【意訳版現代語訳】人の巻 ホツマツタヱ35文 ヒボコ来たる スマイの文

ホツマツタヱ35文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。

詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。




ホツマツタヱ35文のあらすじ


イクメイリヒコ(垂仁天皇)の即位と、その御代における外来者の来訪・后妃の変動・相撲の起源など、王権の安定と文化形成が描かれた文(あや)です。

1. 垂仁天皇の即位と新都の成立

ヰソサチ皇子が42歳でアマツヒツキを継ぎ、イクメイリヒコとして即位する。夢占によって君位が定まり、纒向珠城宮への遷都が行われ、新たな御代の基盤が整えられる。母后・大御后の長寿も記され、王統の安定が示される。

2. 任那との国交とアメヒボコ伝承

任那からの朝貢があり、ツノガアラシトより五色の錦が献上される。これを契機に国交が整う。また、崇神期に新羅から来たアメヒボコの来歴と、その子孫が垂仁朝の臣下となる系譜が語られ、外来系氏族の由来が整理される。

3. サホヒメとサホヒコの謀反

后のサホヒメが兄サホヒコにそそのかされ、君を弑そうとするが、情に負けて涙を流し、陰謀が露見する。サホヒコは籠城し、サホヒメも御子を抱いてイナキに入るが、火攻めの末に兄妹ともに命を落とす。垂仁は功を立てた臣に名を与え、後宮の再編が進む。

4. 后妃の再任と相撲の始まり

新たにカバヰツキヒメを内宮に立て、カグヤヒメを内侍とする。また、タエマクエハヤとノミノスクネの力比べが行われ、これが相撲の起源として語られる。勝者ノミノスクネには國と宝が与えられ、祭祀と武技が制度化されていく。

意訳文


イクメイリヒコ(垂仁天皇)の御代


上鈴689年ネヤヱ春1月1日から2日、斎名をヰソサチという皇子は42歳でアマツヒツキ(帝位)を受け継いだ。そして、イクメイリヒコの天君となり、ハラの法に則って飾りを民に拝ませた。君は生まれ付き真直ぐで、心のホツマ(調和)に騙りが無く、夢の徴(夢占)によって君となり、新たな御代を始められた。

10月11日、秋天(秋の空)に遅れ、冬になってから父の遺骸を納めた。母のミマキヒメは79歳の時に御上后となり、大母のイカシコメは189歳で大御后となった。

垂仁2年(上鈴690年)2月、ヒコヰマスの娘のサホヒメを内宮に立てた。纏向を新都として遷宮し、マキムキタマキミヤ(纒向珠城宮)に遷った。

12月、内宮のサホヒメが御子のホンツワケを生むが、物を言わなかった。また、任那よりソナカシチが派遣されて朝貢した。その際、新御代の祝に大御酒を与えた。なお、任那の君(ツノガアラシト)より即位の賜物として五色のカツミネニシキ(最高級の錦織り)を百機献上された。この錦織を使い、シホノリヒコが幟(のぼり)を仕立てて任那に送ると、国交が成立した。

垂仁3年(上鈴691年)1月、モロスケを臣とした。

アメヒボコの八種の土産物


【意訳版現代語訳】人の巻 ホツマツタヱ35文 ヒボコ来たる スマイの文

昔、アメヒボコが次の八種の土産物を但馬に納めた。

・ハホソ(ハボソ珠)
・アシタカ(足高珠)
・ウカガタマ(ウカガ珠)
・イツシコガタナ(出石小刀)
・イツシホコ(出石桙)
・ヒカカミ(日鏡)
・クマノヒモロケス(熊の神籬)
・イテアサノタチ(イデアサの太刀)

新羅から来たアメヒボコ


崇神39年(上鈴659年)、アメヒボコが播磨から宍粟に到った。その時、君(崇神天皇)はオオトモヌシ(タタネコの孫)とナガオイチを播磨に派遣し、現地でアメヒボコに素性を問うと次のように答えた。

「私は新羅の君のアコ(天子)です。名はアメヒボコといい、弟のチコに国を譲ってやって来ました。ヤツカレ(僕)は聖の君に服従したいと思っています」

これを聞いた二人が帰って報告すると、君より「播磨のイテサ村の淡路・宍粟にそのまま居させよ」との勅命が下った。これにアメヒボコは「もし許されるのであれば、住む所を巡り見たいと思います」と申し上げると君が許したので、アメヒボコは宇治川を上って近江の吾名邑に住んだ。

その後、さらに若狭を巡り、やがて但馬に住んだ。

アメヒボコの子孫


ヒボコは伴のスエヒトをハザマタ(途中の場所)に残して、出嶋のフトミミの娘のマタオを娶り、モロスケ(垂仁天皇の臣)を生んだ。モロスケはヒナラギを生み、ヒナラギはキヨヒコを生み、キヨヒコはタジマモリを生んだ。

サホヒコの謀反


サホヒコの謀反

垂仁4年(上鈴692年)9月1日から23日、サホヒコ(サホヒメの兄)がサホヒメに「兄と夫のどちらが愛しいか?」と問うと、サホヒメは驚いて つい「兄です」と答え、都合をよく話を合わせた。すると、サホヒコはサホヒメに次のように命じた。

「汝は君に色(美貌)を以って仕えているが、やがて色が衰えれば恵みも去るであろう。しかし、兄の恵みは永遠である。我が願望は、我と汝が御世を踏み、安定した土台を保つことである。ゆえに我のために君を弑せ(しいせ=目上の者を殺すこと)」

このように命じると、ヒモガタナ(秘刀)をサホヒメに授けた。この時、サホヒメは兄の心根を諌めても聞かぬことを悟っていたため、ナカゴ(心)が震えた。また、この秘刀をどうすることもできず、袖の内に隠し諌めた。

垂仁5年(上鈴693年)3月初日、皇(垂仁天皇)が来目高宮に御幸し、サホヒメの膝枕で寝ている時に"暗殺はこの時"と思ったが、つい涙を流してしまい、その涙が君の顔に落ちてしまった。この涙に君が目覚めると、先ほどまで見ていた夢の話をした。

「今、私の夢にイロオロチ(美しい蛇)が現れた。そのオロチは首に纏わりついたが、サホノアメ(サホヒメの涙の雨)が私の面を濡らしたのだ。これは何の清汚(正と邪)であろうか…」

これにサホヒメは胸に秘めた隠し事を隠しきれなくなり、臥し転びつつ、あからさまに答えた。

「私はやはり、君の恵みに背向くことはできません。これを告げれば兄の身を滅ぼしてしまうでしょう。ですが、告げなければ君の治世を傾けてしまいます。私はこれを恐れ悲しんで涙を流しました。そして、君が膝枕で昼寝をしている時、兄のアツラエ(依頼)を為す機会はここだと思ってしまいました。

もしも狂った者であれば、これを偶然得た功名であると考えるでしょう。ですが、それを思えば涙が溢れ、それを拭く袖から御顔にこぼれ落ちてしまいました。君の夢に現れたオロチは きっとこれでしょう」

このようにサホヒメが白状して秘刀を差し出すと、君は直ちに詔して近くのヤツナダ(区画を治める者)を召し、サホヒコを討てと命じた。その時、サホヒコは住居の周囲にイナキ(防御柵)を成して堅く防ぎ、なかなか降伏しようとしなかった。

これにサホヒメは悲しみ「私が生きていても、シム(親族)が枯れれば何も面白くありません」と言って、御子のホンツワケを抱いてイナキに入っていった。君は「サホヒメと御子を出すべし」と詔したが、サホヒメは出てこなかった。

そこでヤツナダがイナキに火を掛けて火攻めにすると、サホヒメは御子を臣に抱かせてイナキから脱出させ、イナキの中から君に次のように申し上げた。

「私は、兄の罪を許してもらうためにイナキに入りました。ですが、兄だけではなく私にも罪があることを知りました。私はたとえ罷っても、君の御恵みを忘れることはないでしょう。後の定め(内宮の後釜)にはタニハチウシを姫を貰ってください」

サホヒメの申し出に対して君が許しを与えた時、炎が勢いづいてイナキが崩れた。そのため、周りから諸人が離れると、サホヒメとサホヒコは炎に巻かれて遂に罷ってしまった。

この事件の後、君はヤツナダが功績を褒めてタケヒムケヒコの名を与えた。

新たな后を立てる


垂仁7年(上鈴695年)7月初日、コモツミの子のツツキタルネの娘のカバヰツキヒメを内宮に立てた。また、その妹のカグヤヒメを内侍とした。

7月5日、言祝してハツタナバタノカミマツリ(果てなく続く機の棚機神の祭)を催行した。

相撲の始め


ノミノスクネとタエマクエハヤ

ある臣が君に次のように申し上げた。

「タエマクエハヤという者は大力で、地金を延ばして角を割くカナユミを造るといいます。また、当人は『我が力に張り合える競い相手を求めているが、出てこないまま罷ってしまうか』と常に語っているそうです」

その話を聞いた君は、諸人に「タエマクエハヤに競える力を持つ者はおらぬか?」と問うた。すると、その中から「ノミノスクネはいかがでしょう」という申し出があったので、ナガオイチを遣わしてノミノスクネを召した。これにノミノスクネも喜ぶと、君は「明日に競わせよう」と詔した。

力を競わせる際に、カミノノリ(御上の定める法)に則ってスマイノサト(相撲の里)にハニワ(土俵)を整備した。そして、タエマクエハヤは東から、ノミノスクネは西から出でて立ち会うと、ノミノスクネが強く、タエマクエハヤの脇を踏み、さらに腰を踏んで殺した。

勝負が決まると、君が団扇を上げてトヨマセ(鳴り響かせ)ば、臣も喜んだ。勝負に勝ったノミノスクネは、タエマクエハヤの金弓およびタエマクニ(當麻国)を賜った。この際にノミノスクネの妻は「ツキナシ(ツキが無い)の身はユミトリ(弓取=夢を叶えた者)となった」と言った。

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注釈


登場人物


・イクメイリヒコ:『記紀』の活目入彦五十狭茅天皇に比定。崇神天皇とミマキ姫の子。十一代垂仁天皇
・ミマキヒメ:『日本書紀』の御間城姫に比定。オオヒコの娘。ミマキイリヒコの内宮
・イカシコメ:『記紀』の伊香色謎命に比定。孝元天皇の内后。オシマコトの母
・ヒコヰマス:『記紀』の彦坐王に比定。開化天皇とオケツ姫の子
・サホヒメ:『記紀』の狭穂姫命に比定。ヒコヰマスの娘。垂仁天皇の内宮
・ホンツワケ:『記紀』の誉津別命に比定。垂仁天皇とサホ姫の子
・ソナカシチ:『日本書紀』の蘇那曷叱知に比定。任那の使者
・シホノリヒコ:『記紀』の塩乗津彦命に比定。ヒコクニフクの孫。吉田氏の祖
・アメヒボコ:『記紀』の天日槍に比定。新羅の王子
・オオトモヌシ:『日本書紀』の大三輪大友主に比定。ミケモチの子。オオタタネコの孫
・ナガオイチ:『日本書紀』の市磯長尾市に比定。大市を治める国守
・フトミミ:イズシマを治める国守。アメヒボコの妻のマタオの父
・マタオ:『日本書紀』の麻拕能烏に比定。アメヒボコの妻
・モロスケ:『記紀』の但馬諸助に比定。アメヒボコとマタオの子
・ヒナラギ:『記紀』の但馬日楢杵に比定。モロスケの子
・キヨヒコ:『記紀』の清彦に比定。ヒラナギの子
・タジマモリ:『記紀』の田道間守に比定。キヨヒコの子
・サホヒコ:『記紀』の狭穂彦王に比定。ヒコヰマスの子。垂仁天皇への謀反を企む
・ヤツナダ:『記紀』の八綱田に比定。トヨキイリヒコの子
・カバヰツキヒメ:ツヅキタルネの娘。サホ姫の死亡後に垂仁天皇の内宮となる
・カグヤヒメ:『古事記』の迦具夜比売命に比定。カバヰツキ姫の妹。垂仁天皇の内侍
・タエマクエハヤ:『日本書紀』の当麻蹴速に比定。ノミノスクネと相撲で勝負をした
・ノミノスクネ:『日本書紀』の野見宿禰に比定。タエマクエハヤと相撲で勝負をした

関連社


・出石神社:ホツマにおける「アメヒボコが土産物を埋めた社」に比定
 ・創建年:不詳
 ・主祭神:伊豆志八前大神、天日槍命
 ・所在地:兵庫県豊岡市出石町宮内99

※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈

関連知識


相撲における弓取りについて

相撲における「弓取り」とは、幕下以下の若い力士が務める役職で、結びの一番が終わったあとに行われる「弓取り式」を担当する者を指します。また「弓取り式」は、勝者に代わって大きな弓を持ち、所作を交えながら舞う儀礼であり、その日の土俵を清め、取組の締めくくりとする意味を持ちます。

この「弓取り」の語源については諸説あり、最も有力視される説は「武士の時代に行われた“勝利の弓”を掲げる所作が原型になった」という説で、弓は武士の象徴であり、戦いの勝利を示す道具でもあったため、その所作が儀礼化されて相撲に取り入れられたとされます。また、弓は神事において邪気を祓う道具としても用いられ、弓取り式の舞が「土俵の清め」とされるのは、この祓具としての性格を受け継いだものと解釈されます。さらに、中世には武士を「弓取(ゆみとり)」と呼ぶ語法があり、武技を象徴する呼称としての「弓取」が相撲の儀礼名に転用されたとする説もあります。

一方で、ホツマにはこれとは異なる「弓取り」の語義が見られます。そこでは、金弓造りを生業としていたタエマクエハヤが大力の持ち主であり、強すぎて競える相手が居ないと嘆いていた際にあてがわれたノミノスクネとの相撲勝負で敗れます。ノミノスクネは勝利の褒賞としてタエマクエハヤの金弓と土地を得たことから、「ユミトリ(弓取=夢を叶えた者)」となったと言われたという説話が記されています。

『記紀』との主な違い(AI分析)


垂仁天皇の即位の描写

ホツマでは、垂仁天皇の即位は夢占(夢の徴)によって神意が示され、君位が定まるという形で語られる。一方、『記紀』では夢占の強調は見られず、系譜と儀礼による継承が中心で、神意の直接的な介入は比較的控えめである。

任那との外交儀礼の扱い

ホツマでは、任那の君ツノガアラシトから五色の錦百機が献上され、それを幟として返礼することで国交が成立する過程が具体的に描かれる。一方、『記紀』では垂仁朝の任那との関係は簡潔で、外交儀礼の細部はほとんど記されず、後世的な政治文脈の中で扱われる。

アメヒボコ伝承の構造

ホツマでは、アメヒボコの来歴・移動経路・子孫の系譜が詳細に整理され、外来系氏族の由来を説明する文書的性格が強い。一方、『記紀』ではアメノヒボコは但馬の祖として登場するが、移住の道筋や子孫の連続性は簡略化され、物語としての密度は低い。

サホヒメ・サホヒコ事件の描写

ホツマでは、サホヒメの心理描写が非常に丁寧で、兄への情と君への忠の葛藤、涙の理由、夢占との照応などが細かく描かれる。一方、『記紀』では事件の骨格は同じであるものの、心理の細部は省かれ、物語的な深みは抑えられている。

相撲起源の描写

ホツマでは、タエマクエハヤとノミノスクネの勝負に際し、土俵(ハニワ)の整備、立ち会いの方角、勝敗の決し方、褒賞の授与などが具体的に語られ、相撲が制度化された武技として成立する過程が明確である。一方、『記紀』ではノミノスクネの勝利は記されるが、儀礼的・制度的な描写はほとんど見られない。