ヲシテ文献とは?(ホツマツタヱ・ミカサフミについて)
当サイトでは、「ヲシテ」と呼ばれる神代文字で記された文献の翻訳・解説を目的としています。
そこで、下記に各史書の概要を紹介します。
ヲシテ文献
「ヲシテ文献」とは、「ヲシテ」で記述された五七調の長歌体の古文書の総称を指すとされています。
ヲシテ文献の種類
・カクノフミ(未発見だが、発見済みの「フトマニ」は この一部とされる)
・ホツマツタヱ(全40文で、全て発見済み)
・ミカサフミ(全64文で、9文と散逸文が発見されている)
・ホツマツタヱ(全40文で、全て発見済み)
・ミカサフミ(全64文で、9文と散逸文が発見されている)
ヲシテ文献の概要
・漢字伝来以前に存在したとされる神代文字の「ヲシテ」で記された文献である(当初は布に染めつけられたとされる)
・内容によれば、「ワカ(いわゆる和歌)」が重要視される世界観であり、文体が五七調の長歌体で記されるという特徴がある
・「ホツマツタヱ」には『記紀』に記される説話を包括する内容が記されており、専門家の間では『記紀』の原書とも言われる
・内容によれば、古代の哲学、文化、法令、諸学、暦法(スス暦、アスス暦)についても記される
・真贋については研究者の立ち場によって大きく分かれるようである(否定派は、内容よりも「ヲシテ」の批判が目立つ)
・「ヲシテ文献」を公に由緒とする神社はほとんどないが、内容を踏襲すると辻褄が合う神社は数多く存在する
・内容によれば、「ワカ(いわゆる和歌)」が重要視される世界観であり、文体が五七調の長歌体で記されるという特徴がある
・「ホツマツタヱ」には『記紀』に記される説話を包括する内容が記されており、専門家の間では『記紀』の原書とも言われる
・内容によれば、古代の哲学、文化、法令、諸学、暦法(スス暦、アスス暦)についても記される
・真贋については研究者の立ち場によって大きく分かれるようである(否定派は、内容よりも「ヲシテ」の批判が目立つ)
・「ヲシテ文献」を公に由緒とする神社はほとんどないが、内容を踏襲すると辻褄が合う神社は数多く存在する
ヲシテ文献の発見
近世
・江戸中期に寂照寺の僧・溥泉(ふせん)が先師より『ホツマツタヱ』と『ミカサフミ』を見せられたとされる
・これにより、溥泉が著書『朝日神紀』『春日山紀』などの中で引用した
・和仁估氏の末裔と称する近江の和仁估安聡が祖父から写本を相伝し、自らヲシテ文献について研究を重ねたという
・この写本は『和仁估安聡写本』と呼ばれる『ホツマツタヱ』の最古の写本であり、安永4年(1775年)以前のものとされる
・和仁估による『ミカサフミ』も同時に発見済みとされる
・江戸中期に寂照寺の僧・溥泉(ふせん)が先師より『ホツマツタヱ』と『ミカサフミ』を見せられたとされる
・これにより、溥泉が著書『朝日神紀』『春日山紀』などの中で引用した
・和仁估氏の末裔と称する近江の和仁估安聡が祖父から写本を相伝し、自らヲシテ文献について研究を重ねたという
・この写本は『和仁估安聡写本』と呼ばれる『ホツマツタヱ』の最古の写本であり、安永4年(1775年)以前のものとされる
・和仁估による『ミカサフミ』も同時に発見済みとされる
近代
・昭和期に『現代用語の基礎知識』の初代編集長の松本善之助が日本の本当の姿を追っており、古本屋で『奉呈本』を発見した
・これが現代におけるヲシテ文献研究の契機であり、以後 松本は全巻の捜索に取り組んで見事全巻集めきったという
・昭和期に『現代用語の基礎知識』の初代編集長の松本善之助が日本の本当の姿を追っており、古本屋で『奉呈本』を発見した
・これが現代におけるヲシテ文献研究の契機であり、以後 松本は全巻の捜索に取り組んで見事全巻集めきったという
参考リンク
・ヲシテ文献(ウィキペディア)
・ホツマツタヱ(ウィキペディア)
・ミカサフミ(ウィキペディア)
・フトマニ(ウィキペディア)
ホツマツタヱ
「ホツマツタヱ」とは、「ヲシテ」で記述された五七調の長歌体の古文書の一つです。主な内容は「天地開闢からの皇国の歴史」であり、その合間に哲学、文化、法令、諸学、暦法などが記されています。
ホツマツタヱの概要
ホツマツタヱの構成
・文字:ヲシテ(現在は「ヲシテ」をカタカナに直した原文が主流とされる)
・文体:五七調の長歌体(「五字、七字、五字、七字…」のリズムで記される)
・章数:全40文+序文
・種別:序文、天の巻(16文)、地の巻(12文)、人の巻(12文)
・文字:ヲシテ(現在は「ヲシテ」をカタカナに直した原文が主流とされる)
・文体:五七調の長歌体(「五字、七字、五字、七字…」のリズムで記される)
・章数:全40文+序文
・種別:序文、天の巻(16文)、地の巻(12文)、人の巻(12文)
文献の編者・経緯など
天の巻・地の巻
・編者:クシミカタマ
・発端:ウガヤかタケヒト(神武天皇)の詔によって編纂を始めたとされる
・背景:アマテルが去り、父のツミハが神上がった時に金刀比羅宮に納める
・発見:文中から、オオタタネコが金刀比羅宮に納められていたものを持ってきたものと推測される
・内容:天地開闢からウガヤ朝まで
・編者:クシミカタマ
・発端:ウガヤかタケヒト(神武天皇)の詔によって編纂を始めたとされる
・背景:アマテルが去り、父のツミハが神上がった時に金刀比羅宮に納める
・発見:文中から、オオタタネコが金刀比羅宮に納められていたものを持ってきたものと推測される
・内容:天地開闢からウガヤ朝まで
序文・人の巻
・編者:オオタタネコ(スヱトシ)
・発端:オオタタネコが帰参の返礼として編纂し、末代までの規範とされることを願って献上した
・背景:景行天皇が東国を巡幸している際に編纂する
・発見:江戸期に溥泉、和仁估安聡(元々一族で秘伝していたとされる)が、昭和期に松本善之助が発見している
・備考:ヤマトタケの遺言により、オオカシマがミカサフミを献上し、景行天皇はカグミハタを染めた
・内容:神武朝から景行朝の途中まで(景行天皇に「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」が献上されるところまで)
・編者:オオタタネコ(スヱトシ)
・発端:オオタタネコが帰参の返礼として編纂し、末代までの規範とされることを願って献上した
・背景:景行天皇が東国を巡幸している際に編纂する
・発見:江戸期に溥泉、和仁估安聡(元々一族で秘伝していたとされる)が、昭和期に松本善之助が発見している
・備考:ヤマトタケの遺言により、オオカシマがミカサフミを献上し、景行天皇はカグミハタを染めた
・内容:神武朝から景行朝の途中まで(景行天皇に「ホツマツタヱ」「ミカサフミ」が献上されるところまで)
ミカサフミ
「ミカサフミ」とは、「ヲシテ」で記述された五七調の長歌体の古文書の一つです。主な内容は「天地開闢からの皇国の歴史」であり、その合間に哲学、文化、法令、諸学、暦法などが記されています。
ミカサフミの概要
ミカサフミの構成
・文字:ヲシテ(現在は「ヲシテ」をカタカナに直した原文が主流とされる)
・文体:五七調の長歌体(「五字、七字、五字、七字…」のリズムで記される)
・章数:全64文+序文、(序文から9文までと、散逸文のみが発見されている)
・文字:ヲシテ(現在は「ヲシテ」をカタカナに直した原文が主流とされる)
・文体:五七調の長歌体(「五字、七字、五字、七字…」のリズムで記される)
・章数:全64文+序文、(序文から9文までと、散逸文のみが発見されている)
文献の編者・経緯など
ミカサフミ
・編者:オオカシマ
・発端:アツタ神(ヤマトタケ)の遺言による事業であったとされる
・背景:景行天皇が東国を巡幸している際に編纂する
・発見:最古の写本は溥泉の伝本『神嶺山伝記歳中行事紋(ミカサフミ・トシウチニナスコトノアヤ)』(1764年以前)
・備考:全文の発見には至っていないとされる
・編者:オオカシマ
・発端:アツタ神(ヤマトタケ)の遺言による事業であったとされる
・背景:景行天皇が東国を巡幸している際に編纂する
・発見:最古の写本は溥泉の伝本『神嶺山伝記歳中行事紋(ミカサフミ・トシウチニナスコトノアヤ)』(1764年以前)
・備考:全文の発見には至っていないとされる
原書について
ヲシテ文献については、下記の文献もしくはサイトが参考になると思われます。
書籍
・『和仁估安聡本 ホツマツタヱ 秀真政傳記(和仁估安聰=写)』:新人物往来社(1993)
・『覆刻版 ホツマツタヘ(小笠原長弘=写)』:ホツマ・ツタヘ研究会(1971)
・『記紀原書ヲシテ(上・下)』:展望社(2004)
※上記のいくつかは国立国会図書館に所蔵されている模様です
サイト
・ほつまつたゑ 解読ガイド:『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』『フトマニ』を、カタカナや漢字 読み下し文で掲載(解説付き)
・久遠の絆:『記紀』『風土記』『旧事紀』を始め、『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』の原文を掲載(ヲシテ・漢文で表記)
※当サイトが扱う訳文・原文に関しては「ほつまつたゑ 解読ガイド」を参考にしています
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