『ホツマツタヱ』に見る 御穂神社(三保大明神) [静岡県]
御穂神社(みほじんじゃ)とは、静岡県静岡市清水区三保にある神社であり、駿河国三宮となっています。
境内は世界遺産に登録された景勝地の「三保の松原」に繋がっており、間を繋ぐ参道は「神の道」と名付けられています。
概要
由緒
由緒書によれば、創建年代は不詳とされるものの、千古の昔より三保の中心に鎮座していたとされる。
また、「平成祭データ」には「大国主之命(オオクニヌシ)は須佐之男之命(スサノオ)の御子であり、豊葦原瑞穂国を治めていた。天孫瓊々杵尊(ニニギ)が天降ると国土を快く譲ったため、天照大神は大国主命が二心が無いことを認め、高皇産霊尊(タカムスビ)の御子の中で一番美しい三穂津姫命(ミホツヒメ)を大后に定めた。そこで大国主命は三穂津彦命(ミホツヒコ)と改名し、二神は揃って羽車に乗って三保の浦に降臨し、我が国土の隆昌と皇室の繁栄とを守るため三保の神奈昆(かむなび)に鎮座した」とある
その他、『駿河雑志』には「日本武尊(ヤマトタケル)が勅命により社領を寄進した」とあり、他に「出雲国の御穂埼(島根県松江市美保関町)から遷座した神である」という伝承もあるとされる。
このように創建には諸説あるものの、古くから三保の中心に鎮座する神社として知られ、「三保大明神」と称されて、国土開発の神、海の神と崇められていたとされている。
なお、天から天女が舞い降りた「羽衣伝説」ゆかりの社としても有名であり、平安期には延喜式内社(『延喜式神名帳』に列せられる神社)となり、中世以降は武士の篤い崇敬を集めたとも云われている。
また、神社ゆかりの祭礼である筒粥神事(つつがゆしんじ)では、海岸において神迎えの儀式が行われ、その際に神の依りついた神籬が松並木を通って境内にもたらされることから、御穂神社の祭祀は海の彼方の「常世国」から神を迎える常世信仰にあると考えられている。
祭神
【主祭神】
・三穗津彦命(ミホツヒコ):大己貴命(オオナムチ)の別名とされる
→ 建御名方命(タケミナカタ)・三保須々美命(ミホススミ)であるという説もある
・三穗津姫命(ミホツヒメ):高皇産霊尊(タカムスビ)の御子で大国主の妻となったとされる
・三穗津彦命(ミホツヒコ):大己貴命(オオナムチ)の別名とされる
→ 建御名方命(タケミナカタ)・三保須々美命(ミホススミ)であるという説もある
・三穗津姫命(ミホツヒメ):高皇産霊尊(タカムスビ)の御子で大国主の妻となったとされる
境内社
【境内社】
・子安神社:須佐之男命(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)を祀る
・末社五社
・磯前神社:少彦名神(スクナヒコナ)を祀る
・呉服之神社:長白羽命を祀る
・産霊神社:高皇産霊命(タカミムスヒ)、神皇産霊命(カミムスヒ)を祀る
・胡夫大夫神社:事代主命(コトシロヌシ)を祀る
・稲荷神社:宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、大宮姫神(オオミヤヒメ)、太田命(オオタ)を祀る
・末社三社
・八幡神社:応神天皇(八幡神)を祀る
・八雲神社:須佐之男命(スサノオ)を祀る
・神明社:天照大神(アマテラス)を祀る
【境外社】
・羽車神社:穂津彦命(大国主命)、三穂津姫命(ミホツヒメ)を祀る
・子安神社:須佐之男命(スサノオ)、稲田姫命(イナダヒメ)を祀る
・末社五社
・磯前神社:少彦名神(スクナヒコナ)を祀る
・呉服之神社:長白羽命を祀る
・産霊神社:高皇産霊命(タカミムスヒ)、神皇産霊命(カミムスヒ)を祀る
・胡夫大夫神社:事代主命(コトシロヌシ)を祀る
・稲荷神社:宇迦之御魂神(ウカノミタマ)、大宮姫神(オオミヤヒメ)、太田命(オオタ)を祀る
・末社三社
・八幡神社:応神天皇(八幡神)を祀る
・八雲神社:須佐之男命(スサノオ)を祀る
・神明社:天照大神(アマテラス)を祀る
【境外社】
・羽車神社:穂津彦命(大国主命)、三穂津姫命(ミホツヒメ)を祀る
関連リンク
・御穂神社(ウィキペディア)
・御穂神社(人文研究見聞録)
・御穂神社(玄松子の記憶)
・ミホジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)
ヲシテ文献の記述
当社由緒との対応箇所
・カシマタチ(国譲り)の際、オホナムチの子のクシヒコ(コトシロヌシ)は父に出雲を譲るよう進言した
・オホナムチは出雲を譲ると、オシホミミよりツカルアソベのアカルミヤを賜り、一族を引き連れて津軽に遷った
・その後、タカミムスヒはクシヒコに「娘のミホツヒメを娶って80万のカミを司り、テルヒコを守護せよ」と命じられた
・クシヒコはタカミムスヒに従ってミホツヒメと結婚し、ヨロギの地を賜った
・そして、二人は間にミホヒコという子を儲けた
・後にミホヒコは妻との間に計36人の子を儲けて見事に養育したことから、コモリカミのヲシテ(璽)を賜った
クシヒコについて
・オホナムチとタケコ(オキツシマヒメ)の第一子であり、アマテルの孫に当たる
・オホナムチのコトシロヌシ(代行役)として天に仕え、オオモノヌシの業務を代わって務める
・カシマタチの際は、父のオホナムチに天に従うよう進言する文書を送った
・カシマタチの後にタカミムスヒに娘のミホツヒメを娶ってオオモノヌシになるよう命じられる
・ミホツヒメと結婚してヨロギの地を賜った後に医学・薬学の道を開き、子のミホヒコを儲ける
・テルヒコ(クシタマホノアカリ)が大和を治めることになると、これに同行する
・テルヒコがイカルガ宮に座した際、すぐにアスカへの遷宮の詔を発するが、これに異議を唱えて落ちる
・その後、ニニキネに仕えて種々の功績を挙げたことから、ヲコヌシ(大国主)となる
・晩年にはアマテルから二尊のアマノサカホコを譲り受け、それを抱いて三諸山の洞に入る
・死後はヤマトノカミ、ヤマトオオクニタマとして祀られる
ヲシテ文献の対応箇所
・ホツマツタヱ10文 カシマ立ち 釣鯛の文:クシヒコとミホツヒメの結婚【10】
・ホツマツタヱ10文 カシマ立ち 釣鯛の文:コモリカミ【11】
備考
当社の特徴
・天から天女が舞い降りた「羽衣伝説」ゆかりの社として有名
・海岸において神迎えの儀式が行われる「筒粥神事(つつがゆしんじ)」がある
ホツマにおける仮説
・当社の由緒と『ホツマツタヱ』にある記述が悉く一致する
・当社祭神はクシヒコとミホツヒメの夫婦であると思われる
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