ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:賀茂御祖神社(下鴨神社) [京都府]

賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ)とは京都市左京区にある神社であり、山城国一宮とされています。

通称 下鴨神社(しもがもじんじゃ)と呼ばれ、毎年5月には上賀茂神社と共に賀茂祭(葵祭)が行われることで有名です。


概要


由緒


社伝によれば、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したとされる。

また、当社の最古の祭である御生神事(みもれしんじ、現在の御蔭祭)が第2代綏靖天皇の時代に始められ、第10代崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるとされることから、創祀は相当古いと推定されている。

なお、境外摂社である御蔭神社(京都市左京区上高野東山)は、太古に鴨大神が降臨したとされる御蔭山に当たり、天武天皇6年(677年)に山背國司が造営した賀茂神宮は御蔭神社であるという説が唱えられているとされる。

祭神


【主祭神】

・玉依姫命(タマヨリヒメ):賀茂別雷命の母神
 → 『山城国風土記』に由来する玉依姫命
  ⇒ 『記紀』におけるタマヨリヒメ(トヨタマヒメの妹)とは別とする説もある
・賀茂建角身命(カモタケツヌミ):玉依姫命の父神
 → 主に八咫烏の別名と定義される
  ⇒ これにより、山城の賀茂氏(賀茂県主)の始祖とされる
 → 一説に阿遅鋤高日子根神(アヂスキタカヒコネ)を指すとも言われる

関連社


【摂社】

・河合神社:玉依姫命(神武天皇の母神)を祀る
 ・六社:建御方神、八衢毘古神、八衢比賣神、宇迦之御魂神、奥津日子神、奥津比賣神、霊璽、少彦名神を祀る
 ・任部社:八咫烏命を祀る
 ・三井社:賀茂建角身命、伊賀古夜日賣命、玉依媛賣命を祀る
・出雲井於神社:建速須佐乃男命を祀る
 ・岩本社
 ・橋本社
・三井神社:伊賀古夜日売命、賀茂建角身命、玉依媛命を祀る
 ・諏訪社:建御名方神を祀る
 ・小杜社:水分神を祀る
 ・白鬚社:大伊乃伎命(猿田彦神)を祀る
・日吉神社
・貴布祢神社:高龗神を祀る

【末社】

・印璽社
・言社:大国主別名七神を祀る
・井上社:瀬織津姫命を祀る
・相生社:神皇産霊神を祀る
・愛宕社:火産霊神を祀る
・稲荷社:宇迦之御魂神を祀る
・祓社:玉依媛命、賀茂建角身命、祓戸大神を祀る
・印納社
・沢田社
・河崎社
・賀茂斎院歴代斎王神霊社

【境外摂社】

・賀茂波爾神社(赤の宮):波爾安日子、波爾安日女神を祀る
 ・稲荷社:赤宮稲荷大明神を祀る
・御蔭神社(出雲高野神社):賀茂建角身命荒魂、玉依日売命荒魂を祀る

関連リンク


下鴨神社(公式サイト)
下鴨神社 (ウィキペディア)
下鴨神社(人文研究見聞録)
カモミオヤジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)
ミカゲジンジャ(ほつまつたゑ 翻訳ガイド)

ヲシテ文献の記述


タマヨリヒメについて


・カモタケスミとイソヨリヒメの娘
 → 両親は子宝に恵まれなかったが、ワケツチカミ(ニニキネ)に祈願したことでタマヨリヒメを授かったとされる
  ⇒ ホツマではトヨタマヒメの妹はオトタマヒメとされるため、『記紀』とは異なる
・両親が亡くなると その喪祭をして、一人でワケツチカミ(ニニキネ)に参詣した際にウツロヰと出会う
 → そこでウツロヰと問答した後、タマヨリヒメがワケツチ宮を詣でて禊をしていると宮の軒に白羽の矢が刺さった
 → この後にタマヨリヒメは懐妊し、やがて一人の男児(ミケイリ)を出産した
 → 処女懐胎であったが、男児が3歳になった時に白羽の矢を指して父であると言った
 → これにより、白羽の矢はワケツチカミ(ニニキネ)であると云われるようになった
・タマヨリヒメは娶ってくれる者を探したが見つからず、しばらくタカノノモリに隠れ住んだ
 → そこでワケイカツチの祠を成し、常にワケイカツチの御影を祀ったという
・その後、ウガヤによって御子のヰツセの乳母を募集する御告れが出された
 → この時 乳の出が良いタマヨリヒメの噂がウガヤに届き、タマヨリヒメが召されることになった
 → タマヨリヒメはウガヤの内局となってヰツセを養育した
 → この際、連れ子であったミケイリも同時に引き取られた
 → また、ウガヤとタマヨリヒメは間にイナヰイを儲けた
・その後、タマヨリヒメはウガヤの内宮となった
 → この後に生まれた御子はカンヤマトイワレヒコのミコトと名付けられた(初代 神武天皇に当たる)

カモタケスミについて


・ハテツミ(他書の豊玉彦)の子であり、トヨタマヒメ、オトタマヒメとは兄妹関係に当たる
・トヨタマヒメが出産のためにホオテミの元に向かう際、船が壊れてタケスミも共に渚に落ちてしまったという
・ミツハメの社に籠ったトヨタマヒメがニニキネに説得された後、トヨタマヒメを養うよう命じられてカワイの地を賜る
・ホオテミからウチ侍のイソヨリヒメを与えられたことにより、イソヨリヒメと結婚する
 → これによってタケスミは「カアヒノタチ(河合の領主)」となった
・長年の間 子が出来なかったとき、ワケツチカミに祈ると夢で神託を得てタマヨリヒメを授かる
・亡くなった後は妻と共に「カアヒノカミ」として祀られた
・死後はアタネが山背国造となり、タケスミの政を引き継いだとされる

カアヒノカミについて


・「カアヒノタチ」であったタケスミと 妻のイソヨリヒメと共に「カアヒノカミ」として祀られた
 → すなわち、「カアヒノカミ」とは「カモタケスミ」と「イソヨリヒメ」を指す

ウガヤについて


・ヒコホオテミとトヨタマヒメの子
 → 出産までの経緯から「ナギサタケウガヤフキアワセズ」と名付けられる
・即位した際、アマテルから「ミヲヤアマキミ」の名を賜る
 → これは、アマテルがアメノミチを得るためのカグノフミとミヲヤモアミを授けたことに由来する
 → ウガヤの代からアマカミ(天尊)によって代々治められていた治世が、スヘラカミ(地尊)に移ったとされる
・ウガヤは7鈴(42万年)の間、タダスノトノから地上を豊かに治めていたとされる
 → しかし、ウガヤは齢が13鈴(78万歳)になっても后を娶らず、子も居なかった
 → そこで、ヨツギフミを以って代嗣を授かれるように12后を設けた
 → その中でも若いヤセヒメを内宮とし、後にヰツセ御子を儲けた
 → しかし、ヰツセを産んだヤセヒメは間もなく亡くなってしまう
・ヤセヒメが亡くなると、ヰツセを養育する乳が必要になった
 → そこでヰツセの乳母を募集した時にタマヨリヒメを見つけ、やがて后に迎えて内宮とした
 → タマヨリヒメが内宮になった後に生まれた御子が、タケヒト(神武天皇)であった
・晩年はツクシへの巡幸を乞われ、ツクシを治めてカゴシマに居着く
 → ウガヤはヲニフ宮(福井県小浜市遠敷)、タガ宮(滋賀県多賀町多賀)を経てカゴシマ宮に遷ったとされる
・死期が迫るとミヤサキに遷り、そこに訪れたタケヒトとアメタネコに遺命を伝えてミヤサキ山の洞穴で神上がった
 → 死後は所縁の場所で様々な神名で祀られたとされる
  ⇒ ツクシ:ツクシスベラギ
  ⇒ タガ:ヒウガノカミ
  ⇒ ヲニフ:カモノカミ
  ⇒ ミヤサキ:ミヲヤカミ
・内宮のタマヨリヒメが神上がると河合社に併せ祀られて「ミヲヤカミ」「メヲノカミ」として有名になったという

ミヲヤカミについて


・ホツマ中ではアマテル、ニニキネ、ウガヤ、ウガヤ+タマヨリヒメを指す語として登場する
 → 御祖・上祖の意であり、一定の流れの祖となった者に与えられる尊称であると思われる

タカノノモリについて


・タマヨリヒメが隠れ住んだ森のことであり、ワケイカツチの祠が造られたとされる
 → 別名をイヅモヂモリと云うとされる
  ⇒ 一説には京都の北部全体を出雲路と称すると云う

ヲシテ文献の対応箇所


ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文
ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメの誕生【12】
ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:タマヨリヒメとワケイカツチの子【13】
ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:出雲の御子【14】
ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:カンヤマトイワレヒコの誕生【15】
ホツマツタヱ27文 御祖神 船霊の文:ウガヤの最期【20】
ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文:賀茂社にニニキネとウガヤを祀る【7】
ホツマツタヱ37文 鶏合せ 橘の文:賀茂社の新造と御幸【6】
ミカサフミ9文 年内になす事の文:タのヲシテの形【4】

備考


下鴨神社について


・由緒や祭神は、ホツマを下敷きに考えると概ね合点が行く
 → ホツマに従えば、カアヒカミ(タケツミヒコ+イソヨリヒメ)とミヲヤカミ(ウガヤ+タマヨリヒメ)を祀る
 → 当初は河合社にミヲヤカミが祀られていたが、垂仁朝にオオカモによって社殿の新造と遷宮が為された
 → 御蔭神社の社伝から、タカノノモリのワケイカツチの祠が前身の一つと考えられる(他に河合神社)

賀茂祭について


・賀茂神社において、5月15日(陰暦4月の中の酉の日)に行なわれる例祭のことで「葵祭」とも呼ばれる
・ミカサフミには、4月の月末に「アオヒカツラノメヲマツリ」を行うとある
・ホツマでは葵に関連深いとされるが、現在の葵祭でも葵の葉を頭に挿している

料金: 無料(一部有料)
住所: 京都府京都市 左京区下鴨泉川町59マップ
営業: 6:30~18:00
交通: 出町柳駅(徒歩13分)、京都市バス「下鴨神社前」下車

公式サイト: http://www.shimogamo-jinja.or.jp/