【意訳版現代語訳】天の巻 ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文
ホツマツタヱ6文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ6文のあらすじ
アマテルの遷宮と十二后の制度、地方の統治状況、御子の誕生、トヨケや二尊の祭祀がまとめられた文(あや)です。
1. アマテルの遷宮と十二后
二一鈴一二六枝年三月一日、アマテルは富士山麓にヤスクニ宮を造営し、遷宮した。二尊はアマテルに十二の后を娶らせ、東西南北の局に配置して太陽の位を得させた。
2. 内宮への迎え入れ
アマテルは、東西南北の局で替わる替わる仕えていた后の中でも、セオリツヒメをアマサカルヒニムカツヒメとして内宮に迎え入れた。
3. ツキヨミの派遣と地方統治
ツキヨミは四国や治安を改善し、政庁や副官を設置して国々を豊かに治め、八万年の統治の基盤を確立した。
4. トヨケ(タマキネ)の最期と神格化
タマキネが諸守に国の奥義を伝えた後、崩御して神として祀られ、北局の三后を朝日宮に派遣するなど、統治と祭祀を継続させた。
5. ヤマトの地図作成とイサワ宮への遷宮
アマテルはヒノハヤヒコを召してヤマト各地の地図を作らせ、新宮を造営してイサワに遷宮した。オシホミミらの御子が誕生し、各宮で統治と祭祀を行った。
6. イサナギの最期と後継者の統治
イサナギはソサノヲ・ヒルコらにネ国・サホコ国の統治を任せ、イサナミの祭祀を定めた後に崩御した。イサナミはクマノクスヒによってクマノカミとして祀られた。ヒルコはオモイカネと結婚し、アマテルの御子のオシホミを養育した。
意訳文
アマテルの遷宮と十二后
二一鈴一二六枝年サナト(五八穂)三月一日のこと、富士山(日の山)の麓に新宮(ヤスクニ宮)を造営した。
この時、アメミコ(アマテル)はヒタカミより遷宮した。
二尊(イサナギ・イサナミ)は、アマテルに后を娶らせるよう詔した。これを受けてカンミムスビのヤソキネが諸守たちと会議を開いた。
クラキネは、娘のモチコと妹のハヤコを嫁がせた。
モチコは北局のスケキサキ、ハヤコは北局のウチキサキとなった。
ヤソキネは、娘のミチコとコタエを嫁がせた。
ミチコは東局のスケキサキ、コタエは東局のウチキサキとなった。
サクラウチは、娘のサクナタリ・セオリツホノコとハナコを嫁がせた。
ホノコは南局のスケキサキ、ハナコは南局のウチキサキとなった。
カナサキは、娘のハヤアキツ・アキコを嫁がせた。
アキコは西局のスケキサキとなった。
ムナカタは、娘のオサコとアヤコを嫁がせた。
オサコは西局のウチキサキとなり、アヤコは西局のシモキサキとなった。
カスヤは、娘のアサコを嫁がせた。
アサコは南局のシモキサキとなった。
カダは、娘のアチコを嫁がせた。
アチコは北局のシモキサキとなった。
ツクバハヤマは、娘のソガヒメを嫁がせた。
ソガヒメは東局のシモキサキとなった。
こうして、御子を太陽として月に当たる十二の后を揃えた(十二月で十二后)。これにより、アマテルは太陽の位を得た。
また、富士山(日の山)もオオヤマと呼ばれるようになり、ゆえに新宮をオオヤマトヒタカミのヤスクニの宮と呼ぶのである。
※キサキは、君を「日」に后を「月」に擬えたものであり、東西南北に局を儲けてスケ → ウチ → シモ の序列で配置される
アマテルの内宮・アマサカルヒニムカツヒメ
ヤスクニ宮の東西南北の局は、替わる替わる宮に仕えた。その中でも素直であったセオリツヒメのミヤビには、アマテルも一目置くようになった。そこで、遂にアマサカルヒニムカツヒメとしてウチミヤ(内宮)に迎え入れた。
セオリツヒメが内宮に入ると、カナヤマヒコの娘であるウリフ姫ナカコが南局のスケキサキとなった。これに因んで暦を調整するための月をウリフツキと呼ぶようになった。なお、アマテルの后は皆、機を織って操を立てた。
ツキヨミの四国派遣とその他の地方政治
ツキヨミは兄のアマテルを助けて国政を補助したが、イヨノフタナ(四国)が治まらなかった。そこでツキヨミを派遣するとイヨノフタナの治安も良くなっていったため、政庁としてトノミヤ(突の宮)を定めた。
チタル国(中国地方)のマスヒト(地方官)のコクミが怠けていたため、タマキネ(トヨケ)を付けた。ヒタカミはヤソキネに治めさせた。タカキネ(タカギ)を君の輔(中央の大臣)とし、タマキネ(トヨケ)はサホコの国(中国地方)を治めた。その際、サホコの政庁はミヤツ(宮津の宮)とした。
ツキスミはシマツヒコ(九州)によって七代統治された。今は七世孫のカナサキによって治められ、補助として枝姓(親族)のムナカタとアヅミが付いた。
こうして国々は豊かに治まり八万年を経た。
トヨケの最期
二二鈴五〇五枝の元旦、ミヤツから早雉(キジ=伝令)が飛んで来たため、太陽神(アマテル)は急いでマナヰに御幸した。マナヰにて、アマテルはタマキネ(トヨケ)と会って語りあった。
その際、タマキネは「昔、ミチノク(奥義)を教え尽くさなかったので、ここで全て授けることにする」と話した。そして、ミチノクを授けると、タマキネは諸守達に向けて、このように宣言した。
「諸守達も、確と聞くが良い。君(アマテル)は幾代のミヲヤ(上祖)である。これはクニトコタチの詔である」
この後、タマキネは洞を閉ざして隠れた。このタマキネの隠れた洞の上には朝日宮が建てられた。アマテルはタマキネの祀りを終えた後、御出車を出して帰ろうとしたが、民に留まってくれとせがまれた。アマテルは民の姿を哀れに思い、自らサホコ国の政を執った。
トヨケ神
このタマキネ(トヨケ)の崩御を告げるキギス(急使)がヤスクニの宮へ飛び、ムカツヒメに伝えた。これを受けてムカツヒメより詔があり、トヨケはタカミ(中央政府)に神として祀られることになった。また詔により、北局の三后であるモチコ、ハヤコ、アチコをマナヰの原に派遣し、朝日宮に仕えさせた。
アマテルがミヤツの宮にてチタル国の道を定め、これを治めた後、ヤソキネの弟であるカンサヒをマスヒトに任じた。また、タマキネの末子であるツハモノヌシとコクミを副官とし、北局の三后をその地に留めた。こうしてアマテルはヤスクニの宮に帰還することになった。この際、前年より滞在していたソサノヲとアマノミチネを副官に加えた。
そして、一行はネナト三月一五日に出発し、四月一五日に到着した。
ヤマトの地図の作成
アマテルはヒノハヤヒコ(タケミカツチ)を召して、国の地図を写し取るよう詔した。
ヒノハヤヒコはこれを受け、諸人を引き連れてヤマトの各地を巡り、地図を描き上げた。
イサワ宮への遷宮
アマテルは都を遷そうと考え、オモイカネを召して新宮を造営させた
宮が竣工すると、イサワの地へと遷宮した。
オシホミミの誕生(五男三女神の歌)
アマテルがイサワ宮(伊雑宮)に滞在していた時、ムカツヒメが藤岡端のオシホイ(忍穂井)の産屋にて御子を出産した。御子の名は「オシホミ(オシホミミ)」といい、斎名は「オシヒト」という。この出産の祝にモチヰ(餅飯)を配ると、民は次のように歌い祝った。
「先にモチコが産む御子は、ホヒの尊のタナヒトぞ
ハヤコが三つ子を産んだ
一にタケコ、オキツシマヒメ
二にタキコ、エツノシマヒメ
三はタナコ、イチキシマヒメ
然る後にアキコが産んだタタキネは、アマツヒコネぞ
然る後にミチコが産んだハラキネは、イキツヒコネぞ
北の内侍のトヨヒメが産んだヌカタダは、クマノクスヒぞ
御子すべて、五男三女なり」
なお、イサワの南殿には橘を植えてカグノミヤ(橘の宮)とし、東殿には桜を植えてヲウチミヤ(大内宮)とした。大内宮ではアマテル自らが政務を執り、あまねく民に知らせを届けて豊かに統治した。
ツキヨミの妻子
ツキヨミの妻はイヨツヒメという。
二人の間に生まれた子はモチタカ、あるいはイフキヌシと呼ばれた。
イサナギの最期
アマテルの父であるイサナギは、かつて次のように指示していた。
「ハナキネ(ソサノヲ)は、ネノクニ(北陸+中国地方)とサホコ(中国地方)を治めるべし」
これは「今から、ヒルコとミクマノの臣によって統治される熊野の後の君となれ」という意味である。
「また、ナチの若御子であるヌカタタ(クマノクスヒ)は、イサナミを祀るべし」
これにより、ヌカタタがイサナミ(クマノカミ)の祭主となった。なお、クマノカミは八人の鬼霊(シコメ)を使って人の魄(肉体)を枯らす神である。この神を祀ると黒い鳥が群れたので、この鳥を「カラス(枯らす)」と呼んだ。
イサナギは一通りの指示を終えると、アワヂノミヤに隠れた。君としての役目を終えた後は、天に上って陽霊を還すアヒワカミヤ(太陽分宮)に留まり、病気平癒を司る「タガノカミ(治汚の神)」となった。
ヒルコの結婚
ヒルコはヤマトヤス宮からアメノヤスカワに遷り、皇子のオシヒト(オシホミミ)を養育した。
また、ネ国(北陸+中国地方)とサホコ国(中国地方)を兼ねて同時に治めた。
ここでシタテルヒメとなったヒルコは、アチヒコ(オモイカネ)と妹背の契りを結び、共にネ国とサホコ国を治めた。
二人の間に生まれた子は、斎名をシツヒコという「タチカラヲ」のことである。
注釈
登場人物
・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。二尊の日嗣の御子であり、日の神として君位に就く
・ヤソキネ:『古事記』の神産巣日神に比定。トヨケの子で、6代目タカミムスビに当たる
・ミチコ:ヤソキネの娘。東局のスケキサキ。イキツヒコネの母
・イキツヒコネ:『記紀』の活津彦根命に比定。アマテル・ミチコの子として誕生
・コタエ:ヤソキネの娘。東局のウチキサキ
・クラキネ:アワナギの子で、イサナギ・ココリヒメの弟。
・モチコ:クラキネの娘。北局のスケキサキ。ホヒの母
・ハヤコ:クラキネの娘。北局のウチキサキ。後の宗像三女神の母
・サクラウチ:『記紀』の大山祇神に比定。オオヤマズミ(役職名)の祖。セオリツヒメの父
・セオリツヒメ:祓戸四神の瀬織津姫に比定。アマサカルヒニムカツヒメとしてアマテルの皇后になる
・ムカツヒメ:撞賢木厳之御魂天疎向津媛命に比定。セオリツヒメの内宮としての名前
・オシホミミ:『記紀』の天忍穂耳命に比定。アマテル・セオリツヒメの御子
・ハナコ:サクラウチの娘。南局のウチキサキ
・カナサキ:神社祭神の住吉神に比定。捨てられたヒルコを拾い上げ、育ての親となった
・アキコ:カナサキの娘。西局のスケキサキ。アマツヒコネの母
・アマツヒコネ:『記紀』の天津彦根命に比定。アマテル・アキコの子として誕生
・ムナカタ:シマツヒコの子孫で、カナサキ・アヅミと共に筑紫を治める
・オサコ:ムナカタの娘。西局のウチキサキ
・アヤコ:ムナカタの娘。西局のシモキサキ
・アサコ:カスヤの娘。南局のシモキサキ。
・カダ:『日本書紀』の保食神に比定。ウケモチ(役職名)の8代目に当たる
・アチコ:カダの娘。北局のシモキサキ
・ソガヒメ:ツクバハヤマの娘。東局のシモキサキ
・カナヤマヒコ:『記紀』の金山彦神に比定。美濃国のクニカミ
・ウリフヒメ・ナカコ:カナヤマヒコの娘。セオリツヒメが内宮に入った後に南局のスケキサキとなる
・ツキヨミ:『記紀』の月夜見尊に比定。アマテルの補佐だったが四国に派遣された
・モチタカ(イフキヌシ):祓戸四神の気吹戸主に比定。ツキヨミとイヨツヒメの子
・タカキネ(タカギ):『記紀』の高木神に比定。中央政務を補佐する神
・タマキネ(トヨケ):伊勢外宮の豊受大神に比定。五代目タカミムスビであり、かつての中央の君
・ハナキネ(ソサノヲ):『記紀』の素戔嗚尊に比定。アマテルの政務補佐に加わる
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。アマテルの父。崩御後にタガノカミとなった
・クマノクスヒ:『記紀』の熊野久須毘命に比定。アマテル・トヨヒメの子。熊野祭祀を担った
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。アマテルの母。クマノカミとして熊野の有馬に祀られる
・ヒルコ:『記紀』の蛭子神に比定。ソサノヲと共にネ国・サホコ国の統治を命じられる
・アチヒコ(オモイカネ):『記紀』の思兼神に比定。知恵の神でありヒルコの夫
・ヒノハヤヒコ(タケミカツチ):『記紀』の建御雷神に比定。国土調査と地図作成を担った
・タチカラヲ(シツヒコ):『記紀』の天手力男神に比定。ヒルコとオモイカネの子
関連社
・山宮浅間神社:ホツマツタヱにおけるヤスクニ宮に比定できる
・創建年:(伝)第11代垂仁天皇3年
・主祭神:木花之佐久夜毘売命
・所在地:静岡県富士宮市山宮740番地
・籠神社:ホツマツタヱにおけるミヤツの宮に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:彦火明命
・相殿神:豊受大神、天照大神、海神、天水分神
・所在地:京都府宮津市字大垣430
・真名井神社:ホツマツタヱにおけるマナヰに比定できる
・創建年:不明
・磐座主座(上宮)祭神:豊受大神
・相殿神:罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神
・磐座西座祭神:天照大神(主神)、伊射奈岐大神、伊射奈美大神
・所在地:京都府宮津市江尻
・比沼麻奈為神社:ホツマツタヱにおけるマナヰに比定できる
・創建年:不明
・主祭神:豊受大神
・所在地:京都府京丹後市峰山町久次宮谷510
・元伊勢外宮 豊受大神社:ホツマツタヱにおけるトヨケの関連社に比定できる
・別 名:元伊勢外宮
・創建年:不明
・主祭神:豊受大神
・所在地:京都府福知山市大江町天田内字東平178-2
・皇大神宮別宮 伊雜宮:ホツマツタヱにおけるアマテル遷宮地・オシホミミ誕生地に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:天照大神
・所在地:三重県志摩市磯部町上之郷374
・熊野速玉大社:ホツマツタヱにおけるイサナミの葬送・黄泉に関わる地に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:熊野速玉大神(イザナギ)、熊野夫須美大神(イザナミ)
・所在地:和歌山県新宮市新宮1
・花の窟神社:ホツマツタヱにおけるイサナミの墓(有馬の葬所)に比定できる
・別 名:花窟神社
・創建年:不明
・主祭神:伊弉冉尊、軻遇突智尊
・所在地:三重県熊野市有馬町130
・多賀大社:ホツマツタヱにおけるイサナギがタガノカミとして祀られた地に比定できる
・創建年:不明
・主祭神:伊邪那岐命、伊邪那美命
・所在地:滋賀県犬上郡多賀町多賀604
※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈
予備知識
カラスの語源
崩御したイサナミをクマノカミとして祀った際に黒い鳥が群れで現れた。クマノカミは八人の鬼霊(シコメ)を使って人の魄(肉体)を枯らす神であるとされるため、その意味に掛けて この黒い鳥を「カラス(枯らす)」と呼んだとされている。カラスは後にクマノカミの神使となっている。
『記紀』との主な違い(AI分析)
アマテルの遷宮と十二后制度
ホツマでは、アマテルに十二の后を娶らせ、東西南北の局に配置する制度的・政治的な側面が強調される。後宮や局の序列、太陽の位を得る儀礼が明確に描かれる。一方、『記紀』では、アマテラスの后や内宮に関する具体的な制度や局の配置はほとんど記述されず、神格や物語的要素が中心となる。
ツキヨミの地方派遣と統治
ホツマでは、ツキヨミが四国に派遣され、政庁や副官を設置して地方統治を行う具体的な描写がある。『記紀』では、ツキヨミは禊で生まれる神としての性格が強く、地方統治や行政的役割の描写はない。
トヨケ(タマキネ)の役割と神格化
ホツマでは、トヨケが諸守に国の奥義を伝授した後、崩御して神として祀られ、統治や祭祀の継続に関与する。一方、『記紀』では、トヨケに対応する人物やその祭祀についての具体的描写はなく、行政的・制度的な役割や神格化の過程は描かれていない。
アマテルの宮造営と御子の誕生
ホツマでは、ヒノハヤヒコ(タケミカツチ)に地図作成を命じ、イサワ宮への遷宮と御子の誕生を政治・祭祀の一連として描く。『記紀』では、宮の造営や地図作成といった行政的描写はなく、子の誕生も神話的イベントとして簡潔に触れられるにとどまる。
イサナギ・イサナミの最期と後継者
ホツマでは、イサナギの隠居に伴い、ハナキネ(ソサノヲ)に対して「ネ国」と「サホコ国」の統治が正式に委任される。これは『記紀』における「泣き喚いた末の根の国への追放」とは異なり、地方行政の責任者としての明確な任命である。
また、若御子(クマノクスヒ)がイサナミの祭主となり、姉のヒルコがソサノヲと共に地方を治めるなど、一族を挙げての祭祀・統治制度が具体的に描かれている。一方、『記紀』ではスサノオの統治放棄や追放といった「個人の物語」に終始し、制度的・組織的な描写は極めて弱い。
ヒルコとオモイカネの関係
ホツマでは、ヒルコはオモイカネと結婚し、アマテルの御子オシホミを養育するなど、系譜と統治をつなぐ重要な役割を持つ。『記紀』では、ヒルコとオモイカネの関係や養育の描写はなく、物語上の存在として扱われる。
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