【意訳版現代語訳】地の巻 ホツマツタヱ19文 乗り法 一貫間の文・乗りの文 連栲の文
ホツマツタヱ19文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ19文のあらすじ
イサナギ・イサナミからアマテルへの皇位継承と、ヲバシリを中心とした馬術の成立・体系化がまとめられた文(あや)です。
1. 二尊の退位と政務の分掌
イサナギ・イサナミの御代が安定期を迎え、二尊はアマテルに帝位を譲ることを決める。併せてオモイカネ・サクラウチ・カナサキ・カダ・ヲバシリらに祭祀・地方政務・農政・軍事の役割を分掌させ、統治体制を整える。
2. ヲバシリがトヨケから馬術の法を学ぶ
ヲバシリはヒタカミ宮を訪れ、トヨケから乗馬の基礎・心構え・厳乗の技法を授かる。馬と人の息を合わせることや、一貫間の由来など、馬術の根本理念が示される。
3. 馬術の体系化と「乗教人」の誕生
ヲバシリは教えを修練し、地道十九種・華技三十九種・厳乗五十九種を会得する。これにより馬術を体系化し、詔によって「乗教人(ノリヲシヱト)」の名を賜る。
4. 馬術の普及と戦功
ヲバシリはイフキドヌシやソサノヲらを弟子とし、八十五万余の守に馬術を伝える。この馬術はムハタレ討伐で大きな力を発揮し、四千余万の民を救う戦功を挙げる。功績によりヲバシリは「逸(イツ)」の名を得る。
5. アマテルの遷都と七草・黒駒の献上
アマテルが伊勢へ遷る際、オオクマトが青駒を献上し、返礼としてアマテルは七草を与える。後にタカギが黒駒を献上し、アマテルはこれに乗って政務を巡察する。
6. ニニキネの馬術修行とタカヒコネの指導
ニニキネの御代、タカヒコネが乗馬を教授し、地道・荒乗り・厳駆けの技法や、毛色と体格による良馬の基準を教える。ニニキネは技を会得し、「逸(イツ)」のヲシテを賜る。
7. 馬の薬と乗弓術の伝統
馬の薬草が示され、ヲバシリとタカヒコネは初午祭で乗弓術を競い、馬術と弓術の伝統が確立される。
乗り法 一貫間の文 意訳文
二尊による皇位継承の詔
イサナギ・イサナミの二尊の御代が熟して安らかな時期を迎えていた時のこと。
二尊は御子のワカヒト(アマテル)にアマテラスヒツキ(帝位)を譲り、近江の多賀に遷ることにした。
また、この帝位の継承に際し、次のように詔した。
「左の臣はオモイカネとする。天地の祭祀を司れ。
右の臣はサクラウチとする。地方の政を司れ。
ヒオウツシマスヱヲヤトミ(日を写します大老臣)はカナサキとする。筑紫の政を司れ。
カダはウケモチとする。農業を司れ。
ヲバシリは馬屋を治め、軍事を司れ。
そして、君と臣は心をひとつにして民を司るのだ」
馬術の法
この時、ヲバシリはトヨケが座すヒタカミ宮に参上し、馬術の法を尋ねた。
これにトヨケは、まず乗馬の基礎について次のように教えた。
「乗馬は『ヂミチ(地道)』を基本とする。これは通常の速度で歩ませることだ。乗馬するには、馬子(馬飼い)に手綱を引かせ、馬の右から踏み上がればよい。また、乗る前にはヤスクラ(安鞍)とアブミナワ(鐙縄)を備え、これらを馬の背に正しく設置すべし。馬に跨った後は、自分の腿(もも)と馬のハルビ(腹帯)の緩み具合を調節することだ。そして、腰を据えて乗り、馬の足取りと自分のイキス(呼吸)を合わせて乗るべし。これが乗馬の要である」
次に、乗馬の際の心構えについて説いた。
「乗馬の際には、常に馬の心を知っておかねばならない。馬は生まれながらに人を乗せる術を知っているわけではないのだ。そのため、馬の状態を見極めずに無闇に乗れば、暴走した際に落馬の憂き目に遭うかもしれぬ。ゆえに馬に人の乗せ方を教え込むことで、初めて人と馬の息が合ってくるのである」
次に、馬のイツノリ(厳乗)について説いた。
「乗馬における厳乗は、馬を最も速く走らせる乗り方で、これには鞍を置いた後に腹帯を緩めないことが肝要である。
また、ヒチヨケ(泥除けの馬具)の由来は、道中の小溝を飛び越える際、鐙(あぶみ)で馬の垂皮を打って煽ったことに始まる。馬が煽られて風を含み、羽の如く軽やかになった時に小溝を見事に飛び越えることができた。これは乗り手が巧みに馬を操ったことに他ならないだろう。
また、手綱と轡の間の距離をヒトヌキマ(一貫の間)と名付けたのは、天地開闢の故事に因む。天地未分別の時、アメミヲヤは、泡を天(宇宙)、泥を地玉(地球)とし、ウツロヰを神馬として乗り、シナト(風)を手綱や轡として引いて、世界を乗り巡ったという。二尊もこれに倣って国々を巡り、国産みを成した。
地を治めるのもまたウツロヰ(空)とシナト(風)の理であり、地玉を一貫きの結びと心得れば、激しく駆けても落馬することはない。天地の如く、人と馬も一体化して連なるものと考えるべし」
最後に、馬術の真髄をまとめて説いた。
「馬を狂わせぬよう、自分と馬の心を一貫きの手綱と捉えることこそが騎手の真髄である。ヒチヨケで煽っても、手綱を強く引きすぎれば馬は飛ばず、逆に緩すぎれば前足を折って倒れてしまう。厳乗りと緩乗りというように、駆けと越えには陰陽と同じ相関があるのだ。この程合いの区別を心得れば、地道からイツ(厳)、アレ(荒)までのあらゆる乗り方を会得できるだろう」
乗教人の名を賜る
ヲバシリはトヨケから授かった馬術の法を日々修練に励んだ。
すると、徐々に乗馬にも慣れ、やがて乗馬の技は熟練し、地道の十九種の通常技を会得した。
年月が過ぎると、三十九種の華技、さらには五十九種の厳乗りの妙技までも会得した。
このように乗馬の技法を極めたヲバシリは、馬術の法を体系化することにした。
この功績により、詔によって「ノリヲシヱト(乗教人)」という名を賜ったのである。
馬術の祖・ヲバシリ
ヲバシリは、イフキドヌシやソサノヲらをヨリコ(弟子)とし、総勢85万3,018名の諸守に馬術を伝えた。
この馬術は根国の益人(アメオシヒ)に煽られた70万9千のムハタレを撃退する際に大きな力を発揮した。
なお、その戦ではタケモノノベらは、ノリユミワサ(乗弓技)を編み出してハタレたちを排除した。
そのおかげで、4,180万の大御宝(国民)が救われ、平和をもたらすことができたのである。
この功績から、乗弓技を開発したモノノベより、馬術の法を整えたヲバシリに「イツ(逸)」の名が与えられた。
なお、ヲバシリとはトヨケの孫であるミカサヒコのことである。
ヲバシリの子のヒサヒコはカシマカミであり、雷を拉ぐ功績からタケミカツチと名付けられた。
乗りの文 連栲の文 意訳文
オオクマと青駒
25鈴130枝の年サナトの春の初日(元旦)のこと。
アマテルは皇位を御子のオシヒト(オシホミミ)に譲り、天(中央政府)から伊勢へと遷った。その際、筑紫を治めるオオクマトは、アマテルに秀馬の「アオコマ(青駒)」を献上した。アマテルは「オオクマ」が「アオコマ」を持ってきたことを可笑しく思いつつ、返礼として七種の草を与えた。
・コゲウ(御形)
・ハコベラ(繁縷)
・イタヒラコ(仏の座)
・スズナ(蕪)
・スズシロ(大根)
・スセリ(芹)
・ナヅ(薺)
後にオオクマトは、この七草を用いて疾病を治したという。
アマテルと黒駒
サクラハ(馬場)が完成した翌月、すなわち二月十五日には、タカギが黄金の蹄を持つ黒駒を献上した。
アマテルはこの黒駒に乗って天都のマナヰへと御幸し、しばしば政の様子を聞いては誤りがないかを確認した。
ニニキネの馬術訓練
それから年月が経ち、ニニキネの御幸によってホツマノニハリ(東の新領)が成立した。
そこでは、ヲバシリから馬術を伝授されたタカヒコネが、ニニキネに乗馬を教えることになり、「地道は容易だが、荒や厳の技を得るには百千回の練習を経て初めて得られるものだ」と説き、各地の馬の性質を次のように説明した。
「ヒタカミの馬は肉付きがたくましく大人しいため、約一年で乗れるまで教育できる。地道の後に荒乗りを教えるのがよいだろう。
筑紫の馬は健康的で大人しく、一年半ほどで乗れるまで教育できる。さらに鍛えればイツカケ(猛進)させることも可能である。
越国の馬はたくましいが教育が難しく、熟達したと思っても猛進の訓練で失敗することがあり紛らわしい。
南の馬は小さく、覚えは早いが実戦には向かない。
このような馬の特性は、毛色を見ることで種類を分けることができる。その良し悪しは教育次第で大きく変わる。
馬の真価は、幾度も乗ることで自ずと分かってくるだろう」
続けて馬の使い方について次のように説明した
「馬を自在に操れば、害虫や自然災害すらも除くことができる。
実戦では手に剣を持つため、手綱には『アカルタエ(左右二本に分かれた手綱)』を使う。このアカルタエには絹は用いず、伸縮性のある木綿を用いるべし。八尺の布を二筋用意し、一方は馬の轡(くつわ)の先に結び、もう一方は手綱として自分の腰に挟み結ぶのだ。
そして、馬を操る際には馬の心に対応した指示を出すべし。なお、妙技を使うにはアメノミヲヤが天地開闢を為した故事を鑑とし、陽陰が如く馬と息を合わせてアカルタエを操るのだ。技を重視するならば、まず馬の背に鞍を置き、六十歩ほど歩ませ、馬の足取りを見極めてからまたがるべし」
馬の駆け方、選び方
タカヒコネは基本に続いて具体的な技法を教えた。
まずは地道(ヂミチ)である。
「地道、すなわち普通に歩ませる際の鐙は金属製のものを使用する。駆ける場合は連縄を馬の尾より五寸短く持つべし。また、腹帯は緩くして指五本が通る程度のゆとりを持たせておくべし」
次に厳駆け(イツカケ)である。
「厳駆けにおいては、腹帯は緩めずに少しきつく締め、鞍・差縄・胸懸も四方手(束ね留める取っ手)に添えること。次に一丈六尺ある手綱の中ほどを差縄(さしなわ)に添えて轡(くつわ)の先に結び、手綱の端を両手で持つ。これが馬の暴走を防ぐ『一貫間(ヒトヌキマ)』の持ち方である。
また、手綱の種類の内『連栲(テルタエ)』も一丈六尺あるが、これは轡の左右に結んで真ん中を持つべし。分かれた手綱である分栲(アカルタエ)と一本の手綱である貫間(ヌキマ)の両方の機能を兼ねるのが連栲(テルタエ)である」
次に良馬の見分け方について教えた
「良馬の特徴は、目鼻から尾骨までの八尺の幅と丈が五尺五寸のものが良いとされる。これを『ヰタヰキノリ(五尺五寸典)』という。これは八月十五日(芋葉月)や五月五日(妹背の繁々祝)の祝典の数に因むといわれている。例えば、フトク(二と九)、あるいはヤツヰヰ(八つの五と五)といったようなもので、この割合を基準として選ぶべし」
馬術習得の印
こうしてニニキネは、地道をはじめとする馬術を習得し、荒乗りまでも会得した。
年月を経るとさらに熟練し、厳乗りなど他の妙技も会得した。
その功績により、ニニキネは詔によって「逸(イツ)」のヲシテを賜った。
タカヒコネはニニキネを一人前に育て上げたことから「フタアレ(二荒)」のヲシテを賜った。
こうした功績により、タカヒコネの子孫も「馬の君」となった。
馬の薬には、ヒトミコマヒサ、ウノハナ、カダ(葛)、マメハコがある。
また、ヲバシリとタカヒコネの二人は、二月の初午祭で乗弓術の技を競い合った。
注釈
登場人物
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。七代君主の男尊。アマテルの父
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。七代君主の女尊。アマテルの母
・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。八代君主の男尊。創造神アメミヲヤの顕現
・オモイカネ:『記紀』の思兼神に比定。ヒルコの夫。アマテルの左臣に任命
・サクラウチ:『記紀』の大山祇命に比定。セオリツヒメの父。アマテルの右臣に任命
・カナサキ:神社祭神の住吉神に比定。アマテルの日を写します大老臣に任命
・カダ:『日本書紀』の保食神に比定。ウケモチの子孫。アマテルのウケモチに任命
・オオクマト:白堤神社祭神の大熊命に比定。アマテルに青駒を献上し、七草を賜る
・ヲバシリ:『記紀』の稜威雄走神に比定。タケミカツチの父。乗教人となる
・トヨケ:神社祭神の豊受大神に比定。アマテルの祖父。ヲバシリに馬術を教える
・アメミヲヤ:『記紀』の天御中主神に比定。万物の根源神たる神霊
・イフキドヌシ:祓戸四神の気吹戸主に比定。ツキヨミの子。ヲバシリの馬術の弟子
・ソサノヲ:『記紀』の素戔嗚尊に比定。アマテルの弟。ヲバシリの馬術の弟子
・タケミカツチ:『記紀』の建御雷神に比定。ヲバシリの子。カシマカミ
・オシホミミ:『記紀』の天忍穂耳尊に比定。九代君主の男尊。アマテルの日嗣の御子
・ニニキネ:『記紀』の瓊瓊杵尊に比定。オシホミミの二男。イツの称名を賜る
・タカヒコネ:『記紀』の阿遅鉏高日子根神に比定。オホナムチの子。ニニキネに馬術を教える
関連知識
七草の起源について
ホツマにおける七草は、アマテルがオオクマトに与えた「薬草のセット」として語られ、病を治すための実用的な知識として扱われます。七草は単なる縁起物ではなく、国家の中心に立つアマテルが正式に授与した医療知識であり、後にオオクマトが実際に病を治したという具体的な効能まで記されています。つまりホツマでは、七草は王権が管理する医療・薬草体系の一部として位置づけられているのです。
一方、通説で語られる七草の起源は、まったく異なる流れを持ちます。一般には、中国の「人日(じんじつ)」という年中行事が日本に伝わり、そこに日本古来の「若菜摘み」の風習が合わさって、七草粥という形が成立したとされます。これは宮中行事として整えられ、やがて庶民にも広がった民俗的な年中行事であり、薬草というより「無病息災を祈る儀礼」として理解されています。
『記紀』との主な違い(AI分析)
臣下の任命と政治制度の描写
ホツマでは、オモイカネ・サクラウチ・カナサキ・カダ・ヲバシリなどに具体的な役職が与えられ、祭祀・地方行政・農政・軍事の分掌が制度として語られる。一方、『記紀』ではこうした行政制度の細分化はほとんど描かれず、神々の役割は象徴的・神話的な性格が強い。
ヲバシリ(イツオハシリ)の神格と役割
ホツマでは、ヲバシリ)はトヨケの孫であり、馬術の祖として地道・華技・厳乗の体系を確立し、85万余の弟子を育て、ムハタレ討伐で国を救った英雄として描かれる。一方、『記紀』にはヲバシリという人物神は登場せず、対応するのは名前系列が似た「天之尾羽張神(伊都之尾羽張神)」で、こちらは十拳剣の神格化であり、馬術・軍事技術・師弟関係といった人物的描写は存在しない。
タカヒコネ(アジスキタカヒコネ)の役割の違い
ホツマではタカヒコネはヲバシリの弟子であり、ニニキネの馬術師範として技法・馬の選定・手綱の種類・薬草などを体系化し、「フタアレ(二荒)」のヲシテを賜る人物神として描かれる。一方、『記紀』の阿遅鉏高日子根神はスサノヲの子であり、雷神的性格を持ち、葬儀で怒って暴れるなど「荒ぶる神」として描かれ、馬術・軍事技術・教育とは無関係である。
ヲバシリとタカヒコネの関係性の有無
ホツマではヲバシリ → タカヒコネ → ニニキネという三代の馬術伝承が描かれ、師弟関係・技術継承が物語の中心となる。一方、『記紀』にはこの関係性は存在せず、ヲバシリに相当する人物神もいないため、タカヒコネとの連続性・技術伝承の構造は完全にホツマ独自のものである。
馬術体系の有無
ホツマでは馬術が国家技術として体系化され、地道・華技・厳乗・乗弓術・手綱の種類・良馬の基準・薬草などが詳細に語られる。一方、『記紀』には馬術の体系的記述はなく、馬は象徴的に登場するのみで、技術文明としての扱いは見られない。
アマテル(アマテラス)の政治的行動
ホツマでは、アマテルが青駒・黒駒に乗って政務を巡察し、七草を与えるなど、現実的な政治行動が描かれる。一方、『記紀』ではアマテラスは高天原に留まり、政治的行動は象徴的で、地上の統治はニニギ以降に委ねられる。
ニニキネ(ニニギ)と馬の関係
ホツマでは、ニニキネがタカヒコネから馬術を学び、乗馬技法を習得する過程が描かれる。一方、『記紀』ではニニギの馬術修行は語られず、天孫降臨の神威が中心で、技術的訓練の描写は存在しない。
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