【意訳版現代語訳】地の巻 ホツマツタヱ26文 産が屋 葵桂の文

ホツマツタヱ26文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ26文のあらすじ


ニニキネからホオテミへの皇位継承、ウガヤ誕生、トヨタマヒメの離別と和解、そしてニニキネの神化までを描く、日嗣交代と母子の物語を中心とした文(あや)です。

1. ニニキネの退位とホオテミへの日嗣譲渡

老境に達したニニキネ(ワケイカツチノアマキミ)は、長年の国造りを振り返りつつ、皇位をホオテミに譲ることを宣言する。詔は諸国に伝えられ、筑紫の県主らもこれを受け入れ、迎えの準備が進められる。

2. ホオテミの帰還とウガヤの誕生

ホオテミはオオワニ船で都に帰還し、懐妊していたトヨタマヒメは敦賀の松原で急ぎ産屋を建てて出産する。御子は治療を受けて健やかに育ち、「カモヒト(ウガヤ)」と名付けられる。

3. 産屋を覗いたことによる離別と、トヨタマヒメの苦悩

ホオテミが禁忌を破って産屋を覗いたため、トヨタマヒメは深く恥じて都を離れ、貴船の社に籠る。ホオテミや親族が説得を試みるが応じず、代わりに妹オトタマヒメが后となる。

4. ニニキネの神化と、トヨタマヒメの宮入り

ニニキネはホオテミに政を託して高千穂で神上がり、アシツヒメも浅間で神上がる。喪が明けると、トヨタマヒメは歌を通じて心を開き、再び宮に迎えられ、葵と桂の紋が神祭りの装いとして定められる。

意訳文


ホオテミへの皇位継承


36鈴34枝38穂3月15日のこと。

ワケイカツチノアマキミ(ニニキネ)は、諸臣を召して次のように詔した。

「昔、ニハリの宮を立てて、田水のためにハラミ山の開拓を成し、三十万の民を治めて遂に『シハカミホツマ(地上の調和)』が成った。そして、我はアマツヒツギ(帝位)を受け継いで『ワケイカツチノカミ』となった。三十一万年の間、こうして国を治めてきたが、今はすっかり年老いてしまった。そのため、アノヒツキをウツキネ(ホオテミ)に譲ろうと思う」

このような詔が発せられると、御使によって各地に伝えられた。

すると、筑紫の三十二県の県主は「詔によって定まったからには万歳を祝おう」と惜しみながら受け入れて、後の御幸を乞うた。そこでシガノカミが「船を用意できるか?」と問うと、ワニ(サメ)が「オオカメ(船)を用意するには一ヶ月を超えてしまうでしょう。カモ(船)であれば一ヶ月ほど、オオワニ(船)であればすぐ用意できます」と答えた。

これをホオテミに伝えると次のように答えた。

「父(ニニキネ)を召す時は騒がしくなるだろう。そのため、私はオオワニ、姫(トヨタマヒメ)はカモに乗せて後に送れ」

こうして船が決まると、直ちにシガノウラのオオワニの縄を解き、それに乗って北の都(イササワケ)に向かった。オオワニは疾風の如く進み、すぐに都まで到り、ミツホ宮にホオテミが帰って来ると、ニニキネも臣も喜んだ。

ウガヤの誕生


これ以前にトヨタマヒメは懐妊していたため、ホオテミはトヨタマヒメに次のように言い付けていた。

「私より後にカモに乗ってキタツ(敦賀)へ行くがよい。そして、私のために産屋を成し、そこで待っていてくれ」

この言い付けを以って、トヨタマヒメは松原(気比の松原)に産屋を建てさせていた。しかし、産屋の棟が出来る前にカモが到着してしまったため、屋根の葺きすら終わっていない状態でトヨタマヒメが入ることになった。

トヨタマヒメは、その未完成の産屋の中で御子を出産した。その際、カツテは椅子と入浴用の御湯(ウガヤノユ)を捧げた。このウガヤノユとは、木の花の白いカニ(濁り)が咲くコハウノメ(固体化した硫黄)である。また、出産に際してアマガツ(天形)なども用意していた。

また、生まれた御子がカニツバ(寄生虫がいる吐瀉物)を吐くと、ココモ(回虫)がいると診断された。そのため、スセリ宮のホノススミより御湯が進上され、これをマクリ(海人草=カニを掃く薬草)と共に飲ませた。すると、これが功を奏してイマミコのカニツバを治した。

その後、ホノススミは御子を治したの功績を讃えられて、十四鈴の齢(84万歳)の時に「シラヒゲカミ」の名を賜った。

また、かねてよりカツテが次のように申していた。

「キ(夫)は産宮を覗いてはなりません。四月一五日(イマミコの誕生日)より七十五日は、日ごとに産屋の産湯を捧げます。これは古くから伝えられているノコルノリ(重要な風習)です」

また、御子の誕生の際、ホタカミはハラノノリ(ハラの法)に則ってホソノヲ(臍の緒)を切り、モノヌシのコモリは穢れを祓うために桑の弓を鳴らしてハハ矢を射るヒキメ(蟇目)を行い、コヤネは御子の斎名を考えて「カモヒト」と名付けた。

ウガヤの名の由来


また、カモヒトは母・トヨタマヒメより「ナギサタケ ウガヤ フキアワセズ」の名が与えられた。

その由縁は、トヨタマヒメが松原に向かう際、チクラ(海流の交わる所)によってカモ(船)が壊れてしまったことにある。その時、トヨタマヒメをはじめ、タケスミ、ホタカミも諸共に渚に落ちてしまった。溺れそうになったトヨタマヒメは、猛き心でタツ(竜)やミツチ(蛟)の力を得て泳いで磯に着いた。

その後、釣り船でミホサキへ行き、ワニ(船)を得てキタツ(敦賀)に着いた。これは孕み子のことを思ってのことだったが、母の「ナギサタケの実心(荒波のような本性)」が現れてしまったのである。

松原に来たホオテミが、心を躍らせながら産屋を覗いた時のこと。トヨタマヒメは腹這いになり、装いも無い姿であった。それを見たホオテミは、そっと戸を閉めた。その音に気付いた姫は「恥ずかしい」と言って、自分の姿を恥じた。

トヨタマヒメは、弟・タケスミと共に六月の禊をして、後に産屋を出てヲニフ(遠敷)に到った。そこで御子を抱き、その顔と手を撫でて「母は今、恥じています、もう会わないでおくれ」と言った。そして、トヨタマヒメは御子を棄てて朽木川を上り、山を越えること三日後に、ワケツチ(下鴨・河合神社の辺り)の北のミツハメの社(貴船神社)にて休んだ。

このことがミヅホ(ホオテミの都)に告げられると、ホオテミは驚いて直ちにホタカミを派遣し、トヨタマヒメを思い留めさせた。そこでヲニフから雉(急使)が飛んでくると、ホタカミは足跡を辿ってトヨタマヒメの元に向かった。

ホタカミは、朽木谷の西から南の山を越えてミツハメの社に追い着くと、トヨタマヒメに応答を乞うたが音沙汰は無かった。そのため、ホタカミはタケスミに後を任せてミヅホに帰り、ホオテミに事の次第を報告した。

この事態にホオテミはトヨタマヒメの親族を頼ろうと、筑紫にいた父・ハテスミと妹・オトタマヒメに雉が飛ばした。この報を受けた二人は、ワニ船でニシノミヤ(西宮)からヤマシロ(山背)に到り、両名を連れて再び問うたが、トヨタマヒメから「私はもうミヅホに上ることはできません。代わりにオトタマヒメを捧げてください」との返事があった。

このため、諸共にミヅホに上り、ホオテミに事の次第を申し上げると、トヨタマヒメの告げたままオトタマヒメを娶って后とした。

ホオテミの皇位継承


オオヱキミ(ニニキネ)は、アマツヒツキをワカミヤ(ホオテミ)に授け、シノ宮に座した。

ミヅホにおいては、ニハリノタメシ(ニニキネの例)に則ってユキ宮・スキ宮にてヲヲンマツリ(大御祭)の大嘗会を催した。そこで三種の宝物の受諾を天に宣言し、青人草(民)を安らかに保つヤハタノハナカサリ(八色の旗による装飾)を飾った。そして、この翌日に万民に拝ませた。

一方、トヨタマヒメのことはしばしば呼び出したが、ミツハメの社を決して出ようとはしなかった。

ニニキネによるトヨタマヒメの説得


翌年、オオヱスヘラギ(ニニキネ)はワケツチ(賀茂)の象徴である葵と桂を袖に掛けてミツハメの社に向かった。

そして、ニニキネが自らトヨタマヒメを迎えに行くと、トヨタマヒメが社から出てきた。

その時、ニニキネは葉を持って「これを何だ?」と尋ねると、トヨタマヒメは「葵葉でございます」と答えた。次にニニキネが別の葉を持って「これは何だ?」と尋ねると、トヨタマヒメは「桂葉でございます」と答えた。

また、ニニキネが「これらはいつ頃に果てるだろか?」と尋ねると、トヨタマヒメは「まだ果てないでしょう」と答えた。そこで、ニニキネは「そなたは世を棄てて道を外れるつもりなのか?」と尋ねると、トヨタマヒメは畏れて「外れたくありませんが、渚を泳ぐ嘲りに腹這いの恥を重ねた身では内宮は務まらないでしょう」と答えた。

このトヨタマヒメの返答に対し、ニニキネは次のように答えた。

「そなたがいう恥とは、恥に似て恥にあらず。しかと聞け、子を産む後は因みを絶つもの、これは産後に元に戻るまでの七十五日掛かるためである。ホオテミはかねてよりカツテカミに忠告されていたにもかかわらず、産屋の中を覗いてしまった。ゆえに、この恥はそなたの恥では無く、ホオテミの恥なのである。

タツノコ(竜の子)は、千年間 海(下界)に棲んでタツタ(限界)を知り、また千年間 山(上界)に棲んでタツフル(満ち足りること)を知り、さらに千年間 里(地上)に棲んでツクハナル(陽陰の調和と離別)を知るという。

このタツノコの、海での千年をハイキ(地活)、山での千年をアイキ(天活)、里での千年をヒトイキ(人活)といい、このミイキ(三活)を悟って君となるのだ。

そなたは渚に落ちて果てる間際、御種(孕み子)に配慮して猛心を成し、磯まで泳いで助かったのであろう。これにより『ハイキ(地活)』を知った。内宮になったことで嘲りを免れた。これにより『アイキ(天活)』を知った。これから『アオイカツラノイセ(葵桂の妹背)』を得れば『ヒトイキ(人活)』を悟ることになるだろう。

ゆえに、これらの『ミイキ(三活)』を知ればタツキミ(竜君)の如く人は神となるのだ」

ここでトヨタマヒメが「竜君とはいかなる君なのでしょう?」と尋ねると、ニニキネは直ちに「竜は劣る身であることを自覚し、さらに天地人の三つを知るゆえに『ウロコキミ(鱗のある生物の頂点)』なのである。上位の存在である者は、さらに天地人の三つを知ることで人として完成し、神となるのだ」と答えた。

この言葉を聞いたトヨタマヒメは自らの行為を恥じ、ニニキネを慄れて何も言わなかった。

その後、ニニキネをミホツヒメ(ニニキネの叔母)の御幸に伴わせて送り出すことになった。ミホツヒメは、トヨタマヒメの気配りに喜んで頷いて「太上君(ニニキネ)の心ある共感を得た君と姫は、日と月のように睦まじくなるでしょう」と述べた。これにニニキネは笑んで、タケスミに「トヨタマヒメを養え」と命じて川間(河合)の地を与えた。

御幸の一行が谷を出ると、ムロツ(室津)にカメ(船)が迎えに来ており、そこからニニキネの門出を送りだした。

ニニキネとアシツヒメの最期


ニニキネは、ミツハメの社からホオテミの元に戻り、次のような遺言の詔をした。

「天上において、日月が照れば人も草にも影響し、暗くなれば冷やしてしまう。地上の君も同じく、暗くなれば民は枯れてしまうだろう。ホオテミよ、汝が政を執り、コヤネ・コモリと共に治めよ。宮内の治めはミホツヒメに任せよ」

このように伝えると、ニニキネはカメ(船)に乗って鹿児島に向かった。そして、夕暮れ時にはソヲ(今の宮崎県と鹿児島県を合わせた地域)から高千穂に沈む夕日と別れ、朝はアサマ(富士山)から昇る朝日に向かった。これゆえに「ヒムカフクニ(日に向かう場所=日向国)」という。

ホツマ国では、妻のアシツヒメはアサマに隠れる月のようにタカチネ(浅間峰)に入って神となった。これが「アサカノカミ」または「コヤスカミ」である。

その「月(アシツヒメ)」と対応する「日」の「イツノカミ(ニニキネ)」はタカチホの峰にて神となった。ニニキネはナルカミ(雷)を別けて土を活かしたことから「ワケイカツチのスヘラカミ」と称された。

ニニキネの葬儀


ニニキネの崩御がホオテミに告げられると、喪に入ってイセに告げられた。

すると、アマテルは次のような「カミコトノリ(神としての宣言)」を発した。

「ニニキネの崩御から陽陰の数(四十八日)を経れば、喪を解いて政を聞くべし。トシメクルヒ(命日)は喪に一日、そのミハシラ(身柱)に祀るべし」

その後、ホオテミが皇位を承った後の御幸を成すと、アマテルは喜んで「ミヲヤニツカフアマキミ」のヲシテを与えた。

トヨタマヒメはワケツチヤマにて四十八回喪に服し、トシノマツリ(命日に死者の霊を身丈柱に招き寄せること)も行ってニニキネを崇敬した。

ホオテミが「トヨタマヒメの祀り(行為)」ついて尋ねると、コヤネが「前例があります」と答え、ミホツヒメは「歌を詠みなさい」と答えた。これにより歌が詠まれると、ミホツヒメが孫のイソヨリを派遣してトヨタマヒメを迎えに行かせた。

また、イソヨリは謹んで直ちに次のような歌を詠んだ。

『沖つ鳥 カモ着く島に 我が結ねし 妹は忘らじ 夜の事々も』
(渡り鳥は、ホオテミを乗せたカモ船の着く島にて、私が契りを結んだあの妻のことを忘れない。あの夜の出来事のことも)

この御歌を受け、イソヨリが「ミホツヒメは如何します?」と尋ねると、ミホツヒメも次のような歌を詠んだ。

『忌みと斎ひ 穢れを立つる 日の本の 上の心を 知る人ぞ 上』
(離れたり付いたりして狂いを正すのが陰陽和合の本質であれば、人生を悟って和の尊の心を知る人こそが尊である)

トヨタマヒメの宮入り


ある時、トヨタマヒメは葵と桂を紙に包み、ミヒキグサを文箱に収めて奉った。そこでホオテミは自ら文箱の結びを解き、中に入った歌を詠んだ。

『沖つ鳥 上下を治むる 君ならで 世の事々を えやは防がん』
(渡り鳥は、日と月が揃った君でなくては、世の穢れた事々をどうやって防げましょうか)

ホオテミは歌を三度読むと涙をこぼし、膝の葵が裳に染みた。そして、迎えの輿(こし)に乗ったトヨタマヒメの宮入りを喜んで、葵を紋に写させて錦を織った。これにより御衣に「コアオイ(小葵)」「ココチリ(菊を散らした紋)」「ヤマハトイロ(実った成果を留めた紋)」の三つの紋が使われることになった。

また、これは神祭りの装いであるミハモ(御衣裳)にあしらわれることになった。

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注釈


登場人物


・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。八代君主の男尊。創造神アメミヲヤの顕現
・ニニキネ:『記紀』の瓊瓊杵尊に比定。オシホミミの二男。アマテルの孫
・ホオテミ:『日本書紀』の彦火火出見尊に比定。ニニキネとアシツ姫の三男。斎名はウツキネ
・トヨタマヒメ:『記紀』の豊玉姫に比定。ハテツミの長女。ホオテミの内宮
・ホノススミ:『古事記』の火須勢理命に比定。ニニキネとアシツ姫の二男。シラヒゲカミとも
・カツテ:神社祭神の勝手神に比定。ヒトコトヌシの子
・ホタカミ:『古事記』の穂高見命に比定。カナサキの孫。筑紫三十二県の県主の一人
・コモリ:神社祭神の子守神に比定。クシヒコの子。今のオオモノヌシ
・コヤネ:『記紀』の天児屋命に比定。カスガカミ。アマノコヤネとも
・カモヒト:『記紀』の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊に比定。ホオテミとトヨタマヒメの御子
・ナギサタケ ウガヤ フキアワセズ:『記紀』の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊に比定。斎名はカモヒト
・タケスミ:神社祭神の賀茂建角身命に比定。ハテツミの二男。トヨタマヒメの弟
・ハテスミ:『記紀』の海神(豊玉彦)に比定。スミヨシの孫。トヨタマヒメらの父
・オトタマヒメ:ハテスミの次女。トヨタマヒメの妹。ホオテミの后となる
・アシツヒメ:『日本書紀』の神吾田鹿葦津姫に比定。ニニキネの内宮。別名コノハナサクヤヒメ

関連社


賀茂別雷神社ホツマにおける「ワケツチ宮」に比定
 ・別 名:上賀茂神社
 ・創建年:伝・天武天皇6年
 ・主祭神:賀茂別雷大神
 ・所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
貴船神社ホツマにおける「ミツハメの社」に比定
 ・創建年:伝・反正天皇の御代
 ・主祭神:高龗神
 ・所在地:京都府京都市左京区鞍馬貴船町180
河合神社ホツマにおけるタケスミの説話の関連地に比定
 ・創建年:不明
 ・主祭神:玉依姫命
 ・所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
・富士山本宮浅間大社:ホツマにおける「アシツヒメの辞洞」に比定
 ・創建年:伝・垂仁天皇3年
 ・主祭神:木花之佐久夜毘売命
 ・所在地:静岡県富士宮市宮町1-1
・甲斐国一宮 浅間神社:ホツマにおける「アシツヒメの辞洞」に比定
 ・別 名:白鬚大明神、比良明神
 ・創建年:伝・垂仁天皇8年
 ・主祭神:木花開耶姫命
 ・所在地:山梨県笛吹市一宮町一ノ宮1684
・青沼浅間神社:ホツマにおける「アシツヒメの辞洞」に比定
 ・創建年:貞観7年(865年)
 ・主祭神:木花咲耶姫命
 ・所在地:山梨県甲府市青沼3-5-2
・霧島神宮:ホツマにおけるタカチホの峰で神上がったニニキネを祀る社に比定
 ・創建年:伝・欽明天皇元年
 ・主祭神:天饒石国饒石天津日高彦火瓊瓊杵尊
 ・所在地:鹿児島県霧島市霧島田口2608-5

※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈

関連知識


船の種類について

ホツマ26文には、様々な種類の船が登場します。ホツマに登場するすべての船も合わせて特徴を書くと以下のようになります。

・ワニ:最速の船(帆船と解される)
・カモ:ワニの次に早い船(櫂で漕ぐ船と解される)
・カメ:カモより遅い船
・オオワニ:大型のワニ船
・オオカメ:大型のカメ船
・イワフネ:御幸の船
・イワクスフネ:汚穢をくじく船
・アシフネ:葦で作られた船
・カカミノフネ:真榊を飾った船
・イクサフネ:軍船

これらの中には「空を飛んだかのような描写」が記されるものもありますが詳細は不明です。あらゆる船についての具体的なディティールは全く語られていません。

『記紀』との主な違い(AI分析)


皇位継承の描写

ホツマでは、ニニキネが老境に至り、自らの統治の総括とともにホオテミへの日嗣譲渡を正式に宣言する。詔は諸国に伝えられ、迎えの準備や船の選定まで具体的に描かれる。一方『記紀』では、ニニギからホオリへの継承は物語の流れの中で自然に移行し、政治的儀礼や詔の伝達といった制度的描写はほとんど見られない。

ウガヤ誕生の過程

ホツマでは、トヨタマヒメが敦賀の松原で急ぎ産屋を建て、未完成の産屋で出産する様子が詳細に語られる。産湯・薬草・寄生虫治療など、出産儀礼と医療的処置が具体的に記される。一方『記紀』では、豊玉姫が海辺で産屋を建てて出産する筋はあるが、産湯や治療などの具体的な描写はなく、儀礼的・医療的な細部は語られない。

産屋の禁忌と離別の理由

ホツマでは「夫は産宮を覗いてはならない」という古い風習(ノコルノリ)が明確に示され、ホオテミが禁忌を破ったことがトヨタマヒメの離別の直接原因として描かれる。一方『記紀』では、豊玉姫が本来の姿(八尋のワニ)を見られたことを恥じて去るとされ、禁忌の体系や産屋の風習は説明されない。

トヨタマヒメの心理と和解の過程

ホツマでは、トヨタマヒメは恥と自責から都を離れ、貴船の社に籠る。ニニキネが自ら赴いて説得し、三活(天地人の悟り)を説くことで心を開かせ、歌の往復を経て宮入りに至る。一方『記紀』では、豊玉姫は恥じて海へ帰るのみで、説得・対話・和解の過程は描かれず、再会や宮入りの物語は存在しない。

ニニキネ(ニニギ)の最期と神化

ホツマでは、ニニキネはホオテミに政を託し、日の昇沈を象徴として語りながら高千穂で神となる。アシツヒメも浅間で神となり、両者の神格化が対照的に描かれる。一方『記紀』では、ニニギの最期や神化は描かれず、高千穂は死地ではなく「天孫降臨の地」として位置づけられる。また、ニニギが高千穂で神となるという思想は記紀には存在しない。