【意訳版現代語訳】天の巻 ホツマツタヱ5文 ワカの枕詞の文
ホツマツタヱ5文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ5文のあらすじ
アマテル誕生の経緯と、その背後にある統治理念・祭祀・名の思想がまとめられた文(あや)です。
1. アワウタの制定
イサナギ・イサナミが民の言葉を統一するため、五音七字道のアワウタを定め、二十四音ずつ歌い合わせて四十八音を教えたことで、民の言語が整い、国名もアワクニと呼ばれるようになった。
2. 筑紫と四国への普及
二尊は筑紫で橘を植えトコヨノミチを確立し、四国ではイヨツヒコにアワウタを習わせ「アワツヒコ」と名付けた。紀州でも宮を造営し、荒ぶる子・ハナキネのためクマノ宮を建てた。
3. カグツチ誕生とイサナミの死
熊野で山火事を鎮めるため、イサナミは火の神カグツチを生むが、自身は炎に焼かれて死去。死の間際に埴神・水神を生み、カグツチの子ワカムスビ(ウケミタマ)も誕生した。
4. イサナギの黄泉訪問と禊
イサナギは黄泉でイサナミと対峙し、追いかける鬼霊(シコメ)を桃や櫛で退けた後、オトナシカワで禊を行い、各地で神々を生み清めを行った。
5. 導きの歌と和の道の成立
アワ宮で「導きの歌」の詔により、民はアワ歌を通じて音声と和の道を学び、葦原から大和へと繁栄。枕詞や歌の種を通じ、身を清め、和の道(マトミチ)が民に広まった。
意訳文
アワウタの制定
諸守が集まりカミハカリ(守議)が行われていた際、モノヌシがマクラコトバ(枕詞)の由来を問うた。これに皆は口ごもったが、アチヒコ(オモイカネ)が「ミソギノフミ(禊の文)に記されている」と答えた。そこで諸守が詳しく聞くと、このように答えた。
「これは、イサナギ・イサナミの二尊がオキツボに居た時のことである。
二尊は国を平定したが、民の話す言語は様々で一致していなかった。そこで二尊はこれを正そうと、ヰネナナミチ(五音七字道)のアワウタを定めた。上の二十四音はイサナギが歌い、下の二十四音はイサナミが歌って、それを重ねて歌い、四十八音を教えていった。
すると、このアワウタによってネコエ(音声)の道が開け、民の言葉がととのった。これにより、ナカクニ(中国)もアワクニ(アワ国)と呼ばれるようになった。
筑紫と四国にアワウタを広める
二尊は筑紫に御幸して橘を植え、トコヨノミチ(基本法)を確立した。筑紫の諸守はこの教えをもって民を治めた。
また、二尊はタマノヲ(霊の緒)を留める宮を「ヲトタチバナノアワキミヤ(復橘の和き宮)」と名付け、そこで御子を儲けてモチキネ(ツキヨミ)と名付けた。
ソアサ国(四国)では、サクナギの子であるイヨツヒコにアワウタを習得させた。イヨツヒコはアワウタを覚えたことで、自分の名を「アワツヒコ」とした。
ハナキネと隈の宮
二尊はソサ(紀州)に至り、宮を造営して静かに過ごした。このキシヰ国(紀州)でも橘を植えてトコヨ里とした。この時、かつて流したヒルコが呼び戻され、二尊の子として復帰した。
イサナミが木の下で歌を教えていた際に産んだ子は「ハナキネ(ソサノヲ)」と名付けられた。ハナキネは極めて気性が荒く、雄叫びを上げて騒ぐため、周囲は困り果てた。
イサナミは、この子の荒ぶる性格は自らの身に宿った世の隈(穢れ)が原因であると考えて責任を感じた。そこで、民に悪影響を及ぼさないよう、自らが世の隈を引き受けるためのクマノ宮を建てた。
カグツチ誕生とイサナミの死
ミクマノ(御熊野)で山火事が発生した際、イサナミは向い火を放って鎮めるために『火の神・カグツチ』を生み出した。
しかし、イサナミはカグツチの炎に焼かれて命を落としてしまった。
イサナミは死の間際に『埴神・ハニヤス』と『水神・ミツハメ』を生み出した。
※説話の流れから、往々にしてソサノヲが火を放ったと推察される
ワカムスビことウケミタマ
カグツチとハニヤスの間に生まれた子は『ワカムスビ』と呼ばれた。
ワカムスビは、頭に蚕と桑を生じさせ、ヘソからはソロ(稲・実)を生じさせた。
このワカムスビの別名を『ウケミタマ』という。
イサナミの葬儀
イサナミの遺骸は熊野の有馬に葬られ、ハナトホノトキ(端と穂の時)に祭られた。
葬儀の際、ココリヒメ(シラヤマヒメ)は親族に別れを告げた。イサナギは亡き妻・イサナミの姿をひと目見ようとしたが、ココリヒメは『見てはならない』と強く制止した。しかし、イサナギは『見て確かめなければ気が済まない』と言って、これを聞き入れずに遺骸のもとへ向かった。
イサナギは、イサナミの遺骸の前で黄楊(つげ)の櫛に火を灯し、それで照らすと蛆がたかっているのが見えた。その凄惨な姿に驚いたイサナギは『これは駄目だ。醜く穢れている』と言い残し、早々に立ち去った。
イサナギの黄泉訪問
その夜、イサナギは『カミユキ(夢・幽体離脱)』の状態となり、そちらの世界でイサナミと対峙した。
そこでイサナミは、
『あなたは真実を受け入れずに私に恥をかかせました。私の恨みは八人のシコメ(鬼霊)に晴らさせましょう』
と言い放ち、八人のシコメを放って追いすがらせた。
これにイサナギは剣を振りながら逃げつつ、途中で見つけた葡萄(ぶどう)をシコメに投げつけた。すると、シコメは葡萄を夢中で貪って足を止めたが、食べ終わるとすぐに追いかけてきた。イサナギは、さらに竹櫛(たけぐし)を投げつけると、シコメはこれにも食らいついたが、食べ終えると再び追ってきた。
イサナギは桃の木に隠れ、その実を投げつけると、シコメは退散していった。イサナギは『葡萄は緩く、櫛は黄楊櫛が良い』と言い、シコメを追い払った桃に『オフカンツミ(穢神潰)』という名を与えた。
その後、イサナギはヨモツヒラサカ(黄泉辺境)まで至り、イサナミとコトタチ(言立)をした。
まずはイサナミが このように言った
『よかった、こうしてくれなかったら世が乱れ、日々 千人の堕落した臣を殺さねばならないところでした』
これに対して、イサナギは このように言った
『よかった、例え毎日千人の臣を失うような事態になっても困らぬよう、私は日々 千五百人の臣を育てていこう』
こうしてヨモツヒラサカは、現世と黄泉を隔てる『カキリイワ』となった。イサナギはこれを『霊還しの守』と称し、妻の死を悔やみながらモトツミヤ(肉体)へと戻った。
イサナギの禊
イサナギは身に受けた穢れと醜さを濯ぐため、オトナシカワにて禊を行うことにした。そこで『ヤソマカツヒ(八十曲つ霊)』を払い出して曲がりを正した。この際、『カンナオヒ(和直霊)』と『オオナオヒ(治直霊神)』を生み、自らの身を清らかにした。
その後、筑紫のヲトタチバナノアワキミヤ(復橘の和き宮)にてミソギ(調和・平定)を執り行った。この際、ナカガワで生んだソコツツヲ、ナカツツヲ、ウワツツヲの三神をカナサキに祀らせ、アツカワで生んだソコワタツミ、ナカワタツミ、カミワタツミの三神をムナカタに祀らせた。さらに、シガ海(琵琶湖)にてシマツヒコ、オキツヒコのシガノカミを生み、これらをアヅミに祀らせた。
導きの歌
その後、アワ宮にて『導きの歌』の詔があった。
『アワ君(二尊)は、別れを惜しんで妻を送ったが、夫は後を追わなかった。もし行けば、恥じた妻が鬼霊に追わせたであろう。善し悪しを知れば、黄泉の境から足も退く。コトタチサクル(宣言することで向上させる)成果もあったというものだ』
このように説き、ミソギ(調和)をもって民をととのえた結果、やがてイヤマト(最たる調和)へと至った。また、アシヒキの千五百村の田には豊かな瑞穂が実った。
その葦原はマトノオシヱ(和の教え)に始まり、成熟すればアワクニ(和国)は照り輝くヤマト(大和)となる。ヒキテアカルシ(導いて道を開かす)の言葉通り、アワ歌の導きによって民に音声の道が開かれ、ナカクニは調和して和国となったのである。
和の道(マトミチ)が通る前の『葦引き(下準備)』という枕詞は、歌がととのうまでの準備を指す『歌の種』である。つまり、このような例が挙げられる。
『あしひき』は『やま』(ヨモツとヤマトから来る枕詞)
『ほのぼの』は『あけ』
『ぬばたま』は『よる』の種
『しまつとり』は『う(鵜)』
『おきつとり』は『かも』と『ふね』である
これらは『ぬばたまの夜の歌枕』や『覚めて明るい前言葉』と呼ばれる。心を明かすのが『歌の道』であり、『ミソギの道』は身を清め明るくする『ヤマトノミチ(和の道)』である。このように非常に大いなる意味があるのだ」
注釈
登場人物
・アチヒコ(オモイカネ):『記紀』の思兼神に比定。ヒルコの夫
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。黄泉からの帰途、禊で神々を生み出した
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。熊野の火災で焼死。火・埴・水の神々を生み出した
・モチキネ(ツキヨミ):『記紀』の月夜見尊に比定。二尊の二男として誕生
・ハナキネ(ソサノヲ):『記紀』の素戔嗚尊に比定。二尊の三男として誕生。荒ぶる性質を持つ
・ヒルコ:『記紀』の蛭子神に比定。流された後に復帰
・カグツチ:『記紀』の火之迦具土神に比定。誕生時にイサナミを焼いた火神
・ハニヤス:『記紀』の埴山姫神(または埴安神)に比定。埴の神
・ミツハメ:『記紀』の罔象女神に比定。水の神
・ワカムスビ(ウケミタマ):『記紀』の稚産霊神および宇迦之御魂神に比定される穀物の神
・ココリヒメ(シラヤマヒメ):『記紀』の菊理媛神に比定
・シコメ:『記紀』の黄泉醜女に比定。イサナミが放った追手の鬼霊
・オフカンツミ:『記紀』の意富加牟豆美命に比定。桃に宿る邪気祓いの神格
・カンナオヒ:『記紀』の神直毘神に比定。禊で生まれた直霊
・オオナオヒ:『記紀』の大直毘神に比定。同じく禊で生まれた修復の神
・ソコツツヲ/ナカツツヲ/ウワツツヲ:『記紀』の底筒男命・中筒男命・上筒男命に比定
・ソコワタツミ/ナカワタツミ/カミワタツミ:『記紀』の底津綿津見神・中津綿津見神・上津綿津見神に比定
関連社
・熊野本宮大社:ホツマツタヱにおけるミクマノ(イサナミ終焉・葬送の地)に比定できる
・別 名:熊野坐神社
・創建年:不明
・主祭神:家津美御子大神(スサノオ)
・所在地:和歌山県田辺市本宮町本宮1110
・熊野速玉大社:ホツマツタヱにおけるイサナミの葬送・黄泉に関わる地に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:熊野速玉大神(イザナギ)、熊野夫須美大神(イザナミ)
・所在地:和歌山県新宮市新宮1
・花の窟神社:ホツマツタヱにおけるイサナミの墓(有馬の葬所)に比定できる
・別 名:花窟神社
・創建年:不明
・主祭神:伊弉冉尊、軻遇突智尊
・所在地:三重県熊野市有馬町130
・住吉大社:ホツマツタヱにおけるソコツツヲ・ナカツツヲ・ウワツツヲ(三筒男神)の祭祀に比定できる
・創建年:神功皇后摂政11年(伝承)
・主祭神:底筒男命、中筒男命、表筒男命、神功皇后
・所在地:大阪府大阪市住吉区住吉2-9-89
・宗像大社:ホツマツタヱにおけるワタツミ三神(ソコ・ナカ・カミ)の祭祀に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:田心姫神、湍津姫神、市杵島姫神
・所在地:福岡県宗像市田島2331
・志賀海神社:ホツマツタヱにおけるシマツヒコ・オキツヒコの祭祀に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:綿津見三神(底津・中津・表津)
・所在地:福岡県福岡市東区志賀島877
※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈
『記紀』との主な違い(AI分析)
アワウタと言語統一の位置づけ
ホツマでは、イサナギ・イサナミがアワウタ(四十八音)を制定し、言語を統一して国を治める根本法として描かれる。一方、『記紀』では言語統一や音韻体系の成立に関する記述はなく、統治は主に神話的秩序や血統によって説明される。
ツキヨミ(モチキネ)の誕生位置
ホツマでは、筑紫の「アワ宮」において婚姻の延長として誕生する。一方、『記紀』では、ツキヨミはイザナギの禊の際に生まれる神であり、出生地や具体的な誕生環境は重視されない。
ヒルコの扱い
ホツマでは、一度流されたヒルコが呼び戻され、正式に子として復帰する。一方、『記紀』では、ヒルコは不具の子として流され、その後の復帰は語られない。
スサノヲの性格と原因
ホツマでは、ハナキネ(ソサノヲ)の荒ぶる性格はイサナミに宿った「世の隈(穢れ)」に由来するとされ、その責任をイサナミ自身が引き受ける構造になっている。一方、『記紀』では、スサノヲの乱暴は個人の性質として描かれ、母体由来の穢れという説明はなされない。
イサナミの死の経緯
ホツマでは、山火事を鎮めるためにカグツチを生み、その炎で命を落とすという「災害対応」の文脈で描かれる。一方、『記紀』では、単純に火の神出産によって焼かれて死ぬという神産みの一環として語られる。
ワカムスビ(ウケミタマ)の生成
ホツマでは、カグツチとハニヤスの間に生まれ、蚕や穀物を生じる具体的な農耕起源神として描かれる。一方、『記紀』では、稚産霊神や宇迦之御魂神は登場するものの、このような連続した生成関係は明確に示されない。
黄泉訪問の展開
ホツマでは、夢的な「カミユキ」の状態で黄泉に赴き、理性的な対話(コトタチ)が行われる。一方、『記紀』では、現実的な訪問として描かれ、恐怖と追跡劇(黄泉醜女からの逃走)が強調される。
シコメと撃退方法
ホツマでは、葡萄・櫛・桃を段階的に使い分ける具体的な対処が描かれ、それぞれの性質評価まで言及される。一方、『記紀』では、主に桃による撃退が象徴的に語られ、細かな比較や評価はない。
死と生の均衡(コトタチ)
ホツマでは、「千人が死ねば千五百人を育てる」という形で、生死の均衡を国家運営として定義する。一方、『記紀』では、「一日に千人殺す/千五百人生まれる」という対話はあるが、統治理念として体系化はされない。
禊と神々の体系化
ホツマでは、禊によって生まれた神々が具体的な地域(宗像・住吉・シガなど)に配置され、祭祀ネットワークとして整理される。一方、『記紀』でも禊による神生みはあるが、ここまで地理的・制度的に整理された体系としては描かれない。
歌と枕詞の思想
ホツマでは、枕詞は「歌の種」として言語生成・思考整理の技術とされ、アワウタと直結する。一方、『記紀』では、和歌や言葉の技術体系としての詳細な理論化は見られない。
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