現代語訳

【任那の文(みまなのあや)】

・(崇神)58年(上鈴678年)
 ・8月、瑞籬の君(崇神天皇)は御幸して契大神(ヒコホオテミ)を詣でた
  ・諸が祝う時、角が一つ有る人が此処を漂っており、その言葉は聞き慣れないものだった
 ・そこで、ハラ宮の臣のソロリヨシタケが言葉を知っていたため、この者を問い質した
 ・すると、その者の答えはこのようなものだった
  ・「私はカラクニの君の御子のツノガアラシト※である
  ・我が父の名前はウシキアリシトである
  ・伝え聞く、聖の君に服従しようとアナトに到れば、ヰツツヒコなる者が私にこう言いました
  ・"この国の君は我である、故に此処に居れ"
  ・しかし、そのヒトナリ(様相)を見れば、どうも君には見えませんでした
  ・そのため、帰ろうと思って都路と浦・島を訪ねて、出雲を経てやっとここまで辿り着きました
  ・そして、この神祭で君がここに来ていると知ったのです」
 ・このように申したので、ツノガを召して仕えさせると、忠を尽くして5年に至った
  ・そこで君はツノガミマナの名と、カゾミネニシキをクニツト(土産物)として与えた
 ・そして、アラシトは国に帰って任那国を建国した

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用語解説

・ツノガアラシト:朝鮮半島の加羅国君の御子で、崇神天皇に仕えて任那国を建国した。『記紀』のツヌガアラシトに当たる

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原文(漢字読み下し)

【任那(みまな)の文(あや)】

・瑞籬(みつかき)の 五十八年八月(ゐそやほはつき)
・御幸(みゆき)して 契大神(けゐおおかみ)に
・詣(もふ)てます 諸(もろ)斎()ふ時(とき)
・角(つの)一(ひと)つ 有(あ)る人(ひと)ここに
・漂(たたよ)えり 言葉(ことは)聞(き)き得(ゑ)す
・ハラの臣(とみ) ソロリヨシタケ
・良(よ)く知(し)れは これに問(と)はしむ

・その答(こた)え 我(われ)は加羅国(からくに)
・君(きみ)の御子(みこ) ツノガアラシト
・父(ちち)か名(な)は ウシキアリシト
・伝(つた)え聞(き)く 聖(ひしり)の君(きみ)に
・服(まつら)ふと 穴門(あなと)に到(いた)る
・ヰツツヒコ 臣(とみ)に曰(いわ)くは
・この国(くに)の 君(きみ)は我(われ)なり
・ここに居(お)れ 人(ひと)なり見(み)れは
・君(きみ)ならす 新(さら)に返(かえ)りて
・都路(みやこち)と 浦(うら)・島(しま)訪(たつ)ね
・出雲(いつも)経(へ)て ややここに着(つ)く
・神祭(かみまつり) 君(きみ)ここにあり

・故(ゆえ)ツノガ 召(め)して仕(つか)えは
・忠(まめ)ありて 五年(ゐとせ)に賜(たま)ふ
・名(な)はミマナ 上熟錦(かそみねにしき)
・国苞(くにつと)に 帰(かえ)るアラシト
・任那国(みまなくに) これ建(た)ち初(そ)めそ

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります