【意訳版現代語訳】フトマニ
ヲシテ文献の一つであるフトマニを現代語訳(意訳)にしました。
なるべく原文に従っていますが、わかりやすさを重視して内容を書き換えています。
フトマニの概要
フトマニとは?
『フトマニ』は、ヲシテ文献の一つとして伝わる古文書です。現存本は「モトアケ」と呼ばれる図、および128首の和歌によって構成されています。もともとは「すべてを映すもの」という意味で「天上の四十八音(アワノカミ)=宇宙の根源構造」を指す語だったとされます。なお、本文中には「モトラツタエの文」というフトマニを指す別名も登場しています。
本文の記述によれば、『フトマニ』は 天地の法則・人間の構造・行動指針をまとめた“基礎教科書” のようなものであり、アマテルが臣らに対して「これを基準に統治せよ」と命じた文書とされています。内容は「〇〇は、〇〇だから〇〇である」という形式の説明が中心で、宇宙・身体・言葉の対応関係を示す文章構造となっています。
ホツマツタヱには「フトマニをして占わせたところ…」という記述が散見されるため、占術的な使用もあったと考えられます。しかし、フトマニやその他のヲシテ文献には占術そのものの方法が記されていないため、具体的にどような方法で占うのかは不明です。なお、オホナムチやニニキネの行動・成果に基づく記述が含まれることから、未来予測や、事後に追記される形で編纂された可能性も示唆されています。
モトアケ(フトマニ図)について
モトアケとは「原点・起点・起源・回帰する場所」あるいは「天(陽陰)」を意味する言葉であり、モトアケ神を意味する場合は「アメミヲヤ(ア・ウ・ワの神)・ヤモト神(ト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの八神)・アナミ神(ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シの八神)・ミソフ神(人の容姿・外見を司る三十二神)」の計四十八神を指すとされます。
フトマニ図とは「天上におけるモトアケ神の座す配置を示した図」であると考えられており、四十八神の配置がヲシテ文字によって示されるという形になっています。その配置は上の画像の通りです。
フトマニの原文について
原文については以下のサイトから見ることが出来ます。
・ウィキソース(フトマニ)
・ほつまつたゑ 解読ガイド(フトマニ)
・神敕基兆傅太占書紀(miko.org)
意訳文
フトマニを展(の)ぶ
フトマニは、先代のアカマミ(中央の君)がイサナギ・イサナミの二尊に経と矛を授けたことにより、二尊はクニツチ(下界)に万の道を生み出した。さらに君主となるべき尊を生み出そうと一姫三男の尊を儲け、その中から御子のワカヒト(アマテル)に領する国の政を授けた。
これを受けてアマテル大御神は八百万守(やおよろかみ)に次のように詔した。
「このフトマニの四十九種は"モトモトアケのサコクシロ(根源的な天上の環)"であり、アメノミヲヤによる形である。この傍に侍るト・ホ・カ・ミ・ヱ・ヒ・タ・メの八神は、人のタマノヲ(魂魄の結合部)を含み振らせて永らえを結合わせ、ア・イ・フ・ヘ・モ・ヲ・ス・シの八神はキツヲサネ(四方と中央)に行き渡り、人の五臓六腑(ゐくらむわた)を調え、三十二の神は人の外見を整える。日夜の随(ひよまにま=陽陰に従って)に守り、このフトマニを基礎として万の言葉の意味を鑑みて、これを詠んで試みよ」
神(アマテル)は司や長の任命と解任を司り、この百二十八歌(ももふそやうた=フトマニのこと)を撰する。このフトマニは"基伝えの文(原点を伝える文)"であると尊ぶべし。
ミワのスヱトシ(オオタタネコ)
フトマニ 128歌
1.アヤマ
アノヤマ(ハラミ山=富士山)の中峰は、ウツロヰがアワ海(琵琶湖)をさらった土を盛って出来上がった。これは九星の胞衣(モトアケ図の中心部分の九座)であり、地上に九座が下ったも同じことである。すなわち、ハラミ山は地上の中心の山となったのである。
2.アハラ
天の治め(中央政府の政治)とは、天の神々が人として生まれて集い、行った政治である。神々は民を躾けて多様な業(わざ)を行わせると、やがて上下の立場(君・臣・民という上下関係)が生まれた。
3.アキニ
アキニ(循環)とは、春の東風(こち)によって寒冷が解け、冬の疲弊から逃れられる。すなわち、抑圧された心が解放される季節の訪れである。
4.アチリ
空間の広がりの隅々まで我が身なるウツロヰ(雷鳴)であるから、小さな雷鳴すら鳴り響くのであろう。
5.アヌウ
"神を祀る際の御衣(アマテルの礼装・ココチリのこと)"の由縁は、裳裾に充ちる恵みを差使(代行となる使者)が民に配ることにある。
6.アムク
天を仰いだところで高望みは叶うわけではないが、天を仰ぐことで鳴神(雷)は晴れて調子は上向くだろう。
7.アエテ
幸運から思わぬ恵みを得た者を見ると羨ましく思えるが、自らも努力を続けていれば いずれは幸運を得ることになるだろう。
8.アネセ
アノネセ(天の対応=カシマ立ち)の際、コトシロヌシ(クシヒコ)が美保崎で釣りをしていたのは、父(オホナムチ)を清(すか)に促すための布石であった。
※ホツマ10文の「カシマ立ち」の際、クシヒコが天に仕えるコトシロヌシ(軍事長官代行)であるにも関わらず出雲に送られていた理由は、オホナムチが天への対応を相談してきた際に、クシヒコに降伏するように促させるためであったということを述べていると思われる
9.アコケ
央(ア=主屋)が衰退したならば、側屋や離屋もバサラ(土地の改め)をする必要がある。それは主屋に入る陽の気が正しく巡っておらず、他所への循環も滞ってしまっているからである。
10.アオレ
アオレ(天穢れ=官の堕落)とは、天のマスヒトであるシラウドとコクミが母子や妻以外の女を犯すという罪から生じた名の穢れである。
11.アヨロ
天に輝く万の星を親しみつつ、ありのまま地上に住めば、喜びを研ぎ澄して知ることができるだろう。
12.アソノ
アソノヨ(原初の代)に生まれ出た上陽神(カンヲカモ)・下陰神(スミメカモ)が、陽と陰に分かれることで誕生したのが楽しきワ(地球)なのである。
13.アユン
アノユン(天の弓)たる豆に、柊を以って魔を祓う(追儺のこと)。こうすることで、ウツロヰ(暦を補完する神)が冬から春に導くのである。
14.アツル
アノツル(熟し尽きる時)には、位も業も後継者に譲らねばならない。この理を知るも知らぬも これが"さだめ"であるのだ。
15.アヰサ
アノヰサメ(上位者を諌めること)は、君と臣、親と子、というような関係であっても共に宝である。それは真に思う心があってこその諌めであるから、恵みとなることもあるのだ。
16.アナワ
アノナワ(法と刑罰)の道も、妹背(夫婦)の仲人も、強きものをも調和するアナワ(神の縄)なのである。
17.イヤマ
イヤマ(偉い山)のように高く聳えれば決して低まることはない。ゆえに貴き者が下った装いをすることで礼が生まれるのだ。
18.イハラ
イノハラ(大きな腹)の身体は子供を孕んでいる。その腹を包む"直ち帯"は連なる枝葉となる子宝を育むものである。
19.イキニ
イノキニ(勢力の拡大)のために東・西・南で臣が争っているが、西と南の長が病んだように自然と解決に向かうものである。
20.イチリ
イノチリ(勢力の拡大)を目的にした争いで充ちているが、これはクニノコト(地上の栄華)として成そうとしてのことである。だが、君が平定して正すことで、そうした勢力も引き上げて散ってしまうだろう。
21.イヌウ
イヌウ(勢力急伸)なる臣は誇って、その民は驕る。しかし、勢いづく穂(ほ)と萱(かや)のように綻びる(勢いを失う)だろう。
22.イムク
"い(忌・穢)"の方向が己に向いてきたならば、心が誤っていると謹むべし。そうすれば、望みも振るう"い(斎・活)"の方向に向かうだろう。
23.イエテ
イエテ(精魂)を込めて練れば、翁(シホカマ)の塩、メヒカミ(アマメヒトツ)の剣、ヘソ姫・ヨト姫(鉤を見つけたアカメ)のように、笑みが出るような良きものを得られるだろう。
24.イネセ
イネセ(女の妬み)というものは法から溢れて解決できぬ。アオメ(若い侍女)やワカメ(若い女)のねじけであっても、やがて燻ぶることだろう。
25.イコケ
イコケ(女の妬み)から生じた生霊が凝り固まってオロチとなって姫を噛み殺してきたが、そのタマノヲはトガクシによって絶たれた。これで世の蔓延する女の妬みは直るだろうか。
26.イオレ
イノオレ(狗愚=獣)を、サルタが仕込んでカグラシシ(神楽獣=猿回し)を行う。これで起こる笑いはヨコマ(背く者)を晴らす代々のカンカゼ(神の顕現)となるだろう。
27.イヨロ
イノヨロ(繁栄)の種は、中柱(民の中心たる君)にある。たとえ貧弱な君であろうと周りの臣らが補って次第に向上していくものである。
28.イソノ
イノソノ(女の園)においては、柳・桜の如く美しいだけの者よりも、かすみ草や桃といった役に立つ者の方がもてはやされるに違いない。
29.イユン
イノユン(忌の弓)で射るべき的は橘、メ(穢)は桜である。たとえ病もうと、シナトの風が吹き払うゆえにイユン(癒して治める)なすだろう。
30.イツル
イノツル(愚の連鎖)は、ヲロチとなったハヤコが斬られて祀られた後、イワナガとして生まれ変わっても やはり反れてしまったことである。
31.イヰサ
イノイサ(新年最初の節句)の七種の祝には、奏される琴の音で心を和ますのが慣習である。ウナヒコ(成長した子供)が笛を吹けば、春風も吹いてくることだろう。
32.イナワ
イノナワ(思いの綱)を繋いだ文で心が通ったならば、男女は間に仲を取り持つ仲人を立てることだろう。
33.フヤマ
フノヤマ(富の山)を欲する思いに憑かれた者はトリヱ(釣餌)に食いつく。それを喰らえば、釣鉤は身に食い込んで抜けなくなるということも知らずに。
34.フハラ
フノハラ(チチヒメの二人目の御子)の"ハラの宮(ニニキネ)"は、宝(民)を繁栄させたことで"ホツマの民"を生み出したのである。
35.フキニ
フノキニ(富の増強)を目指して争うのが臣の理であるが、その争いを和ますことこそ民の恵みにつながるのである。
36.フチリ
フチリ(扶助)とは、上位の連中(君・臣)が鳥が卵を温めるのように育むことである。椋鳥が原に満ちて繁るところが豊かになるように、民もまた繁栄するのである。
37.フヌウ
フニヌウ(布に合せる)紋は、穢れなき梅の花である。そうすれば異常も病も布が拭い取ってくれるだろう。
38.フムク
フニムクとは、アワ(陽陰)の起源であるアワ歌に親しみ、よく理解すれば文(書物)に赴くことをいう。
39.フエテ
フ(富)を得れば、民を損なうであろう。それは嘘や賄賂で富んだ長・臣には治めることができないからである。
40.フネセ
フノネセ(二度目の心の曲がり)に盗みを働いて財を得たとしても、それは劣る所業である。やがて心苦しく憂鬱になり、悪態をつくようになるだろう。
41.フコケ
フノコケ(振の痩け=不振)とは、栄えを加増する元々の八神の業である。ゆえに(ヒ・フ・ミ・ヨ・ヰ・ム・ナ・ヤ・コと数えて)高めていくべし。
42.フオレ
フノオレ(振の現れ)は、天地の祟りの薄氷を踏む事である。ゆえに物事の第一歩を踏み出すことには恐れが付き添うのだ。
43.フヨロ
フノヨロ(寿命)は"地を生む神(クニトコタチであるアモト神)"が御使を以って取り付ける。長寿であれば業も優れてくる恵みである。
44.フソノ
フノソノ(布の園=織物の国)は、ヲコヌ尊(大国主=クシヒコ)の子のコモリを介してコカヒ(蚕飼)を得た。これによりコヱクニ(籠結国・肥え国)と呼ばれる富んだ園をえることになったのだ。
45.フユン
フノユン(奉納される幣)は、タオウケモチ(ウケモチの美称)のシシカキ(汚穢を防ぐ垣)である。これ(幣としての赤白黄の木綿)はヨコマ(邪)を抑える豊穣の結い(囲み)であるのだ。
46.フツル
フノツルは、富は満ちれば鳥の餌程度にしか見えなくなるという事である。次に立つのは、目立ったり華やかに見せがる欲求であろう。
47.フヰサ
フノヰサメ(鈍いものを勇ましめる)には、粗金を選り分けて純度を高めて練り鍛えるべし。釜も剣も赤金(銅)が混じれば柔らかくなるだろう。
48.フナワ
フノナワ(中央政府敷いた法律)が遍く通ってまとまるように、男女の仲を一つにまとめるのはフナワ(文の縄)なのである。
49.ヘヤマ
ヘノヤマ(経の病=経年疲弊)とは、后らが爽やかに操を保って君に召されるのを待っていても、老いてしまえば鮮度が落ちて間物(干物などの保存食)のようになってしまうことをいう。
50.ヘハラ
ヘノハラ(先頭にある者の治世)は、機(はた)を織ることになぞらえて、嗣子も業(わざ)も生み育てていくものである。
51.ヘキニ
ヘノキニ(謙譲心の広まり)とは、大臣となっても自らをトミ(臣)と名乗ることである。下位の臣らはそれを数多く聞き、そのような謙遜の流れを作っていくのである。
52.ヘチリ
ヘノチリ(従者の功)とは、君・臣・民のいずれであっても、従者の助けによってヤミ(病み・闇)を散らすことができることをいう。
53.ヘヌウ
ヘニヌウ(臣をまとめる)のは、執政者たる自己の向上である。それを高めて尽くせば、民も伸展することだろう。
54.ヘムク
ヘノムク(卑の向上)は、三種宝(経・矛・法)によって善悪を知ることである。そうすれば、民も南(繁栄する方角)に向いて尊き者となるだろう。
55.ヘエテ
ヘノエテ(卑人による統治)は、その手に余る国政となることをいう。猫に恵みを与えたこところで価値がわからず、怒らせて噛まれるようなものである。
56.ヘネセ
ヘニネセ(辺りに伸びる)草の様子は伸び盛りの頃、エノイヌ(エノコ草の類の雑草)を初夏に抜き棄てておけば、稲はすこやかに育っていくだろう。
※稲の成長と人の成長の両方のことを掛けて述べているとされる
57.ヘコケ
ヘノコケ(臣の転落)とは、栄華を追い求めて衰退したオホナムチのような者をいう。カネ(金属)にカ(銅)やシロ(銀)を混ぜて練れば柔らかくなることに同じである。
58.ヘオレ
ヘノオレ(卑人なる君主)が政を司れば、必ずや乱れることだろう。勢いを増した民が突出するような場合には、民であっても警戒せよ。
59.ヘヨロ
ヘノヨロ(卑人の多くは)は、ホコノシヅク(安住の地)と衣食住があれば満足する。海辺に昆布が生えているだけで喜ぶのだ(それ以上は望まないのだ)。
60.ヘソノ
ヘノソノ(低きを高める)には、尊き者が民の食糧を潤す政事を成すことである。食糧が足りている領地ほど統治が安らかであるように。
61.ヘユン
ヘノユン(卑人の極まり)とは、魚が秋に子を生んで一生を終えるようなことをいう。身の丈に余る望みを抱くべきではない。
62.ヘツル
ヘノツル(卑人の連中)の末端まで潤したオホナムチの宮は、瑞垣ですら口を噤んでしまいそうなほど栄華であった。
63.ヘヰサ
ヘノイサ(船の先頭部が厳かな様)の船に乗ってきたスクナヒコナは、オホナムチに教えを施した。その際には"飢えを見ぬ衣(染め飾り無き木綿)"を着て、華やかさや驕りを諌めていたのだ。
64.ヘナワ
ヘノナワ(卑人を縛る縄=経矛法)を司るオオモノヌシの補佐であるヱミス(クシヒコ)は、ほどほどに立ち振る舞ったからこそ、鮎(天)と鯛(皇)からの富を招いたのである。
65.モヤマ
モヤマトの(最たる調和)の道は尽きることがない。たとえば海辺の砂浜の砂を数え尽くすことができないように。
66.モハラ
モノハラ(穢の祓い)は矛(経矛法)に基づいて調和が成り立っている。ゆえに邪な者も素直な方向に流れて進むのである。
67.モキニ
モノキニ(模写したものを発展させること)の方法を軽んじて、元(原型)を真似るだけであれば、やがて破綻するだろう。
68.モチリ
モチリ(ねじけ)が凝縮して成った花(女)は、代嗣の種を待ったところで業も薄いため、実(子)を結ぶこともなく老いて散るだろう。
69.モヌウ
喪(葬儀)で着る衣服は容易く改めず、元の身の丈と比較して縫うべし。
※機織りの法における衣服制度で機の幅が変わるので、普段は着ない喪服の寸法について述べているらしい
70.モムク
人の本来のあり方を思えば、山と麓(上下関係)の形を気にするばかりで心が離れて、宝を残せないことである。
71.モエテ
モニエテ(下界に在って)は、(天元神の)星を崇めて寿命を得る。父母から血統を継承して子孫を得るのである。
72.モネセ
籾が熟せば、桶と槽を用いてオホナムチが俵を発酵させて酒を造るだろう。
73.モコケ
籾を痩せさせる虫は、その内臓の袋を取り、サナエ祭にて田を甦らす神として祀るのだ。
74.モオレ
"モノ(魔・鬼)が障った(霊障を受けた)"ならば、"ほこ"という声の響きを畏れ、四十日はモノに触れてはならぬ。見えず聞こえぬという態度で居るべし。
75.モヨロ
モモヨロ(百万年)に及ぶ歴史は、陽陰の神の祀りを司る"鏡の臣(コヤネ)"によって達成されたものである。その一人(コヤネ)が去ったならば、自らの心を磨くべし。
76.モソノ
モノソノ(不毛の地)は、たとえウケモチが豊穣に努めようとも途中までしか肥やせないだろう。だが、途中まで実れば飢えることもあるまい。
77.モユン
モノユン(モノノベの弓)によってハタレは破れるが、心を和ます琴の音も弓(弦)であるぞ。すなわち弓とは尊きものなのである。
78.モツル
モノツル(進展が極まり)命が尽きれば、めざましい華の勲功を得ていても、重篤な病に罹っていても、関係なく元に還るのみである。
79.モヰサ
モノヰサ(魔・鬼の障り)があれば、オコロ(土竜)の掻く埴を祀って崇め、気持ちを改めてねじけを諌めるが良い。
80.モナワ
モノナワ(下民の縛り)の法は、昔の政治によるものである。今は婚姻も業も共に導く。
81.ヲヤマ
ヲヤマト(大調和)の道は素直で偽りがあってはならない。人の使う言葉でさえ、洗練するものである。
82.ヲハラ
ヲノハラ(大祓)は、道(家業)も連(血統)も欠けさせまいと、茅の輪となって繁栄をもたらす、衰えさせぬ守(カミ)である。
83.ヲキニ
ヲノキニ(兄)に優れた弟がいるが、尊敬も繁栄も下ってこそ来るものである。
※おそらく、クシタマホノアカリとニニキネのことを言っている
84.ヲチリ
ヲノチリ(君にまつわり付く塵=臣同士の抗争)は民の繁栄を消してしまう。副たる臣が乱れれば、主も散ってしまうだろう。
85.ヲヌウ
ヲヌウ(皇が着る)なる御衣は裳裾も綻びていない。ツウジ・ヨコヘが優れているからである。
※同時に御衣を政、ツウジ・ヨコヘを副官にたとえているとされる
86.ヲムク
ヲノムク(穢れが向かって来る)ならば、矛(八重垣剣)と鏡(八咫鏡)を新たにすれば、向かってくる仇も無くなり、直ちに治まるだろう。
87.ヲエテ
ヲサメエテ(治め結て)調和の恵みを潤せば、上(臣)も慕う。ましてや民も敬って懐いてくるだろう。
88.ヲネセ
ヲノネセ(男を伸長させる)のは、女の政である。起きてるのか臥してるのか分からぬ迷った男は排除すべし。
89.ヲコケ
ヲノコケ(心の衰え)れば、道に彷徨うことになる。ミノスミ(心を清めること)が禍も病も衰えさえも治すことになるだろう。
90.ヲオレ
ヲノオレ(心の清め)が、曇る"身の鏡(ナカコ)"も明らかにする。そうしなければ、鼠(下位である肉体)が猫(上位である精神)を噛むことになるだろう。
91.ヲヨロ
ヲニヨロ(大いに優れた)の心は人の内なるサコクシロ(天国)である。すなわち、その心を実現する人は神であり、神は人なのである。
92.ヲソノ
ヲノソノ(高地の園)は、渇いた粟田から鳥餌を生産するという使い方がある。しかし、全く水を与えず手入れもしなければ雑草に覆われてしまうのみ。
93.ヲユン
ヲノユン(公の祝≒白馬節会を指す)は、正殿の庭にて行われる。畏れ多いことだが、この節会では馬よりも琴の演奏の方が民を惹きつける。
94.ヲツル
ヲニツル(中央が連ねる)政には端であっても中央の香(影響)が残る。それゆえに、病や貧困が起こっていれば中央の影響であるということである。
95.ヲヰサ
ヲノヰサ(心を濯ぐ)の道を速やかに諌めるには、(世の物事を)芥(くだらぬこと)と思える力を培うことである。これを"諫早の神(ゐさはやのかみ)"という。
96.ヲナワ
ヲノナワ(門の表に結う注連縄)は、多くの障りを慎まやかに調和するものである。すなわち、トリヰ(往来する出入口)に設けるカサナワ(制限の設置)である。
97.スヤマ
スノヤマ(真っ直ぐに成長すれ)ば、当然に富むものである。さち草(笹百合)が三つ花・四つ花の殿堂を造るように。
98.スハラ
スノハラ(ニニキネの領地)の政が豊かに寿けば、ハラ(富士山)のように潤う民が頂点に至ることだろう。
99.スキニ
スキ(鋭き)・ニブキ(鈍き)。兄の瓢は万の器とされていたが、小さかった弟の茄子は遂には杉のように大きくなった。
※期待されていたが失脚したクシタマホノアカリと、偉業を成し遂げたニニキネを比較している
100.スチリ
スノチリ(地の騒ぎ=地震)の揺すられても命は保たれ、撫でるように収まる。これはスチリカミ(地震を起こす神)の働きである。
101.スヌウ
スニヌウ(親しく祝う)は、ソロマナミツ(飯と蓮葉を合わす=あの世の祖先とこの世の子孫を会わす)の霊祭(たままつり)である。あの世とこの世の隔たりによって薄らいだ面影を思い出す祭であるのだ。
102.スムク
スニムク(繁栄に向く)と、君は華やかになり民は驕る。これは後の災いをすでに迎えている状態である。
103.スエテ
スニエテ(下げを得る)というのは、おこした火から離れられないという冷えの意味合いもあるが、流れに乗る船に使用する棹という意味であるぞ。
104.スネセ
スニネセ(妻のねじけ)には、スヘヤマズミの神を祀るべし。妻の操は伸ばし、妬みは寝させるだろう。
105.スコケ
スノコケ(住まいの衰え)の咎めを受けるべきは主である。メノコケ(地の穢れ)はヲコロ(土竜)を祀ればヰオ(住まい)も元に戻るだろう。
106.スオレ
スノオレ(素直さが戻る)ば、穢れは咎められ、身体の病も治るだろう。それは穢れが"ホツマニアクルニケ(調和した心の賑やかし)"を恐れるからである。
107.スヨロ
スノヨロ(下界の喜び)は、(一月十五日の)朮・どんど・粥占に、(二月の)乗弓走、そして歌う喜びである。
108.スソノ
スノソノ(直の園=日本)の桃を賜るニシノハハ(西王母)、これは桃を土産に帰国する際の祝福である。
109.スユン
スノユン(男女和合の祝い)は、キノウツタマ(陽の形なき霊)とミノハコ(陰の魄)とが交わり、ヨコマ(穢れ)を果てさせる祝(ほぎ)である。
110.スツル
スノツル(冬至)の一陽(ひとを)は十一月に巡ってくる。待望される春はもうすぐやってくるだろう。
111.スヰサ
スノヰサ(住まいの調和)は、最初に伐り出した木を中柱(大黒柱)とし、神に赤・白・黄の木綿(弊)を捧げて斎(ゐさ)めるのだ。
112.スナワ
スノナワ(貧の連続)に飽きたタマノヲ(霊の結)が起こすのが欲であるのだから、天の政(中央の政治)によって欲を生んだといえるのである。
113.シヤマ
シノヤマ(信仰心の高まり)が成されれば、ウケモチ(稲荷神)を崇敬する祭も、カセウ(嘉祥)もホヅミ(穂積)も力を増すだろう。
114.シハラ
シノハラ(葦原)は、上(二尊)が身を伏せる場所のタマグシ(御霊を込める様)を、編み込む恵みの都が建つ場所である。
115.シキニ
シノキニ(勢力の拡大)をめぐるトホコニミツ(経と矛によって調う国守)の争いも、上(君)を疎かにするならば肝(臣)の潰し合いにしかならないだろう。
116.シチリ
シノチリ(財など塵の如き)という非難も、嘘と思わしき種である。なぜなら、モノヌシ(オホナムチ)以外にモノノベを束ねられるものはいないのだから。
117.シヌウ
シニヌウ(霜月に祝う)は、陽の巡りに備える御祭(新嘗祭)である。さゆりの胞衣の神(調和の基盤の神たるト元神)を尊ぶべし。
118.シムク
シノムク(繁栄が向いてくるの)は、亀や日月のように、千代を経て輝く華の頃に迎えるのである。
119.シエテ
シオエテ(縁を得て)は、翁(シホツツ翁)が作った網によって(ヒコホオテミは)契の神となった。その兄のシラヒゲ(スセリ)も鉤を取り戻して親睦が成ったのである。
※海幸山幸の話
120.シネセ
シノネセ(稲の繁栄の衰え)は、蝕むハハ(穢れ)による早枯れだろうか。瑞穂を恨みながら萎えた稲を刈り取ることになるだろう。
121.シコケ
シノコケ(素直さの喪失)であるハト(曲がり)が化けて心身の調和を絶つ。ユヒネツ(中和)の持つアミリタ(効能)を知るべし。
122.シオレ
シノオレ(父の存在)は恵みを現し、カノオレ(母の存在)はその恵みを子に尽くす。そして、老いぼれていくのが父母なのである。
123.シヨロ
シノヨロ(親族の集まり)の親睦は年の一周りである。胞衣(蓮)・ソロ(飯)を合わせて各家に神座が設けられるのだ。
124.シソノ
シノソノ(信濃)では八月十五日の望月に駒引きが行われる。九月十四日の豆名月では、芋が糧として当てられるのだ。
125.シユン
シノユン(衰えの治し)は、新屋・産屋を襲う障りに対して、蟇目鏑(ひきめかぶら)の清めの弓を射るのである。
126.シツル
シノツル(成果)というものは、仕え尽くして得られるもの。月初からの尽力は月末になって現れるのである。
127.シヰサ
シノヰサ(死してなおの諌め)は、妻(イサナミ)の殯(もがり)にて(後を追ったイサナギに対して)御隈野の神となってなおの諌めに、(イサナギも)足を退いたのである。
128.シナワ
シナワ(曲がり)のある万の疑いを鑑みて、願いを充たすのが神の注連縄である。
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