【意訳版現代語訳】地の巻 ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文
ホツマツタヱ28文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ28文のあらすじ
天の真榊の寿命と暦の限界、アマテル以後の統治略史、アマテルの崩御、真榊の捜索、新暦アススの成立、宗像三女神の最期、九頭の大蛇、コヤネの薨去、ナガスネヒコの謀反の疑惑、そしてホツマツタヱそのものの成立示唆までが記された文(あや)です。
1. 真榊の寿命と植え継ぎ未遂の発覚
天君交代の折、天の真榊が五百継ぎに達して寿命を迎え、植え継ぎが未遂となる。クシミカタマとアメフタヱがイサワ宮を訪れ、カスガ(コヤネ)から真榊の由来・寿命・暦の理を聞き、長大な暦体系が限界に達したことが明らかになる。
2. 真榊の成長法則と暦体系の成立
真榊が一年に半寸伸び、六十年で三尺のアヱ(成長の限界に達した枝)となる仕組み、干支と暦の成立、クニトコタチによる初植え、タカミムスビ系統による植え継ぎの歴史が語られる。
3. アマテルからウガヤまでの継承史
タマキネ(トヨケ)の祈りによるアマテル誕生、ヒタカミでの学び、ヤスクニ宮の造営、十二后制度、アマテルの治世とイセノミチの教化が整理される。さらにオシホミミ、クシタマホノアカリ、ニニキネ、ヒコホオテミ、ウガヤへ続く統治史、十種神宝、国名改称、三種神宝の下賜などが体系的に語られる。
4. アマテルの崩御
アマテルが自らの最期を悟り、裳裾の由来と教えを語り、歌を遺して天に還る。内宮・外宮への神格化と、アマテルの治世の締めくくりが描かれる。
5. 真榊の捜索と継承者の議論
真榊が尽きたため、カスガとクシミカタマらが国々を巡って新たな苗を探すが見つからない。誰が植え継ぐべきかが問題となり、タナコ(イチキシマヒメ)が「日の嗣こそ正統」と述べ、タケヒト(カンヤマトイワレヒコ)を指名する。
6. アスス暦の成立と新時代の開始
真榊の寿命延長は上の命によるものとされ、カスガが新暦名を「アスス(上鈴)」と定める。アメフタヱが木版に刻んで奉り、鈴暦はアスス暦へと改名される。
7. 宗像三女神の最期と神化
タケコ(オキツシマヒメ)、タキコ(エツノシマヒメ)の最期が語られ、それぞれが神となる。宗像三女神の系譜がここで完結する。
8. 九頭の大蛇の告白と罪の連鎖
外ヶ浜に現れた九頭の大蛇(モチコ・ハヤコの転生)が、過去の嫉妬と罪の連鎖を語り、トガクシの助言によってタマノヲを鎮められる。八岐大蛇と九頭竜の正体が整理される。
9. カスガ(コヤネ)の薨去と裳裾の継承
カスガは裳裾をサルタに託し、鏡臣としての心得を子に伝えて神となる。カスガの死後、裳裾の由来が語られ、祭祀の継承が示される。
10. ナガスネヒコの謀反の疑惑
ナガスネヒコが代嗣文を盗み見た疑惑が語られ、後の神武東征につながる火種として描かれる。
11. ホツマツタヱ成立の示唆
クシミカタマの父・ツミハが神となる際、自ら記した文を社に納めたとされ、ホツマツタヱそのものの成立を示唆する記述で締めくくられる。
意訳文
天の真榊の理屈と由来
50鈴1000枝20年、天君が交代した。
この時、暦を告げる真榊の植え継ぎが未遂だったことから、モノヌシ(クシミカタマ)がイセに参詣して理由を問うことにした。すると、アメフタヱ(ムラクモ)も「これよりイセに伺うのか。お前が代殿(天君の代理)を承ることは喜ばしいことだ」と言って、共にイセに向かった。
二人がイサワ宮の大内宮に到着すると、カスガに会って真榊が植え継がれない原因を尋ねた。これにカスガ(コヤネ)は次のように答えた。
「この鈴(天の真榊)は天地を開いたクニトコタチの宮の真榊に始まる。アヱ(満ち至った枝)は千枝でサクスズ(六万年の天寿を全うした真榊)となる。鈴の植え継ぎが五百回に至れば『ミモハカリ(6万年の寿命の真榊を500回植継いだ時の年数=3000万年)』で伸展極まるゆえ、今こうして『五百継ぎの天の真榊(植え継ぎの限界を迎えて寿命を迎えた状態)』となったのだ。
真榊は一年に穂が半寸伸びる。すなわち、十年には五寸伸び、六十年を経れば三尺にまで伸びて干支が一巡する。そして、その翌年に三尺のアヱとなる。このような特性があるため、かつてヱ尊とト尊の二兄弟はキアヱ(甲子)より真榊の枝と穂とを数え、一枝で六十年、十枝で六百年、百枝で六千年、千枝で六万年と数えるようにし、アマモリ(ヱト守)の一巡を暦とするように定めたのだ。
この真榊は、千枝の年(999枝60穂)に種を植え、翌年に発芽する真榊をキノトコタチがハコクニ宮に植えたことに始まる。これにより国名も変わり、以降はヒタカミのタカミムスビが植え継いだ。この時は、キノトコタチが植えてから二十一鈴百枝後であったという。
その後、五代目タカミムスビのタマキネの娘・イサコが、タカヒトと結婚して七代目の尊となった。この二尊はヒタカミの西南の筑波山のイサ川の端にあるイサ宮に居り、名前もイサナミとイサナギへと変わった。二尊に嗣子が無かった時、タマキネが葛城山で祈るとアメミヲヤが日輪の神霊を分け下して、アマテル神を生んだのである」
アマテルの治世のこと
「アマテル神が誕生した年は、21鈴125枝31穂キシヱの初日(元旦)であった。この年の初日の出と共に生まれたので、斎名はワカヒトとなった。
産宮はハラミ(富士山周辺)のサカオリ宮である。ヘソの緒と胞衣はハラミ山の峰に納めて丁重に守護し、災いがある度に納める山岳を変えて防ぎ祓うと、和らいでタマノヲ(精神)も調った。これにより、オオヤマスミ(サクラウチ)が各地を巡り回ってヨメヂ(中山道)を進み、胞衣を北の峰に納めた。この胞衣が納められた岳は信濃のヱナガタケ(恵那山)である。
ワカヒトはヒタカミに到り、アメノミヤ(ヤマテ宮)にて道を学んだ。以来、三十年が経つとヤスクニ宮を造り、オオヒヤマト(富士山麓)にて政を執った。そして、二尊から帝位を譲り受けて『アマヒノミコト(天君の男尊)』となった。
御内には十二后の局を置き、スケ、ウチ、シモを四人ずつ添えた。ツキノミヤ(内宮)にはセオリツヒメを置き、天に収めてオオヤマト・ヒタカミ・ヤスの政を執った。すると、民も穏やかに治まって二十五万年の年月を経た」
オシホミミからクシタマホノアカリまで
カスガは続けた。
「アマツヒツキを御子のオシヒト(オシホミミ)が譲り受けると、首都をヒタカミに戻して治められた。西のヤスカワ(近江地方)はオモイカネが治め、ヲシカト(君の代理人)を分けてトツクニ(四国)はツキヨミが治めた。シラヤマカミ(ヤソキネ)は根国(北陸地方)を治め、スミヨロシ(カナサキ)はツキスミ(筑紫)を治めた。
アマテル神はコヱクニ(日本)のイサワ宮の大内宮に座して国政を執り、民に『イセノミチ(陽陰和合の道)』を教えた。その陽陰和合のヤマトの国を巡り、高めて繁栄させる神風(妹背の神の加勢)を羨み拗けて成る化物が現れた。それは自らを褒める『ハタレ君』であり、70万9,000を群れ集めて地を乱した。
このハタレどもに、スミヨロシ(カナサキ)、カトリ(フツヌシ)、カシマ(タケミカツチ)、イフキヌシ、カダ、タチカラヲ、クスヒらが応戦し、皆アマテル神より器(まじない)を得て、これを討ち払った。このため、蜂起したムハタレはすべて投降した。臣らに与えた器こそ皇尊の詔(まじない)である。
御子のオシヒトが30万余年を統治すると、アマテルはオシヒトの御子のテルヒコ(クシタマホノアカリ)にトクサタカラ(十種神宝)を与えた。テルヒコは十種神宝を持って駆け巡り、ソラミツヤマト(大和地方)に到ってアスカ宮を築いた」
ニニキネの御代
カスガは続けた。
「テルヒコの弟のキヨヒト(ニニキネ)はニハリ宮に座し、新田を開拓して民を治めた。
18万年経た頃に成果を得て、水際を分けるニハリフリ(ニハリの風習)を成し遂げた。この功績により、アマテル神より三種の神宝を賜ると、君と臣は心一つに統一し、国の名も『シワカミホツマ』と改称した。これに伴い、天君(ニニキネ)の名も『ワケイカツチノアマキミ』と呼ばれ、60万年治めてヲヲンメクミ(アマテル神の大々なる恵み)をもたらした。
これより以前のこと、ニニキネが三人の子を生む時に信濃より四科県の主(スワカミ)がやって来た。ニニキネは、アマテルの例に倣って胞衣を峰に埋めるよう次のように詔した。
『ハニシナ(埴科)の主はヱナガタケ(恵那山)へ行け。ハヱシナ(波閇科)、サラシナ(更科)、ツマシナ(妻科)の主は、三胞衣をそれぞれの峰に納めて守るべし』」
ホオテミからウガヤまで
カスガは続けた。
「ニニキネの生んだ三兄弟の末御子のウツキネ(ヒコホオテミ)は、筑紫に到って田を肥やした。また、親より受け継いだ民を愛でて18万年治めると、ヒツキ(帝位)を譲り受け、アマテルより『ミヲヤニツカフアマキミ』の名を賜った。ウツキネは、それから60万年 民を治めて『ケヰノカミ』となった。
ウツキネの御子のカモヒト(ウガヤ)はヒツキ(帝位)を受けると、ミツホ宮からタガ宮に遷宮して民を治めた。ウガヤは、治める民を我が子のように恵んだことから、和に応えたとしてアマテルより『ミヲヤアマキミ』の名を賜った。ウガヤはワカミヤ(皇子)の時に40万年 政を執り、ヨノマツリ(大嘗事)を執った後に35万年間 民を豊かに治めた」
アマテルの最期
カスガは続けた。
「時に、イサワ(伊雑宮)に座すアマツカミ(アマテル)と十二后も神となる時が来た。内宮のセオリツヒメは、イサワから宮を遷そうとされ、ミモカワ(モトアケ図における中心の区画)にアノホルチ(最期の地)を得た。そして『サコクシロウチの宮(伊勢内宮)』に居て二万年を過ごした。
時にアマテル神は、宮に自生した50鈴の真榊を見て『思えば、植えずして生えるのもアメ(陽陰)、我が命もアメ(陽陰)が知らす』と述べた。そして、ヤモカミ(八百守)を召して『私は世を離れ、隠れることにする』と詔し、サルタに穴を掘らせた。また、墓所については『マナヰに契るアサヒ宮(トヨケの墓所)と同じ場所とせよ』と詔した。
アマテルの詔に驚いた諸守は驚いて、アマテルに留まるようにせがんだ。しかし、アマテルは『それはできぬ、私は民のためにハホ菜を食して173万2,500年もの長寿を得た。今は天上に還ることに楽しみを覚えている』と述べ、『世に遺す歌』と『還し宣歌』を歌い始めた」
【世に遺す歌】
『常に付くサヲシカヤタ(天元の八神の差使)に告ぐ。我が冠・衣・裳の末端を持たせて民に届けよ。これを以って"アメ(陽陰)を束ねて日月を為した裳裾を汲め(普段顧みないことに気を配れ)"。私は君・民の教えを遺して天に還ろう。
自分の霊魂を卑下してはならない。なぜなら、人はことごとく霊長のものであり、頂(いただき)にあるものだからだ。私を冠とするならば、人草(民)の神霊は耳に近き冠の緒に当たる。ムネ(本質)は清く、身には垢が付く。
差使(モトモリ)がその行いを見て天界に告げれば"サヲシカノヤツノキコエ(天元の差使からの告げ)"として現れる。その異常が正されることを願って裳裾の民を撫でれば、差使の清き尊さに神は応えるであろう』
【還し宣歌】
『人は常に神に向かうもの。すなわち、自らの神性に向き合うものである。そのため、世の各々の垢は"アモトノサヲシカ(天元の差使)"によって清められる。すなわち、自らの神性により、自ら穢れを清めるものなのだ。これはサコクシロのフユノカカミに入ると思えばよい(宇宙から自分を見つめていると思えばよい)』
アマテル最期の詔
カスガは続けた。
「この後、アマテルはサルタを召して次のように詔した。
『サルタよ、汝には昔、"サカホコギ(酒寿器)"、"ウツクシキスズ(美しき鈴)"、"ワイキタチ(地生き太刀)"を授けた。カカンノンテン(発生・成長・熟成)の時を待ち、それらを以って日月の道を表すべし』
また、アマテルはセオリツヒメを召して次のように詔した。
『セオリツヒメよ、ヒロタ(廣田)に行ってワカヒメ(ヒルコ)と共にヰココロ(女心)を守るべし。私はトヨケと共に背を守る、これがイセノミチ(陽陰和合の道)である』
また、アマテルは私(カスガ)を召して次のように詔した。
『コヤネよ、汝が良く知っているであろう。タケコの子にクシヒコが生まれ、クシヒコの心が真直ぐであったことから"天の逆矛"を授けた。クシヒコは、この先の世を鑑みてミモロ(三輪山)に入り、その時が来るのを待っている。これは和の道が衰退した時、また出てきて道を再興するためであるのだ。
ゆえに汝もまた鏡臣として軽い立場では無い。神(日月)を都に留めよ、されば私も都を守護しよう。この"ミヨノミハバコ(祭礼の衣装箱)"と"ミヲシテ(神のヲシテ)"を受け取るがよい。カスガよ、汝はこの遺物をタガ(多賀)に持って行き、天君(ウガヤ)に捧げるのだ』
この後、私(カスガ)は君(ウガヤ)にアマテルの遺物を奉った。それは『カミノヲシテ(神のヲシテ)』『サヲシカヤタノカンムリ(差使八手の冠)』『ココチリの衣装(菊を散らした紋があしらわれた祭礼用の衣装)』であった」
マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神
カスガは続けた。
「神逝の神輿はマナヰに向かい、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られた。ゆえに私(カスガ)は神を祀った後に鏡臣の勤めを降り、ミカサ社(御笠社)にてタマカエシ(乱れたタマノヲを解き、迷える魂魄を天地の宮に返す儀式)に勤めた。これにより地が治まって、民の枯れも無くなった。
それからは『マツリノアヤ(日月の神霊を祀る文)』を三つ作り、そのうちの一つを持ちながら『ヒヨミ(暦の製作)』を為した。これをアメフタヱに授け、『ミモスソのサコクシロウチ(サコクシロの内宮)』を『アマテルカミノウチツミヤ(アマテル神の内つ宮)』と改称した。
アマテル神の内つ宮では、八百守が侍る中でヒモロケ(神饌)を捧げて天に応えた。イセノミチを受けた神臣(神官)に仕える守らが侍るゆえ、ウチハヘトコロ(守らが侍る場所)でカスガ尊として『フトノトコト(祝詞)』を司った」
真榊の捜索
カスガは続けた。
「こうして六万年を経て、五十一本目の真榊がサクスズとなったため、去年(51鈴19穂)に遂に真榊の植え継ぎが尽きてしまった。昔 アマテル神の詔により、私(カスガ)が二十六本目の鈴(天の真榊)を植えた。また、後の二十五本も詔を受けて順次 植え継いできた。しかし、宮の前に君が居なくなってしまった以上、これからどうすべきであろうか?」
そこで、フタヱが次のように言った。
「カスガ殿がミカサ社での神祭を離れても、今 イセに仕える守がそれを補うでしょう」
すると、カスガは「確かに理に適っている」と言い、自ら自生する真榊を探しに国々を巡ることにした。これに続き、モノヌシ(クシミカタマ)もモノノベらに告げ、カスガ尊を先導させた。
諸守は祝の門出をして国々を巡り、真榊の捜索は 二方、三方、十方 とかつて無いほどの規模で行われた。イヨ(伊予)に到った際、コトシロヌシ(ツミハ)が館に迎え入れ「鈴の苗はありましたか?」と尋ねると、カスガは「手を尽くしたが見つからない」と答えた。
その時、クシミカタマが「真榊が見つかった時には、翁(カスガ)が植え継いでください」と言うと、カスガは「私は臣であるゆえ、君の御業と定められた天の真榊に手を出すことはできない。私に出来るのは宣言を宣すことのみである」と答えた。
そこで、クシミカタマが「あなたは統治の基礎を棄てる気ですか?」と問うと、カスガは畏れて「そうではない。植え継ぐ者の正統性が変わることを恐れているのだ」と答えたので、クシミカタマは「では、イフキカミ(ツキヨミの子)に頼むのはどうでしょう?」と言った。
その時、イフキカミの妻のタナコ(イチキシマヒメ)が居り、それに応えて次のように述べた。
「昔、二尊は日の神(アマテル)を君とし、その次に月(ツキヨミ)、その次に臣という序列をつけました。よって月の子(イフキカミ)は臣であり、君とはしなかったということです。日の神の嗣(帝位)を得て植えるべきは、君を受け継ぐ若きタケヒト(カンヤマトイワレヒコ)でしょう。
そのように思って植え継ぎを続けておかねば『アメノムシハミ(陽陰の不調和)』となります。また、そうしておかなければアメノムシハミが晴れる時が来た時には、もう苗が生えてこないのかもしれません」
そこで、ツミハが「最後の真榊がサクスズとなったのに、二十年の間 伸び続けたのはなぜですか?」と尋ねると、カスガは「既に(法則が)失われてしまったのだ。これも『イセノミチ(基本法則の内)』なのであろう」と答えた。
※この時、アマテルもウガヤも神上がっているため、オモタル朝の末期と同様に天君不在の状態となっている
アスス暦の開始
その時、フタヱが「ところで新たな暦名は如何しますか?」と尋ねると、タナコ(イチキシマヒメ)に父神(アマテル)の神霊に懸かって次のように答えた。
「真榊の齢二十年の延長も、この木のアノイノチ(上の命令)である。カスガも齢が長いのだから、そなたが名付けるべし」
これにカスガはやや笑んで「暦名は『アスス(上鈴)』としましょう」と言った。それにタナコや諸守も共に納得し、新たな暦の名は『アスス(上鈴)』に決まった。
二十一穂のキナヱの春、アメフタヱによって鈴暦は『アススコヨミ(上鈴暦)』と改名され、アヅサ(梓の木版)に彫られて奉られた。上鈴暦を諸共に受けて、この世の業をカンカミル(明暗を見る)のが暦(ヒヨミ)である。
タナコ(イチキシマヒメ)の最期
タナコ(イチキシマヒメ)がイフキト宮に生む御子は、兄にイヨツヒコ、次にトサツヒコ、末にウサツヒコである。タナコは御子を伴って筑紫のウサ(宇佐)に住んだ。
タナコはウサにて神となり、イツクシマミヤ(厳島神社)の「イトウカミ」という善きを知る名を与えられた。この名の由縁は、タナコが母のオロチ(愚霊)なる恥に自ら流離って「イトウ(愛ふ・慈ふ)」を知ったためであった。
九頭の大蛇
オホナムチは、アマテルとハヤコとの間に生まれた三姫のうち、一姫であるタケコ(オキツシマヒメ)を娶り、その間に生まれた子のシマツウシが三姫を祀った。しかし、外ヶ浜にはイトウヤスカタカミ(慈愛の安方神)の御供を荒らすウトウ(大蛇)がいた。
それはコカシラノオロチ(九頭の大蛇)であり、これが現れるとシマツウシが斬りつけた。これによって九頭の蛇は逃げ出し、越の洞穴を掘り抜いて信濃に出たという。このことは後にイセに告げられ、その時にイセにいたトガクシは直ちに信濃に帰っていった。
信濃で九頭の大蛇と対峙したトガクシは「汝は恐れているようだな。これは一体どういうことだ?」と尋ねると、九頭の大蛇は次のように答えた。
「昔、我はフタオロチ(モチコ・ハヤコ)であった。姫に生まれて君(アマテル)に召されれば、モチコは御子を生みスケ后に、ハヤコは姫を生んで内局となった。そのうち、セオリツヒメが御后(内宮)になった時、モチコは妬んでセオリツヒメを殺そうと考えた。
また、ハヤコは君から離れて弟君(ソサノヲ)に媚びると、それが明るみになって二姫共々に流離うことになった。それから、アカツチの娘のハヤスフヒメが弟君に見染められれば、ハヤオロチが噛み殺した。
また、弟君がアカツチの弟のアシナツチの娘を乞うと、アシナツチの娘を七姫までは噛み食らった。その時、ソサノヲがハヤオロチを斬り、その身はヤスカタ(遺品)として祀られた。
この先、またオオヤマズミ(マウラ)の娘のイワナガとして生まれ、妹のアシツヒメを妬んだ。まるでツミノトリ(罪の連鎖)である。それからも、モチオロチ(九頭の大蛇)はセオリツヒメを噛もう噛もうとして、遂に150万年もヱゾシラタツノタケ(蝦夷白龍の嶽)で待っていたのだ。
だが、セオリツヒメは今は神となっているので虚しい限りである」
話を聞いたトカクシは、このように助言した。
「汝は今からヒミノホノホ(日三の炎)を絶つべし。そして、私が供える供物を食べて低く畏まり、サカミ(清き神霊)を守るのだ。そうすれば、罪も消えて再び人に生まれ変わるであろう」
こうして九頭の大蛇の拗けたタマノヲを斬ったのがハコザキ山(戸隠山)である。
※八岐大蛇がハヤオロチ(ハヤコ)で、九頭竜がモチオロチ(モチコ)であるとされる
タケコ(オキツシマヒメ)の最期
これ以前、健康に生まれたタケコ姫(オキツシマヒメ)は、タガ宮で神になった。タガを詣でたモノヌシ(クシミカタマ)により、遺骸はススキ島(琵琶湖の沖島)に葬られ、タケコは「タケフカミ」となった。
昔、タケコが流離って琴を弾いていた時に、霰がススキを打つ音が奇妙に響いたので、この音を模した琴を作った。名もイスキウチといい、身を納める場所の名もイスキという。
タキコ(エツノシマヒメ)の最期
タキコ姫(エツノシマヒメ)はカグヤマツミの妻となり、カゴヤマ(タクリ)を生んだ。
そして、サカム(相模)にて「ヱノシマカミ」となった。
コヤネの最期
上鈴33年、カスガ(コヤネ)の齢は156万25歳となっていた。
そこでカスガは、フタヱに次のように申し付けた。
「我が齢が極まる故、カンオチ(神教人)を汝に授けることにする」
そして、勤めを果たしにミカサ社へ帰ってタラ(父母)を祀った。
その際、カスガは子のオシクモに次のように告げた。
「オシクモよ、しかと聞くがよい。昔、君に仕えて御鏡を賜ったゆえ、我らは左の臣である。我が子らは荒猛を和して勤めよ。例えるなら、春は潤出葉、夏は青く、強い紅葉となり、冬に葉が落ちる。例え落ちても恨んではならない。陰の忠を為せば、やがて芽も出るからである。
これゆえ、私がアスカの臣を外れた時、忠を忘れずにいたことで御孫(ニニキネ)に召されたのである。それから再び忠を尽くせば、遂に御孫の左臣(鏡臣)となることが出来たのだ。また、共にアスカの臣を外れたモノヌシ(クシヒコ)は右臣(剣臣)となった。
ゆえに陰の忠を尽くした若芽は、秋の紅葉の如く強き弓剣の主へと実るのだ。このように振る舞うがよい」
カスガは語り終えると、オシクモに酒を勧めた。オシクモが返杯をしようとすると、カスガは「否、子からは授からぬ」と断り、「鏡の臣を敬うのがノコルノリ(遺言)であるぞ」と告げて神となった。
2月11日、オシクモはヨソヤ(四十八夜)を経て喪に入り、ヤマシロ(山背)のオシホ(小塩山)に東向きに納めた。また、母のヒメカミが罷る時、父はヤマシロに埋めたため、イキス宮(鹿島神宮)の西向きに納めた。
カスガの夫婦が神となった時、諸民は慕って喪に入る様子は、まるで皇の喪の様であった。
なお、カスガが罷る頃に、サルタはミソキニアワ(身を水で濯いでいる時に泡が多いこと)に胸騒ぎを覚え、フトマニを見ようとヰムノミ(身を直し清めること)をした。そして、結果を見ると次のように出た。
『鏡老なる名が一人 憂い有とて これを祀り 受けぬ憂い』
このような結果に驚き、ウヂ(宇治山田)からミカサ山(御蓋山)まで急いで向かい、カスガ殿(ミカサ社)に到った。この時、仮納めの喪中であったため、共に喪に入って神輿を成した。
この翌日、カスガをヒラオカ(枚岡)に送ることになり、この役目をサルタが請うと許された。その時、サルタが神輿を開くとカスガの声が聞こえ、次のように告げられた。
「我が常に請うたタマカエシには、オヰヱ(汚穢隈を癒す者)とフタヱ(日月を見る者)に与えたヒフミ(霊文)がある。神となった今、私が生前持っていたものを授け忘れてしまった…」
そのカスガの声は悔やんでいる様子だった。すると、その時にカスガの遺骸は眼を開き、次のように述べた。
「汝(サルタ)よ、よく忘れずにやって来たな。これが『ミモスソ(裳裾)』である、これが渡し損ねたものだ」
と、サルタに「裳裾」を渡した。そこでサルタが問おうとすると、カスガは既に眼を閉じて答えることは無かった。
サルタヒコと裳裾
カスガのミユキコト(葬儀)が終わった後、サルタはミモスソ(裳裾)について問うた。
すると、カスガの声が聞こえ、次のように告げた。
「昔、ハタレを破ろうとアマテル神が禊をした時、裳裾が岩に掛かってしまった。それを引くと、勢いよく滝に落ち下ってしまったので、天地に祈ると裳裾の屑が流れていき、蛇が足を噛んできた。そのため、その蛇を追い詰めてその場の蕨(わらび)で括って棄てた。また、破れた裳裾はススクス(葛の蔓の末端)を用いて直した。この後に、この出来事がシムミチを破る『ウツワ(武器・手段)』となった。水禊して器を得ると、ムハタレを破って民を治めることができた。これも皆、裳裾から始まった流れである」
なお、このような出来事がサルタにもあった。
以前、サルタはアサカ(三重の阿坂)で漁をしている時、ヒラコ(クラゲ)に噛まれて溺れてしまった。そこで君はウスメを召して、サルタを粟の粒を敷いた台に引き上げて、藁の上に寝かせた。そして肺臓を温めて回復させたという。
ナガスネヒコの疑惑
これ以前のこと、御祖皇(ウガヤ)に御子が無かったとき、オシクモが祈ってヨツギフミ(代嗣文)を成した。カクヤマ(アスカ政府)のナガスネヒコは、これに倣ってオシクモに代嗣文を乞うたが、授けられなかった。
ウガヤが罷った後、アマノタネコはこの文をミカサ社に納めて、タケヒト(イワレヒコ)と共に筑紫に到った。この間にナガスネヒコがミカサ社の蔵を開けて、代嗣文を写し盗った。
その様子を蔵人が見つけて告げると、タネコは驚いて君(タケヒト)に報告した。そこで君がアスカに差使を派遣すると、御子(ニギハヤヒ)は「蔵人が言うようなことは、私は知りません」と返答した。
タタライスズヒメの誕生
これでナガスネヒコの疑惑は有耶無耶となり、コトシロヌシ(ツミハ)はイヨに留まった。その時、ツミハの妻のタマクシヒメはイセに参詣し、イセでサルタヒコが神を奉斎すると、タマクシヒメの身に霊験が宿って、そこで姫を出産した。
この姫をサルタの妻のウスメに取り上げさせ、ツミハの元に送り届けると、ツミハは笑んで喜んだ。そこで、サルタは生まれた子の名を「タタライスズヒメ」と名付けた。
荒ぶるナガスネに制裁する
ナガスネが自らを立てて振る舞うと、その市(地域)が騒がしくなった。ゆえにハラミの御子(ホノアカリ)に告げて、アスカに向かうホツマ・ヒタカミのカテフネ(食糧船)を止め、代わりにタガ宮(ヰツセ)、ツクシ宮(ミヤサキ)に向かわせた。
クシミカタマがタガの代殿となる
オオモノヌシ(クシミカタマ)はタガ宮のカフノトノ(代殿)となり、根国(北陸地方)を治めた。また、オオタをヒウカカントノ(タケヒト)の副モノヌシとした。また、クシミカタマはオオタの娘のミラヒメを娶って子を儲けた。その子は、斎名をタタヒコ、幼名をアタツクシネと言う。
ツミハの最期
その後、クシミカタマの父のツミハは遂に神となった。この年は上鈴50年10月であり、ツミハの齢は84万3048歳であった。また、この時のクシミカタマは108歳、妹のタタライスズヒメは15歳であった。
共に喪に入り四十八夜の後、アワ(阿波)の県に納めた後に自ら記した「この文(ホツマツタヱ)」を社(金刀比羅宮)に置いた。この理由は、後世のためであろう。
注釈
登場人物
・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。八代君主の男尊。創造神アメミヲヤの顕現
・セオリツヒメ:祓戸四神の瀬織津姫に比定。サクラウチの娘。アマテルの内宮
・カスガ(コヤネ):『記紀』の天児屋命に比定。カスガカミ。ニニキネ~ウガヤの左臣
・クシミカタマ:大神神社祭神の倭大物主櫛甕魂命に比定。ツミハの子。五代目オオモノヌシ
・アメフタヱ(ムラクモ):『旧事紀』の天村雲命に比定。カンミムスビの曾孫。ヒヨミを継ぐ
・タカミムスビ:『記紀』の高御産巣日神に比定。『ヒタカミ国を統べる者』という役職名を指す
・キノトコタチ:初代タカミムスビ。真榊を植え始めたとされる
・トヨケ:神社祭神の豊受大神に比定。アマテルの祖父。五代目タカミムスビ
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。七代君主の男尊。アマテルの父
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。七代君主の女尊。アマテルの母
・オシホミミ:『記紀』の天忍穂耳尊に比定。九代君主の男尊。アマテルの日嗣の御子
・オモイカネ:『記紀』の思兼神に比定。知恵の神でありヒルコの夫。ヒヨミの始祖
・ワカヒメ(ヒルコ):『記紀』の蛭子神・稚日女尊に比定。オモイカネの妻
・スミヨロシ(カナサキ):神社祭神の住吉神に比定。アマテル時代の重臣
・カトリ(フツヌシ):『記紀』の経津主神に比定。アマノコヤネの叔父。カトリカミ
・カシマ(タケミカツチ):『記紀』の建御雷神に比定。カシマカミ
・イフキヌシ:祓戸四神の気吹戸主に比定。ツキヨミの子
・カダ:『日本書紀』の保食神に比定。ウケモチの子孫で八代目
・タチカラヲ:『記紀』の天手力雄神に比定。ヒルコとオモイカネの子
・クスヒ(クマノクスヒ):『記紀』の熊野久須毘命に比定。アマテルの御子
・テルヒコ(クシタマホノアカリ):『記紀』の天火明命に比定。オシホミミの長男。アマテルの孫
・キヨヒト(ニニキネ):『記紀』の瓊瓊杵尊に比定。オシホミミの二男。アマテルの孫
・ウツキネ(ヒコホオテミ):『日本書紀』の彦火火出見尊に比定。ニニキネの三男で日嗣の御子
・カモヒト(ウガヤ):『記紀』の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊に比定。ホオテミの御子で日嗣の御子
・サルタ:『記紀』の猿田彦命に比定。チマタカミ。ニニキネを先導した。サルベの祖
・ウスメ:『記紀』の天鈿女命に比定。ホツマでは固有名詞ではなく、舞姫としての職能名で複数存在
・ツミハ:神社祭神の積羽八重事代主命に比定。コモリの次男。阿波のコトシロヌシ
・タケコ(オキツシマ姫):『記紀』の田心姫神に比定。アマテルとハヤコの長女。オホナムチの妻
・タキコ(エツノシマ姫):『記紀』の湍津姫命に比定。アマテルとハヤコの二女。カグヤマツミの妻
・タナコ(イチキシマ姫):『記紀』の市杵嶋姫命に比定。アマテルとハヤコの三女。イフキヌシの妻
・シマツウシ:オホナムチの子。宗像三女神を守り、九頭の大蛇を斬る
・モチコ:祓戸四神の速佐須良比売神に比定。アマテルの元后。イワナガや九頭の大蛇に転生した
・ハヤコ:祓戸四神の速佐須良比売神に比定。アマテルの元后。ヤマタノオロチとなった
・コカシラノオロチ:九頭竜に比定。モチコの化身
・ソサノヲ:『記紀』の素戔嗚尊に比定。アマテルの弟
・アカツチ:『日本書紀』の赤土命に比定。ホツマではハヤスフヒメの父。アシナツチの兄
・アシナツチ:『記紀』の脚摩乳に比定。イナタヒメの父。サタの宮の長
・オオヤマズミ(マウラ):『古事記』の天津麻羅に比定。オオヤマスミ(大山祇神)は官職名
・イワナガ:『記紀』の磐長姫に比定。マウラの娘。アシツヒメの姉。モチコの転生とされる
・アシツヒメ:『日本書紀』の神吾田鹿葦津姫に比定。ニニキネの内宮。別名コノハナサクヤヒメ
・トカクシ:不明。九頭の大蛇のタマカエシをした
・オシクモ:神社祭神の天押雲根命に比定。コヤネの長男。アメタネコの父
・ホノアカリ:『日本書紀』の火明命に比定。ニニキネとアシツ姫の長男。斎名はムメヒト
・タケヒト(イワレヒコ):『記紀』の神日本磐余彦に比定。ウガヤとタマヨリヒメの日嗣の御子
・ニギハヤヒ:『記紀』の饒速日命に比定。ホノアカリの長男。テルヒコの後任となる
・ナガスネヒコ:『記紀』の長髄彦に比定。フトダマの孫。ニギハヤヒの重臣
・オオタ:神社祭神の太田命に比定。コモリの十二男。クシミカタマの妻ミラ姫の父
・アタツクシネ:『旧事紀』の天日方奇日方命に比定。クシミカタマの子
関連社
・皇大神宮別宮 伊雜宮:ホツマにおける「イサワ宮」に比定
・創建年:不明
・主祭神:天照大神
・所在地:三重県志摩市磯部町上之郷374
・恵那神社:ホツマにおけるアマテルの生誕地に比定
・創建年:不明
・主祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神
・所在地:岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地1
・伊勢神宮(内宮):ホツマにおける「サコクシロウチの宮」に比定
・創建年:垂仁天皇26年
・主祭神:天照坐皇大御神
・所在地:三重県伊勢市宇治館町1
・真名井神社:ホツマにおける「マナヰの内宮・外宮」に比定
・創建年:不明
・磐座主座(上宮)祭神:豊受大神
・相殿神:罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神
・磐座西座祭神:天照大神(主神)、伊射奈岐大神、伊射奈美大神
・所在地:京都府宮津市江尻
・元伊勢外宮 豊受大神社:ホツマにおける「マナヰの内宮」に比定
・別 名:元伊勢外宮
・創建年:不明
・主祭神:豊受大神
・所在地:京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
・元伊勢内宮 皇大神社:ホツマにおける「マナヰの外宮」に比定
・創建年:伝・崇神天皇の御代
・主祭神:天照皇大神
・所在地:京都府福知山市大江町内宮字宮山217
・廣田神社:ホツマにおける「ヒロタ」に比定
・創建年:神功皇后元年
・主祭神:天照大神荒魂(撞賢木厳之御魂天疎向津媛命)
・所在地:兵庫県西宮市大社町7-7
・戸隠神社 九頭龍社:ホツマにおける九頭の大蛇の関連社に比定
・別 名:戸隠権現、戸隠三社、戸隠三所権現
・創建年:不明
・主祭神:九頭龍大神
・所在地:長野県長野市戸隠3690
・春日大社:ホツマにおける「ミカサヤシロ」に比定
・創建年:神護景雲2年(768年)
・主祭神:春日神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
・所在地:奈良県奈良市春日野町160
・宇佐神宮:ホツマにおける「ウサ」に比定
・創建年:(伝)欽明天皇32年(571年)
・主祭神:八幡大神(応神天皇)、比売大神(宗像三女神)、神功皇后
・所在地:大分県宇佐市大字南宇佐2859
・厳島神社:ホツマにおける「イツクシマミヤ」に比定
・創建年:伝・推古天皇元年
・主祭神:市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命
・所在地:広島県廿日市市宮島町1-1
・奥津嶋神社:ホツマにおける「ススキ島のタケフカミ」に比定
・創建年:和銅5年(712年)
・主祭神:奥津島比売命
・所在地:滋賀県近江八幡市沖島町188
・江島神社:ホツマにおける「ヱノシマカミの宮」に比定
・創建年:伝・欽明天皇13年(552年)
・主祭神:多紀理比賣命、市寸島比賣命、田寸津比賣命
・所在地:神奈川県藤沢市江の島2-3-8
・大原野神社:ホツマにおける「カスガの墓所」に比定
・別 名:京春日
・創建年:延暦3年(784年)
・主祭神:武御賀豆智命、伊波比主命、天之子八根命、比咩大神
・所在地:京都府京都市西京区大原野南春日町1152
・枚岡神社:ホツマにおける「ヒラオカのカスガの墓所」に比定
・創建年:伝・初代神武天皇即位前3年
・主祭神:天児屋根命、比売御神、経津主命、武甕槌命
・所在地:大阪府東大阪市出雲井町7-16
・金刀比羅宮:ホツマにおける「ホツマツタヱを納めた社」に比定
・創建年:不明
・主祭神:大物主神、崇徳天皇
・所在地:香川県仲多度郡琴平町892-1
※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈
関連地
・白馬洞:ホツマにおける「越の洞穴」に比定
・ホツマでは九頭の大蛇が彫り抜いたとされる
・箱ケ瀬にあって九頭竜湖まで続く洞穴
・『帰雁記異本』に信濃と関連する説話がある
・戸隠山:ホツマにおける「ハコザキ山」に比定
・ホツマでは九頭の大蛇のタマノヲを斬った山とされる
・現地には九頭竜伝説がある
※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈
関連知識
天の真榊について
ホツマにおける暦は「天の真榊(あまのまさかき)」という植物によって管理されています。この真榊は「鈴の木(すずのき)」とも呼ばれており、ここでは便宜上「鈴暦」として説明させてもらいます。
この天の真榊とは、いわゆる榊(さかき)のような植物だと思われますが、成長スピードや寿命が全く異なります。この真榊の枝が伸びる期間や、枯れるまでの期間は一定であるとされ、その長さなどで暦を計測していたとされています。
ホツマやミカサフミには、以下のように記されています。
・一 年:真榊の枝が半寸伸びる期間(これを「一穂」と数える)
・六十年:真榊の枝が三尺に達し、新たな枝が生える(これを「一枝」と数える)
・六万年:千枝となって枯れる(これを「一鈴」と数える)
真榊は六万年で枯れてしまい、自生もしないため、暦を繋ぐには人の手で植継ぎを行う必要があるとされます。この植継ぎの儀式は和つ君(中央政府の総帥)の仕事とされたため「天の真榊」とも呼ばれるとされます。
なお、真榊の親木から植え継げるのは五百本(三千万年分)までが限度とされており、その後は別の苗木を一から育てなければならないとされます。そのために「五百継ぎの天の真榊」とも呼ばれています。
また二十四本~二十五本目の真榊に植継ぐ時は「陽陰の節」に当たり、陽陰のバランスが崩れるため、凶事が起こりやすいとされているようです。
ホツマやミカサフミによれば、この真榊のルーツはミナカヌシの時代にヱ尊とト尊により真榊が暦として使われ始め、そこから植継がれてきたとされます。四代目ウビチニ・スヒヂの時代に真榊の植継ぎが五百回に達し、新たに植え継ぎを行うことになった際にキ・ミ(男女尊)の仕事に定められたとされています。
それから二十鈴(百二十万年)までは安定したとされますが、六代オモタル・カシコネの代で世継ぎが途絶えることになり、君主不在で天で植え継ぎも途絶えることになったとされます。
ですが、ヒタカミを治めていた初代タカミムスビであるキノトコタチが真榊を植え、ヒタカミの統治者であった代々のタカミムスビも真榊を植え継いでいたため暦は途切れず、二十一鈴百二十五枝にアマテルが誕生したことで、天の君主となったアマテルが真榊を管理することになったと記されています。
恵那山の伝説との相関性
ホツマ28文に登場するアマテル生誕の記述は、恵那山に伝わる伝承とほぼ一致しており、岐阜県中津川市に鎮座する恵那神社には、恵那山の由来としてこのような伝説が伝えられています。
恵那の地名は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦が峠を越えて美濃の地に入った時、天照大神を出産した際の胞衣を山に納めたと伝えられている。その時に胞衣山と名付けられ、それが後に恵那山になったといわれており、産湯に使われた湯から「湯舟沢」、胞衣を洗ったとされる池は「血洗の池(血洗神社)」、伊邪那美が出産後に腰を掛けた岩は「腰掛岩」など、天照大神の出産にまつわる地名が数多く残っている。
『記紀』との主な違い(AI分析)
真榊の寿命と暦の限界
ホツマでは、天の真榊が五百継ぎに達すると寿命(ミモハカリ=三千万年)を迎え、暦の基盤そのものが機能不全に陥るとされる。28文では、この「植え継ぎ未遂」を契機に、真榊の由来・成長法則・暦体系の成立がカスガによって詳細に語られる。一方、記紀には真榊を暦の根幹とする思想は存在せず、時間管理の神話的基盤は語られない。
アマテル以後の統治史の整理
ホツマでは、アマテル誕生からウガヤまでの長大な統治史が一連の系譜として語られ、日嗣の理念・十種神宝・国名改称などが体系的に整理される。28文はその総括として機能し、アマテルの治世の意義と後継者たちの役割が一貫した思想のもとに描かれる。記紀では同様の神々が登場するが、統治の連続性や祭祀体系の継承はここまで明確に整理されない。
アマテルの崩御と神格化
ホツマでは、アマテルは自ら最期を悟り、裳裾の由来と教えを語り、歌を遺して天に還る。内宮・外宮への神格化の過程も具体的に描かれる。記紀ではアマテラスの「崩御」は語られず、死や神上がりの描写は避けられているため、この点は大きな相違となる。
真榊の捜索と継承者の選定
真榊が尽きたため、カスガとクシミカタマらが国々を巡って新たな苗を探すが見つからない。誰が植え継ぐべきかが問題となり、タナコ(イチキシマヒメ)が「日の嗣こそ正統」と述べ、タケヒト(カンヤマトイワレヒコ)を指名する。ホツマでは継承の原理が明確に語られるが、記紀では神武東征の背景にこうした祭祀的正統性は示されない。
アスス暦の成立
真榊の寿命延長は「上の命(アノイノチ)」によるものとされ、カスガが新暦名を「アスス(上鈴)」と定める。アメフタヱが木版に刻んで奉り、鈴暦はアスス暦へと改名される。ホツマでは暦の更新が神政の根幹として扱われるが、記紀には暦体系の神話的更新は存在しない。
宗像三女神の最期と神化
タケコ(オキツシマヒメ)、タキコ(エツノシマヒメ)の最期が語られ、それぞれが神となる。ホツマでは宗像三女神の生涯と死が具体的に描かれるが、記紀では三女神の誕生と祭祀のみが語られ、死や神化の過程は示されない。
九頭の大蛇の告白と罪の連鎖
外ヶ浜に現れた九頭の大蛇(モチコ・ハヤコの転生)が、過去の嫉妬と罪の連鎖を語り、トガクシの助言によってタマノヲを鎮められる。ホツマでは八岐大蛇・九頭竜の正体が倫理的物語として整理されるが、記紀では八岐大蛇は単独の怪物として描かれ、転生や罪の連鎖の思想は見られない。
カスガ(コヤネ)の薨去と裳裾の継承
カスガは裳裾をサルタに託し、鏡臣としての心得を子に伝えて神となる。ホツマではコヤネの死と継承が具体的に描かれるが、記紀ではコヤネの死は語られず、裳裾の伝承も存在しない。
ナガスネヒコの謀反の疑惑
ナガスネヒコが代嗣文を盗み見た疑惑が語られ、後の神武東征につながる火種として描かれる。ホツマではナガスネヒコの動機が「文書盗用」として明確化されるが、記紀では単に「国を譲らない豪族」として描かれるのみである。
ホツマツタヱ成立の示唆
クシミカタマの父・ツミハが神となる際、自ら記した文を社に納めたとされ、ホツマツタヱそのものの成立を示唆する記述で締めくくられる。記紀には編纂者の神話的由来は語られず、この点はホツマ独自の特徴である。
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