【意訳版現代語訳】天の巻 ホツマツタヱ2文 天七代 床酒の文
ホツマツタヱ2文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ2文のあらすじ
天地創成から神代の系譜、そして婚姻・社会・酒造といった文化の起源が体系的に語られる文(あや)です。
1. 天地開闢と陰陽の分化
世界はもともと未分化の混沌であったが、やがて兆しが現れ、陰陽(メヲ)へと分かれていく。陽は天となり太陽に、陰は地となり月となる。この分化の中で最初の神クニトコタチが生まれ、神代の秩序が始まる。
2. 神代初期の統治と秩序の形成
クニトコタチからクニサツチ、トヨクンヌへと世が継がれ、国家や統治の枠組みが整えられていく。トヨクンヌは君・臣・民の三階層を定めるなど、社会構造の基盤が築かれるが、この段階ではまだ男女の概念が存在しない未分化の世界であった。
3. 男女の成立と婚姻儀礼の起源
ウヒチニとスヒチの時代に初めて男女の区別が生まれ、夫婦の関係が成立する。桃の木の下で酒を酌み交わすことで陰陽が和合し、これが婚姻儀礼(床の酒)の原型となる。この出来事を契機として、人々も夫婦を結ぶようになり、社会に婚姻制度が定着する。
4. 酒造の起源と文化の成立
スクナミが自然現象から酒の製法を見出し、初めての酒を生み出す。酒は神への供え物であると同時に、人と人を結び社会秩序を支える重要な文化として位置付けられる。
5. 神代後期と国家形成への移行
オオトノチ、オモタルを経て、世はイサナギ・イサナミの時代へと移る。二神は国土を整え、統治体制と生活基盤を確立し、国家(オノコロ)の形成へと至る。こうして神代は創世段階から具体的な社会へと移行していく。
意訳文
天地開闢
オシヒトの婚儀の前、タカギ(タカキネ)が婚儀の酒の儀式についてアマテルに質問した。
これに対し、アマテルは次のように教えた。
「往古、天・地・泥は分かれていなかったが、それが分かれる兆しとして混沌がメヲ(陰陽)に成り始めた。
ヲ(陽)は天(あめ)となり太陽に、メ(陰)は地(くに)となり月になった。
クニトコタチの誕生(初代)
その中に神が生まれ、最初の神はクニトコタチであった。
クニトコタチはトコヨクニを作り、そこでヤモヤクダリノミコ(八御子尊)を生んだ。
この八御子尊は、ト(南)・ホ(東北)・カ(西)・ミ(東南)・ヱ(北)・ヒ(西南)・タ(東)・メ(西北)の八カ国を治め、各国の君主の祖となった。
クニサツチの御代(二代目)
世嗣(よつぎ)の尊はクニサツチと呼ばれた。
クニサツチはサキリノミチ(未来)を託され、サツチ(中央集権体制)によって治世を行った。
また、八御子尊はそれぞれ五人の子を儲けた。
トヨクンヌの御代(三代目)
八方の世嗣は、三代目クニトコタチであるトヨクンヌに引き継がれた。
トヨクンヌは上から三つの業を分け、君・臣・民の三段階を定めた。
トヨクンヌには百二十の御子がいたが、当時のアメナルミチ(根本法則)には『女』が無く、その代は女なくして完結した。
ウヒチニ・スヒチの御代(四代目)
真榊(マサカキ)を植え継いで五百本に満ちる頃(6万年×500本=3000万年)、男尊のウヒチニが世嗣となった。ウヒチニはスヒチを妻とした。
その発端は、越国のヒナルノ岳の皇居にて、庭に木の種を植えておいたことに始まる。
三年の後の三月三日、その木に花も実も百(もも)ほど生じたため、これを『モモの木』と名付けた。
二尊の名は当初、モモヒナキ(男尊)、モモヒナミ(女尊)といった。『雛(ヒナ)』とは成人の前の姿を指す。また『君(キミ)』という語は木の実を語源とし、男尊を『キ』、女尊を『ミ』と名付けたことに由来する。
二尊が成人した後の三月三日、酒造が始まって初めての酒が献上された。二尊は桃の木の下で酒を酌み交わした。この際、酒に月が映ったことで気分が高まり、まず女尊が飲み、次いで男尊に勧めて飲み交わした。この順序を『トコノミキ(床の酒)』という。その後、身が火照ると翌朝に川で冷水を浴び、袖を湿らせた。
二尊はこの陰陽和合を喜び、男尊は名をウヒチニ(泥因)、女尊は名をスヒチ(小泥)とした。また、水(陰)と埴(陽)の交わりを祝う言葉として『大小』を定めた。『ウス(大小・珍・朕・君)』の語はこの故事を語源となっている。
この二尊の交わりは雛形(雛人形)として模られた。男尊は『冠・大袖・袴』、女尊は『小袖・上被衣』の姿で表された。二尊が夫婦となったことで、臣や民もこれに倣って妻を娶り、結婚するようになった。
よって、ウヒチニの代に妻の制が定まり、アメナルミチ(根本法則)に加わった。これは、五百継天の真榊の年(真榊を植え始めてから三千万年後)のことであった。
オオトノチ・オオトマエの御代(五代目)
五代目の尊はオオトノチとオオトマエであった。
ツノクヰ(オオトノチの前身)は、オオトノ(政所)に居た際にイククイ(オオトマエの前身)と出会い、妻とした。
このため、男を『殿(トノ)』、女を『前(マエ)』と呼ぶようになった。
五代目の御代はヤモツヅキ(長きにわたる治世)を経て、やがて終焉を迎えた。
オモタル・カシコネの御代(六代目)
六代目の尊はオモタルとカシコネであった。
男尊のオモタルは女尊のカシコネと共に八方を巡り、民を治めた。
二尊は近江の安曇に都の象徴である中柱を建て、東は大和からヒタカミ(仙台)、西は筑紫の葦原(未開の土地)、南は阿波やソサ(紀州)、北はネのヤマト(北の国々)からホソホコチタル(山陰)に至るまで、広範囲を統治した。
その治世は百万年に及んだが、世嗣が無かったために道は衰え、対策を講じる必要が生じた。
イサナギ・イサナミの御代(七代目)
六代目に世嗣が無いことを受け、天(中央政府)はイサナギとイサナミを七代目に擁立することを決めた。天は二尊に『ヤスクニを中心に全村(チヰモアキ)を領せ』と命じ、ト(経=法)とホコ(矛=武力)を授けた。
二尊は『ウキハシ』、すなわちヤスクニ・ヒタカミ・ネノクニの協力関係を築いた。これにより、世も再興し始め、二尊の血と汗によってオノコロ(国家)が形成された。そこで、オノコロに宮殿を造り、オオヤマト(央日本=本州の中心部)に民を養うための食糧や養蚕の道などをもたらした。
こうして、世嗣不在の問題は解決に至った。
天が七代目を継承させる糸口となったもの、それはまずトコヨ尊(クニトコタチ)、次に木の実を東に植えて植物を生んだハコクニ、そしてヒタカミのタカマに祀られたミナカヌシである。
タチバナを植えたハコクニの御子はタカミムスビと称えられた。これは東のトコタチ(キノトコタチ)である。キノトコタチの御子はアメカカミと言い、筑紫を治めた。また、ウヒチニが譲り受けた御子はアメヨロツと言い、四国(ソアサ)を治め、アワナギとサクナギを生んだ。
アワナギは、白山の麓から山陰地方(サホコチタル)までを治め、タカヒトを生んだ。一方で、五代目タカミムスビであるトヨウケの娘にはイサコがいた。タカヒトとイサコの縁談において、最初にハヤタマノヲを仲人としたが失敗し、次にコトサカノヲを仲人としたことで婚姻が成立した。
タカヒト、イサコの二尊は西南の筑波のイサ宮で結婚の儀を執り行い、名をイサナギ・イサナミと改めて七代目を引き継いだ。二尊は交わる時に床酒や経矛の教えを以って子をもたらした。
酒造の神
献上された酒(ササケ)は、トコヨのヰノクチ(山陰)を治めていたスクナミが醸したのが初である。これは、雀が竹の株に籾を入れている様子から着想を得て、酒造に結びついたという。
スクナミは、この酒をウヒチニ(モモヒナキ)に献上してササナミの名を賜り、酒の名は『ササケ』と名付けられた。スクナミは薨去した後にササケヤマに葬られた。
九の酌度(九回酒を飲む三三九度)は、三月三日にサカツキ(逆月、盃)が生まれたことに由来し、モモヒナキ・モモヒナミの名もヒナルノタケの故事に由来するものである。」
注釈
登場人物
・アマテル:『記紀』の天照大御神に比定。男神。イサナギ・イサナミの御子
・タカギ(タカキネ):『記紀』の高木神に比定。七代目タカミムスビに当たる
・クニトコタチ:『記紀』の国常立尊に比定。天地の始まりに現れた最初の初代の尊
・クニサツチ:『日本書紀』の国狭槌尊に比定。二代目の尊。中央集権体制(サツチ)を整えた
・トヨクンヌ:『記紀』の豊斟渟尊に比定。三代目の尊。この代までは「女」の概念がなかった
・ウヒチニ・スヒチ:『記紀』の埿土煮尊・沙土煮尊に比定。四代目の二尊。初めての夫婦
・オオトノチ・オオトマエ:『記紀』の大戸之道尊・大苫辺尊に比定。五代目の二尊
・オモタル・カシコネ:『記紀』の面足尊・惶根尊に比定。六代目の二尊
・タカミムスビ:『記紀』の高皇産霊神に比定。初代キノトコタチに始まる世襲名とされる
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。七代目の男尊。アワナギの子
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。七代目の女尊。トヨウケの子
・トヨウケ:伊勢外宮の豊受大神に比定。イサナミの父。五代目タカミムスビに当たる
・スクナミ(ササナミ):初めて酒を作った酒造の神
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