5.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:賀茂別雷神社(上賀茂神社) [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)</b>とは京都市北区にある神社であり、山城国一宮とされています。<br />
<br />
通称 <b>上賀茂神社(かみがもじんじゃ)</b>と呼ばれ、毎年5月には<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_38.html">下鴨神社</a></b>と共に<b>賀茂祭(葵祭)</b>が行われることで有名です。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
由緒には諸説あり、以下のようなものが挙げられている。<br />
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">【上賀茂神社 創建の諸説】</span></b><br />
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">[社伝]</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;">神代の昔、賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)が本社の北側にある秀峰 神山(こうやま)に降臨したことから、賀茂別雷命を当地に祀ったことに始まるとされる。</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;">また、神武天皇の御代に賀茂山の麓の御阿礼所に賀茂別雷命が降臨したとという伝承もある。</span></div>
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">[山城国風土記]</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;">玉依日売(タマヨリヒメ)が加茂川の川上から流れてきた丹塗矢を床に置いたことから懐妊し、そこで生まれたのが賀茂別雷命(カモワケイカヅチ)であるとされる。</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;">その後、玉依日古(タマヨリヒコ)の子孫である賀茂県主の一族がこれを奉斎したと伝えられている。</span></div>
</div>
<br />
ただし、『記紀』においては全く触れられておらず、「六国史」における初出は『続日本紀』の「文武天皇2年(698年)3月21日、賀茂祭の日の騎射を禁じた」という記事であるとされている。<br />
<br />
しかし、古くから朝廷の崇敬を受けてきた神社とされており、平安時代には伊勢神宮の斎宮に倣った「斎院」が置かれるようになり、選ばれた皇女が代々「斎王」として奉仕するようになった(平安末期頃まで続いたとされる)。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・賀茂別雷大神(カモワケイカヅチ):</b>賀茂氏の祖神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 「別雷」は「若雷」の意味で、若々しい力に満ちた雷(神鳴り)の神という意味であるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『賀茂之本地』において、阿遅鉏高日子根神(アヂスキタカヒコネ)と同神であると説明される</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 『古事記』にも阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)は別名を「迦毛大御神」と云うとある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 松尾大社の社伝において、主祭神の大山咋神(オオヤマクイ)と同神であるという説がある</span></div>
<br />
<h3>関連社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【摂社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・片山御子神社:</b>玉依比売命(タマヨリヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・新宮神社:</b>高龗神(タカオカミノカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・大田神社:</b>天鈿女命(アメノウズメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・若宮神社:</b>若宮神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・奈良神社:</b>奈良刀自神(ナラトジノカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・賀茂山口神社:</b>御歳神(ミトシノカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・須波神社:</b>阿須波神・波比祇神・生井神・福井神・綱長井神(座摩神)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【末社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・棚尾社:</b>櫛石窓神・豊石窓神(天石門別神)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・川尾社:</b>罔象女神(ミヅハノメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・橋本社:</b>衣通姫神(ソトオリヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・岩本社:</b>底筒男神・中筒男神・表筒男神(住吉三神)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・山尾社:</b>大山津見神(オオヤマツミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・土師尾社:</b>建玉依比古命(タケタマヨリヒコノミコト)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・杉尾社:</b>杉尾神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・山森社:</b>素盞嗚神(スサノオ)・稲田姫命(クシナダヒメ)・田心姫命(タキリビメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・梶田社:</b>瀬織津姫神(セオリツヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・白鬚社:</b>猿田彦神(サルタヒコ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・百大夫社:</b>船玉神(フナダマ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・鎮守社:</b>大国主神(オオクニヌシ)・少彦名神(スクナヒコナ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・福徳社:</b>福徳神(フクトクジン)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・藤木社:</b>瀬織津姫神(セオリツヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・小森社:</b>水分神(ミクマリノカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・半木社:</b>天太玉命(フトダマ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【境外摂社】</span></b><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・久我神社:</b>賀茂建角身命(カモタケツノミノミコト)を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.kamigamojinja.jp/" target="_blank">上賀茂神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%80%E8%8C%82%E5%88%A5%E9%9B%B7%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">上賀茂神社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/02/blog-post_109.html" target="_blank">上賀茂神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ka/kamowakedutijinja.html" target="_blank">カモワケヅチジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>ニニキネについて</h3>
<br />
<b>・オシホミミとタクハタチチヒメの二男で、クシタマホノアカリの弟に当たる</b><br />
<b>・タカヒコネの指導の下で馬術を覚え、馬の厳乗りを得たとされる</b><br />
<b>・ニハリの地に宮を立てる際、クシヒコを召して宮造りの法を定めさせた</b><br />
→ 炎を吐くオコロ(土竜)にオコロカミの名を与えて宮を守らせた<br />
→ 宮造りの法を定めたクシヒコにヲコヌシ(大国主)の名を与えた(これが大黒柱の由来となったという)<br />
<b>・ニハリの新宮に入る際にウツロヰに邪魔されたものの、罰を与えようとするアマテルからウツロヰを庇った</b><br />
→ ウツロヰを庇ったことによって仲が親密となり、以後 東北の方角を守るはウツロヰノヲマサキミと定めた<br />
<b>・ニハリ宮からツクバ宮、フタアレへと遷宮し、それから6万年無事に治めたことから"ヰツノカミ"と称えられる</b><br />
→ フタアレからニハリに戻った際には、今までの功績から"ヰツヲヲカミ"と称えられた<br />
<b>・アマテルに諸国開拓の巡幸を拒否された際、イセ周辺に井堰や堤を成して田に豊作を招いた</b><br />
<b>・イセ周辺の開拓の功績からアマテルより八州巡幸の詔が出され、諸国の壮大な開拓事業が始まる</b><br />
<b>・八州巡りが決まると、三種宝がニニキネに授けられることになる</b><br />
→ これにより、カスガとコモリを左右の臣とし、諸臣を連れて壮大な土木開拓事業を行い始める<br />
<b>・八州巡りの途中でサルタヒコと出会い、サルタヒコの働きによってミカミヤマを造成した</b><br />
→ この功績よりサルタに好むウスメとサルヘの名を与えた<br />
<b>・タチカラヲを召してハラミ山を中心に四方を開拓し、八つの湖を造成した</b><br />
→ その後、天を築いた峰に写して伊豆浅間峰の造成した<br />
<b>・アシツヒメ(コノハナサクヤヒメ)を娶って、ホノアカリ、ホノススミ、ヒコホオテミの三つ子を儲けた</b><br />
→ この際、一悶着あってアシツヒメと一時的に不仲になるが、後に正式な后として迎える<br />
<b>・八州巡りが一段落すると、アマテルより"ハラノヲキミ"の名を賜った</b><br />
<b>・ヤマクイにヒヱノヤマを造成させるなどの事業を成したことから、"ワケイカツチノアマキミ"の名を賜った</b><br />
→ これはクニトコタチに代わる新たな功績を立てたニニキネを讃えて、アマテルが贈った尊称である<br />
→ この後も引き続き諸国の開拓事業を進めたとされる<br />
<b>・ハラミ山の麓(富士山麓)のサカオリ宮をハラアサマ宮に改めて遷宮した</b><br />
→ この後もニシナカクニ(中国地方)やツクシ(九州)の開拓も行っている<br />
<b>・子のヒコホオテミがトヨタマヒメと仲違いした際、ミツハメの社に出向いてトヨタマヒメを説得した</b><br />
<b>・晩年に死期が迫ると、ヒコホオテミに遺勅を遺してカゴシマに遷る</b><br />
→ ここからアサマに昇る朝日に向かい、タカチホに沈む夕日と別れて過ごした(故にヒムカフクニという)<br />
<b>・タカチホの峰にて神上がると、ナルカミを別けて土を活かしたことから"ワケイカツチノスヘラカミ"と称えられた</b><br />
<br />
<span style="color: #674ea7;">※要約すると、壮年期には諸国の開拓事業を成功させ富士周辺を拠点に活躍し、晩年期には九州へ行きタカチホで没した</span><br />
<br />
<h3>ワケイカツチノカミについて</h3>
<br />
・ニニキネの種々の功績を讃えて与えられた尊称であり、ニニキネを指す語として度々登場する<br />
→ この語源は以下の功績に基づいていると思われる<br />
⇒ ウツロヰ(雷を司る神)を手懐けて雷を火と水に別け、これにより荒地を活かしたこと(雷を火・水に別ける)<br />
⇒ 諸国の荒地を開拓し、田を成せるような環境を整えたこと(土を池・山に別ける)<br />
<br />
<h3>ワケツチヤマについて</h3>
<br />
・ミツハメの社(貴船神社)の南に位置する山とされる<br />
・ニニキネが崩御した後、トヨタマヒメがワケツチ山にて四十八夜 喪に服したという<br />
<br />
<h3>ワケツチミヤについて</h3>
<br />
・いつから存在するのかは不明<br />
・ヤエガキ剣とマフツ鏡が納められていたことがある<br />
・垂仁朝にオホクニサラス(大国県主)が お百度参りをした<br />
・荒廃して稜威が衰え始めていたため、垂仁天皇の御代に新造された<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_796.html">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文:ホオテミの皇位継承【4】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_671.html">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文:ニニキネによるトヨタマヒメの説得【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_148.html">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文:ニニキネの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_630.html">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文:ニニキネの葬儀【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_818.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメの誕生【12】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_909.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメとワケイカツチの子【13】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_198.html">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:出雲の御子【14】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_372.html">ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:イワレヒコの治世【4】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_168.html">ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:賀茂社にニニキネとウガヤを祀る【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_560.html">ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:賀茂社とお百度参り【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_301.html">ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:賀茂社の新造と御幸【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_587.html">ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:美しきカマハタ【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_663.html">ミカサフミ9文 年内になす事の文:タのヲシテの形【4】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>上賀茂神社について</h3>
<br />
・由緒や祭神は、ホツマを下敷きに考えると概ね合点が行く<br />
→ ホツマに従えば、祭神はニニキネということになる<br />
・立砂という円錐形の盛砂があるが、詳細は不明<br />
・本社の北北西2kmの所には、祭神が降りたとされる神山(こうやま)がある<br />
<br />
<h3>賀茂祭について</h3>
<br />
・賀茂神社において、5月15日(陰暦4月の中の酉の日)に行なわれる例祭のことで「葵祭」とも呼ばれる<br />
・ミカサフミには、4月の月末に「アオヒカツラノメヲマツリ」を行うとある<br />
・ホツマでは葵に関連深いとされるが、現在の葵祭でも葵の葉を頭に挿している<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府京都市北区上賀茂本山339(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E4%B8%8A%E8%B3%80%E8%8C%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.0592809,135.7525297,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x5a0325b80a9eca2e?sa=X&ved=0ahUKEwill8jwjKzNAhXF5aYKHQ6GAroQ_BIImAEwEQ" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 楼門内 8:30~17:00</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 京都市バス 西賀茂車庫行き 上賀茂神社下車</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.kamigamojinja.jp/index.html" target="_blank">http://www.kamigamojinja.jp/index.html</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-42248098617955534822016-06-11T22:14:00.000+09:002019-09-15T01:49:32.486+09:00『ホツマツタヱ』に見る 豊受大神社 [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgMrXHgi69s7WQUW_pq91v0RwXiPSXbKpgoGhkP6-mGV5ZkKz9np4_60xrWQdt21auzKstiJ4lveRzltBK0K9G-JV4NDpc6o_CFp3sUosACdLS8vASGCvS26Jkxup375jXhCbtXUBN50pM/s1600/827d04916835480ab4ae06d1e9f3a4fc.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:豊受大神社 [京都府]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEgMrXHgi69s7WQUW_pq91v0RwXiPSXbKpgoGhkP6-mGV5ZkKz9np4_60xrWQdt21auzKstiJ4lveRzltBK0K9G-JV4NDpc6o_CFp3sUosACdLS8vASGCvS26Jkxup375jXhCbtXUBN50pM/s400/827d04916835480ab4ae06d1e9f3a4fc.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:豊受大神社 [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)</b>とは京都府福知山市大江町にある神社であり、元伊勢伝承地の1つとされています。<br />
<br />
また、周辺には「<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_0.html">皇大神社(内宮)</a></b>」「<b>天岩戸神社</b>」もあることから、併せて「<b>元伊勢三社</b>」と総称されているそうです。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
由緒には諸説あり、以下のようなものが挙げられている<br />
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">豊受大神社 創建の諸説</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;"><b>・「社伝」:</b>崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から遷座し、その時に豊受大神を併せ祀ったことを創祀とする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 旧号を「与佐宮」と称し、御山を「比沼の真名井ヶ原」と称する</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『止由気宮儀式帳』:</b>伊勢外宮は、丹波国比治真奈井に鎮座する豊受大神を遷座したものである</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『神道五部書』:</b>雄略天皇21年、倭姫命に天照大神の神託があり、丹波国与佐宮の豊受大神を伊勢山田原に迎えたとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 伊勢外宮の御饌都神(豊受大神)は、天御中主神・国常立神と同神であるとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後国加佐郡旧語集』:</b>雄略天皇の御代に建立され、第33代 推古天皇21年に伊勢の外宮に遷座したと伝えられる</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 主祭神の豊受大神は国常立尊と同神であり、左に瓊瓊杵命、右に天児屋根命を祀っているとしている</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後風土記』:</b>当地を「与謝の比沼ノ魚井原(真井とも)」とし、当社を「与謝宮」とする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 当社を「比沼麻奈爲神社」であるとするとも記される(比沼麻奈爲神社は京丹後市にもある)</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『加佐郡誌』:</b>雄略天皇22年、比沼麻奈爲神社を伊勢に遷座する際、当社地の舟岡山にしばらく鎮座したとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後州宮津府志』:</b>第31代 用明天皇の皇子・麻呂子親王が、鬼退治の際に内宮と共に勧請したとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 祭神を天保食持神、豊受皇太神、天児屋根命とし、別宮4社、末社37社とする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『田辺府志』:</b>社伝と同様の由緒を伝える</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 「與謝郡河守下宮大明神」と称し、豊受神は国常立尊の別名とする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後与謝海名勝略記』:</b>内宮より遥か昔に勧請された古社とし、天照大神が4年鎮座したとも伝える</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 麻呂子親王が凶賊征伐の際に勧請したという説も載せる</span></div>
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">主祭神</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・豊受大神(とようけのおおかみ):</b>衣食住を司る産業の守護神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<b><span style="color: #0b5394;">相殿神</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・日子番能邇邇芸尊(ひこほのににぎのみこと):</b>天孫であり、皇室の祖とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・天児屋根命(アメノコヤネ):</b>中臣連等の祖神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・天太玉命(アメノフトダマ):</b>忌部氏の遠祖</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">・多賀神社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・土之神社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・月読宮</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・風之宮</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・その他の末社(37社)</span></b></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%8F%97%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">豊受大神社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/02/blog-post_31.html" target="_blank">元伊勢外宮 豊受大神社(人文研究見聞録)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>マナヰについて</h3>
<br />
・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた<br />
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)<br />
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという<br />
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという<br />
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった<br />
<br />
<h3>トヨケについて</h3>
<br />
<b>・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である</b><br />
<b>・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる</b><br />
<b>・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた</b><br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された</b><br />
<b>・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという</b><br />
<b>・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた</b><br />
<b>・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという</b><br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる<br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
<b>・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる</b><br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_52.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_94.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_661.html" target="_blank">ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_992.html" target="_blank">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_185.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_786.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>豊受大神社について</h3>
<br />
・京都府福知山市にあるが、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が天照大神を祀った与佐宮と伝えられる<br />
・付近には皇大神社、天岩戸神社もあり、併せて「元伊勢三社」と称される<br />
・付近には「五十鈴川」や「猿田彦神社」があるなど、伊勢の構図に酷似する<br />
・「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」という伝承がある<br />
・社伝は真名井神社の創建伝承と重複する<br />
<br />
<h3>ホツマにおける仮説</h3>
<br />
<b>・社名について</b><br />
→ 当社は豊受大神社(とゆけだいじんじゃ)であるが、ホツマにおけるトヨケの別名に「トユケ」がある<br />
<b>・ホ28文に、アマテルの「神逝の神輿はマナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られた」とある</b><br />
→ 「マナヰ」という名称は現在の福知山(皇大神社)にも存在する<br />
→ ホツマにおける「ミヤツ」の詳しい範囲は不明<br />
⇒ 古代には現在のように細かい地域区分は無かったものと推定する<br />
⇒ 「福知山」は明智光秀の丹波平定後に定められたという(参考:<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82#.E5.9C.B0.E5.90.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5" target="_blank">福知山の由来</a>)<br />
→ ホツマとの比較において、この文は内宮を籠神社、外宮を真名井神社に比定するという説がある<br />
⇒ しかし、籠神社は奈良時代の創祀とされており、それまで当地にそれらしい神社が在ったかは不明<br />
⇒ ホツマにおいて「内宮・外宮」の名称は28文が初出であるが、旧丹波国周辺で内宮・外宮を名乗るのは当社しか無い<br />
→ ホ36文にも「内宮・外宮」が出てくる<br />
⇒ これは伊勢神宮 創建後の話であり、内宮は伊勢内宮、外宮はアサヒ宮(真名井神社)を指すものと考えられる<br />
<b>・上記のことから、ホツマにおける皇大神社について以下のような仮説を立てることにする</b><br />
→ アマテルの死後、最初に創建された「内宮・外宮」であると推定する<br />
→ これは後に伊勢の「内宮・外宮」のモデルになったのかもしれない<br />
→ 付近に猿田彦神社があるが、由緒は不明<br />
⇒ ホツマにおいてアマテルの辞洞を掘ったのはサルタであり、サルタは伊勢神宮の創建にも関わっている<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府福知山市大江町天田内字東平178-2(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%85%83%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%A4%96%E5%AE%AE+%E8%B1%8A%E5%8F%97%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.4025218,135.1514917,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x3b62f87677abdd1" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 大江高校前駅(徒歩14分)</span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-43227456969989699182016-06-11T22:06:00.003+09:002019-09-15T01:46:47.768+09:00『ホツマツタヱ』に見る 皇大神社 [京都府] <div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhTK7cnAOrRBdCDZKrEE0yBgoNaGsIgP9a2G0SXyAvWAw_Xu_gsA4sdBFoIezLIxNWVRUrzZNFi3rhUFetgTxxjJCSKGLR_puHgsCdrhU-z9F2LNMhLtyGSV9XOOpLeZ6PO7Ey91KgOJUE/s1600/d2aa56af07b7427795c60bf6022cd172.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:皇大神社 [京都府] " border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhTK7cnAOrRBdCDZKrEE0yBgoNaGsIgP9a2G0SXyAvWAw_Xu_gsA4sdBFoIezLIxNWVRUrzZNFi3rhUFetgTxxjJCSKGLR_puHgsCdrhU-z9F2LNMhLtyGSV9XOOpLeZ6PO7Ey91KgOJUE/s400/d2aa56af07b7427795c60bf6022cd172.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:皇大神社 [京都府] " width="400" /></a></div>
<br />
<b>皇大神社(こうたいじんじゃ)</b>とは京都府福知山市大江町にある神社であり、元伊勢伝承地(吉佐宮)の1つとされています。<br />
<br />
また、周辺には「<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_77.html">豊受大神社(外宮)</a></b>」「<b>天岩戸神社</b>」もあることから、併せて「<b>元伊勢三社</b>」と総称されているそうです。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
由緒には諸説あり、以下のようなものが挙げられている<br />
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<b><span style="color: #a64d79;">皇大神社 創建の諸説</span></b><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;"><b>・「社伝」:</b>崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から遷座したことを創祀とする(吉佐宮跡としている)</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・「不甲神社説」:</b>所在不明の延喜式内社・不甲神社に比定する説</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・「天手力雄神社説」:</b>丹後で最古級の天手力雄神社であるとする説</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後国加佐郡旧語集』:</b>天照大神は大和国より遷されて、後に伊勢国高間原へ遷宮されたとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『加佐郡誌』:</b>崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から吉依宮(吉佐宮)に還幸する際、一時的に留まったとする</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・『丹後州宮津府志』:</b>用明天皇の皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に外宮とともに勧請したとする</span></div>
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ):</b>太陽を神格化した神とされ、現在の伊勢神宮内宮の主祭神でもある</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<span style="color: #674ea7;"><b>・奥宮(天岩戸神社):</b>櫛御毛奴命(クシミケヌ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → スサノオの別名と考えられている(ただし、別説もある)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命の二神を祀るという説もある</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・天手力雄命社:</b>天手力雄命(アメノタヂカラヲ)を祀っていると思われる</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・栲機千々姫命社:</b>栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)を祀っていると思われる</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・御門神社:</b>豊岩窓戸命(トヨイワマド)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・岩長姫命社:</b>岩長姫命(イワナガヒメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・天龍八岐龍神社:</b>八岐大龍神(ヤチマタノダイリュウジン)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と同神とされる</span><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・熊野神社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・三女神社</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;">・その他の末社(78社)</span></b></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE_(%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82)" target="_blank">皇大神社 (ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/02/blog-post_10.html" target="_blank">元伊勢内宮 皇大神社(人文研究見聞録)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>マナヰについて</h3>
<br />
・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた<br />
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)<br />
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという<br />
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという<br />
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった<br />
<br />
<h3>トヨケについて</h3>
<br />
・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である<br />
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる<br />
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた<br />
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された<br />
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという<br />
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた<br />
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという<br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる<br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
<b>・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる</b><br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_52.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_94.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_661.html" target="_blank">ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_992.html" target="_blank">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_185.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_786.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>皇大神社について</h3>
<br />
・京都府福知山市にあるが、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が天照大神を祀った吉佐宮と伝えられる<br />
・付近には豊受大神社、天岩戸神社もあり、併せて「元伊勢三社」と称される<br />
・付近には「五十鈴川」や「猿田彦神社」があるなど、伊勢の構図に酷似する<br />
・境内には「真名井の池」と称される池がある<br />
・境内には「岩戸(横穴式石室)」がある<br />
・付近には「岩戸山(日室ヶ嶽)」と呼ばれる幾何学的な美しさを誇る山がある(ピラミッドとも)<br />
・「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」という伝承がある<br />
・社伝は真名井神社の創建伝承と重複する<br />
・奥宮(天岩戸神社)には、アマテラスの伝承にまつわる場所が点在している<br />
<br />
<h3>ホツマにおける仮説</h3>
<br />
<b>・ホ28文に、アマテルの「神逝の神輿はマナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られた」とある</b><br />
→ 「マナヰ」という名称は皇大神社にも存在する<br />
→ ホツマにおける「ミヤツ」の詳しい範囲は不明<br />
⇒ 古代には現在のように細かい地域区分は無かったものと推定する<br />
⇒ 「福知山」は明智光秀の丹波平定後に定められたという(参考:<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E7%9F%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82#.E5.9C.B0.E5.90.8D.E3.81.AE.E7.94.B1.E6.9D.A5" target="_blank">福知山の由来</a>)<br />
→ ホツマとの比較において、この文は内宮を籠神社、外宮を真名井神社に比定するという説がある<br />
⇒ しかし、籠神社は奈良時代の創祀とされており、それまで当地にそれらしい神社が在ったかは不明<br />
⇒ ホツマにおいて「内宮・外宮」の名称は28文が初出であるが、旧丹波国周辺で内宮・外宮を名乗るのは当社しか無い<br />
→ ホ36文にも「内宮・外宮」が出てくる<br />
⇒ これは伊勢神宮 創建後の話であり、内宮は伊勢内宮、外宮はアサヒ宮(真名井神社)を指すものと考えられる<br />
<b>・上記のことから、ホツマにおける皇大神社について以下のような仮説を立てることにする</b><br />
→ アマテルの死後、最初に創建された「内宮・外宮」であると推定する<br />
→ これは後に伊勢の「内宮・外宮」のモデルになったのかもしれない<br />
→ 付近に猿田彦神社があるが、由緒は不明<br />
⇒ ホツマにおいてアマテルの辞洞を掘ったのはサルタであり、サルタは伊勢神宮の創建にも関わっている<br />
<b>・余談だが、ホツマではイワナガヒメとヤマタノオロチについて、両者を結び付ける記述がある</b><br />
→ ホツマでは、ヤマタノオロチは宮中を追放されて彷徨ったハヤコが変化した怪物であるとされる<br />
→ また、ソサノヲに斬られたヤマタノオロチ(ハヤオロチ)の転生であるという<br />
→ つまり、ヤマタノオロチとイワナガは両者とも元はハヤコであり、それが皇大神社に祀られていることが興味深い<br />
⇒ これらは「天皇神道」の関係者が神示によって昭和期に創建したとされる<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府福知山市大江町内宮字宮山217(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.4304485,135.1543184,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0x145d24ed1ab273b9?sa=X&ved=0ahUKEwi029Xw_uzKAhWGo5QKHYgaCSwQ_BIIejAL" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 大江山内宮駅(徒歩26分)、町営バス「内宮上」下車</span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-63760552935701552402016-06-11T19:54:00.000+09:002019-09-15T01:42:47.630+09:00『ホツマツタヱ』に見る 真名井神社 [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtcYievseTqJBJtXjt4ZRsDvqceuvBPBRJtj2EbzB-guAbnegSboUPv2cy1OiQk_Jw3ZvM_M2HjYy8aAVmbysdE-J2A-XorhMtkAQA_3y1UFdpNprOIxxa41HshiNAZ4rCHfv2uon6a2g/s1600/31fb339ed7384745916bb82cf0d83cc4.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjtcYievseTqJBJtXjt4ZRsDvqceuvBPBRJtj2EbzB-guAbnegSboUPv2cy1OiQk_Jw3ZvM_M2HjYy8aAVmbysdE-J2A-XorhMtkAQA_3y1UFdpNprOIxxa41HshiNAZ4rCHfv2uon6a2g/s400/31fb339ed7384745916bb82cf0d83cc4.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>真名井神社(まないじんじゃ)</b>とは京都府宮津市にある神社であり、現在では<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_11.html">籠神社</a></b>の奥宮(境外摂社)となっています。<br />
<br />
なお、当社は籠神社の元宮であり、創祀は神代に及ぶ相当古いものとされています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
社伝によれば、籠神社の主祭神である<b>彦火明命(ヒコホアカリ)</b>は<b>邇邇芸命(ニニギ)</b>の兄神に当たり、<b>邇邇芸命(ニニギ)</b>が<b>天照大神(アマテラス)</b>の籠った神鏡を持って日向の高千穂に天降ったのに対し、<b>彦火明命(ヒコホアカリ)</b>は<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>が籠った神鏡を持って現代の丹後に天降り、丹後・丹波地方を開拓して そこに<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>を祀ったことに始まるという。<br />
<br />
その後、崇神天皇の御代に<b>豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)</b>によって<b>天照大神(アマテラス)</b>が倭の笠縫邑から丹後に遷された際、<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>を遷して<b>天照大神(アマテラス)</b>と共に祀り、宮名を「<b>吉佐宮(よさのみや)</b>」と称して4年間祀ったとされている。なお、この社が現在の<b>奥宮・真名井神社</b>であるとされる。<br />
<br />
その後、<b>第21代雄略天皇の時代(AD.478年)</b>、天皇が天照大神の神託を受けて豊受大神が外宮に遷宮され、<b>第29代欽明天皇の時代(AD.539~571)</b>に「藤祭」を「葵祭」と改め、<b>第40代天武天皇の時代(飛鳥時代)</b>に宮名を「真名井社」に改名したとされる。<br />
<br />
また、<b>第44代元正天皇の時代(AD.719年)</b>に籠神社が籠宮として現在地に遷ったため、以後 籠神社の摂社となった。しかし、籠神社に至るまでの歴史が古く、信仰も丹後に根付いているため、籠神社を凌ぐ聖域として現在も参拝者が絶えないという(実際に訪ねてみると、熱心な崇敬者が参詣している姿を目にすることがよくある)。<br />
<br />
なお、真名井神社の祭祀形式は、社殿を設けずに磐座(御神体とされる巨石)を祀る<b>磐座形式</b>となっており、現在では拝殿の背後の鎮座する磐座の前に鳥居が建てられている状態で祀られている。<br />
<div>
<br /></div>
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【磐座主座】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">[主祭神]</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・豊受大神(とようけのおおかみ):</b>丹後の最高神・総氏神であるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、天御中主神(アメノミナカヌシ)、国常立神(クニノトコタチ)という別名があるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、その顕現の神を豊宇気毘売神(トヨウケビメ)・豊受比売(とようけひめ)と云うとある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 第21代雄略天皇(もしくは その時代に倭姫命)が天照大神の神託を受けて、伊勢に遷宮したとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 伊勢に遷ってからは豊受大神宮(伊勢外宮)の主祭神となった</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ 伊勢では天照大神の食事を司るとされ、御饌津神(みけつかみ)とも言うとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 食糧を司る神であることから、伊勢周辺では稲荷神と同一視される傾向が高い</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> ⇒ フィールドワークの結果、伊勢周辺ではウカノミタマと同一とされる例が多い</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">[相殿神]</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・罔象女命(ミズハノメ):</b>水を司る原初の神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・彦火火出見尊(ヒコホホデミ):</b>海幸山幸神話の山幸彦、ホオリとも呼ばれる(神武天皇の祖父に当たる)</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・神代五代神(かみよいつつよのかみ):</b>大戸之道尊(オオトノジ)・大苫辺尊(オオトマベ)か?</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<b><span style="color: #0b5394;">【磐座西座(日之小宮)】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・天照大神(アマテラス):</b>皇室の祖神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・伊射奈岐大神(イザナギ):</b>国産み神産みの男神であり、天橋立を立てたとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・伊射奈美大神(イザナミ):</b>国産み神産みの女神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<b><span style="color: #0b5394;">【磐座奥座】</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・盬土老翁(シオツチノオジ):</b>「日本神話」に登場する神であり、山幸彦や神武天皇に助言した</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝には、豊受大神・大綿津見神・住吉神に神格が含まれるとある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 伝説には、八人の天女が真名井に舞い降りた際、天女の羽衣を隠して結婚したとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・宇迦之御魂(ウカノミタマ):</b>稲荷大神である</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・熊野大神(くまのおおかみ):</b>須佐之男神(スサノオ)とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・愛宕神(あたごしん):</b>愛宕山の山頂に鎮座するとされる神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝によれば、稚産霊神・伊弉冉尊・埴山姫命・天熊人命・豊受姫命・雷神・迦遇槌命とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 一般的にはヒノカグツチとされ、火伏せの神として信仰される</span></div>
<div>
<br /></div>
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<span style="color: #674ea7;"><b>・真名井水神社:</b>祭神不詳</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 社家の先祖の天村雲命が天上から「天の真名井の水」を持ち帰り、豊受大神の神饌としたと伝わる</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.motoise.jp/yuisyo/index.php" target="_blank">真名井神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E5.A5.A5.E5.AE.AE.EF.BC.88.E5.A2.83.E5.A4.96.E6.91.82.E7.A4.BE.EF.BC.89" target="_blank">真名井神社(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/09/blog-post_21.html" target="_blank">真名井神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ko/konojinja.html" target="_blank">コノジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>マナヰについて</h3>
<br />
・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた<br />
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)<br />
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという<br />
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという<br />
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった<br />
<br />
<h3>トヨケについて</h3>
<br />
・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である<br />
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる<br />
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた<br />
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された<br />
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという<br />
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた<br />
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという<br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる<br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
<b>・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる</b><br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h3>セオリツヒメについて</h3>
<br />
<b>・サクラウチ(オオヤマズミの祖)の娘で、当初はアマテルの南のスケ后であった</b><br />
→ 後に内宮(皇后)となり、「アマサカルヒニムカツヒメ」という名でも呼ばれることとなる<br />
<b>・アマテルとの間にオシホミミを儲ける</b><br />
<b>・アマテルの脇に座し、鏡を持っていたとされる</b><br />
<b>・アマテルがミヤツで政を執ることになると、暫定的にハラミの政を執った</b><br />
→ この時期に、紀州にて稲の害虫を祓う「ワカヒメの呪い」を行ったとされる<br />
<b>・アマテルが世を辞む際、「ヒロタ宮に行って、ワカヒメと共に妹心を守れ」との遺言を受けている</b><br />
→ セオリツヒメ自身の死については触れられておらず、ホツマの中でも相当長寿であると考えられる<br />
<div>
<br /></div>
<div>
<h3>ムラクモ(アメフタヱ)について</h3>
</div>
<div>
<br /></div>
・カンミムスビ(6代目タカミムスビ)の曾孫に当たる<br />
・オモイカネの後任としてヒヨミ(暦を作る役職)を継ぐ<br />
・大和を治めるクシタマホノアカリに同行することになると、ヒヨミの後任をタチカラヲとする<br />
・ニニキネの八州巡りの際にタチカラヲが召されたため、再びヒヨミの任に就く(この際、アメフタヱの名を賜る)<br />
・コヤネが世を去る際、コヤネに代わってイセノカンヲミの任を継ぐ<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_52.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_94.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_661.html" target="_blank">ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_992.html" target="_blank">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_185.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_786.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>真名井神社について</h3>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-0PGQHWh-uMnikckaqprQVTsm5P0zRlot-QyoQN5SK8LTdLVAoVnGHIj-iWaytLq0_F6j04_3lkK6TuPtNxnvotoiKcOy8emTyA478oKGskLZbXTo0FatfRGbV4qyuQwiYZHXFOoLR_A/s1600/c0186b243f80449ba7bb846331aed49b.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" border="0" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEj-0PGQHWh-uMnikckaqprQVTsm5P0zRlot-QyoQN5SK8LTdLVAoVnGHIj-iWaytLq0_F6j04_3lkK6TuPtNxnvotoiKcOy8emTyA478oKGskLZbXTo0FatfRGbV4qyuQwiYZHXFOoLR_A/s320/c0186b243f80449ba7bb846331aed49b.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" width="320" /></a></div>
<br />
<b>・古代の磐座形式で祭神が祀られている</b><br />
→ 当方、霊的に敏感な方ではないが、磐座の前に畏怖せざる負えない雰囲気が漂っていることを肌で感じた<br />
→ 畿内については数々の社寺を巡って来た自負があるが、これほど明確に感じたのは初めてだった<br />
<b>・入口には狛龍が配置される</b><br />
→ 由縁は不明<br />
<b>・籠神社(真名井神社)には「六芒星」がシンボルとして用いられている</b><br />
→ かつては神社入口の石碑に明確に刻まれていたとされる<br />
→ 「日ユ同祖論」において、旧約聖書との関連を指摘する説が唱えられている<br />
→ 同様に福知山市、京都市の市章も「六芒星」の様な形をしている(府外では西宮市など)<br />
→ 実は日本各地の市章の中には「六芒星」の形をしているものが結構ある(参考:<a href="http://1st.geocities.jp/ttgpm094/" target="_blank">市章一覧</a>)<br />
→ 日本では古来より「麻紋」として同様の形のシンボルが用いられていた<br />
→ 伊勢神宮の周辺にも菊花紋章と六芒星が刻まれた石燈籠が多数配置されている<br />
<b>・真名井神社版の「羽衣伝説」がある</b><br />
→ 八人の天女が真名井神社の神域に当たる場所に舞い降りて、酒造を行っていたとされる<br />
→ 塩土翁が一人の天女の羽衣を隠して帰らせないようにし、後に結婚したという<br />
→ この伝説によれば、豊受大神を祀る与謝宮(よさのみや)を建てたのは この天女であるとされる<br />
<br />
<h3>伊勢外宮との関係</h3>
<br />
・雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたという<br />
<br />
<h3>その他</h3>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhV4qw4swSPcYzgk-CwKEORxXErRiIPHFeOPxV0JUosh4UYrbHrSBpy1VvvdDgz_0dgYT20Qp_42JszD0N5Vl2BJGYEZ6c2JOtE4NMT7WQrOGCNASgA4n3W62zRrigeSPAE6g4VYNgNGQo/s1600/1f7d1efc8b9f4bedbfd1f19675f4f4e7.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" border="0" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhV4qw4swSPcYzgk-CwKEORxXErRiIPHFeOPxV0JUosh4UYrbHrSBpy1VvvdDgz_0dgYT20Qp_42JszD0N5Vl2BJGYEZ6c2JOtE4NMT7WQrOGCNASgA4n3W62zRrigeSPAE6g4VYNgNGQo/s320/1f7d1efc8b9f4bedbfd1f19675f4f4e7.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社 [京都府]" width="320" /></a></div>
<br />
・旧丹波国(但馬国・丹後国・丹波国)には、天照大神と豊受大神を祀る神社が多数ある<br />
→ 宮津市:籠神社(真名井神社)<br />
→ 京丹後市:比沼麻奈爲神社<br />
→ 福知山市:<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_0.html">元伊勢内宮 皇大神社</a>、<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_77.html">元伊勢外宮 豊受大神社</a>、天岩戸神社<br />
→ 舞鶴市:笑原神社、田口神社<br />
・籠神社には「彦火明命(ニギハヤヒとも)」と「イチキシマヒメ」が描かれた絵馬が存在していた<br />
→ この絵馬にも六芒星が描かれ、その中には日と月が描かれている<br />
<br />
<h3>ホツマにおける仮説</h3>
<br />
<b>・トヨケと豊受大神の関係について</b><br />
→ 上記で説明した通り、トヨケとマナヰ(真名井)の地には密接な関係がある<br />
→ ホツマにおいてトヨケが自称した「クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケ」が社伝と一致する<br />
⇒ ホツマにおけるクニトコタチは、その初代に当たるミナカヌシを指すものと思われる<br />
<b>・真名井神社の祭神について</b><br />
→ 磐座主座と磐座西座において、伊勢の祭神である豊受大神と天照大神が祀られる<br />
⇒ ホツマでも、トヨケが真名井の辞洞に隠れる後、アマテルも同じ場所に隠れることにしたとされる<br />
⇒ ホツマにおける辞洞は穴を掘って造られるものとされる<br />
<b>・真名井神社のシンボルとされる「六芒星」について</b><br />
→ ホツマ的には「アメナルミチ・イセノミチ(陽陰和合の道)」を象徴するシンボルではないかと思われる<br />
→ 西洋でも一部に「相対する要素の和合」を示すシンボルとして用いられている例がある<br />
→ イスラエルのシンボル「ダビデの星」は17世紀を起源とすると云われるため、別物と考える(参考:<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87%E3%81%AE%E6%98%9F" target="_blank">ダビデの星</a>)<br />
<b>・社伝において主祭神である「彦火明命」は「天照御魂神」という別名があるとされる</b><br />
→ 天照御魂神は「アマテルミムスビノカミ」もしくは「アマテルミタマノカミ」と読むとされる<br />
→ ホツマにおいて、トヨケとアマテルの関係は睦まじく、切っても切り離せないほど密接な関係性にある<br />
→ ホツマにおいて、マナヰの地はトヨケとアマテルが神上がった土地であり、墓所は同じであるとされる<br />
→ 「イチキシマヒメ」は六甲比命神社の研究において「ムカツヒメ」の仮の名として祀られたという説がある<br />
→ 籠神社には彦火明命と市杵嶋姫命をセットで描いた絵馬があり、六芒星と日月が描かれる<br />
⇒ ホツマにおいて、この六芒星は「アメナルミチ」また「イセノミチ」のシンボルであると推測できる<br />
⇒ ホツマにおいて、日は皇君、月は皇后を表し、日月はこの夫婦を象徴するとされる<br />
→ ホツマにおけるアマテル(男神の天照大御神)は一般的にマイナーであり、触れている文献は少ない<br />
⇒ 『記紀』に登場するアマテラスは女神として捉えられる(しかし、精査しても断定できる記述は少ない)<br />
⇒ 『竹内文書』には男神の日神が居り、後に女神の天疎日向津比売尊(天照皇大神)が生まれたとある<br />
⇒ 天照大御神が男神であるという説は古くからある(参考:天照大神男神説)<br />
⇒ ホツマにおいてニギハヤヒも「アマテラスニギハヤヒキミ」の名を賜っている(同一視される要因か?)<br />
<b>・天村雲命はホツマのムラクモと悉く異なる</b><br />
→ これに関しては検証が難しく、個人的には同名の別人であると仮定する<br />
⇒ ただし、籠神社社伝にある天村雲命の逸話は、ムラクモと混同される部分があると思われる<br />
<b>・上記のことから、ホツマにおける真名井神社について以下のような仮説を立てることにする</b><br />
→ 天照御魂神は「アマテル」を指すが、存在が公にできないために巧妙に隠されたのではないか?<br />
→ 彦火明命の妻とされる市杵嶋姫命は「ムカツヒメ(セオリツヒメ)」の存在を示唆しているのではないか?<br />
→ 籠神社・真名井神社に用いられた六芒星は「アメナルミチ(イセノミチ)」を暗示するシンボルではないか?<br />
→ 彦火明命と豊受大神の関係は、アマテルとトヨケの関係に由来するものではないか?<br />
<br />
※上記はあくまでもヲシテ文献の個人研究から推測した仮説です<br />
<br />
<h3>まとめ</h3>
<br />
・ヲシテ文献と籠神社の社伝を表面的に照らし合わせてみると、悉く異なるということが分かる<br />
→ 籠神社の公式では『記紀』『風土記』と照らし合わせた説明が為されている<br />
・籠神社の歴史や祭神から考察すると、ヲシテ文献と合わさる部分が見つかることも事実である<br />
→ ヲシテと社伝は分けて考えた方が良い(当サイトでは両方の記述を分けて推測することにする)<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府宮津市江尻(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%9C%9E%E5%90%8D%E4%BA%95%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.5865245,135.196331,17z/data=!4m12!1m6!3m5!1s0x5fff9741513d5283:0xed31ab7fb67d5a18!2z5YWD5LyK5Yui57Gg56We56S-!8m2!3d35.5824888!4d135.1965124!3m4!1s0x0000000000000000:0xe0e045d1bbf336e3!8m2!3d35.5865245!4d135.1985197" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 天橋立駅(徒歩52分)</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.motoise.jp/yuisyo/index.php" target="_blank">http://www.motoise.jp/yuisyo/index.php</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-46066631946990231082016-06-11T19:17:00.003+09:002019-09-15T01:43:42.252+09:00『ホツマツタヱ』に見る 籠神社 [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjDyzobmsyidmnxf8L_nxv9NJpqbYGrGmz6bEDqfSBAaExUu4IXSa1CR22WsD7BoWNMHBG9syS_CLzJh5Rns7vDP1KXRKHqK02wYEY1E5DScqZIJ4fQadLdP5UrlW1JasupIU5K18d-Wok/s1600/b1da5438ac4f4845b6559fb77966c270.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjDyzobmsyidmnxf8L_nxv9NJpqbYGrGmz6bEDqfSBAaExUu4IXSa1CR22WsD7BoWNMHBG9syS_CLzJh5Rns7vDP1KXRKHqK02wYEY1E5DScqZIJ4fQadLdP5UrlW1JasupIU5K18d-Wok/s400/b1da5438ac4f4845b6559fb77966c270.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>籠神社(このじんじゃ)</b>とは京都府宮津市にある神社であり、伊勢神宮創建前の<b>元伊勢</b>として有名です。<br />
<br />
なお、社家には先祖から齎された系図と神宝が伝わっており、<b><a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_97.html">奥宮・真名井神社</a></b>の創祀は相当古いものとされています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
社伝によれば、籠神社の主祭神である<b>彦火明命(ヒコホアカリ)</b>は<b>邇邇芸命(ニニギ)</b>の兄神に当たり、<b>邇邇芸命(ニニギ)</b>が<b>天照大神(アマテラス)</b>の籠った神鏡を持って日向の高千穂に天降ったのに対し、<b>彦火明命(ヒコホアカリ)</b>は<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>が籠った神鏡を持って現代の丹後に天降り、丹後・丹波地方を開拓して そこに<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>を祀ったことに始まるという。<br />
<br />
その後、<b>崇神天皇の御代</b>に<b>豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)</b>によって<b>天照大神(アマテラス)</b>が倭の笠縫邑から丹後に遷された際、<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>を遷して<b>天照大神(アマテラス)</b>と共に祀り、宮名を「<b>吉佐宮(よさのみや)</b>」と称して4年間祀ったとされている。なお、この社が現在の<b>奥宮・真名井神社</b>であるとされる。<br />
<br />
これ以降は、<b>天照大神(アマテラス)</b>は<b>御杖代の皇女(トヨスキイリヒメ、ヤマトヒメ)</b>と共に諸国を巡幸して<b>垂仁天皇26年</b>に伊勢に留まることになり、<b>豊受大神(トヨウケノオオカミ)</b>は<b>雄略天皇22年</b>に伊勢に遷ったとされる。<br />
<br />
なお、真名井神社は飛鳥時代初期まで「<b>与謝宮(吉佐宮)</b>」と呼ばれていたが、後に社家の海部家26代目当主である<b>海部直伍百道祝(あまべあたえいほじはふり)</b>が、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて社名を「<b>籠宮(このみや)</b>」と改め、真名井神社の境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮したという。<br />
<br />
そして、奈良時代の<b>元正天皇の御代</b>に、海部家27代目当である<b>主海部直愛志(あまべのあたええし)</b>が現在の籠神社の鎮座地へと遷し、それを契機に主祭神を海部家の祖神である<b>彦火明命</b>として、相殿に<b>豊受大神・天照大神・海神・天水分神</b>を併せ祀った。これが<b>籠神社の創祀</b>とされている。<br />
<br />
まとめると、籠神社は社家の海部家の祖神である彦火明命(ヒコホアカリ)が豊受大神(トヨウケノオオカミ)を神鏡を御神体として祀ったことに始まり、崇神天皇の御代に宮中から倭の笠縫邑に遷された天照大神(アマテラス)が遷し祀られて「吉佐宮(よさのみや)」となり、奈良時代の元正天皇の御代に現社地へと遷されて籠神社となったということになる(旧社地の真名井神社は奥宮となった)。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<span style="color: #0b5394;"><b>【</b></span><b><span style="color: #0b5394;">主祭神</span></b><span style="color: #0b5394;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・彦火明命 (ヒコホアカリ):</b>社家・海部氏の祖神であり、天照大神の孫・邇邇芸命(ニニギ)の兄に当たる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、彦火明命には天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命の別名があるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、賀茂別雷神と同神とある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『旧事紀』に、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命と同神とある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『播磨国風土記』に、大汝命(大国主命)の子とある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『日本書紀』に、火明命(彦火火出見命の兄妹)と同神とある</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 一説に、丹波道主王と同一と云われる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝では、アメノミチヒメ(大己貴神の娘)・イチキシマヒメ(宗像三女神)の2柱の妻が居るとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;">※数々の説が唱えられているため、多くの神々と混同されている</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">【相殿神</span></b><span style="color: #0b5394;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・豊受大神(トヨウケノオオカミ):</b>丹後の最高神・総氏神であるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、豊受大神には天御中主神、国常立神の別名があるとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、その顕現の神を豊宇気毘売神・豊受比売ともいうとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、天火明命(彦火明命)の天孫降臨の際に共に天降ったとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 第21代雄略天皇が天照大神の神託を受けて、伊勢に遷宮したとされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・天照大神(アマテラス):</b>現皇室の祖神である</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 伊勢の皇大神宮(伊勢内宮)の主祭神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 主祭神の別名にも「天照」とあるが、別神として祀られている</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・海神(ワタツミノカミ):</b>社家・海部氏の氏神である</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社伝に、山幸彦(ホオリ)の后である豊玉毘売(トヨタマビメ)とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><b>・天水分神(アメノミクマリ):</b>奥宮・真名井神社に祀られる水戸神の子とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『丹後国風土記』における天橋立神話から、伊弉諾尊(イザナギ)を祭神とする説もある</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<span style="color: #674ea7;"><b>【</b></span><b><span style="color: #674ea7;">奥宮(境外摂社)</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・真名井神社:</b>主祭神に豊受大神、相殿に罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【摂社</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・蛭子神社(恵比寿神社):</b>彦火火出見命、倭宿彌命を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・天照皇大神社:</b>天照大神の和魂(あるいは荒魂)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・真名井稲荷神社:</b>宇迦御魂、保食神、豊受比売を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">【末社</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・春日大明神社:</b>春日四神を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・猿田彦神社:</b>猿田彦神を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.motoise.jp/index.php" target="_blank">籠神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">籠神社(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/09/blog-post_43.html" target="_blank">籠神社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ko/konojinja.html" target="_blank">コノジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>マナヰについて</h3>
<br />
・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた<br />
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)<br />
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという<br />
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという<br />
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった<br />
<br />
<h3>トヨケについて</h3>
<br />
・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である<br />
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる<br />
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた<br />
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された<br />
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという<br />
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた<br />
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという<br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる<br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
<b>・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる</b><br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h3>セオリツヒメについて</h3>
<b><br /></b>
<b>・サクラウチ(オオヤマズミの祖)の娘で、当初はアマテルの南のスケ后であった</b><br />
→ 後に内宮(皇后)となり、「アマサカルヒニムカツヒメ」という名でも呼ばれることとなる<br />
<b>・アマテルとの間にオシホミミを儲ける</b><br />
<b>・アマテルの脇に座し、鏡を持っていたとされる</b><br />
<b>・アマテルがミヤツで政を執ることになると、暫定的にハラミの政を執った</b><br />
→ この時期に、紀州にて稲の害虫を祓う「ワカヒメの呪い」を行ったとされる<br />
<b>・アマテルが世を辞む際、「ヒロタ宮に行って、ワカヒメと共に妹心を守れ」との遺言を受けている</b><br />
→ セオリツヒメ自身の死については触れられておらず、ホツマの中でも相当長寿であると考えられる<br />
<br />
<h3>タニハミチウシについて</h3>
<br />
・ヒコヰマスの子で、崇神天皇の命により丹波の治人となる(四道将軍の一)<br />
・崇神天皇の御代に宮津のヨサ宮アマテルとトヨケを祀った際、ミケノモリ(神饌の守)となる<br />
<br />
<h3>クシタマホノアカリについて</h3>
<br />
<b>・オシホミミの御子で、ニニキネの兄に当たる</b><br />
<b>・春日を治めていたヰチヂの老齢のため、オシホミミから三種宝、アマテルから十種宝を賜って大和を治めることになる</b><br />
<b>・最初にイカルガ宮に座すが、凶兆によりアスカ宮に遷宮する</b><br />
→ この際、大和に降って間もないのに遷宮を決めたことから臣が揉め、コヤネとクシヒコが守を離れる<br />
→ そして、クシタマホノアカリを擁護したフトタマ・カグヤマツミが左右の臣を務めることになる<br />
<b>・スガタヒメ、ハツセヒメ、アメミチヒメを娶るが、代嗣は出来なかった</b><br />
<b>・カゴヤマの子のタクラマロを養子として迎えるが、ハツセヒメに疎まれてアメミチヒメとタカクラマロは追放される</b><br />
→ アメミチヒメ:カグヤマツミとタキコの娘で、カゴヤマの妹<br />
→ タクラマロ:カゴヤマの子のタカクラシタを指す<br />
<b>・テルヒコの死後、ニニキネの子の「ホノアカリ」の子である「クニテル」がアスカを継ぐことになる</b><br />
<br />
<h3>クニテル(ニギハヤヒ)について</h3>
<br />
<b>・ニニキネの御子のホノアカリの子であり、弟にタケテルが居る</b><br />
→ クニテルから見て、クシタマホノアカリは伯祖父(祖父の兄弟)ということになる<br />
<b>・テルヒコの死後、アマテルの命によってアスカを継ぐことになる</b><br />
<b>・クニテルがアスカに降る際、アマテルから「アマテラスニギハヤヒキミ」の名と十種宝を賜る</b><br />
→ この後、アメミチヒメを義理の母としてアスカに呼ぶ<br />
→ 同時にタカクラマロも呼ぶが、タカクラマロはこれに応じることは無かった(クマノに住んでいたと推定される)<br />
<b>・アスカに入った後、クニテルはナガスネヒコの妹のミカシヤヒメを娶ってウマシマチを儲ける</b><br />
<b>・ナガスネヒコが春日の神庫から代嗣文を写し盗ると、この罪によって中央政府との確執が起こる</b><br />
→ その後、タケヒト(神武天皇)によってアスカは攻められることになる<br />
→ なお、クニテル(ニギハヤヒ)は皇軍と対峙した際に、早々に降伏を認めている<br />
→ 以後、ナガスネヒコの独断で皇軍との戦が進められたが、この状況に収めるべく、クニテル自らが斬ったとされる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_52.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_94.html" target="_blank">ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_661.html" target="_blank">ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_992.html" target="_blank">ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_185.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_786.html" target="_blank">ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>籠神社について</h3>
<br />
<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi3Q-Gmt6DTDl-CpcBxvXvYpFg8Za-2mEYYQxj5QjDHvrv3y5rhbpyYEYOZHj0-De6CNTIP0ZqDBzsI__dO28ES4ee300bVQxg3GS_eWg7BXBsdATPHVCYWLZch2d7l8WtrSwQ2QKV8r4w/s1600/1f7d1efc8b9f4bedbfd1f19675f4f4e7.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]" border="0" height="178" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEi3Q-Gmt6DTDl-CpcBxvXvYpFg8Za-2mEYYQxj5QjDHvrv3y5rhbpyYEYOZHj0-De6CNTIP0ZqDBzsI__dO28ES4ee300bVQxg3GS_eWg7BXBsdATPHVCYWLZch2d7l8WtrSwQ2QKV8r4w/s320/1f7d1efc8b9f4bedbfd1f19675f4f4e7.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]" width="320" /></a></div>
<br />
<b>・崇神朝に御杖代の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が当地にアマテラスを祀ったことから「元伊勢」と称する</b><br />
<b>・第4代懿徳天皇の御代に「藤祭」という祭礼が始められた</b><br />
→ 欽明天皇の御代に「藤祭」を「葵祭」と改称したという<br />
<b>・海部家には、神宝として<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%B7%E9%83%A8%E6%B0%8F%E7%B3%BB%E5%9B%B3" target="_blank">『海部氏系図(国宝)』</a>と、十種神宝の「息津鏡」と「邊津鏡」が伝えられているという</b><br />
→ 『海部氏系図』の海幸山幸神話では、彦火明命は彦火火出見尊であるとされるとも(参考:<a href="http://kamnavi.jp/it/kinki/kitumi.htm" target="_blank">神奈備にようこそ</a>)<br />
<b>・籠神社(真名井神社)には「六芒星」がシンボルとして用いられている</b><br />
→ 「日ユ同祖論」において、旧約聖書との関連を指摘する説が唱えられている<br />
→ 同様に福知山市、京都市の市章も「六芒星」の様な形をしている(府外では西宮市など)<br />
→ 実は日本各地の市章の中には「六芒星」の形をしているものが結構ある(参考:<a href="http://1st.geocities.jp/ttgpm094/" target="_blank">市章一覧</a>)<br />
→ 日本では古来より「麻紋」として同様の形のシンボルが用いられていた<br />
→ 伊勢神宮の周辺にも菊花紋章と六芒星が刻まれた石燈籠が多数配置されている<br />
<b>・籠神社には「彦火明命(ニギハヤヒとも)」と「イチキシマヒメ」が描かれた絵馬が存在していた</b><br />
→ この絵馬にも六芒星が描かれ、その中には日と月が描かれている<br />
<b>・真名井神社版の「羽衣伝説」がある</b><br />
→ 八人の天女が真名井神社の神域に当たる場所に舞い降りて、酒造を行っていたとされる<br />
→ 塩土翁が一人の天女の羽衣を隠して帰らせないようにし、後に結婚したという<br />
→ この伝説によれば、豊受大神を祀る与謝宮(よさのみや)を建てたのは この天女であるとされる<br />
<br />
<h3>倭姫命との関係</h3>
<br />
・雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたという<br />
・倭姫命の母は比婆須比売命(ひばすひめ)と云い、海部家の直系子孫であるという<br />
<br />
<h3>その他</h3>
<br />
・旧丹波国(但馬国・丹後国・丹波国)には、天照大神と豊受大神を祀る神社が多数ある<br />
→ 宮津市:籠神社(真名井神社)<br />
→ 京丹後市:比沼麻奈爲神社<br />
→ 福知山市:<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_0.html">元伊勢内宮 皇大神社</a>、<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/06/blog-post_77.html">元伊勢外宮 豊受大神社</a>、天岩戸神社<br />
→ 舞鶴市:笑原神社、田口神社<br />
<br />
<h3>ホツマにおける仮説</h3>
<br />
<b>・社伝において主祭神である「彦火明命」は海部氏の祖神とされ、「天火明命」と同神とされる</b><br />
→ ホツマでは「クシタマホノアカリ(テルヒコ)」に比定されるが、代嗣は無かったとされる(実子が居ない)<br />
→ タナコ(イチキシマヒメ)はイフキヌシの妻となっていることから、社伝とは合わない<br />
⇒ イチキシマヒメ:アマテルとハヤコの娘で、イフキヌシの妻となる<br />
→ 『海部氏系図』の内容において、彦火明命と櫛玉饒速日命を同一とするのは時代的に難しいという見解がある<br />
⇒ 「日本神話」の流れにおいて、宇摩志麻治の一世代前にしては期間が長すぎるため(参考:<a href="http://kodai.sakura.ne.jp/kanntyuukeizu/index.html" target="_blank">『勘注系図』の研究</a>)<br />
→ ホツマではクシタマホノアカリが治めるアスカに関してはあまり記述されない<br />
⇒ そのため、丹後とアスカおよびクシタマホノアカリの関係性は不詳<br />
⇒ また、クシタマホノアカリとトヨケの関係性に関しても、具体的な記述は無い<br />
→ よって、ホツマにおいて彦火明命とクシタマホノアカリの関係性は保留とする<br />
<b>・籠神社のシンボルとされる「六芒星」について</b><br />
→ ホツマ的には「アメナルミチ・イセノミチ(陽陰和合の道)」を象徴するシンボルではないかと思われる<br />
→ 西洋でも一部に「相対する要素の和合」を示すシンボルとして用いられている例がある<br />
→ イスラエルのシンボル「ダビデの星」は17世紀を起源とすると云われるため、別物と考える(参考:<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%93%E3%83%87%E3%81%AE%E6%98%9F" target="_blank">ダビデの星</a>)<br />
<b>・社伝において主祭神である「彦火明命」は「天照御魂神」という別名があるとされる</b><br />
→ 天照御魂神は「アマテルミムスビノカミ」もしくは「アマテルミタマノカミ」と読むとされる<br />
→ ホツマにおいて、トヨケとアマテルの関係は睦まじく、切っても切り離せないほど密接な関係性にある<br />
→ ホツマにおいて、マナヰの地はトヨケとアマテルが神上がった土地であり、墓所は同じであるとされる<br />
→ 「イチキシマヒメ」は六甲比命神社の研究において「ムカツヒメ」の仮の名として祀られたという説がある<br />
→ 籠神社には彦火明命と市杵嶋姫命をセットで描いた絵馬があり、六芒星と日月が描かれる<br />
⇒ ホツマにおいて、この六芒星は「アメナルミチ」また「イセノミチ」のシンボルであると推測できる<br />
⇒ ホツマにおいて、日は皇君、月は皇后を表し、日月はこの夫婦を象徴するとされる<br />
→ ホツマにおけるアマテル(男神の天照大御神)は一般的にマイナーであり、触れている文献は少ない<br />
⇒ 『記紀』に登場するアマテラスは女神として捉えられる(しかし、精査しても断定できる記述は少ない)<br />
⇒ 『竹内文書』には男神の日神が居り、後に女神の天疎日向津比売尊(天照皇大神)が生まれたとある<br />
⇒ 天照大御神が男神であるという説は古くからある(参考:<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%85%A7%E5%A4%A7%E7%A5%9E#.E7.A5.9E.E4.BB.8F.E6.B7.B7.E6.B7.86.E3.81.A8.E5.A4.A9.E7.85.A7.E5.A4.A7.E7.A5.9E.E7.94.B7.E7.A5.9E.E8.AA.AC" target="_blank">天照大神男神説</a>)<br />
⇒ ホツマにおいてニギハヤヒも「アマテラスニギハヤヒキミ」の名を賜っている(同一視される要因か?)<br />
<b>・上記のことから、ホツマにおける籠神社について以下のような仮説を立てることにする</b><br />
→ 天照御魂神は「アマテル」を指すが、存在が公にできないために巧妙に隠されたのではないか?<br />
→ 彦火明命の妻とされる市杵嶋姫命は「ムカツヒメ(セオリツヒメ)」の存在を示唆しているのではないか?<br />
→ 籠神社・真名井神社に用いられた六芒星は「アメナルミチ(イセノミチ)」を暗示するシンボルではないか?<br />
→ 彦火明命と豊受大神の関係は、アマテルとトヨケの関係に由来するものではないか?<br />
→ 旧丹波国とアスカ王権には何らかの関係があったのではないか?(ホツマ内には記述が無い)<br />
<br />
※上記はあくまでもヲシテ文献の個人研究から推測した仮説です<br />
<br />
<h3>まとめ</h3>
<br />
・ヲシテ文献と籠神社の社伝を表面的に照らし合わせてみると、悉く異なるということが分かる<br />
→ 籠神社の公式では『記紀』『風土記』と照らし合わせた説明が為されている<br />
・籠神社の歴史や祭神から考察すると、ヲシテ文献と合わさる部分が見つかることも事実である<br />
→ ヲシテと社伝は分けて考えた方が良い(当サイトでは両方の記述を分けて推測することにする)<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府宮津市字大垣430(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E7%B1%A0%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.5824888,135.1965124,15z/data=!4m2!3m1!1s0x0:0xed31ab7fb67d5a18?sa=X&ved=0ahUKEwiAsNLy3Z_NAhWD5KYKHT35Cl4Q_BIIiwEwDA" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 7:00~17:00(境内には入れる)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 天橋立駅(徒歩46分) </span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.motoise.jp/" target="_blank">http://www.motoise.jp/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-44511775945165503032016-06-08T16:09:00.003+09:002019-09-15T01:43:29.214+09:00『ホツマツタヱ』に見る 貴船神社 [京都府]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjphhbbvZJnf96olgNZWZW6AXKohgyCT93imQsx-2AX6oE3vttAKMa6elcGJrN0PaqoTsK-v-rSju_DYX9QQFTHJh3Bn6ySkKa3fQQtGwLCJn_3ciwYsuH2uTucjwcOe73m0LrMp54L3Cs/s1600/adf9971cb0f844149344ba199f2e9237.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:貴船神社 [京都府]" border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjphhbbvZJnf96olgNZWZW6AXKohgyCT93imQsx-2AX6oE3vttAKMa6elcGJrN0PaqoTsK-v-rSju_DYX9QQFTHJh3Bn6ySkKa3fQQtGwLCJn_3ciwYsuH2uTucjwcOe73m0LrMp54L3Cs/s400/adf9971cb0f844149344ba199f2e9237.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:貴船神社 [京都府]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>貴船神社(きふねじんじゃ)</b>とは京都市左京区の貴船山にある神社です。<br />
<br />
全国の貴船神社の総本社であり、祭神に雨や水を司る<b>高龗神(タカオカミ)</b>を祀っています。<br />
<br />
なお、元々は本宮の上流に位置する奥宮が本社であったと云われているそうです。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
社伝によれば、「国家安穏・万民守護のために太古の"丑の年の丑の月の丑の日の丑の刻"に、天上より貴船山中腹の鏡岩に天降った」または「第18代反正天皇の御代に玉依姫命(タマヨリヒメ)が黄船に乗って浪速から淀川、鴨川、貴船川を遡って当地に上陸し、此処に祠を造営して水神を祀ったことに始まる」とされている。<br />
<br />
中宮については、瓊々杵命(ニニギ)が大山祇命(オオヤマツミ)に娘の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を妻に乞うた際、大山祇命(オオヤマツミ)は姉の磐長姫命(イワナガヒメ)も共に奉ったものの、瓊々杵命(ニニギ)は妹の木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)だけを望んだため、磐長姫命(イワナガヒメ)は大変恥じて「吾は此処に留まって人々に良縁を授けよう」と言って鎮座したと伝えられている。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<span style="color: #0b5394;"><b>【各社の主祭神】</b></span><br />
<b><span style="color: #0b5394;"><br /></span></b><b><span style="color: #0b5394;">[本宮]</span></b><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・高龗神(タカオカミ):</b>水や雨を司る龍神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 社記では奥宮で祀られる「闇龗神」と呼び名は違えど、同じ神であるとされるという</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 『釈日本紀』には「龗」という漢字は「龍蛇の類をいう」と記されるという</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">[中宮</span></b><span style="color: #0b5394;"><b>]</b></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・磐長姫命(イワナガヒメ):</b>コノハナサクヤヒメの姉に当たる神</span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span><b><span style="color: #0b5394;">[奥宮</span></b><span style="color: #0b5394;"><b>]</b></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<span style="color: #0b5394;"><b>・闇龗神(クラオカミ):</b>水や雨を司る龍神とされる</span><br />
<span style="color: #0b5394;"> → 船霊神(フナダマ)としての信仰も篤いとされる</span></div>
<br />
<h3>境内社</h3>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<b><span style="color: #674ea7;">【各社の境内社】</span></b><br />
<b><span style="color: #674ea7;"><br /></span></b><b><span style="color: #674ea7;">[本宮</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>]</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・白髭社:</b>猿田彦命(サルタヒコ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・牛一社:</b>木花開耶姫命(コノハナサクヤヒメ)を祀る(古伝では牛鬼)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・川尾社:</b>罔象女命(ミヅハノメ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・鈴鹿社:</b>大比古命(オオヒコ)を祀る(古伝では皇大神宮であったとされる)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・祖霊社:</b>社人・氏子・崇敬者の御霊を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">[中宮</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>]</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・私市社:</b>大國主命(オオクニヌシ)を祀る(貴船明神の荒御魂を祀るとも)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・林田社:</b>少名彦命(スクナヒコナ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span><b><span style="color: #674ea7;">[奥宮</span></b><span style="color: #674ea7;"><b>]</b></span><br />
<span style="color: #674ea7;"><br /></span>
<span style="color: #674ea7;"><b>・吸葛社:</b>味耜高彦根命(アジスキタカヒコネ)を祀る(古伝では百太夫)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・日吉社:</b>大物主(オオモノヌシ)を祀る(古伝では大山咋神)</span><br />
<span style="color: #674ea7;"><b>・鈴市社:</b>姫踏鞴五十鈴姫命(ヒメタタライスズヒメ)を祀る</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://kifunejinja.jp/index.html" target="_blank">貴船神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%B4%E8%88%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE" target="_blank">貴船神社(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/06/blog-post_65.html" target="_blank">貴船神社・本宮(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/06/blog-post_73.html" target="_blank">貴船神社・結社(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/06/blog-post_58.html" target="_blank">貴船神社・奥宮(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Mi/miduhamenoyasiro.html" target="_blank">ミヅハメノヤシロ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Ki/kibunejinja.html" target="_blank">キブネジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>ヲシテ文献による説明</h3>
<br />
・ワケツチ山 (神山) の北に位置するミツハメの社とされ、ニニキネの御代には存在していた<br />
・ミヅハ宮、ミヅ社とも呼ばれる<br />
・ヒコホオテミに出産姿を見られたトヨタマヒメが恥じて、此処に籠った<br />
・ニニキネは此処に御幸して、トヨタマヒメの説得に当たっている<br />
・トヨタマヒメが罷るとミツハメの社に葬られ、アヰソロノカミとして祀られた<br />
・アヰソロノカミは「田水を守り船を生む」とされ、「キフネの神はフナタマ(船霊)であろう」と記される<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_21.html" target="_blank">ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_825.html" target="_blank">ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:ホオテミとトヨタマヒメの埋葬【7】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>他文献・民話・口伝などによる情報と考察</h3>
<br />
・貴船神社では創建とみられる社伝はあるものの、明確な創祀は不詳としている<br />
→ 公式サイトによれば、高龗神の「高」は「健、猛」と同義とされ、ホツマの記述に通じる部分がある<br />
→ ホツマによれば、元はミツハメを祀る社であり、後にトヨタマヒメ(フナタマ)を祀るキフネ社となったという<br />
・オカミの漢字は「雨+口口口+龍」だが、ニニキネは「ミソロノタツ」を以ってトヨタマヒメを説得したとされる<br />
→ トヨタマヒメは死後にアヰソロノカミ(天・地・人のミイキを悟って満ち至った人)という贈名を与えられている<br />
→ 上記の事から、本来の貴船神社の祭神は、ミツハメ・トヨタマヒメ・フナタマであるとも考えられる<br />
・神紋の一つに「二葉葵」が用いられており、これは上賀茂神社の摂社だったことに因むとされる<br />
→ ホツマにおいてもトヨタマヒメとニニキネ(ワケツチカミ)との関係は深く、ミツハメ社の逸話にも登場する<br />
<div>
<br /></div>
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E8%B2%B4%E8%88%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE/@35.1216407,135.7629062,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x1d021ae4b564548b!8m2!3d35.1216407!4d135.7629062" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 6:00~18:00(夏季は20:00)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 貴船口駅(徒歩26分)</span><br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://kifunejinja.jp/index.html" target="_blank">http://kifunejinja.jp/index.html</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-16505111347808585592016-06-08T15:11:00.000+09:002019-09-15T01:43:15.260+09:00『ホツマツタヱ』に見る 二見の立石(夫婦岩) [三重県]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEieeweO24ys7P0YFzDlCQh1wkx4UnKr-kIoXChBjnWAciPHXAYpdwT3s9ojC3tFotMVxvADKGBfvk_RNmi9rRbvXExJqlTfEPCZ7qc6FPiD23BGmCAzTJldikyXCud9rn2pROUGiEBzfY4/s1600/36949f4f2bdb49b0980cb5bdba8ba0ef.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:二見の立石(夫婦岩) [三重県]" border="0" height="221" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEieeweO24ys7P0YFzDlCQh1wkx4UnKr-kIoXChBjnWAciPHXAYpdwT3s9ojC3tFotMVxvADKGBfvk_RNmi9rRbvXExJqlTfEPCZ7qc6FPiD23BGmCAzTJldikyXCud9rn2pROUGiEBzfY4/s400/36949f4f2bdb49b0980cb5bdba8ba0ef.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:二見の立石(夫婦岩) [三重県]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>二見の立石</b>とは三重県伊勢市二見町江にある奇岩であり、一般的には「<b>夫婦岩(めおといわ)</b>」の名で知られています。<br />
<br />
なお、<b>日の大神(アマテラス)</b>と<b>興玉神石(サルタヒコに縁のある霊石)</b>を拝むための鳥居の役目を果たしているとされます。<br />
<br />
また、両岩の間から昇る太陽が有名であり、夏至には夫婦岩の前で身を清める神事も行われています。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
案内板によれば、夫婦岩は沖合700mの海中に鎮まる「<b>興玉神石(おきたましんせき)</b>」の皇居と見なされており、「<b>日の出の遥拝所</b>」として古くから知られているとされる(太陽信仰に基づくとも)。<br />
<br />
また、「<b>日の大神(太陽)</b>」と「<b>興玉神石</b>」を拝むための門石(鳥居)の役目も果たしているとされ、注連縄を張って奉るといった形容から、古神道における磐座信仰に基づくのではないかとも推測されている(起源は垂仁天皇の時代とも)。<br />
<br />
なお、古来より大きい岩を「<b>男岩(おいわ)</b>」または「<b>立石</b>」と呼び、小さい岩を「<b>女岩(めいわ)</b>」または「<b>根尻岩</b>」と呼ぶとされ、「<b>結界の縄</b>」と呼ばれる大注連縄の向こう側は、常世神(とこよのかみ)が太平洋の彼方から寄りつく聖なる場所として、その手前を俗世と隔てる「<b>神界と俗界の結界</b>」を意味しているとされる。<br />
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/" target="_blank">二見興玉神社(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E8%88%88%E7%8E%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE#.E5.A4.AB.E5.A9.A6.E5.B2.A9" target="_blank">夫婦岩(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/01/blog-post_54.html" target="_blank">夫婦岩(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/Hu/futamiura.html" target="_blank">フタミノイワ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>フタミノイワについて</h3>
<br />
・各地に蜂起したムハタレを捕らえてタマカエシをした後、セオリツヒメによってマフツノカガミが設置された岩とされる<br />
<br />
<h3>セオリツヒメについて</h3>
<br />
<b>・サクラウチ(オオヤマズミの祖)の娘で、当初はアマテルの南のスケ后であった</b><br />
→ 後に内宮(皇后)となり、「アマサカルヒニムカツヒメ」という名でも呼ばれることとなる<br />
<b>・アマテルとの間にオシホミミを儲ける</b><br />
<b>・アマテルの脇に座し、鏡を持っていたとされる</b><br />
<b>・アマテルがミヤツで政を執ることになると、暫定的にハラミの政を執った</b><br />
→ この時期に、紀州にて稲の害虫を祓う「ワカヒメの呪い」を行ったとされる<br />
<b>・アマテルが世を辞む際、「ヒロタ宮に行って、ワカヒメと共に妹心を守れ」との遺言を受けている</b><br />
→ セオリツヒメ自身の死については触れられておらず、ホツマの中でも相当長寿であると考えられる<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献の対応箇所</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/2016/05/blog-post_41.html" target="_blank">ホツマツタヱ8文 霊還し ハタレ打つ文:フタミノイワのマフツノカガミ【16】</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>他文献・民話・口伝などによる情報と考察</h3>
<br />
・マフツノカガミに関する逸話は知られておらず、荒波に揉まれても錆びないとされた鏡は現在は無い<br />
→ 「興玉神石」には、マフツノカガミを象徴する要素が含まれているとも取れる<br />
→ 後に日前国懸神宮に遷されて御神体となったという推測もある<br />
・太古に南方からやって来た神が、代嗣を願って祈願すると子を授かり、そこに夫婦を模した岩が隆起したという民話がある<br />
・夫婦岩の前には二見興玉神社があり、サルタヒコとウカノミタマを祭神としている<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 三重県伊勢市二見町江575(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%A4%AB%E5%A9%A6%E5%B2%A9/@34.5061076,136.7769132,16z/data=!4m2!3m1!1s0x0000000000000000:0x01830b6f2f867577" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日開放</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 二見浦駅(徒歩24分)</span>
<br />
<br />
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/" target="_blank">http://www.amigo2.ne.jp/~oki-tama/</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-48949209402080276752016-06-08T14:22:00.003+09:002019-09-15T01:43:04.047+09:00『ホツマツタヱ』に見る 伊雑宮 [三重県]<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjiMltQupjXnLBpgvhINogbcvlw9A3URfwM3zumRanaytzDq0S1cwiiQX87U3NqHGLUJgjZiq7f1I8sLRdYWyxbg_z-asJCv4nDDFtH5FGfqx8hNl_ZkjxWZqyb9-2_Q-V4cAYsXb3HJoM/s1600/e8f95a1897f744bba9b0df2e80bf5686.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:伊雑宮 [三重県]" border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEjiMltQupjXnLBpgvhINogbcvlw9A3URfwM3zumRanaytzDq0S1cwiiQX87U3NqHGLUJgjZiq7f1I8sLRdYWyxbg_z-asJCv4nDDFtH5FGfqx8hNl_ZkjxWZqyb9-2_Q-V4cAYsXb3HJoM/s400/e8f95a1897f744bba9b0df2e80bf5686.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:伊雑宮 [三重県]" width="400" /></a></div>
<br />
<b>伊雑宮(いざわのみや)</b>とは三重県志摩市磯部町上之郷にある神社であり、現在は皇大神宮の別宮とされています。<br />
<br />
また、志摩国一宮でもあり、度会郡大紀町の瀧原宮と共に「<b>天照大神の遙宮(とおのみや)</b>」とも呼ばれているそうです。<br />
<br />
<a name='more'></a><br />
<h2>概要</h2>
<br />
<h3>由緒</h3>
<br />
<b>『倭姫命世記』</b>によれば、伊勢神宮(内宮)を創建した<b>倭姫命(ヤマトヒメ)</b>が、神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、<b>伊佐波登美命(イザワトミ)</b>が出迎えた当地をを御贄地に選び、天照皇大御神の御魂を祀る伊雑宮を建立したとされる。<br />
<br />
<h3>祭神</h3>
<br />
<div style="background-color: #eaeaff; border: 1px solid #0b5394; padding: 10px;">
<b><span style="color: #0b5394;">【主祭神</span></b><span style="color: #0b5394;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #0b5394;"><br /></span>
<b><span style="color: #0b5394;">・天照坐皇大御神御魂 (あまてらしますすめおおみかみのみたま)</span></b></div>
<br />
<div style="background-color: #f2e5ff; border: 1px solid #a64d79; padding: 10px;">
<span style="color: #a64d79;"><b>【</b></span><b><span style="color: #a64d79;">祭神の諸説</span></b><span style="color: #a64d79;"><b>】</b></span><br />
<span style="color: #a64d79;"><br /></span>
<span style="color: #a64d79;"><b>・中世末以降</b>は、伊雑宮神職の磯部氏の祖先の<b>伊佐波登美命・玉柱命(または玉柱屋姫命)</b>の2座とされた</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 伊雑宮御師・西岡家に伝わる文書には、祭神「<b>玉柱屋姫命</b>」は「<b>玉柱屋姫神天照大神分身在郷</b>」と書かれる</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> ⇒ <b>玉柱屋姫神(タマハシラヤヒメ):</b>天叢雲命の裔、天日別命の子とされる(伊射波神社祭神)</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> → 同文書の同じ箇所に「<b>瀬織津姫神天照大神分身在河</b>」とある(玉柱屋姫神と瀬織津姫神は同神としている)</span><br />
<span style="color: #a64d79;"> ⇒ <b>瀬織津姫神(セオリツヒメ):</b>現在の神道では、祓神や水神として祀られることが多い</span><br />
<span style="color: #a64d79;"><b>・明治以降</b>は、<b>天照坐皇大御神御魂</b>の一柱とされる</span></div>
<br />
<h3>境外所管社</h3>
<br />
<table align="center" cellpadding="0" cellspacing="0" class="tr-caption-container" style="margin-left: auto; margin-right: auto; text-align: center;"><tbody>
<tr><td style="text-align: center;"><a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifMMeYs73GN6THNTsrPGT9oHzCozqG0uxegphNGoM9c8_RYvxzhySw2KeYQdj6kDEYLP3gPuzzVpzHrgpFAw57Masy7LxERsZjN-FRNWRaL7VngEWW7BIfFt0mo-_ohuKUEdDTnSaZ1M0/s1600/8f96f0ecf68942bab09e3f89b6983fef.jpg" imageanchor="1" style="margin-left: auto; margin-right: auto;"><img alt="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:佐美長神社 [三重県]" border="0" height="180" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEifMMeYs73GN6THNTsrPGT9oHzCozqG0uxegphNGoM9c8_RYvxzhySw2KeYQdj6kDEYLP3gPuzzVpzHrgpFAw57Masy7LxERsZjN-FRNWRaL7VngEWW7BIfFt0mo-_ohuKUEdDTnSaZ1M0/s320/8f96f0ecf68942bab09e3f89b6983fef.jpg" title="ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:佐美長神社 [三重県]" width="320" /></a></td></tr>
<tr><td class="tr-caption" style="text-align: center;">佐美長神社</td></tr>
</tbody></table>
<br />
<div style="background-color: #f4eaff; border: 1px solid #bf7fff; padding: 10px;">
<span style="color: #674ea7;"><b>・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/10/blog-post_56.html" target="_blank">佐美長神社</a>:</b>五穀豊穣の神とされる大歳神(オオトシノカミ)を祀る</span><br />
<span style="color: #674ea7;"> → 『倭姫命世記』の「鶴の穂落とし伝説」に基く神で、スサノオの子という要素を含まない</span></div>
<br />
<h3>関連リンク</h3>
<br />
・<a href="http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html" target="_blank">伊雑宮(公式サイト)</a><br />
・<a href="https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BC%8A%E9%9B%91%E5%AE%AE" target="_blank">伊雑宮(ウィキペディア)</a><br />
・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2015/01/blog-post_34.html" target="_blank">伊雑宮(人文研究見聞録)</a><br />
・<a href="http://gejirin.com/src/I/isawamiya.html" target="_blank">イサワノミヤ(ほつまつたゑ 解読ガイド)</a><br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の記述</h2>
<br />
<h3>イサワ宮について</h3>
<br />
・アマテルはハラミ山下(富士山麓)のヤスクニ宮からイワサ宮に都を遷した<br />
・オモイカネによって創建された<br />
・イセ宮、ヒヨミ宮(暦を作る宮)とも呼ばれる<br />
・南殿を橘宮として、表向きの政を行うタカマであった<br />
・東には大内宮があり、アマテルと局達の住居とされた<br />
・アメノマサカキは、アマテルがウチに遷るまでイサワ宮の中で植え継がれた<br />
・アマテルがウチ(宇治)に遷る前の本来のイセを指す<br />
<br />
<h3>アマテルについて</h3>
<br />
<b>・イサナギ・イサナミの御子</b><br />
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った<br />
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた<br />
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した<br />
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという<br />
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた<br />
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)<br />
<b>・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される</b><br />
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる<br />
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる<br />
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる<br />
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)<br />
<b>・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った</b><br />
<b>・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)</b><br />
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる<br />
<b>・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる</b><br />
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる<br />
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる<br />
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた<br />
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる<br />
<br />
<h2>ヲシテ文献の対応箇所</h2>
<br />
<h3>ホツマツタヱ</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page.html" target="_blank">00.ほつま伝えを展ぶ</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_12.html" target="_blank">01.東西の名と蝕虫去る文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_5.html" target="_blank">06.日の神 十二后の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_43.html" target="_blank">13.ワカヒコ 妹背鈴明の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_11.html" target="_blank">20.皇孫 十種得る文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_22.html" target="_blank">28.君臣 遺し法の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_8.html" target="_blank">36.ヤマト姫 神鎮む文</a><br />
<br />
<h3>ミカサフミ</h3>
<br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_28.html" target="_blank">02.酒法の文</a><br />
・<a href="http://woshitebunken.blogspot.jp/p/blog-page_79.html" target="_blank">05.春宮の文</a><br />
<br />
<h2>備考</h2>
<br />
<h3>ヲシテ文献に見る情報と考察</h3>
<br />
・ヲシテ文献によれば、イサワもウチ(現・伊勢神宮のある宇治)もイセとされる<br />
→ イサワを「前期イセ」、ウチを「後期イセ」と解釈できるため、どちらもイセであると言える<br />
・ヲシテ文献に見るイサワ宮の比定地は、現在の伊雑宮とは異なるという見解がある<br />
→ 「イサワノミヤ」に比定される神社は、三重県に複数存在するようである<br />
・伊雑宮には「龍宮伝説」がある<br />
<div>
<br /></div>
<h3>他文献・民話・口伝などによる情報と考察</h3>
<br />
・伊雑宮では「当社は日神を祀る社であり、内宮・外宮は星神・月神を祀るものである」と主張していた<br />
・江戸時代に当社から伊雑宮を正統とする『先代旧事本紀大成経』が発見された<br />
→ これにより、内宮・外宮の神職がこの書の内容について幕府に詮議を求めた「先代旧事本紀大成経事件」が起こった<br />
<br />
<div style="background-color: #efefff; border: 0px solid #f3f3f3; padding: 10px;">
<span style="color: #45818e;"><b>料金:</b> 無料</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>住所:</b> 三重県志摩市磯部町上之郷374(<a href="https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%BF%97%E6%91%A9%E5%9B%BD%E4%B8%80%E4%B9%8B%E5%AE%AE+%E4%BC%8A%E9%9B%9C%E5%AE%AE%EF%BC%88%E3%81%84%E3%81%96%E3%82%8F%E3%81%AE%E3%81%BF%E3%82%84%EF%BC%89/@34.3801627,136.8088604,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0x78e37cd6e66315c9!8m2!3d34.380162!4d136.8088603" target="_blank">マップ</a>)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>営業:</b> 終日解放(夜間参拝禁止)</span><br />
<span style="color: #45818e;"><b>交通:</b> 上之郷駅(徒歩5分) </span><br />
<span style="color: #45818e;"><br /></span>
<span style="color: #45818e;"><b>公式サイト: </b></span><span style="color: #45818e;"><a href="http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html" target="_blank">http://www.isejingu.or.jp/about/naiku/izawa.html</a></span></div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-87696990066450669332016-05-31T15:13:00.000+09:002019-09-15T01:16:48.192+09:00ヲシテ文献の読み方(内容について)<div class="separator" style="clear: both; text-align: center;">
<a href="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOwic9pDVnli3Qt147HctLgpbcw8FktFoMu_k0MrU4L7Zdi4AULvb6ze2E3-m7VdY40QLyPQuH0sVISZaaYZgQ-0mZF_k4KaVSeHwJ4dXKw7CGgN-dLDQgJ26KDCEfv2wBCS-BEttDdXE/s1600/b0912473790f40469bb2a8b3671e542c.png" imageanchor="1" style="margin-left: 1em; margin-right: 1em;"><img border="0" height="225" src="https://blogger.googleusercontent.com/img/b/R29vZ2xl/AVvXsEhOwic9pDVnli3Qt147HctLgpbcw8FktFoMu_k0MrU4L7Zdi4AULvb6ze2E3-m7VdY40QLyPQuH0sVISZaaYZgQ-0mZF_k4KaVSeHwJ4dXKw7CGgN-dLDQgJ26KDCEfv2wBCS-BEttDdXE/s400/b0912473790f40469bb2a8b3671e542c.png" width="400" /></a></div>
<br />
ヲシテ文献の現代語訳を終えた上で、<b>ヲシテ文献の主要な内容と読み方(楽しみ方)</b>を紹介しておきたいと思います。<br />
<br />
<h3>ヲシテ文献に記される内容</h3>
<br />
ヲシテ文献の<b>内容</b>を ざっくりとまとめると以下のようになります。<br />
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
<b>・</b>神代から景行朝までの皇国の歴史(いわゆる「日本神話」に当たる)<br />
<b>・</b>ワカ・アワウタの原理(和歌の本来の作用や、天文との関係性など)<br />
<b>・</b>祭礼・儀礼・慣習の起源説話<br />
<b>・</b>神代の道徳・法律(刑法など)<br />
<b>・</b>神代の学問における知識(天文・地文・呪術・哲学・医学・生物学・生理学など)<br />
<b>・</b>神代の暦法(スス暦・アスス暦)<br />
<b>・</b>神代の寸法・建築法<br />
<b>・</b>古代の官制(主に人の巻の中に記される)<br />
<b>・</b>古代の災害の記録(主に人の巻の中に記される)ほか</div>
<br />
ヲシテ文献は学術的な研究が進められていないため、内容に関する具体的な定義は無いようです。よって、内容を真とするか偽とするかは読者次第ということになると思います。<br />
<br />
なお、内容に記される「<b>食と健康</b>」に関する記述の一部は個人的に検証済みですので、個人的には"一定の信憑性はある"と思っています。<br />
<br />
<h3>他文献と比較して読む</h3>
<br />
いわゆる「<b>日本神話</b>」を記す史料には以下のようなものがあります(主要なもののみ)。<br />
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
<b>・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/05/blog-post.html" target="_blank">『古事記』</a>:</b>712年成立、太安万侶 著、天地開闢から推古天皇までの歴史(一級史料)<br />
<b>・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/05/blog-post_6.html" target="_blank">『日本書紀』</a>:</b>720年成立、舎人親王 著、天地開闢から持統天皇までの歴史(一級史料、正史)<br />
<b>・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html" target="_blank">『古語拾遺』</a>:</b>807年成立、斎部広成 著、天地開闢から天武天皇までの歴史の要約<br />
<b>・<a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/05/blog-post_8.html" target="_blank">『先代旧事本紀(旧事紀)』</a>:</b>推古朝成立、蘇我馬子・聖徳太子 著 天地開闢から推古天皇までの歴史(平安期成立説あり)<br />
<br />
<span style="color: #8e7cc3;">※リンクより、各史書の内容を参照することが出来ます</span></div>
<br />
ヲシテ文献の<b>『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』</b>には上記の史書の内容を包括する歴史が記されています。<br />
<br />
個人的に検証してみたところ、<b>『ホツマツタヱ』</b>は「いわゆる出雲神話(出雲の神々の説話)」を除く ほとんどの説話を含んでおり、上記の史書を全て併せても<b>『ホツマツタヱ』全体の3割強</b>という結果が出ました(『風土記』を除く)。<br />
<br />
また、上記の史書にある説話を細かく比較検証すると、説話中の状況や登場人物が異なっていることが分かり、かつ、説話の鍵となるカミ(ヒルコ・トヨケなど)が登場していないことから、説話の流れに矛盾が生じていたりしています。<br />
<br />
ここでは、現在主要とされている史書の史料批判をするつもりはありませんが、ヲシテ文献には古代史研究においても未だに知られていない内容が多く含まれていると推測でき、ここから導き出される真相もあるように思われます。<br />
<br />
よって、一級史料の情報とは別に、ヲシテ文献から推測される日本史を考察するのも面白いのではないでしょうか?<br />
<br />
<h3>フィールドワークを楽しむ</h3>
<br />
日本国内の多くの神社は、その由緒や祭神を<b>『記紀(古事記・日本書紀)』</b>に由来するとしているケースが多いです。<br />
<br />
しかし、『記紀』に記される神話の舞台とされる地域が限られていることから、全国的に有名な神社でも その由緒がアヤフヤなケースが多々あります(熊野大社・熊野三山・香取神宮・鹿島神宮・春日大社・浅間大社・氷川神社などなど)<br />
<br />
ヲシテ文献には こうした神社の由緒となりえる説話が記されているため、ここから歴史の流れを追って由緒を推測することも可能になると思われます。<br />
<br />
よって、ヲシテ文献の知識を以って全国の古社を巡ると、未だ明らかになっていない面白い発見が出来るかもしれません。<br />
<br />
<h3>全部読むまで結論を出さない</h3>
<br />
ヲシテ文献には、『記紀』をはじめとする史料に記される説話と類似する内容が記されています。しかし、ヲシテ文献は『記紀』のように時系列に沿って記されるのではなく、テーマ別に分類して記されるというスタイルをとっています。<br />
<br />
よって、時系列が分かり辛かったり、説話の重複が見られることが往々にしてあります(一応、文の冒頭に時期を示す一節が記される)。そのため、翻訳中に推測した流れを悉く覆され、最後まで全容が読み取れませんでした。<br />
<br />
こうしたことから、ヲシテ文献の理解は まるでジグソーパズルを組み立てるかの如く難解なものです。反面、ある程度理解出来れば、ジグソーパズルが組み上がった時のように それなりに爽快感もあります。<br />
<br />
故に、<b>読み始めたら読み終えるまで じっくりと読み続けることが重要</b>だと思われます。Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-58123310200749141282016-05-29T22:43:00.004+09:002019-09-15T01:14:58.322+09:00ミカサフミ 散逸文:代嗣文 イキスの文【8】<h5>現代語訳</h5>
<br />
<b>【代嗣文 イキスの文(よつきふみ いきすのあや)】</b><br />
<br />
・25鈴100枝28穂<br />
・ホツマ国のカシマの宮の代嗣には、<b>ツハヤムスビ</b>の孫である<b>ココトムスビ※</b>の若子の<b>アマノコヤネ※</b>が据えられた<br />
・<b>アマノコヤネ</b>は成人してから<b>アメノミチ※</b>を得た<br />
・一方、カシマ宮の<b>ミカツチ※</b>は男の代嗣欲しさにカシマを発ち、カトリ宮に到った<br />
・そこで<b>フツヌシ※</b>を相手にこのように物語った<br />
・<b>ミカツチ</b>は「差使だった<b>コヤネ</b>に対面した折、そこで<b>コヤネ</b>の計り知れば、気心が通うような印象を持った」と言った<br />
・<b>フツヌシ</b>は「今より貴の子となれば、我も子を儲けたと同然のこと、共に上って仲人となろう」と言った<br />
・そして、天のナカクニの御笠山にいる<b>父(ココトムスビ)</b>に事の次第を離せば、婚姻の許しも調った<br />
・また、<b>アマテル※</b>に報告すれば、これを祝って詔を賜り、二君は神にまみえて国に帰った<br />
・その後、夫婦となった<b>コヤネ</b>と<b>ヒメ※</b>は因み合い、コトホギも終われば仲睦まじく過ごした<br />
・そして、<b>コヤネ</b>は<b>天(アマテル)</b>に仕えた<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・ココトムスビ:</b>アマノコヤネの父のヰチチの称名。霊還しの方法を整えた功績により、他にカスガトノの名などを賜った<br />
<b>・アマノコヤネ:</b>カスガの尊名。後にタケミカツチの娘と結婚する。『記紀』でいうアメノコヤネに当たる<br />
<b>・アメノミチ:</b>陰陽和合・調和の道を説く道徳を指す<br />
<b>・ミカツチ:</b>ヲバシリの子であり、ムハタレ討伐やカシマ立ちで活躍する。『記紀』でいうタケミカヅチに当たる<br />
<b>・フツヌシ:</b>アマノコヤネの叔父に当たり、『日本書紀』でいうフツヌシに当たる<br />
<b>・アマテル:</b>イサナギ・イサナミの子であり、『記紀』でいうアマテラスに当たる。日月(太陽・太陰)の顕現と見なされる<br />
<b>・ヒメ:</b>タケミカツチの一人娘で、アマノコヤネの妻となる。斎名は無いためヒメと呼ばれ、区別のために君・上が付く<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
<b>【代嗣文(よつきふみ) イキスの文(あや)】</b><br />
<br />
・二十五鈴(つついすす) 百枝二十八穂(ももゑふそやほ)<br />
・ホツマ国(くに) カシマの宮(みや)の<br />
・代嗣(みよつき)に ツハヤムスビの<br />
・孫(みまこ)なる ココトムスビの<br />
・若子(わかみこ)の アマノコヤネの<br />
・人(ひと)と成(な)り 陽陰(あめ)の道(みち)得(ゑ)て<br />
<br />
・宮(みや)は背(せ)の 嗣子(つきこ)欲(ほ)しさに<br />
・カシマ発(た)ち カトリに到(いた)る<br />
<br />
・物語(ものかた)り 応(こた)うフツヌシ<br />
・差使(さほしか)に 向(む)かふ折節(おりふし)<br />
・計(はか)り知(し)る 通(かよ)ふ情(なさ)けの<br />
・思(おも)ひあり 今(いま)より貴(むち)の<br />
・子(こ)となさは 我(われ)も儲(もふ)けの<br />
・子(こ)の如(こと)し 共(とも)に上(のほ)りて<br />
・仲人(なかうと)と<br />
<br />
・天(あめ)の中国(なかくに)<br />
・ミカサ山(やま) 父(とと)に語(かた)れは<br />
・調(ととの)ひて 天(あめ)に伺(うかか)ふ<br />
・この由(よし)も おかみ喜(よろこ)ふ<br />
・御言宣(みことのり) 交(まし)わり帰(かえ)る<br />
<br />
・因(ちな)み合(あ)ひ 寿(ことほき)き終(お)はり<br />
・睦(むつ)ましく コヤネは天(あめ)に<br />
・仕(つか)えます<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-52585641220540946562016-05-29T22:35:00.001+09:002019-09-15T01:14:26.491+09:00ミカサフミ 散逸文:カシマ立ち ヒナフリの文【7】<h5>現代語訳</h5>
<br />
<b>【カシマ立ち ヒナフリの文(かしまたち ひなふりのあや)】</b><br />
<br />
・九重の玉垣を以って築いたウチツノミヤに比べ越し、アメノウタエ(中央政府の治め)はカフノト(代の殿)が執った<br />
・カシマを直すのは(代の殿のタカギの)子の<b>オモヰカネ※</b>であり、守謀りを以って使者を選出した<br />
・そして、ヌバタマの垢を離すため、潮を浴びて禊した<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・オモヰカネ:</b>タカギ(タカミムスビ)の子であり、ヒルコの夫、タチカラヲの父。『記紀』でいうオモイカネに当たる<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
<b>【カシマ立(た)ちヒナフリの文(あや)】</b><br />
<br />
・築(きつ)く九重(ここのえ)<br />
・玉垣(たまかき)の 内(うち)つの宮(みや)に<br />
・比(くら)へ越(こ)し 天(あめ)のうたえは<br />
・代(かふ)の殿(との) 直(たた)すわ子(みこ)の<br />
・オモヰカネ 守議(かみはか)りして<br />
・選(ゑ)り立(た)たす<br />
<br />
・ぬはたまの 垢(あか)お離(はな)るる<br />
・潮(みしお)浴(あ)ひ<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-35240719185375698332016-05-29T22:31:00.005+09:002019-09-15T01:13:56.856+09:00ミカサフミ 散逸文:タケミカツチについて【6】<h5>現代語訳</h5>
<br />
・(万君も一人の命に)変わり無ければ、年老いてからの楽しみもある<br />
・ココナシ(菊)が枯れる如く芳しく万歳を経れば、枯れる時の菊の如く香るのである<br />
・(時に<b>ミカツチ※</b>は言った)<br />
・「<b>ヒメ※</b>よ、汝の夫の身の丈はどのくらいだ?」<br />
・<b>ヒメ</b>は答えて言った<br />
・「予ねてより12尺5指(約3.78m)であると知っております<br />
・これは<b>アマテラス神(アマテル)</b>の身丈と我が<b>夫(コヤネ※)</b>が同じ丈だからです<br />
・それを知った時の嬉しさは二度と無いでしょう」<br />
・こうして、父と娘は違え合わす如く笑みす顔となった<br />
・その時、<b>主(ミカツチ)</b>は御饗を催して<b>コモリ※</b>を持て成して話をした<br />
・「我が身の丈は16尺(約4.84m)ある<br />
・そして、雷が轟き通るように知れ渡る功を褒められてヨヨノカナメノイシツツにカフツツツルギを賜った<br />
・この<b>ミカツチ</b>の世に知れる渡り名は、<b>ユミトリノモノノヘカミ</b>のカナメイシである<br />
・これは<b>"常盤の守るアマカミの汚穢の祓いの先駆け"</b>であり、<b>フツヌシカミ※</b>も倣うものであった」<br />
<br />
<span style="color: #8e7cc3;">※尺寸の数値は現在の物を適応しているが、文献上における詳しい数値は不明である</span><br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・ミカツチ:</b>ヲバシリの子であり、ムハタレ討伐やカシマ立ちで活躍する。『記紀』でいうタケミカヅチに当たる<br />
<b>・ヒメ:</b>タケミカツチの一人娘で、アマノコヤネの妻となる。斎名は無いためヒメと呼ばれ、区別のために君・上が付く<br />
<b>・コヤネ:</b>カスガの尊名。後にタケミカツチの娘と結婚する。『記紀』でいうアメノコヤネに当たる<br />
<b>・コモリ:</b>クシヒコの子で、後に3代目オオモノヌシとなる。18男18女の子を養育した功績により、コモリカミとなる<br />
<b>・フツヌシカミ:</b>アマノコヤネの叔父に当たり、『日本書紀』でいうフツヌシに当たる<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・変(か)わり無(な)けれは<br />
・年寄(としよ)りて その楽(たの)しあり<br />
・菊(ここなし)の 枯(か)るる如(こと)くに<br />
・芳(かんは)しく 万歳(よろとし)経(ふ)れは<br />
・罷(まか)る身(み)の 菊(ここな)の如(こと)く<br />
・香(かほ)るなり<br />
<br />
・ヒメ汝(なんち) 背(せな)なの身(み)の丈(たけ)<br />
・幾(いく)はくそ ヒメの答(こた)えは<br />
・予(かね)て知(し)る 十二尺五指(そふたゐゆひ)は<br />
・和照(あまて)らす 神(かみ)の身(み)丈(たけ)と<br />
・我(われ)か背子と いとかけまくも<br />
・同(おな)し丈(たけ) 覚(おほ)ふ嬉(うれ)しさ<br />
・また有(あ)らし 違(たか)え合(あわ)せし<br />
・笑(ゑ)みす顔(かほ) その時(とき)主(あるし)<br />
・御饗(みあゑ)して コモリもてなす<br />
・物語(ものかた)り 我(わ)か身(み)の丈(たけ)は<br />
・十六尺(そむた)あり<br />
<br />
・雷(いかつち)か 轟(ととろ)き通(とほ)る<br />
・功(ゐさおし)お 揺(よよ)の要(かなめ)の<br />
・石槌(いしつつ)に 枯治剣(かふつつつるき)<br />
・賜(たま)ふなり<br />
<br />
・ミカツチの 鳴(な)り渡(わた)る名(な)の<br />
・弓取(ゆみと)りの モノノベ守(かみ)の<br />
・要大人(かなめいし) 常磐(ときわ)に守(まも)る<br />
・和尊(あまかみ)の 汚穢(よよ)の禊(みそき)の<br />
・先駆(さきかけ)は フツヌシ尊(かみ)も<br />
・倣(なら)ふなりけり<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-12826370350241081372016-05-29T22:22:00.002+09:002019-09-15T01:13:18.848+09:00ミカサフミ 散逸文:オオナムチとスクナヒコナ(牛肉を食べた民と祟り)【5】<h5>現代語訳</h5>
<br />
・<b>ヲヲナムチ※</b>、<b>スクナヒコナ※</b>も共々に国を巡り恵んだ<br />
・その最中、食糧の尽いた民に牛肉を食べることを許せば、その田にイナムシが発生し、民は嘆き苦しんだ<br />
・これを聞いた<b>ヲヲナムチ</b>はアメヤスカワの<b>ワカヒルメ※(ヒルコ※)</b>に対策を問うと、答えにヲシヱクサを賜った<br />
・それを押して扇げば、忽ちにホオムシは去って行き、稲草は実るほどに若返った<br />
・これにより、<b>ワカヒルメ</b>の尊は<b>タカテルヒメ</b>、<b>シタテルヒメ</b>、<b>トシノメグミノオオンカミ</b>の名で呼ばれた<br />
・また、ヒタルノトキ(晩年)には<b>アユミテルヒメ(オクラヒメ※)</b>に<b>シタテルヒメ</b>の名を授けた<br />
・そして、ワカ国のタマツミヤにヲシテ(遺書)を残して隠れた(神上がった)<br />
・なお、<b>サタ(佐太大神)</b>とは多くの子孫を残し、大いに富んだ<b>ヲヲナムチ</b>のことである<br />
<br />
<span style="color: #8e7cc3;">※同様の説話が</span><a href="http://cultural-experience.blogspot.jp/2016/05/blog-post_7.html" target="_blank"><b>『古語拾遺』</b></a><span style="color: #8e7cc3;">にも記される</span><br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・ヲヲナムチ:</b>ソサノヲとイナタヒメの五子で、出雲建国後初の子。『記紀』でいうオオナムチに当たるが、微妙に異なる<br />
<b>・スクナヒコナ:</b>カンミムスビの子で、オホナムチと協力して病気治療や害獣・害虫の駆逐を行う。(『記紀』のスクナヒコナ)<br />
<b>・ワカヒルメ:</b>二尊の御子に復帰し、アマテルの妹となったヒルコの別名(別に"相手に譲って和を求める女"の意があるという)<br />
<b>・ヒルコ:</b>イサナギとイサナミの第一子であり、『記紀』でいうヒルコに当たる<br />
<b>・オクラヒメ:</b>アメワカヒコの妹で、その葬儀で憤慨したタカヒコネを諌めた(『記紀』でいう葬儀の際のシタテルヒメ)<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・ヲヲナムチ スクナヒコナも<br />
・共々(ともとも)に 国々(くにくに)恵(めく)る<br />
・折(おり)しもに 糧(かて)尽(つ)く尽(たみ)に<br />
・牛(うし)の肉(しし) 許(ゆる)すその田(た)に<br />
・厭虫(ゐなむし)の 穢(お)ゑる嘆(なけ)きの<br />
・ヲヲナムチ 天(あめ)ヤスカワの<br />
・ワカヒルメ 問(と)えは答(こた)えの<br />
・教(をし)ゑ草(くさ) 押(お)して扇(あふ)けは<br />
・忽(たちま)ちに 蝕虫(はふむし)去(い)にて<br />
・稲草(いなくさ)は やはり実(みの)りて<br />
・若返(わかかえ)る<br />
<br />
・尊(かみ)はタカテル<br />
・シタテルの 年(とし)の恵(めく)みの<br />
・大御守(おおんかみ) ひたるの時(とき)に<br />
・賜(たま)ふ名(な)わ アユミテル姫(め)に<br />
・シタテルと サタのタカ姫(め)は<br />
・タカテルと 授(さつ)くるワカの<br />
・タマツ宮(みや) ヲシテ残(のこ)して<br />
・隠(かく)れます サタは弥(いや)増(ま)す<br />
・子孫(みこみまこ) 百八十(ももやそ)富(と)める<br />
・ヲヲナムチかな<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-53926307010097460212016-05-29T22:07:00.001+09:002019-09-15T01:12:43.904+09:00ミカサフミ 散逸文:アマテルと后たち【4】<h5>現代語訳</h5>
<br />
・(アマテルの)<b>タラチネ尊(両親=二尊)</b>は、ただ一つの身体にイモヲセカミ(妹背神)の霊を生んで地に降ろした<br />
・また、ネノクニの<b>姉姫(モチコ※)</b>と<b>妹(ハヤコ※)</b>を娶ったが、後にサスラとなった<br />
・また、タカマノハラ(ヒタカミ地区)の<b>トヨハタヒメ(ミチコ※)</b>はスケ后となり、ココタエ(書記役)となった<br />
・また、サクラタニのタキツセノメである<b>セオリツヒメ※</b>と、その妹の<b>ワカサクラヒメ(ハナコ※)</b>を娶った<br />
・次は、ウナハラヤオアイの<b>ハヤアキツヒメ※</b>を娶ってココタエとした<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・モチコ:</b>クラキネの娘で、アマテルの北局のスケ后となった(ホヒの母)<br />
<b>・ハヤコ:</b>クラキネの娘で、アマテルの北局のウチ后となった(三女の母)<br />
<b>・ミチコ:</b>ヤソキネの娘で、アマテルの東局のスケ后となった(イキツヒコネの母)<br />
<b>・セオリツヒメ:</b>サクラウチの娘で、アマテルの内宮(正妻)となった(オシホミミの母)<br />
<b>・ハナコ:</b>サクラウチの娘で、セオリツヒメの妹。機殿に居る時にソサノヲにフチコマを投げ入れられて事故死する<br />
<b>・ハヤアキツヒメ:</b>カナサキの娘で、アマテルの西局のスケ后となった(アマツヒコネの母)<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・タラチネ尊(かみ)は<br />
・たた一人(ひとり) 妹背神(ゐもをせかみ)の<br />
・霊(ひ)お生(う)みて<br />
<br />
・根(ね)の国(くに)の 姉姫(ゑひめ)流離(さすら)や<br />
・妹(おと)流離(さすら)<br />
<br />
・タカマの原(はら)の<br />
・ヲヲミヤ姫(ひめ) トヨハタスケや<br />
・ココタエの<br />
<br />
・サクラタニ 滾(たき)つ背(せ)の女(め)は<br />
・セオリツ姫(ひめ) 妹(おと)ワカサクラ<br />
<br />
・次(つき)わ海原(うなはら)<br />
・八百会(やおあい)の ハヤアキツ姫(め)や<br />
・ココタエの<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-31567816042084558352016-05-29T21:57:00.004+09:002019-09-15T01:12:17.308+09:00ミカサフミ 散逸文:オオヒルメ、アマテラス、クニウトノアマテルカミの由来【3】<h5>現代語訳</h5>
<br />
・<b>ワカヒト(アマテル※)</b>が深く実心を尽くせば、その真心が天や60万6000の<b>オヲヒルメ(太陽霊)</b>の支持を悉く得た<br />
・故に皇となってヨヨノマツリ(万の政)を知らしめる<br />
・(日の)クシタエが通ることから日の位を得て、<b>ヒルメ(日霊)</b>と共に<b>アマテラス(悉く養い恵む)</b><br />
・無数に生まれる人草を悉く育む<b>アマテル</b>は、<b>クシタマ</b>の添えを以って<b>"クニウトノアマテルカミ"と</b>称えられた<br />
・これは、喜びに眉をも開くヰヒナラシ(決まり文句)となった<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・アマテル:</b>イサナギ・イサナミの子であり、『記紀』でいうアマテラスに当たる。日月(太陽・太陰)の顕現と見なされる<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・ワカヒト深(ふか)く<br />
・実(み)おつくし 御心(みこころ)届(とと)く<br />
・久方(ひさかた)や 六十万(むそよ)つ六千(むち)の<br />
・太陽霊(おをひるめ) 悉(ふつ)くに得(う)れは<br />
・皇(すへらき)の 万(よよ)の政(まつり)お<br />
・知(し)ろし召(め)す 貴妙(くしたえ)通(とお)る<br />
・日(ひ)の位(くらい) 日霊(ひるめ)と共(とも)に<br />
・和照(あまて)らす<br />
<br />
・生(う)み計(はか)り無(な)き<br />
・人草(ひとくさ)の 悉(ふつ)くに育(そた)つ<br />
・奇霊(くしたま)の 乗(の)り以(も)て写(うつ)す<br />
・地人(くにうと)の 陽陰連(あまて)る神(かみ)と<br />
・喜(よろこ)ひの 眉(まゆ)も開(ひら)くる<br />
・言(ゐ)ひ慣(な)らし<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
Unknownnoreply@blogger.com0tag:blogger.com,1999:blog-350781785607784739.post-21274397739874808722016-05-29T21:55:00.003+09:002019-09-15T01:11:44.803+09:00ミカサフミ 散逸文:アマテルはヒタカミで育てられる【2】<h5>現代語訳</h5>
<br />
・(<b>アマテル※</b>の誕生の時)<b>ホツマキミ(トヨケ※)</b>の葛城山の八千座の禊も満ちていた(葛城山での8千回の禊を満了)<br />
・そして、桂木の出車を成して迎えようとハラミ山下(富士山麓)に訪ね寄った<br />
・<b>タラチネ(二尊)</b>は夢から目覚めた暁に<b>太君(トヨケ)</b>とまみえれば、<b>御孫(アマテル)</b>を抱いて奉った<br />
・そして、出車に乗って御幸し、日数を経て太君の国である御孫のヨソヰのヒタカミに到った<br />
・太君はここで光り輝く御孫に<b>ワカヒト</b>という斎名を与えた<br />
・また、二尊は畏れて自分たちでは育てられないとして、御孫を天(ヒタカミ)に送って帰っていた<br />
・このとき、天地は離れるも遠からず(天地は隔たっているが、日月の顕現が世に現れたために遠いとも言えない)<br />
・故に<b>トユケカミ(トヨケ)</b>は日毎に御孫の元に上り、<b>アメノミチ※</b>を以って授けた(教育した)<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・アマテル:</b>イサナギ・イサナミの子であり、『記紀』でいうアマテラスに当たる。日月(太陽・太陰)の顕現と見なされる<br />
<b>・トヨケ:</b>イサナミの父であり、5代目タカミムスビに当たる。いわゆる豊受大神に当たり、多大な功績を遺した<br />
<b>・アメノミチ:</b>陰陽和合・調和の道を説く道徳を指す<br />
<br />
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・ホツマ君(きみ) カツラキ山(やま)の<br />
・八千座(やちくら)の 禊(みそき)も満(み)ちて<br />
・桂木(かつらき)の 出車(てくるま)成(な)して<br />
・迎(むか)えんと ハラミ山下(やまと)に<br />
・伝(つた)え寄(よ)る<br />
<br />
・タラチネの夢(ゆめ)<br />
・覚(さ)めまして まみえ暁(あかつき)<br />
・太君(ををきみ)の 御孫(みまこ)お抱(いた)き<br />
・奉(たてまつ)り 出車(てくるま)に合(ゑ)て<br />
・御幸(みゆき)なる 日(ひ)お経(へ)て国(くに)に<br />
・到(いた)ります 御子(みこ)の他所居(よそゐ)の<br />
・ヒタカミや 光(ひかり)輝(かかや)く<br />
・ワカヒトの ヲシテは御子(みこ)の<br />
・斎名(ゐむな)・和(の)り タラチネ尊(かみ)わ<br />
・畏(おそ)れまし アワの宮(みや)には<br />
・育(そた)てしと 天(あめ)に送(おく)りて<br />
・帰(かえ)ります<br />
<br />
・天地(あめつち)離(さ)るも<br />
・遠(とお)からつ 日毎(ひこと)に上(のほ)る<br />
・トユケ尊(かみ) 陽陰(あめ)の道(みち)以(も)て<br />
・授(さつ)けます<br />
<br />
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
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<br />
<b>【散逸文】</b><br />
<br />
・ツキシホ(月経)が治まった三日月(三昼夜)の後、ヒマチ(日の出を待つこと)のために身を清めた<br />
・そして、互いに笑んで若日に向かい、座って日の出を待ち望んだ<br />
・すると、天の初日の御影が差し、二尊が思いを計らなくても光を抱く良い心地に包まれた<br />
・そして、身体が潤えば腹に子を孕んだが、臨月に至っても生まれることは無かった<br />
・この心尽くしも8年(96ヵ月)に至れば、晴れ渡る若日と共に子が生まれた<br />
・その際、オホヨスカラの言祝も、3度におよぶコヱヨロシ(誕生が大いに喜ばれた)<br />
・また、予てより賜物にイチヰの枝が用意され、<b>ココリヒメ※</b>が御湯を調えて奉った<br />
・<b>アマネキカミ※</b>の誕生の時、天に白雲が棚引いてハラミ山の八峰に架かり、さらに白玉の霰が降ったが、天は晴れていた<br />
・故に瑞の徴を白布に描いたヤトヨノハタが作られて、これを代々立てて皇の御子の即位の典とする最初となった<br />
・嗚呼、とても畏れ多いことである<br />
<br />
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・ココリヒメ:</b>アワナギの子で、イサナギの兄妹。『日本書紀』のククリヒメ、いわゆる白山比咩大神に当たる<br />
<b>・アマネキカミ:</b>"陽陰の偏りがない完全な神"の意であり、アマテルを指す<br />
<b>・アマテル:</b>イサナギ・イサナミの子であり、『記紀』でいうアマテラスに当たる。日月(太陽・太陰)の顕現と見なされる<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・月潮(つきしほ)結(う)みて<br />
・三日月(みかつき)の 後(のち)の日待(ひま)ちや<br />
・潔(いさきよ)く 互(たか)ゐに笑(え)ませ<br />
・給(たま)いつつ 若日(わかひ)に向(むか)ゐ<br />
・御座(おわ)します 天(あめ)の初日(はつひ)の<br />
・御影(みかけ)射(さ)す 二尊(ふたかみ)思(おも)ゐ<br />
・計(はか)らすも 光(ひかり)お抱(ゐた)く<br />
・心地(ここち)して 満長(みたけ)け潤(うるお)ゐ<br />
・孕(はら)みます 月満(つきみ)つ頃(ころ)も<br />
・生(あ)れまさす<br />
<br />
・心(こころ)尽(つく)しも<br />
・八年(やとせ)経(ふ)り<br />
<br />
・晴(は)れ渡(わた)る 若日(わかひ)と共(とも)に<br />
・生(あ)れまして<br />
<br />
・おほよすからの<br />
・寿(ことほき)きも 三度(みたひ)に及(およ)ふ<br />
・越喜(いちゐのえ)<br />
<br />
・予(かね)て賜物(たまもの)<br />
・一位(いちゐ)の枝(え)<br />
<br />
・ココリ姫(ひめ) 御湯(みゆ)取(と)り上(あ)けて<br />
<br />
・遍(あまね)き神(かみ)の<br />
・生(あ)れの時(とき) 天(あめ)に棚引(たなひ)く<br />
・白雲(しらくも)の 架(か)かる八峰(やみね)の<br />
・白玉(しらたま)の 霰(あられ)降(ふ)れとも<br />
・天晴(あめは)るる 瑞(みつ)の徴(しるし)お<br />
・白布(しらぬの)に 八豊(やとよ)の幡(はた)の<br />
・代々(よよ)に立(た)つ 皇(すへら)の御子(みこ)の<br />
・初(はし)めなりけり<br />
<br />
・あな畏(かしこ)かな<br />
<br />
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
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<br />
・時に<b>アマテル</b>は詔した<br />
・「昔、二尊はアワウタを日毎に歌い、それは八百万日に行き至った<br />
・この末に私がこれを受け継いで、手を結んで(<b>タミメ※</b>)朝が来るたびに歌っている<br />
・幾年経つが、いまだに欠かさず このオシテ(法)は続いている<br />
・また、<b>タマキネ(トヨケ)</b>が作ったオシヱクサは、天神を招くミハシラキ(御柱木)である<br />
・この御柱木は神と調和しようとする心を移すウツワモノ(器物)である<br />
・このカミカタチ(神体)に奉納して祈願する深い旨のあるソメフダ(染札)を<b>"ニフノカミ※"</b>に任せよう」<br />
・この詔により、<b>ヒルコ</b>は<b>ニフノカミ</b>として染札の作成を命じられた<br />
・そして、ヰモノシにカナアヤ(金属製の紋)を鋳造させ、アワウタを遍く教えれば御名も<b>ワカヒルメ</b>となった<br />
・この功績は大いなるものであった<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>用語解説</h5>
<br />
<b>・タミメ:</b>四十九神(根源神と元明四十八神)を手の造形で表現したものであり、様々な現象を起こすことが出来る<br />
<b>・ニフノカミ:</b>ヒルコの尊名。和歌山県の丹生都比売神社の祭神である丹生都比賣大神は、別名 稚日女尊というとされる<br />
<br />
<center>
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<br />
<a name='more'></a><br />
<h5>原文(漢字読み下し)</h5>
<br />
・時(とき)に和照(あまて)る<br />
・御言宣(みことのり) 昔(むかし)二尊(ふたかみ)<br />
・アワ歌(うた)お 日毎(ひこと)に歌(うた)ひ<br />
・八百万日(やおよろか) 行(おこな)ひ至(いた)る<br />
・この末(すえ)に 我(われ)受(う)け継(つ)きて<br />
・結(むす)ふ手(て)に 朝毎(あさこと)歌(うた)ふ<br />
・幾年(ゐくとせ)か いまた欠(か)かさす<br />
・この押手(おして)<br />
<br />
・タマキの作(つく)る<br />
・教(をし)え種(くさ) 天神(あまかみ)招(まね)く<br />
・御柱木(みはしらき) 和心(にこころ)移(うつ)す<br />
・器物(うつわもの) その神形(みかたち)に<br />
・進(すす)め乞(こ)ふ 深(ふか)き旨(むね)ある<br />
・染札(そめふた)お 委(まか)せ賜(たま)わる<br />
・和(にふ)の守(かみ)<br />
<br />
・ここにヒルコは<br />
・鋳物仕(ゐものし)に 金紋(かなあや)鋳(ゐ)させ<br />
・遍(あまね)くに 教(おし)ゆる御名(みな)も<br />
・ワカヒルメ 和(にふ)の功(ゐさおし)<br />
・大(をを)いなるかな<br />
<br />
<center>
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<br />
<h5>現代語訳文の目的・留意点</h5>
<br />
<div style="background: #FFFFFF; border: 1px solid #A4A4A4; padding: 10px;">
・この現代語訳は、<b>内容の理解</b>を目的としています<br />
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています<br />
・原文や用語の意味などについては「<b><a href="http://gejirin.com/index.html" target="_blank">ほつまつたゑ 解読ガイド</a></b>」をベースにしています<br />
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)<br />
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています<br />
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです<br />
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています<br />
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています<br />
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています<br />
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです<br />
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)<br />
・予告なく内容を更新する場合があります</div>
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