【意訳版現代語訳】天の巻 ホツマツタヱ13文 ワカヒコ 妹背鈴明の文

ホツマツタヱ13文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ13文のあらすじ


妹背の道(夫婦の理・天地の理)を中心に、冷水行の起源、竈神の由来、善悪の心、輪廻の原理など、生活倫理と宇宙観が体系的に説かれた文(あや)です。

1. 冷水行(みそぎ)の起源

壺若宮での宴にて、オシホミミが冷水行の由来を問うと、カスガはウヒチニやソサノヲの故事を挙げ、強健な者のみが行えた古い仕来りであると説明する。治君がオシホミミを止めたのは身体を案じたためであった。

2. 妹背の道(天地・陽陰の理)

カスガは、夫婦の在り方は天地の陽陰の理に基づくと説く。日(陽)と月(陰)、火と水、空と地など、万物に陰陽が内在し、夫婦もまたその調和の中にあると説明する。

3. 妹背の道(夫婦和合の理)

夫は日、妻は月に喩えられ、男は外を治め、女は内を治めるのが良いなどの、家督継承、婚姻の作法、妻の務め、妾の扱いなど、家の秩序を保つための具体的な生活倫理が語られる。

4. 竈神(カマトカミ)の由来

オキツヒコ夫婦の不和の故事が語られ、真実を映す鏡によって互いの過ちを知り、和合へ至ったことから、二人が竈神として祀られるようになったと説明される。磨けば卑賤の器も神となるという教訓が示される。

5. 善心と悪心(ススカとススクラ)

欲を離れた清らかな心を「ススカ(鈴明)」、私欲に溺れて滅びる心を「ススクラ(鈴暗)」とし、心の在り方が人生を左右すると説く。チチヒメの名「スズカ」の意味もここで明かされる。

6. 輪廻(タマカエシ)の原理

トヨケの過去世の記憶を引用し、魂(タマ)と魄(シヰ)が結ばれて生を受け、行いによって来世が決まると説く。欲にまみれれば転生の道を外れ、苦しみは自らのタマノヲの記憶に責められる「長い悪夢」であると説明される。

7. 欲を捨てる技(ステズアツメズ)

財を捨てるのではなく、財欲に囚われず、心の素直な者を育てることで心が満たされると説く。財を独占すればハタレを招き、タマノヲが乱れて来世を損なうと警告する。

8. タマカエシの祭(ユキ・スキの祭)

子の無い者は祭主に頼み、魂魄を分けて新たな命を迎える「タマカエシ」を行うべきとされる。魂は陽元へ、魄は陰元へ還り、そこから新たな子が生まれると説明される。

9. 妹背の道の結論

妹背の道とは、心に日月の神座を設け、陽陰の理に従って夫婦が調和して生きること。タクハタチチヒメは後に「ススカノカミ」となり、オシホミミは「ハコネカミ」となって互いに向かい合い、神となっても妹背として在り続けた。これが人生を全うするための「スズカの教え」であると結ばれる。

意訳文


冷水行の由来


タカの首(首都)にある壺若宮にて、夏の暑い日にワカヒコ(カスガ)が参内し、そこで御酒を賜った。

この時、オシホミミは「神(アマテル)は『イセノミチ(妹背の道)』を開かれたが、私はこれをカスガに教えられたのだ」と詔した。
そして、カスガは配置に着き、君(オシホミミ)の左に座した。右には このような面子が座していた。

・ヒタカミの治君(ヨロマロ?)
・カルキミ翁(オホナムチ)
・カトリ上君(フツヌシ)
・カシマ君(タケミカツチ)
・ツクバウシ
・シホカマほか

オシホミミは皆「以前、私は水浴びをしようとしたが、治君がそれを止め、真似事だけにとどめさせた。これは一体なぜだ?」と問いかけた。
これに対し、カスガが次のように答えた。

「水浴びとは、ノコルノリ(古い仕来たり)に由来します。

遠き昔、ウヒチニが雛ヶ岳でモモヒナミと結婚した際、その初三日に寒川で冷水を浴びたことが始まりです。これに倣い、ソサノヲもまた氷川で冷水を浴びました。しかし、これは両名が共に強健な身体の持ち主であったからこそ成し得たことです。君は優しく和らか身体をお持ちです。治君はそれを案じ、障りがないよう配慮して止めさせたのでしょう」

妹背の道(天地・陽陰の理)


次にオシホミミが「イセノミチ(妹背の道)」について説明を求めると、カスガは次のように説明した。

「イモセとは、八百万氏(多種多様な氏)の区別なく、万民にアメツチ(天地・陽陰)の法が備わっていることを指します。

『キ・ミ』とは天から照らす『月・日』すなわち『陰と陽』であり、クニカミ(国家を守る者=公務員)は『地』すなわち『月・日の照り(反射)』です。そのため、民の夫婦もまた月と日と同じ理の中にあります。

『陰』に当たる水や埴といったものの中にも『陽』に当たる火は宿っており、火擦りや火打ちによって現れる火が『陰の中にある陽』であると言えます。

逆に『陽』に当たる空・風・火の中にも『陰』に当たる水が含まれており、燃え盛る火の芯にある暗い部分は『陽の中にある陰』なのです」

妹背の道(夫婦和合の理)


次にカスガは夫婦の在り方について説いた。

「女男の姿は異なれど、その源は一つです。

夫は日であり、妻は月です。月は自ら光ることはなく、日の光を受けて初めて影を成し、輝くことができます。女男の関わりもこれと同様です。太陽の軌道が外側にあり、月がその内側にあるように、男は表の業に務め、女は内を治めるのが良い。つまり、女は家の中で衣綴りなどするのが良いでしょう。

家督については、本来は長男が継ぐべきだが、病や親の意に沿わぬ場合は、弟に継がせてアコ(上子)とすべきです。代を継ぐ者は家督を譲り受け、ウキハシ(仲人)を介して結婚するべきです。そして、睦まじく子を産み育てて、次代へ繋いでいくのです。

女は独りでは世に住む場所を得られぬゆえ、親愛と協調に心を尽くし、美しい言葉を語ることが基本とするべきです。夫の親は自らの親同然に敬い、老後を世話し、夫に対しては一途に尽くす操を立てるのが良いでしょう。女が男の腹に居るが如く接すること、これが操を建てるということです。

女は名はありませんが、家に嫁げばその家の『内宮』と呼ばれます。もし、カルキミ(オホナムチ)のように妻が多すぎれば、誰が真の内宮か分からず秩序が乱れることになるでしょう。家に入り内宮となった妻が内を整えてこそ、君の恵みは国中に広がるのです。

内宮とは、いわば君の核心たる「ヲナカ」です。地方を治める県守や里守も、その地方のヲナカです。民は田畑を治めますが、家の中では妻は夫のヲナカに当たります。日が天を、月が地を守るように、妻の本質は一人の夫に向かうヒ(火)であるべきです。

数ある農産物も、種と土との相性で芽吹くか芽吹かないかが分かれます。これは女男もまた同様です。もし子に恵まれぬならば、家を絶やさぬために他から妻を迎えるのが良いでしょう。ただし、その際に「夫のヲナカに妻がある」と腹黒い言葉を吐いてはなりません。腹(心)を病む前に、互いの機微を察するべきです。すなわち、女は男の心を問うような真似はすべきではないということです」

オキツヒコの例(竈神の由来)


【意訳版現代語訳】天の巻 ホツマツタヱ13文 ワカヒコ 妹背鈴明の文

ここでカスガは、夫婦の在り方についてオキツヒコの例を引用した。

「かつて、オキツヒコは腹黒い言葉を出したことで妻が荒れ、『操が立たぬ』として離婚に至りました。

オキツヒコの父・クラムスビ(ウホトシ)は、これを嘆いてイサワの宮に相談すると、御内のセオリツヒメがオキツヒコ夫婦を召し、真実を映す『マフツノカガミ』に姿を写させました。その時、夫は汚れた釜(ニステカマ)、妻は煤けた鍋(ツクマナベ)の姿として映し出されました。

二人は自分の顔すら映らないことを恥じて、大変悔やみましたが、それでも妻は夫を許せぬと言って譲りませんでした。妻が、いよいよ恥じて死のうとすると、クラムスビが『我が子・オキツヒコの実態は汚れた釜であったのなら、汝(妻)がその面を磨いてやってくれ』と諭しました。この教えにより、妻は再びオキツヒコの元へ戻り、二人は睦まじく夫婦の道を守ることにしまいました。

そして、二人は諸国を巡って『来世栄える終始慎まやかな夫婦の道』を教え広めました。この功績を讃えられた二人は『カマトカミ(竈尊)』の名を賜りました。このようにテナベオサクル(手鍋をさくる)ような卑賤(いやしい品格)であっても、磨けば光り輝き尊(カミ)となるのです。このように、国守や民を諭して、和合と別離の理を教えるのが妹背の道なのです」

ススカについて(善心と悪心について)


カスガは最後に、心の在り方について説いた。

「来世を思えば、戒め無き心は必ず乱れるのが道理です。ハタレマのように私欲で財を集めた末に滅びゆくものを『ススクラ(鈴暗)』と言います。対して、世にありながら欲を離れる清らかな様を『ススカ(鈴明)』と言います」

この時、チチヒメが垂れから顔を出してカスガに尋ねた。

「私の斎名にも『スズカ』とありますが、君から賜った名であるのに意味がわかっておりません。どうか、その意味を教えてください」

カスガは答えた。

「このスズ(鈴)とは、真榊(マサカキ)の穂末が伸び、年に半寸の六万穂がなることを指します。欲を捨て去れば『ススカ』すなわち先は明るく開けますが、欲に溺れれば行く末は消えてしまうのです」

ここでカルキミ(オホナムチ)が「なぜ財を咎めるのか。私の財は他者から称賛されているぞ」と反論すると、カスガは「他者の幸福を羨(うらや)めば、その者の心には迷いが生じます。その心には やがて妬(ねた)みが生じ、心の曲がりに苦しむことになるでしょう」と諭した。

これにカルキミは「では、心の迷いや曲がりを無くし、楽しく居るにはどうすればいいのだ?」と問うと、カスガはこのように答えた。

「結(死・終わり)とはどういうものかを知っていますか?生とは陽陰に受け、陽陰に還る結びです。すなわち『魂(タマ)』と『魄(シヰ)』の二つが結ばれて生を受け、終わればこれが離れるのです。出雲の民は貴殿が去った後も、クシヒコが示した『ススカの文』を心の拠り所にしていますよ」

すると、カルキミは「クシヒコの諌めの文は『ススカ(涼か)』な心であったのか、今になってようやく理解できた」と言った。

苦しみとは?(輪廻の原理)


続いてカルキミ(オホナムチ)は「では、そなたのいう『苦しみ』とは何だ?」とカスガに問うた。
これに対し、カスガは「かつて、トヨケから次のような詔がありました」と、トヨケの詔を引用して説明した。

「我(トヨケ)は、三代の過去世を知っている。

初代はクニノトコタチとして生まれ、天に還った時にはアメノミヲヤ(根源神)を軸にまわる『モトアケ(元明)※』の守(カミ)を定めた。
二代はタカミムスビのキノトコタチとして生まれ、百万年の天寿を経て『タマノヲ(魂魄の結合部や精神)』の和合を司った。
今はタマキネ(トヨケ)として生まれたが既に八万歳に至る。これまで欲を貪ることも無く、ユキキノミチ(輪廻の道理)も覚えている。

陰陽が結ぶことで人の心の行方が決まり、天に還える時にその生涯が真直ぐであれば、次もまた良く生まれることができるだろう。しかし、欲にまみれていれば往来の道から外れ、二度と還れなくなるだろう」

この説明の最中、カルキミは「そなたは『火は陽に還り、水は陰に還る』と説明した。このように万物は陰陽に還るならば、人も生涯の行いに区別されずに等しく人の本質に帰れるのではないのか?」と食い下がったが、カスガはこのように断じた。

「田畑の稲や粟は近くに雑草の類が生えていれば良く育ちません。これと同様に、人もオヱモノ(穢物)に感化されれば、ユキキノミチ(転生の方法)も忘れてしまうのです。例えば、害虫駆除を嗜みとして行うようであれば、魚・鳥・獣の道に向ってしまうでしょう」

これにカルキミは「そうであれば、財は何のためにあるのだ?」と問うと、カスガは次のように答えた。

「ホメハ(褒衣)を得た人が物欲にふけるように、贅沢な衣食を欲する者は来世で人として生まれたとしても、その心は貧しいままなのです。やがて物欲の虜となってしまうでしょう。つまり、心をないがしろにしていて、人であることの喜びを得られなくなるのです。

また、物欲にふける者の財を、羨(うらや)む者も出てきます。この念がハタレとなって心を蝕むゆえ、タマノヲが乱れてしまいます。やがてはハタレの代わりにシヰ(魄)が苦しむことになるでしょう。その苦しみが心を獣に変えたとしても、神はこれに手を下しません。

例えば、悪夢にうなされて、その圧に耐えられず、わけもわからずに死んでいくようなものです。ゆえに『自己の欲から来る苦しみ』とは『他人では無く、自分のタマノヲの記憶に責められる長い悪夢』ということなのです」

※モトアケ:いわゆる天界(非物質界)であり、回帰する場所や原点などの意味合いを指す

妹背の道の結論


カスガは話を再び妹背の道へと戻し、その結論を述べた。

「妹背の道とは、すなわちアメノマツリ(陽陰の纏り)を奉じることです。これは、心の中に神座を設け、日月の神を祀れるようにしておくことを指します。屍の宮(肉体)に日月(陽陰)の神座を設けておけば、タマノヲ(魂魄の結合部や精神)が解けて人となるのです。このマツリ(纏り)が無ければ、日月の恵みから漏れて落ちることになるでしょう。

また、子を持つことが重要です。もし正妻が子を産まず、種が途絶えそうなのであれば、妾を置いて種を繋ぐのです。ただし、妾となる女の務めは『正妻を敬うこと』です。妾と妻の関係を例えるならば、星と月になるでしょう。妾を星になぞらえると星は光を発しますが、それは月には敵いません。月は正妻なのです。そのため、妾がどれほど美しくとも本宮に入れてはなりません。

アマノハラ(天空)に月を並べ立てれば地が乱れます。これと同様に、妻と妾を同じ宮に入れれば、家が乱れることになるでしょう。月はヨル(夜霊)ですから、妻が疎(うと)まなければ宮の内が正しく治まります。よって、妾は家(本宮)のことに口を出してはならないのです。

また、子を生む妾は、生まぬときには数多の星々と同じようなもの、口を出せば平和が乱れます。往来の君(アマテル)の后も『月と星々の関係(内宮と十二后)』となりました、これに倣えば平和を乱すことは無いのです。

良き女とは、姿が美しくて心が粗末な者ではなく、姿が醜くても心の美しい者を指します。こうした女にこそ、良いミヤビがあるので、装いを観て選ぶことが大切です。このように、妹背の道は陽陰の浮橋を渡すという神の教えでございます。

以上が、妹背の道の大旨であるゆえに、これにて説明を終わらせていただきます」

棄てず集めずの技(欲を捨て去る方法論)


説明の後、ツクバウシが「欲を捨て去るには財を捨て、それでも楽しんで人生を全うせよと言うのか?」と問うと、カスガは次のように答えた。

「そうではありません。まず、財欲から離れても十分に人生を楽しむことはできます。財欲に飢えても施しを受けないことが重要なのです。妹背の道に曰く『汚れた施しを受ければ、汚れた人となるぞ』と言いますが、これを知らないのですか?心が真直ぐでなければ人となれません。この世に生まれながら、その業で財を築き、それで競うのは愚かで大きな損を招きます」

これにツクバウシは「では、財を捨て去る方法とは?」と問うと、カスガは次のように答えた。

「財欲を捨て去るには『ステズアツメズ(棄てず集めず)』の技を知ることが重要です。

例えば財を集めて蔵を満たしても、やがては価値が無くなり、塵芥に等しいものとなるでしょう。一方、心の素直な人を見つけ出して我が子のように育てれば、その価値は続きます。これを喜べば心は満たされて財は無くとも欲は自然と消え去るのです。

すなわち、財を独占して他者を圧迫すれば、羨(うらや)むモノ(ハタレ)に咬まれます。そうなればタマノヲも乱れ、同様の曲がった来世となるタマカエシ(輪廻転生)をすることになるでしょう。タマカエシで緒が解ければ陽陰の宮に入ることができますが、なさねば永遠に苦しむことになるのです」

ユキ・スキの祭(タマカエシの原則)


この時、シホカマは自分に子が無いことを問うと、カスガは次のように答えた。

「アユキ・ワスキの祭主に頼み、生まれてくるべき霊のタマカエシを行いましょう。

そうすれば苦しむタマノヲも解け、魂(タマ)はムネカミ(陽元)へ、魄(シヰ)はミナモト(陰元)へと分かれます。

タマ・シヰ(魂・魄)が分かれれば神となり、そこから尊き『人の子』が生まれることでしょう。

ただし、その結果はユキ・スキの天神の祭に委ねられます」

妹背の道まとめ


未来を重んじて夫婦睦まじく業に務めるのがイセノミチ(妹背の道)である。この道を学ぶための聖地は、カンカゼ(神風)のイセノクニ(妹背の国)である。

タクハタチチヒメも、後にアマテルに仕えてこの「ススカ(鈴明)」の道を得た。そして、伊勢と近江の中の洞(鈴鹿峠)にて、タクハタチチヒメは「ススカノカミ」となり、オシホミミは「ハコネカミ」となった。この両名は互いに向かい合い、神となった後も妹背として在り続けた。

この欲を捨て去る「スズカの教え」こそ、人生を全うするための大いなる教えなのである。

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注釈


登場人物


・アマテル:『記紀』の天照大御神に比定。男神。オシホミミの父
・オシホミミ:『記紀』の天忍穂耳尊に比定。アマテルとセオリツヒメの御子。二代目天君として即位する
・タクハタチチヒメ:『記紀』の栲幡千千姫命に比定。タカキネ(タカギ)の娘で、オシホミミの内宮となる
・カスガ:『記紀』の天児屋命に比定。後のアマノコヤネ
・ヨロマロ:タカキネの子?。ホツマにおけるオシホミミの側近。後にヒタカミの国守となる
・カルキミ(オホナムチ):『記紀』の大己貴神に比定。出雲を譲り、津軽に国替えとなった
・フツヌシ:『記紀』の経津主神に比定。カトリカミ。オシホミミの重臣
・タケミカツチ:『記紀』の武甕槌神に比定。カシマカミ。オシホミミの重臣
・ツクバウシ:ツクバ国を治める国守。オシホミミの重臣
・シホカマ:神社祭神の塩土老翁神に比定。オシホミミの重臣
・ウヒチニ・モモヒナミ:『記紀』の埿土煮尊・沙土煮尊に比定。四代目の二尊。初めての夫婦
・ソサノヲ:『記紀』の素戔嗚尊に比定。アマテルの弟
・オキツヒコ:『記紀』の奥津日子神に比定。クラムスビの子。後にカマトカミとなった
・クラムスビ:『古事記』の大年神に比定。ソサノヲの子。オキツヒコの父
・クシヒコ:『記紀』の事代主神に比定。オホナムチの子
・トヨケ:伊勢外宮の豊受大神に比定。過去世はクニノトコタチ、キノトコタチだったという

関連社


・志波彦神社・鹽竈神社:ホツマにおいてオシホミミの「壺若宮」に比定できる
 ・創建年:不明
 ・志波彦神社祭神:志波彦神
 ・鹽竈神社祭神:塩土老翁神、武甕槌神、経津主神
 ・所在地:宮城県塩竈市一森山1-1

※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈

関連知識


竈神について

竈神(かまどがみ)は、日本各地で「火」や「食」を司る家の守護神として祀られています。しかし、その由来は地域によって大きく異なり、全国的に統一された神話は存在しません。民俗学的には、以下のような複数の系統が並立していると考えられています。

まず、竈は火を扱う場であることから、火の神であるカグツチ(火産霊)を竈神とみなす系統があります。また、竈が家の中心に位置することから、祖霊(先祖)を祀る場として竈神が成立した地域も多く見られます。

さらに、竈が「家の内側」を象徴することから、竈神を女性神として祀る地域もあり、東北・北陸・九州などでは「オカマサマ」「オナカマサマ」などの呼称が残っています。その他、竈を穢れを祓う境界とみなし、荒神・道祖神系の性格を帯びる場合もあります。

このように、一般的な竈神は「火」「祖霊」「女性」「境界神」など複数の性格が混在しており、由来が一本化されていないのが特徴です。

一方、ホツマでは竈神の由来が非常に明確に語られています。ここでは、オキツヒコとその妻が夫婦の不和を乗り越え、真実を映す鏡「マフツノカガミ」によって互いの過ちを知り、和合へ至ったことが物語られます。

二人はその後、諸国を巡って「慎ましい夫婦の道」を教え広め、その功績を讃えられて「カマトカミ(竈尊)」の名を賜ったとされています。この記述は、一般的な民俗に見られる曖昧な竈神像とは異なり、夫婦和合・倫理・家庭の調和を象徴する神として竈神を位置づけている点に特徴があります。

妹背の道の要点と解説


ホツマよれば、妹背の道とは「陽陰の理(天地の法)」に基づく道理を指しており、ホツマ13文では「夫婦の役割と家の秩序」「心のあり方」「魂魄と輪廻」について説明されています。それらを噛み砕いて説明すると、以下のようになると思われます。

1. 陽陰の理(天地の法)

妹背の道の根本には「日と月」「火と水」「空と地」といった万物の陰陽(相反する要素)が調和して働く仕組みがあるとされます。男は「日(陽)」、女は「月(陰)」に喩えられ、互いが補い合うことで家庭と社会が安定すると説かれます。陰の中に陽があり、陽の中に陰があるという説明は、夫婦の関係にもそのまま当てはめられています。

この陰陽の相補性は、道教(タオ)の思想にも見られる普遍的な原理であり、万物が対立ではなく調和によって成り立つという点で共通しています。ただし、ホツマにおける陰陽は男女の二尊を中心とした固有の宇宙観として語られ、あらゆる陰陽の調和といった倫理に基づいた説明される点に特色があります。

2. 夫婦の役割と家の秩序

夫婦の役割としては「男は外の業を治め、女は内を治める」という役割分担の原理が示されます。家の秩序については、家督継承、婚姻の作法、正妻と妾の関係などの具体的な規範が語られ、家の中では妻の役割が重要視されます。家庭の調和が国家の安定に繋がるという思想が背景にあると考えられます。

3. 心の在り方(ススカとススクラ)

心の在り方については、欲に溺れた心は「ススクラ(鈴暗)」、清らかな心は「ススカ(鈴明)」と呼ばれます。心の明暗が人生の行方を左右し、夫婦の和合にも直結すると説かれます。

4. 魂魄と輪廻(タマカエシの原理)

ホツマの宇宙観において、人間は肉体と魂魄(タマシヰ)によって構成されており、魂魄には輪廻転生のようなサイクルが存在するとされます。そのため、過去世や来世といった概念があり、その行き先も現世での行いによって変化するとされています。

ホツマ13文によれば、かつてヒタカミを治めていたトヨケ(豊受大神)は過去世を自覚していたとされ、クニトコタチ(天地開闢時の君主) → キノトコタチ(初代タカミムスビ) → トヨケ(五代タカミムスビ)へと転生したと記されています。この過程で、クニトコタチの時代に非物質的な「モトアケ(天界)」を司る神々を定め、キノトコタチの時代に「タマノヲ」をもって魂魄を結びつけるような仕組みを整えたとされます。

この「魂魄(タマシヰ)」の構造を分けて説明すると、まず「魂(タマ)」と「魄(シヰ)」に分けられます。この魂・魄を結びつけるものが「タマノヲ」で、このタマノヲが魂魄を結びつけると「ナカゴ(心・精神)」が発生するとされます(ナカゴについては17文参照)。つまり、この魂魄(タマシヰ)が肉体と結びつくことで、心を持った人間となるとされているわけです。

さらに、この魂魄(タマシヰ)には転生のサイクルがあるとされており、その行き先は現世の行いによって決まるとされています。その行いの是非については、清いか穢れてるかという抽象的な表現がされることが多いですが、ホツマ13文においてはカルキミ(オホナムチ)のケースを具体例としてあげています。

オホナムチは出雲で食糧備蓄の方法を確立して民から飢えを無くしました。その結果、出雲は裕福となって人も財もは天(中央政府)に匹敵するほど拡大したとされます。こうした過程で、オホナムチは欲にかられて巨大な宮殿に分不相応な額を掲げるなど、謀反をにおわせるような行動に出ました。その結果、出雲を譲ることとなり、津軽へと追いやられます。

カスガはこの例をもって「欲にかられた者は、贅沢な暮らしをしていたとしても、さらなる欲にかられて心は貧しくなる。また、それを見た者も嫉妬や羨望によって心が穢れる。その結果、欲によって苦しむことになる」というように説いています。また「無益な殺生を行うこと」でも心が穢れると説いており、こうした穢れから心が獣のようになって「ユキキノミチ(転生の方法)」を忘れてしまうとされます。

このユキキノミチ(転生の方法)を忘れることで「来世は人として生まれることができず、魚・鳥・獣などとして生まれる」と説明しています。現代にも輪廻転生に関するさまざまな思想がありますが、ホツマの魂魄観はそれらと部分的に似ていながら、その構造はかなり独特です。

仏教やヒンドゥーでは「魂が生まれ変わる」という一元的な輪廻観が一般的ですが、ホツマでは魂(タマ)と魄(シヰ)が別々の性質を持ち、それらを結ぶタマノヲの状態が転生の行き先を左右するという、より機能的で具体的な仕組みとして語られます。また、輪廻を「苦の連鎖」と捉える仏教とも異なり、ホツマでは心の清明さを保つことで自然に人として生まれ変わるという、生活倫理に根ざした独自の転生観が特徴となっています。