ホツマツタヱ4文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ4文のあらすじ


アマテル誕生の経緯と、その背後にある統治理念・祭祀・名の思想がまとめられた文(あや)です。

1. ヒタカミ国とトヨケの統治

東方のヒタカミ国の由来と、タカミムスビの系統による統治が語られる。五代目タカミムスビ・タマキネ(トヨケ)は神々を祀り、民からトヨケノカミと称えられ、やがて中央の君主となる。

2. 世の乱れと日嗣の必要性

トヨケは、人々が道(アメノミチ)を知らず秩序が乱れている現状を憂い、理想の統治者となる日嗣の御子の必要性を感じる。祈りと禊によって天の加護を得て、その誕生の方法を授かる。

3. 二尊の祈りとアマテルの懐妊

同時期にイサナギ・イサナミも後継に恵まれず悩み、日月への祈りと正しい婚姻法(トツキノリ)を行う。神意を受けて交わった結果、長い懐胎の末にアマテルが宿る。

4. アマテルの誕生と即位

アマテルは異例の長い期間を経て誕生し、光り輝く存在として現れる。成長後、目を開いたことを契機に正式に君として即位し、日嗣の系統が確立される。

意訳文


ヒタカミ国


タカマ(中央政府)にて、オオモノヌシがアマテルの斎名(イミナ)の由来について諸人に問うた。

これについて、オオヤマズミが「上祖の記した歌にある」と答えた。

すると、皆が興味を示したので、オオヤマズミが謹んで話し始めた。

「昔、クニトコタチの八御子の一人が、木草の豊かなホツマクニ(東地)に下った。東方は日の勢いが強かったため、そこは立ち昇る日を表す『ヒタカミ』と呼ばれた。その御子は、ヒタカミのタカミムスビと共に国を統治した。

そして、ハラミ山(蓬莱山)にトコヨノハナ(橘)を植えてカグヤマ(橘の山)を成した。ヒタカミでは『五百継ぎの真榊(ヰモツギノアメノマサカキ)』も代々受け継がれた。

中央の君主トヨケ


五代目タカミムスビの斎名をタマキネといい、この時にモトアケ(天界)が再現された。

タマキネはヒタカミの都にアメミヲヤ、モトモト、アナミ、ミソフの神々を祀った。

すると、周辺の民から『トヨケノカミ(トヨケ尊)』と呼ばれるようになった。

トヨケは当初、東の君としてトコヨ尊の皇統を受けた。

真榊の六万年の時に遂に大嘗事(オオナメゴト)を継ぎ、中央の君となった。

日嗣の御子・アマテルの誕生


真榊の植え継ぎが二十一鈴(百二十万七千五百二十年)に達した頃、トヨケはこのように言った。

『思えば、尊孫は先五百氏もあるが、その中にアメノミチ(陽陰の道)を会得して、人草の嘆きを和す尊は居ない。ゆえにこの秩序も尽きてしまうだろう』

そこでトヨケは民の様子を見ようとハラミ山に登り、一通り巡ってみたが、

『ヤシマ(八洲)に住む数多くの民は、ただ蠢いているだけだ。道を習えぬのが道理か』

と嘆いて、ヒタカミの宮に帰った。

すると、娘のイサナミが父のトヨケに

『やはり、ヨツキコ(代嗣子)が必要だと思います』

と申し出たので、トヨケは直ちに占法を行い、ツキカツラキのイトリヤマ(斎鳥山)のヨツギヤシロ(代嗣社)にヤトヨハタ(色垂)を飾った。そして、アメノミヲヤに祈ろうと、自ら禊をし、八千座の神と契って卓越した厳霊(イツチ)を示した。

すると、その祈りはアメノミヲヤの神に届き、アメノミヲヤの眼から漏れる日月であるアモト(天元神)・ミソフ(三十二神)の守護を会得し、日嗣の御子を成す方法を授かった。

同じ頃、君主となった二尊(イサナギ・イサナミ)もハラミ山に登っていたが、

『二人で国々を巡り、民を治めて、姫御子を儲けたが、嗣子は得られなかった』

と、嘆く状況だった。

そして、コノシロイケ(子代池)の水で左眼を洗ってヒル(日霊)に祈り、右眼を洗ってヨル(月霊)に祈った。この時、イサナギはアメオシラスルウツノコを儲けるために、イシコリトメが献上したマスカカミ(真澄鏡)を日月に擬え、神霊の降誕を請うた。山頂を巡り、神に祈りを捧げるうちに神霊が身体に染み入り、千日経つ頃には二尊の体の各所は桜色に染まっていた。

ある日、イサナギがイサナミにオヱ(月経)の日を問うと、イサナミは『月のオヱは流れが止まった三日後で、身を清めるために日を待っています』と答えたので、イサナギは微笑んでイサナミと共に朝日を拝んだ。すると、二尊の前に日輪が落ちてきて留まったので、二尊は思わず その日輪を抱き、夢心地に至った。夢から覚めると気分は爽快で、二尊は宮殿に帰った。

そこで、ヤマスミ(サクラウチ)がササミキ(神酒)を勧めると、イサナギがイサナミに床酒の意味を知っているかと問うた。これにイサナミはこのように返答した。

『床酒は、まず女が酒を飲み、後に男に勧めます。床入は、女は語らず、男の準備を女が察して交ぐ合います。そして、舌露を吸えばお互いに打ち融けて、タマシマカワ(玉島川)のウチミヤ(内宮)に子種を宿します。これがトツキノリ(婚ぎ法)であり、子を調えるトコミキ(融酒)は国生む道の教えと存じます』

こうして二尊は交わって子を孕んだ。しかし、御子は十ヵ月では産まれず、年月が経っても産まれる気配が無かった。そのため、イサナミが病に罹ったと心を痛めていたが、九十六ヵ月目にやっと産気付いた。ここで生まれたのがアマテルである。

アマテルの生後と即位


二十一鈴百二十五枝年キシヱ(三十一穂の元旦)、初日の出がほのぼのと出づる時にアマテルは生まれた。その形は、丸いタマコ(保籠)のようであった。この時、大老翁のヤマスミは『世嗣を得たことは、今後の幸いの到来の兆しである』と大喜びで寿ぎ、三度にわたって幸せで喜ばしいと歌った。

また、アマテルの胞衣(えな)について質問があれば、この様に答えた。

『トヨケ尊の教えにもあるように、アマテルの胞衣はイソラ(逸霊)を祓うものである。胞衣の保護はオノコロのタマコとなって幸せで喜ばしい』

そして、遂にアマテルの胞衣を開く時になると『タマノイワトを開け』と一位の木の笏(しゃく)で胞衣を開いた。その地は、アマノト(天地の戸)と呼ばれた。胞衣を開くとタマコの中から光輝くアマテルが現れ、これをシラヤマヒメが産湯に浸した。また、アカヒコが桑に引いた糸を、ナツメが織った絹糸の御衣が献上された。母のイサナミの母乳が少なく、足りない時はミチツヒメが乳を献上した。

しかし、アマテルの瞳は閉じたままで、月日のウルは見られなかった。

初秋の七月十五日、アマテルの瞳が開くと、その初めて開いた目には民が手を打ち喜ぶ姿が映っていた。そして、タカミクラにヤトヨハタが立てられて、アマテルは正式に君となった。なお、ヤトヨハタには『天にたなびく白雲と、八峰に降るアラレ』が表現されていた。この先、アマテルの胞衣を開いた『一位笏』を持つことは、クラヰノヤマで生まれたアマテルの子孫(尊の穂末)である証となり、代々日嗣の御子に引き継がれることになるだろう。

また、叔母のシラヤマヒメがコヱネクニで御衣を織って献上する際、御子(アマテル)の泣き声が聞こえた。その泣き声が『あなうれし(ああ、嬉しい)』と聞こえたため、皆が御子の名を尋ねようとした。そこで、シラヤマヒメが代表して御子に直接名を問うと、御子は自ら『ウヒルキ(太陽霊貴)』と名乗った。そのため、御子の幼名をウヒルキという。

この『ウヒルキ』には、このような意味を指す。

『ウ』は『大い』
『ヒ』は『日輪』
『ル』は『陽の精霊』
『キ』は『熟(キネ)』

故に『ウヒルキ(太陽霊貴)』の尊であり、『キネ』は男の君を指す。二尊(イサナギ・イサナミ)は、御子の幼名を聞き出したシラヤマヒメの功を讃え、キクキリヒメの名を与えた。なお、アカタマ(太陽)のワカヒル(若日)の霊は、まだ未熟な青い霊の意である。だが、やがて暮日の神霊であるヌバタマ(萎霊)となるだろう。

こうして、久方の光(アマテル)が生まれたことで、新嘗会に天悠紀・地主基などの祭りが行われ、二尊は御子の養育に尽くした。その後、アマテルはアマノハラに十六年座したが、二尊が気に掛けない日は一日も無かったという。

アマテルをヒタカミに預ける


かつてタマキネ(トヨケ)は、誓いを立てるために葛城山にて八千回の禊をした。そして、斎鳥の出車(イトリノテクルマ)を造り、ハラミの地と桂(タカマ)を繋ぐ迎えの形を整えた。

二尊(イサナギ・イサナミ)は相談の末、御子をトヨケに預けて養育することを決め、出車を召してヒタカミへ向かった。この際、御子は八房輿に、乳母のミチツヒメは方輿に乗り、皆でケタ壺のヤマテ宮を目指した。この道中、御子(アマテル)の全身からは光が溢れ出し、八方は黄金に輝いたという。この様子を見たトヨケは、御子にワカヒトという斎名(いみな)を与えた。

ヤマテ宮に着くと、二尊は『我が宮では十分な養育が叶いません』と畏まり、御子をトヨケに託して天(ヒタカミ)へと上げた。こうして、二尊は御子を手放した後、オキツノミヤへと帰還した。

真名と称名


アマテルはヒタカミにおいて、アメナルミチ(調和の道を説く道徳)を学んだ。その際、六代目タカミムスビであるヤソキネの代嗣子・フリマロ(タカギ)が学友として常に傍に仕えた。二人は日々、五代目タカミムスビのトヨケが座すアマツミヤで共に学んだ。

ある日、学習意欲の高いアマテルがトヨケに問うた。

『真名を斎名として称しますが、姉のヒルコには三つあるのに対し、私に四つあるのはなぜでしょう?』

トヨケはこれに対し、次のように答えた。

『斎名(いみな)は、両親からそれぞれ継ぐ名と合わせて四つとなる。アマツキミ(日月をなす君)は、一(ヒ)から十(ト)までを尽くすため『ヒト』として和(ととの)う。これは『キネ』『ヒコ』『ウシ』といった尊称も同様である。

対して女は和らず、両親より二つ、夫より一つを受けて計三つとなる。子を産むための存在として『何子姫』や『何小』といった名が付くが、男は和るがゆえに四つとなる。

また、称名(たたえな)は功績に応じていくら付けても良い。斎名とは、シム(霊・親・統)が通うことで真となる名(名が体を表すもの)である』」

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注釈


登場人物


・オオモノヌシ:『記紀』の大物主神に比定。『中央政権のモノノベの主』という役職名を指す
・オオヤマズミ:『記紀』の大山祇神に比定。ホツマに複数存在するため役職名と推定
・タカミムスビ:『記紀』の高御産巣日神に比定。『ヒタカミ国を統べる者』という役職名を指す
・タマキネ(トヨケ):伊勢外宮の豊受大神に比定。五代目タカミムスビであり、中央の君
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。男尊
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。女尊。トヨケの娘でアマテルを懐妊・出産した
・アメノミヲヤ:大宇宙の根源の意識であり、いわゆる創造主を指す
・イシコリトメ:『記紀』の石凝姥命に比定。真澄鏡を献上し、神霊降誕の助けとなる
・シラヤマヒメ:神社祭神の白山比咩神に比定。後にキクキリヒメの名を賜る
・ミチツヒメ:母乳を補い、アマテルを養育する
・ヤソキネ:六代目タカミムスビ
・フリマロ(タカギ):『記紀』の高木神に比定。ヤソキネの代嗣子

関連社


・恵那神社:ホツマツタヱにおけるアマテルの生誕地に比定できる
 ・創建年:不明
 ・主祭神:伊邪那岐大神、伊邪那美大神
 ・所在地:岐阜県中津川市中津川字正ケ根3786番地1

※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈

恵那山の伝説との相関性


ホツマツタヱ4文に登場するアマテル生誕の記述は、恵那山に伝わる伝承とほぼ一致しており、岐阜県中津川市に鎮座する恵那神社には、恵那山の由来としてこのような伝説が伝えられています。

恵那の地名は伊邪那岐・伊邪那美の夫婦が峠を越えて美濃の地に入った時、天照大神を出産した際の胞衣を山に納めたと伝えられている。その時に胞衣山と名付けられ、それが後に恵那山になったといわれており、産湯に使われた湯から「湯舟沢」、胞衣を洗ったとされる池は「血洗の池(血洗神社)」、伊邪那美が出産後に腰を掛けた岩は「腰掛岩」など、天照大神の出産にまつわる地名が数多く残っている。

『記紀』との主な違い(AI分析)


アマテラス誕生の方法

ホツマでは、アマテルは胞衣(タマコ)を開くことで現れる特異な誕生をする。一方、『記紀』では、イザナギの禊によって、目から直接生まれる神として描かれる。

誕生までの過程(受胎・懐胎)

ホツマでは、祈り・鏡・婚姻儀礼を経たうえで長い懐胎期間を経て誕生する。一方、『記紀』ではこうした受胎過程の詳細はなく、誕生は比較的簡潔に語られる。

胞衣(えな)の扱い

ホツマでは、胞衣は神聖な生成の中心として扱われ、誕生儀礼の核となる。一方、『記紀』では胞衣に関する重要な扱いや思想は特に見られない。

婚姻・生殖の具体性

ホツマでは「トツキノリ」として具体的な婚姻・性交の手順が体系的に説明される。一方、『記紀』では婚姻は象徴的に描かれ、具体的な手順までは示されない。

鏡の役割

ホツマでは、真澄鏡が神霊を招く装置として用いられ、誕生に直接関与する。一方、『記紀』では鏡は三種の神器の一つとして重要視されるが、誕生そのものには関与しない。