ホツマツタヱ序文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳を確認したい方は、リンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ序文のあらすじ


第12代・景行天皇の時代にオオタタネコ(大田田根子)が、一族の不遇を解いてくれた天皇への返礼として献上した「ホツマツタヱ(真実の歴史書)」のプロローグです。

1. 統治の原点と「三種の神器」の誕生

イザナギ・イザナミが「法と武力」で国を整え、そこにアマテル神(天照大御神)の「鏡」が加わって、平和な統治のシンボルである「三種の御宝」が完成した経緯が語られています。

2. 天皇の始まり:ニニキネの功績

アマテル神の孫であるニニキネ(瓊々杵尊)が、開拓と民の救済に尽力し、その徳が初代(クニトコタチ)の再来と讃えられたことで、地上初の「天君(天皇)」という称号を授かった歴史が記されています。

3. この本が「真実」である証明

オオタタネコは、世に出回る多くの古記録は助詞(テニオハ)の誤りなどで意味が歪んでいると指摘しています。一方で、ホツマツタヱは伊勢神宮の斎主が持つ記録(ミカサフミ)とも内容が完全に一致しているため「これこそが代々の掟となる正統な記録である」と宣言しています。

意訳文


ホツマツタヱ編纂の経緯


天地の調和する時、イザナギ・イザナミの二尊はトホコ(法と武力)を以って統治した。その後、民が増えるに従い、アマテル神の御鏡(ヤタカガミ)が加わり、三種の御宝(ミクサノミタカラ)が成立した。この御宝を授かった御孫と臣と民は安らかに治まった。

また、臣の祖・オミケヌシの強いた諌めを畏れて隠れ住んでいたタタネコが再び召されることになった。タタネコは返礼の捧げものとして、ホツマツタヱ四十文を編纂した。これは君が代の末代までの規範とするために畏れ多くもまとめたものである。

これを見た者は、このように評した。

「地上の 心ほつまと 成る時は 花咲く代の 春や来ぬらん」
(地上の心がホツマと成る時は、花咲く代の春が来ないわけがない)

「磯の地の 真砂はよみて 尽くるとも ほつまの道は 幾代尽きせじ」
(磯の砂のように地上が尽きようとも、ホツマの道は幾代も尽きることはないだろう)

三輪の臣のオオタタネコが捧げんと、二百三十四歳の時にこれを謹んで記した。

差使八手の冠


冒頭の表(表紙)の記しとして、餞押(署名)を添えて捧げる言開きの歌は次の通りである。

久方の天下を領す我が君(景行天皇)に代々伝わる冠(サヲシカヤタノカンムリ)は、アマテル神によって作られたものである。この冠を戴けば、国や臣民の状況を聞き知ることができるため、朝廷の政を成し遂げることができる。

そうすれば、君の詔は隅々まで行き渡り、大御宝(国民)は和らぎ照らされ、安らかな国として治まる。これにより、アマテル神の座す宮はヤスクニ宮と称えられた。

アマテルからニニキネまでの略歴


アマテル神はヤスクニ宮から八万年を経て、輪の中心である伊雑宮に座した。このとき、御子のオシホミは日高見のタカノコフにて国を治め、孫のクシタマホノアカリは香具山のアスカノミヤに座した。

また、ホノアカリの弟であるニニキネは、新領地を開拓してニハリノミヤにて十八万年座した。新民が増えその名が高まると、ハラミの宮(ハラアサマミヤ)にて民を治めた。これにより、遂にこの世の大調和が成った。以来六十万年の御代を治めたことで「イカツチワクルイツノカミ」と称えられた。

天皇の始まりについて


ニニキネがイツノカミとなった際、アマテル神は次のように詔した。

「今のニニキネの功績は、サキミタマとしてクニトコタチのワザミタマ(この世での仕業・事業を成す神霊)が顕れたようである」

この考えから、ニニキネは「ワケイカツチノアマキミ」という名を賜った。

これが地上における天君(天皇)の最初であり、現在の皇の天君は皆、ニニキネの功績によるものである。

太陽に還ったアマテル神


子・孫・曾孫の末に至るまで見守り続けた天照大御神(アマテル)は、百七十万年の年月を経て元の日輪へと還った。ゆえに今は日輪よりアオヒトクサ(地上の国民)を照らしている。君も臣民も安らかに潤っているのは、すべてアマテル神の御恵みによるものである。

ホツマツタヱの信憑性


世に著された数ある文書の中で、ホツマツタヱに勝るものはない。今の世に残る諸家の文は多数あるが、それぞれに内容の改変が見られる。ゆえにどれを真実とするかは難しいが、ここに真実を記したものがホツマツタヱである。

例えば、ホツマツタヱの二十六の文にはこう記されている。

『カモ破れて トヨタマヒメも 渚にて 猛き心に 泳がせば 竜や蛟竜の力得て 恙も和の 磯に着く』

これを他所では

「舟破れて 竜と蛟竜の力得て」

としているが、これは助詞(テニオハ)の誤りである。総じて七つの家から記文が出ているが、異なる内容についてはこのように判断すべきである。

我が先祖が記したミカサフミは、ホツマツタヱと瓜二つに一致する。ゆえに代々の掟となる文はホツマツタヱであると確信する。そのため、ここに深い心を添えて捧げ奉る。なお、巻末にはそのヲシテ(詔)を載せておく。

餞の添歌


ハナノソヱウタ(餞の添歌)は以下の通りである。

『かかんなす 春のひとしく 巡り来て 磯の真砂は 岩となる 弥々のんてんの ホツマ文かな』
(春に始まり、末には磯の砂が岩に成るまで続く、代々の法典とするべきはホツマ文である)

纒向のヒシロ(景行天皇)の御代、ミカサ臣・伊勢の神臣であるオオカシマ(伊勢神宮の斎主・ミカサフミの編者)が、二百四十七歳の時にこの餞押(署名)を捧げる。

注釈


登場人物


・アマテル:『記紀』の天照大御神(アマテラス)に比定。太陽の化身。ホツマツタヱでは男神とされる
・オミケヌシ:ミケヌシの子で、オオタタネコの祖父
・オオタタネコ(タタネコ):『記紀』の大田田根子に比定。三輪氏の祖。景行天皇の命により『ホツマツタヱ』を編纂・献上した
・ニニキネ:『記紀』の瓊々杵尊(ニニギ)に比定。アマテルの孫でオシホミミの二男。新領地の開拓や民の救済に尽力し、天皇の祖となった
・クシタマホノアカリ:『記紀』の天照国照彦火明命に比定。オシホミミの長男に当たる
・オシホミ:『記紀』の天忍穂耳尊(オシホミミ)に比定。アマテルの長子。東国(ヒタカミ)の拠点であるタカノコフを治めた
・オオカシマ:『中臣氏系図』の中臣鹿島に比定?。伊勢神宮の斎主。『ミカサフミ』を編纂し、本書の信憑性を裏付けた
・トヨタマヒメ:『記紀』の豊玉姫(トヨタマヒメ)に比定。海神の娘