【意訳版現代語訳】人の巻 ホツマツタヱ30文 天君 都鳥の文

ホツマツタヱ30文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ30文のあらすじ


三種の神宝の継承、日嗣制度の改定、神武即位の大嘗会、そして物部・中臣の神号授与まで、大和王権成立の核心となる政治・祭祀の体系がまとめられた文(あや)です。

1. 三種の神宝の継承とウガヤの筑紫下り

ニニキネが天神の稜威を受けて「ワケイカツチノアマキミ」と称され、天君・左臣・右臣に三種の神宝を分けて継承する制度が定まる。ウガヤが筑紫に下る際には、璽は天君が、鏡と剣は左右の臣がそれぞれ保持し、その後、鏡は河合社、剣は別雷宮に預けられる。

2. ナガスネヒコの反乱と大和平定の前史

神武東征以前にナガスネヒコが反乱を起こし、クシミカタマとオシクモがこれを討伐しようとする。イワレヒコ(神武)は一時筑紫に退き、タケチノコリやアウヱモロらが大和・河内を守るなど、大和平定の前段階が描かれる。

3. 日嗣制度の改定と三官制の成立

旧来の「三種の神宝を分けて授ける方式」が機能しなくなったため、日(ミチヲミ)・月(アタネ)・星(アメトミ)の三官を立てる新制度が定まる。これにより、天君を補佐する祭祀・政治の体系が再編される。

4. 神武即位の大嘗会と三種宝の再統合

タケヒト(神武天皇)の即位に際し、ミヤコトリの歌を中心とした大嘗会が行われ、鏡・剣・璽の三種の神宝が再び一つに集められて内宮に納められる。この儀礼が大和王権の正統性を確立する基となる。

5. 物部・中臣への神号授与と賀茂社の創祀

クシミカタマには「ナオリモノヌシカミ」、タネコには「ナオリナカトミカミ」の神号が授けられ、物部氏・中臣氏の神格化の起源が示される。また、ニニキネ・ウガヤが賀茂に祀られ、賀茂社の祭祀の由来が語られる。

意訳文


ニニキネからタケヒトまでの三種の神器の行方


天君の基礎は御孫(ニニキネ)が雷を別けて治めたことに始まる。

この功績を大御神(アマテル)が褒めると、御孫は天神の現る稜威(いつ=至高の君)として「ワケイカツチノアマキミ」の名を賜った。天君と左右の臣に「三種の神宝」も分けることに定められ、天御孫(ニニキネ)、左臣のカスガ、右臣のコモリに神宝を授けて、代々この形式で引き継がれることになった。

御祖天君(ウガヤ)が筑紫に下るとき、璽(白矢の璽)は君自身が持って行った。この際には、御鏡(八咫鏡)は左臣のオシクモに、八重垣剣は右臣のクシミカタマに授けられた。

御祖(ウガヤ)が筑紫で果てる時には、「神の璽(かみのしるし)」はタケヒトに授けられて、その後に母のタマヨリヒメも神になった。この際、八咫鏡は河合社(河合神社)に、八重垣剣は別雷宮(上賀茂神社)に預け置かれた。

ナガスネの反乱(神武東征以前のこと)


その後、ナガスネヒコが山崎にて川船を拒んだため、クシミカタマがこれを討とうと向った。

その時、ヰツセ御子はナガスネを恐れて多賀から筑紫に移った。クシミカタマがオシクモと共にナガスネと戦うと、ナガスネは逃げて行ったので、これを追って河内に留まった。その時、タケチノコリとアウヱモロが大和の層富(添田町)にてナガスネの軍を防いだ。

クシミカタマが多賀に帰った時、オシクモが河内に行って小塩よりカスガの遺骸を移送させ、枚岡社(枚岡神社)にて神として祀った。また、筑紫のタネコは喪を治め、タケミカツチ・フツヌシ・アマノコヤネ・ヒメの四神を祀った。

その後、アウヱモロによって層富と河内は治められた。オオモノヌシはアワ海(琵琶湖)のオオクニミヤ(多賀宮)を造り替え、コシネノクニ(越と根国=北陸地方)もサホコ(中国地方)の民も皆 治めたため、静かになった。

日嗣の方法を改定する


今は天君の位が成立しているが、昔は御上(先代の君)の三種の神宝を分けて授ける方式だった。

今は、昔の制度が機能していないため、皆で集まって新たな方式を考えると、次のような案が出された。

「日(アマテル)の代理はミチヲミ、月(セオリツヒメ)の代理はアタネ、星(アキツヒメ)の代理はアメトミとするのが良い」

こうして役割が決まると、インベ(斎瓮=神に捧げる水や酒を入れる瓶)を賜って禊を為した。

イワレヒコの治世


時に、橿原皇(タケヒト)のミヨアラタマ(御代の改定)は上鈴58年サナトに始まった。

初日サヤヱ(元旦)、ウマシマチはトクサタカラ(十種宝)を奉り、アメノタネコは上代のフルノコト(祝詞)を記して奉った。また、ナナクサミソ(七種の御饗)、ドンドホ(いわゆるどんと焼)、カミアリカユ(いわゆる小豆粥)も行われた。

サアヱ(1月20日)、星(アキツヒメ)の代理のアメトミは別雷宮(上賀茂神社)の八重垣剣を持ち、月の代理のアタネは河合宮(河合神社)の八咫鏡を持って上がった。君はタカミクラ(高御座)にて褥九重(しとねこゑ)、アマノタネコは褥三重(しとねみゑ)、クシミカタマは褥二重(しとねふゑ)に座した。

日(アマテル)の代理のミチヲミは次のような「ミヤコドリ(都鳥)」を歌い、君は三重に下って これを聞いた。

『陽陰を束ねて日月なすアマスヘラギのモロハトミはカスガとコモリ、君と臣の心を一つに都鳥となす。形はヤタミ(八民)、頭は君、鏡と剣で左右の翼、モノノベは足である。鏡臣が尽き滅べば民は離れ、恵みの日月も世に留まらず。

剣臣が尽き滅べばモノノベは破れ、世を奪われる。ヤタ臣(鏡臣)は、生い繁る春の民業を鑑みる目である。垣臣(剣臣)は汚曲を枯らし、モノノフの力を守る手である。これ故に、三種を分けて授ける。

三種の宝物は"長く一つに調和する"という由を文に記し、御手から文を御孫に授ける。セオリツヒメは御鏡を持ってカスガに授けた。ハヤアキツヒメは御剣を持ってコモリに授けた。三度 敬って皆受ける、ヤマトヒツキのミヤコトリかな』

この後、日の臣(ミチヲミ)は「シルシノミハコ(璽の御箱=璽を納める箱)」を奉った。また、月の臣(アタネ)は「八咫鏡」を、星の臣(アメトミ)は「八重垣剣」を持ち、アメタネコとクシミカタマに授けた。君と臣が元の褥(しとね)を敷くと、臣・百司が寿ぎをし、万歳を歌った。

そして、「八咫鏡」はヰソスズヒメに、「八重垣剣」はアヒラツヒメに、「御璽の箱」は君の身に添えられて、三種とも内宮に納められた。これがハラミノタメシ(ニニキネ時代の儀礼)の内宮と称える基となり、御飾りを民に拝ませた。

11月、アユキ(天神)とワスキ(地神)の宮を造り、モトアケアワ(元明・陽陰の神)のカミマツリ(大嘗会)を催行した。この際、タネコとクシミカタマは左右に侍り「ミケナヘマツリモフスヲミ(神饌供え祭り申す臣)」となった。

また、ウマシマチはモノノベと共に門を守り、ミチヲミはクメと共に御垣守(垣の警備)となった。そして、カンノトコト(上宣言)をインヘトミ(アメトミ)が司った。

東征の論功行賞


翌春の1月11日、タケヒトは次のような詔を発した。

「これまで忠を尽くしたウマシマチは、代々モノノベを継ぐがよい。ミチヲミには、望みのままに築坂(橿原市鳥屋町付近)と久米の所を与えよう。シイネツヒコは海路案内と香具山の埴の功績を讃えて、ヤマトクニツコ(大和国造)とする。

オトウカシ(弟ウカシ)は、猛田県(宇陀)の司となれ。クロハヤ(弟シギ)は、磯城の県主となれ。アメヒワケは、伊勢の国造となれ。アタネ守は、賀茂の県主となれ。カツテの孫のツルギネは葛城国造となれ。そして、ヤタカラスの子孫はカトノヌシ(葛野主)となれ」

災害の記録(モノヌシとナカトミ)


神武3年(上鈴60年)、五月雨が四十日降り続いた。

これによって疫病が流行り、稲はミモチ(いもち病)になった。これを君(タケヒト)に告げると、アメタネコとクシミカタマをヤスカワ(近江)に派遣し、そこの仮屋で祈らせた。この時、「疫病の平癒」と「稲の傷みを去らせる」ことを祈って「ナオリノハラヒ(悪疫退散の祓)」を行うと疫病も稲も治った。

このため、タケヒトは次のような詔をした。

「クシミカタマの上祖のクシヒコは、諌め入る直きによって『ヤマトカミ』の名を賜った。そこで三代還(クシヒコ・コモリ・クシミカタマ)の直きの功績を讃え『ナオリモノヌシカミ(直り物主尊)』の名を与えよう。

タネコの上祖のワカヒコ(アマノコヤネ)も、直きカカミノコト(陽陰の調和)を継ぐ功績を讃え『ナオリナカトミカミ(直り中臣尊)』の名を与えよう。双方ともにこれを継ぐべし」

賀茂社にニニキネとウガヤを祀る


神武4年2月(上鈴61年)ネウヱのキナヱ(二月二十三日)、タケヒトは次のような詔を発した。

「御祖神(ニニキネ・ウガヤ)の都鳥(カモ)は、我が身を照らして敵を平らげ、ミナ(汚穢)を治めた。これゆえ、アメトミに賀茂(別雷・河合宮)を榛原の鳥見山に写させ、ここに御祖神(ニニキネ・ウガヤ)を祀らせる。また、アタネに『タケスミの政(河合の土地の統治)』を継がせて山背の国造とせよ」

一月十一日、アガタメシ(県召除目)の御酒を与える最初の日となった。

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注釈


登場人物


・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。八代君主の男尊。創造神アメミヲヤの顕現
・セオリツヒメ:祓戸四神の瀬織津姫に比定。サクラウチの娘。アマテルの内宮
・アキツヒメ:祓戸四神の速秋津比売に比定。アマテルの西局のスケキサキ
・ニニキネ:『記紀』の瓊瓊杵尊に比定。オシホミミの二男。アマテルの孫
・ウガヤ:『記紀』の彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊に比定。ホオテミの御子で日嗣の御子
・クシミカタマ:大神神社祭神の倭大物主櫛甕魂命に比定。ツミハの子。五代目オオモノヌシ
・タケヒト(イワレヒコ):『記紀』の神日本磐余彦に比定。ウガヤとタマヨリヒメの日嗣の御子
・ナガスネヒコ:『記紀』の長髄彦に比定。フトダマの孫。ニギハヤヒの重臣
・オシクモ:神社祭神の天押雲根命に比定。コヤネの長男。アメタネコの父
・タケチノコリ:神社祭神の武乳速命に比定。層富の県主
・アウヱモロ:『旧事本紀』の大日諸命に比定。河内・層富・春日の県主になる
・タネコ:『日本書紀』の天種子命に比定。コヤネの孫。オシクモの子
・タケミカツチ:『記紀』の建御雷神に比定。カシマカミ。春日四神の一柱
・フツヌシ:『記紀』の経津主神に比定。カトリノカミ。春日四神の一柱
・アマノコヤネ(カスガ):『記紀』の天児屋命に比定。ニニキネ~ウガヤの左臣。春日四神の一柱
・ヒメ:春日四神の比賣神に比定。タケミカツチの一人娘。アマノコヤネの妻。春日四神の一柱
・ミチヲミ:『記紀』の道臣命に比定。東征の報奨として築坂と久米を賜わる
・アタネ:『旧事紀』の阿多根命に比定。アマメヒトツの曾孫。賀茂の県主になる
・アメトミ:『旧事紀』『古語拾遺』の天富命に比定。フトダマの孫
・ウマシマチ:『記紀』の宇摩志麻遅命に比定。ニギハヤヒの御子
・コモリ:神社祭神の子守神に比定。クシヒコの子。ニニキネ~ウガヤの右臣。三代目オオモノヌシ

関連社


賀茂別雷神社ホツマにおける「別雷宮」に比定
 ・別 名:上賀茂神社
 ・創建年:伝・天武天皇6年
 ・主祭神:賀茂別雷大神
 ・所在地:京都府京都市北区上賀茂本山339
賀茂御祖神社ホツマにおける「賀茂社」の関連地に比定
 ・別 名:下鴨神社
 ・創建年:不明
 ・主祭神:玉依姫命、賀茂建角身命
 ・所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
河合神社ホツマにおける「河合宮」に比定
 ・創建年:不明
 ・主祭神:玉依姫命
 ・所在地:京都府京都市左京区下鴨泉川町59
・籾山八幡社:ホツマにおける「ナオリモノヌシカミ」に因む神社に比定
 ・創建年:不明
 ・主祭神:直入物部神
 ・所在地:大分県竹田市直入町大字長湯8352
・直入中臣神社:ホツマにおける「ナオリナカトミカミ」に因む神社に比定
 ・創建年:不明
 ・主祭神:直入中臣神、武甕槌神、経津主神、天児屋神、比売神、許登能麻遲媛神、天押雲根神
 ・所在地:大分県由布市庄内町阿蘇野

※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈

関連知識


ナオリ〇〇について

ホツマ30文には「ナオリモノヌシカミ」「ナオリナカトミカミ」という名が登場します。

「ナオリモノヌシカミ」については、直りの祓いの功績や、三代のオオモノヌシ(クシヒコ・コモリ・クシミカタマ)の直き貢献に対して、神武天皇がクシミカタマに授けた家名とされています。

「ナオリナカトミカミ」については、直りの祓いの功績や、三代の鏡臣(コヤネ・オシクモ・タネコ)の直き貢献に対して、神武天皇がタネコに授けた家名とされています。

これらの神名は現在の神社にも伝わっており、それぞれ「直入物部神」「直入中臣神」として祀られていますが、その由来はホツマの授名とは異なる伝承に基づいています。

「直入物部神」を祀る大分県の籾山八幡社の社伝によれば、景行天皇が土蜘蛛を討伐する際に、志我神・直入物部神・直入中臣神の三柱に戦勝祈願を行ったとされ、そのときに直入物部神を祀った社が籾山八幡社であると伝えられています。なお、直入物部神は饒速日尊と天津赤星であるとされています。

「直入中臣神」を祀る直入中臣神社の石碑にも「景行天皇が土蜘蛛討伐の際に戦勝祈願をした」といった同様の伝承が記されています。

『記紀』との主な違い(AI分析)


三種の神宝の継承体系

ホツマでは、三種の神宝は天君・左臣・右臣に分けて授けられ、代々この形式で継承される制度として描かれる。また、ウガヤの筑紫下りや神武即位に伴う鏡・剣の預け置きなど、神器の移動経路が具体的に記される。一方、『記紀』では三種の神器の来歴は断片的で、分配制度や継承経路は明確に語られない。

ナガスネヒコ反乱の時系列

ホツマでは、ナガスネヒコの反乱は神武東征以前に起き、クシミカタマやオシクモが先に討伐に向かう。イワレヒコ(神武)は一時筑紫に退き、大和平定の前史として描かれる。一方、『記紀』ではナガスネヒコは神武東征の敵として登場し、神武の進軍に対する主要な障害として位置づけられる。

皇位継承制度(日嗣)の扱い

ホツマでは、旧来の「三種宝の分配制」が機能しなくなったため、日・月・星の三官制を新たに定める制度改革が描かれる。これにより、天君を補佐する政治・祭祀の体系が再編される。一方、『記紀』にはこのような制度改定の描写はなく、皇位継承は天孫降臨から神武即位へと直線的に語られる。

神武即位の大嘗会(ミヤコトリ儀礼)

ホツマでは、神武即位に際してミヤコドリの歌、褥の段階、神官の配置、神饌や小豆粥の儀礼など、大嘗会の具体的な手順が詳細に記される。一方、『記紀』では神武即位の儀礼は簡潔で、大嘗会の構造はほとんど語られない。

物部・中臣の神号授与(ナオリ〇〇)

ホツマでは、クシミカタマに「ナオリモノヌシカミ」、タネコに「ナオリナカトミカミ」が授けられ、物部氏・中臣氏の神格化の起源が明確に描かれる。一方、『記紀』では物部氏・中臣氏は祭祀氏族として登場するが、神号授与の場面は存在しない。

賀茂社の創祀伝承

ホツマでは、ニニキネ・ウガヤを賀茂に祀る理由が語られ、アメトミ・アタネらの関与を通じて賀茂社の創祀が説明される。一方、『記紀』には賀茂社の創祀に関する記述はなく、賀茂氏の神話的起源は語られない。