【意訳版現代語訳】地の巻 ホツマツタヱ23文 衣定め 剣名の文
ホツマツタヱ23文の現代語訳を「読みやすさ」と「まとまり」を重視して意訳しました。
詳細な逐語訳や原文を確認したい方は、冒頭のリンクから個別ページを参照してください。
ホツマツタヱ23文のあらすじ
処刑の歴史や必要性、衣服制度の定め、剣の由来、官制の整備、クシヒコ(オオモノヌシ)の顕彰が記された文(あや)です。
1. 上代の治世と処刑の由来
クニトコタチからウヒチニまでは調和が保たれ、武器は不要で寿命も長かった。しかし六代オモタルの代に民が利口になり争いが増えたため、斧に代わる武器として矛が造られ、治安維持のために処刑が行われるようになった。アマテルは「冤罪こそ最大の罪」と説き、処刑の慎重さを強調する。
2. 二尊による国造りとヤマト・ヒノモトの名の由来
後継のないオモタルはイサナギに政を託し、イサナギ・イサナミの二尊は国家を形成して調和の教えを広める。千五百の邑を整備して田を開き、調和の教えが広がり民に通ったことから「ヤマト国」、調和の教えが日の出のような勢いになることから「ヒノモト」と名付けられた。
3. アメナルフミ(文の宝)と調和の道
アマテルは統治の根本を「トノミチ(調和の道)」とし、天界と現世を結ぶ構造(ナカハシラ・ナカクシ)を説く。皇位継承では三種の神器の一つ「アメナルフミ(文)」が授けられる。
4. アメノサカホコ(矛)の意義と罪の処断
矛は「道を乱す者を正すための宝」とされ、罪が広がる前に源を断つことが国家安定の要と説かれる。イサナギ・イサナミの対話を通じて「調和の道(トノミチ)」が生まれ、千五百の村が豊かになったとされる。
5. 機織りの法と衣服制度の制定
人心の驕りを抑えるため、衣服の等級と機織りの方法が制度化される。身分ごとに布幅(算)を定め、木綿・絹の織り方、喪服の規定などが整備される。衣服は「調和を保つための社会制度」として位置づけられる。
6. 官制と刑法の整備
県主・国造などの行政官や村単位の長の役割が定められ、清汚(善悪)を数える科罰制度(10科〜360科)が整備される。死罪は360科以上とされ、軽々しく民を斬ることを禁じる。
7. 八重垣の剣とアマメヒトツの顕彰
アマテルは剣の本質(活きと枯れ)を説き、右眼で鍛えた八振りの剣を「ヤヱガキノツルギ」と名付ける。鍛冶師は「アマメヒトツ」の尊名を賜る。
8. ヤヱガキ・ヤタ・ヤヱの語義とモノノベの使命
ヤヱガキ(八重垣)、ヤタ(八民)、ヤヱ(家重)の語源が説明され、クシヒコ(オオモノヌシ)は「民を守る垣」としての使命を悟る。アマテルは彼に「ヤマトヲヲコノミタマカミ」の名と逆矛を授ける。
9. 臣下への詔とクシヒコの最期
フトタマ・カグヤマツミ・アマノコヤネ・コモリらに祭祀と政務を委任。クシヒコは12万歳を超えて三輪山に入り、アマノサカホコを掲げたまま「和の道の再興」を待つ存在となる。
意訳文
クニトコタチからオモタルまでの治世の変遷(処刑について)
天地の内外も清く通る時のこと。
ミチモノノベ(三千の司)らが政所にて剣を拝んでいた際に、モノヌシのクシヒコが「斬るも宝(人を斬るも尊きこと)」のいわれを尋ねると、アマテルは次のように答えた。
「剣の基はアメノホコ(和を実現する矛)である。クニトコタチが統治していたトコヨの御代には、皆が素直に調和を守ったので矛は必要無く、心の調和する上代の世は千万年も寿が保たれていたのである。四代尊のウヒチニの御代も厳粛であり、飾る心も無く寿も百万年続いた。
しかし、六代尊のオモタルの御代になると民は利口になり、モノを奪うようになったので、そうした者は斧で斬り伏せて治安を維持した。だが、斧とは本来は木を伐る器物である。ゆえにカネリ(金錬人)に命じて矛を造らせた。
そして、その矛でずる賢い者を斬っていったため、オモタルは代嗣を得られず、民の平均年齢も八万年にまで下がってしまった。寿命となる年齢は、各々の食事の影響もあるが、昔よりも万人の寿命が減ったと言える。その減り方は百年ごとに万年であった。
そうなったのも、人の心は寿命を結ぶ源だからである。恐れるべきは、ナツミト(容疑者)を斬って冤罪を生むことだ。もし、冤罪の者を斬れば、その者の子種が絶たれる。ゆえに処刑は謹まなければならぬのである」
二尊による国の再建(大和と日本の名の由来)
アマテルは続けた。
「アメノカミ(君主)のオモタルは代嗣がなかったため、政を続けることができなくなった。ゆえにオモタルはイサナギに対して『トヨアシハラ(政府の直轄本領)には千五百秋の田の収穫があるゆえ、汝がその地に行って所領とせよ』と命じ、経と矛を授けた。この際の『経』はヲシテ(法)であり、『矛』はサカホコ(武力)である。
イサナギ・イサナミの二尊は、これを用いて葦原にオノコロ(秩序を得た世界)を成し、ヒカタミから当地に下って八尋殿(中心となる宮殿)と中柱(都の象徴)を建てた。これを中心に国々を巡って恵みをもたらすことで、オオヤシマ(中心部)に真のトノオシヱ(調和の教え)が広まったのだ。
この後、千五百の邑(むら)の葦(雑草)をことごとく抜いて田を造った。これにより、民が賑わったことから、ヰヤマト(大いなる調和)の通る『ヤマト国』という。また『マトノオシエ(調和の教育)』は、日の出のような勢いの本(原動力)となるゆえに『ヒノモト(日の本)』という。しかし、ヤマトの名を棄てた訳では無いぞ」
地の道(アメナルフミの奥義)
アマテルは続けた。
「私(アマテル)はトノミチ(調和の道)に則した統治を行うため『オミ(臣)』とも『トミ(臣)』とも呼ぶ。
その理由は、モトモトアケのミヲヤ神の座すナカミクラ(中御座)の位置の裏側にキタノホシ(北極星)が存在することに由来する(非物質的な天界と物質的な現世の相関性の話)。
今、上空には隣のトノカミ(トの神)が座しており、その裏にはナカハシラ(天地に届く御柱)が立ち、これをナカクシ(天地つなぐ中串)が結ぶことでクニノミチ(自然や人の存在できる仕組み)が成りたっている。
天界から恵みを与えるトの神は、現世のモノと共鳴して守護する。ゆえに、人においてはナカコ(心)に調和してトの神と一つに融合するのだ。そうなれば、人においても『調の教え』が備わり、長らく治まる宝となる。
そして、アメノヒツキ(皇位継承)を受ける日にミツノタカラ(三種の神器)を受け渡す。
以上が、三種の神器の一つの『アメナルフミ(三種の神器のうち「ヤサカニの珠」に対応する文)』の奥義である」
アメノサカホコ(斬るも宝の由縁)
アマテルは続けた。
「また、武力である『矛』も宝とされることにも理由がある。トノミチ(調和の道)によって国を治めても、反れた者は秩序が自分の考えに合わねば教えとは逆の道を進むだろう。そうした者は、最初は一人でもゆくゆくは伴を増やして群れ集まり、群衆となって調和の道を妨げるであろう。
矛はこうした反れた者を召し捕り、正し明かして罪を討つ。つまり、矛とは世を治める道の乱れた糸を切って綻ばす器物である。アメノオシエ(調和の教え)に逆らえば、その身に受けるのが『アメノサカホコ』なのである。
国が乱れれば、田も荒れて瑞穂(稲の収穫)もうまくいかず、成果も上がらなくなるだろう。これは罪によって発生する貧困が原因である。ゆえに原因となる罪人を斬るのだ。
そうすれば民も安心して田に向かうようになり、それによって収穫も増えて豊かになるだろう。つまり、成果と収穫を捧げれば、八方の民が喜び、田から宝が出てくるのだ。ゆえに『斬るも宝』なのである。また、逆矛も反れた者を討ち、平和に統治するためのものである。ゆえに逆矛も宝なのである。
かつて、イサナミはこのように言った。
『もし道を反れて間違ったことをするのであれば、日々に千人の臣司を殺そう』
対して、イサナギはこのように言った。
『良かった、私は道を反れずに千五百の臣司を生もう』
こうした経緯でイサナギは『トノミチ(調和の道)』を生んだ。そして、トノミチによって治まった千五百の村は、大年の瑞穂(多大な収穫成果)を得ることが出来たのだ。
ヒカシラ(日の昇る方角)は『ヒタカミ(東の方角)』からである。トノヲシヱ(調和の教え)によって治まった村は、ヤスクニのチヰモムラ(千五百村)と言い、その村々にはすべて頭(司)がある。今はこれらを全て併せて三千の守(かみ)が治めている」
清汚を数える法
アマテルは続けた。
「もし、天(中央政府)と地(地方)が離れて遠かったのなら、守(かみ)が私立することだろう。これゆえ、モノノベを四方に遣わして、アメノマスヒト(地方官)と副官二人を置いているのだ。これらには『清汚を数える道(善悪の判断する警察権)』を与え、罪を数えて天の回りと同じ360度の位に満ちれば死罪として処刑する。
『トホコノリ(経矛法)』とはこのことを言う。これは『もし道を誤った罪人が出ても殺さず、敵(首魁・原因)を捕らえてタマノヲ(魂魄を繋ぐもの)を解き、転生させれば正常な人に生まれ変わる』とあまねく民に告げているのだ。
かつて、サホコ国のマスヒト(コクミ・シラヒト)が道を乱したため、これらを召して量刑すれば死罪となったが、恩赦を得て刑を逃れた。しかし、再び罪を犯したため、天(中央政府)によって粛清されることになった。これゆえ、罪を犯すことを甘く見て許していれば、そのうち多くの民が驕るようになるのだ。その最たる例が『ムハタレの蜂起』である。
例えるならば、川の水源の一滴によって流れが増して野や田にまで溢れ出ていくようなものである。人も同じく、一人でも許せばゆくゆくは万に至るほどに罪人が群れて、その道を外れることだろう。これを放置すれば、終いには四方の乱れとなる。よって、罪の源を改善しなければ、大水を成して防ぐことはできず、所領として教えを与えなければ統治することはできないだろう」
機の織法
アマテルは続けた。
「私が世を見る限り、人の意識(常識)は変わって行くものである。また、驕りがちで、へりくだることには頑固であると見える。ゆえに着物で上下を明らかにする『ハタノヲリノリ(機の織法)』を定めることにする。これはすなわち『機織りの方法』と『臣と民を着物で区別する』ための法である。
まず、機織りは以下のようにする。
・機(はた)の幅は、経糸800垂とする
・ヲサ(筬)は400歯、80垂を『ヒトヨミ(一算=最小単位)』とする
・8垂を『ヒトテ(一手)』とし、ヘグヰ(経杭)を揃え、アレヲサ(粗筬)に撒いて筬(おさ)を入れる
・カサリ(替更り)を掛け、踏木の経糸を上下二手に分けて杼(ひ)を投げる
・このようにして、筬(おさ)を巡らせて『ユフヌノ(木綿布)』も『キヌ(絹)』も織るべし
次に、着物は以下のようにする。
・十算(経糸800垂の幅)の機で作った『トヨミモノ(十算物)』を『オオモノヌシ』の通常の衣とし、喪衣は九算のカタオリ(固衣)とする
・九算(経糸720垂の幅)の機で作った『コヨミモノ(九算物)』を『ムラジ(連)』と『アタヒ(直)』の通常の衣とし、喪衣は九算の固衣とする
・八算(経糸640垂の幅)の機で作った『ヤヨミモノ(八算物)』を『アレオサ(粗長)』と『ベオミ(卑臣)』の通常の衣とし、喪衣は八算の固衣とする
・七算(経糸560垂の幅)の機で作った『フト(太布)』は民の通常の衣とし、喪衣は六算の固衣とする
・十二算(経糸960垂の幅)の機で作った『ヨフソミモノ(十二物)』は私が常に着るものである。これは月の数を指し、喪衣は十算の固衣とする
夏はヌサ(植物)を績(う)んで布織り、冬はユキ(植物)を撚(よ)って木綿を織るべし。これを衣として着る時には、貴賎を問わず諸人の気も安らぐことであろう。
装飾品で着飾れば、表面上は心が賑わうが、内心は羨望などの要因で苦しむことになる。ゆえに木綿布や絹を染めて飾るようにするのだ。これを業とする者は、農耕の業を免除する。もし、農耕をしながら機織りもすれば休む時間が無くなるからである。
そうなれば、田も荒れて実りの季節が来ても収穫は乏しくなる。家庭の人数分の糧がまかなえたとしても、農耕が疎かになれば本来の収穫量が得られることはなくなる。そして、稲の実は食べられても十分ではなく、生きるためにようやく糧が足りるような状態になるだろう。
誇る世は、陽陰の憎み(日月の不調和)によって雨風の時節も変わってくる。そうなれば、稲が痩せて民の力も尽きてしまい、代々苦しむことになるぞ。また、装飾品は驕りを招く要因となり、利口で狡猾になった者はハタレに憑かれてしまう。そうなれば、国は乱れて民は安心できなくなるだろう。ゆえに民は健全でいられるよう常に木綿の衣を着るのだ。
また、私の着る衣には以下のような意味がある。
・『羽二重(ハブタヱ)』は、繁茂する麻や葦の象徴であり、民が末永く健全でいられるように毎日 祈る際の衣である
・『ニシコリ(錦織)』は、「ユキ宮とスキ宮(天神地祇を祀る宮)」における大嘗会(オオナメヱ)の時の衣である
・『アヤオリ(綾織)』は、「ハニノヤシロ(埴の社=新嘗会の祭場)」における新嘗会で結き祈る際の衣である
綾織と錦織は、それぞれ筬歯800、1歯に4垂、計3200垂であり、これは葦原の千五百の村を治める臣の数に由来する。また、タナバタカミ(棚機神)とタハタカミ(田畑神)を同じマツリ(天の祭と地の政)とするのが綾織と錦織である。
三千垂の経(三千本の縦糸)にヘカサリ(綜絖)を掛けて、四つ・六つに踏み分ける『柳文(ヤナギアヤ)』という花形(浮き上がる形)を、マノリ(織物の紋様)として描き、それを衣に当て写せ。
ツウヂ(通糸)とヨコヘ(ツウヂに添えられる綜)に吊り分けて、ヲリヒメ(機を織る女)が交互に踏む。踏む時にヨコヘに分けてツウヂを率い、杼(ひ)を貫き投げて筬(おさ)を巡る。これは経(法)を国に通す時も同じく、ツウヂ(國造)にはヨコヘ(横侍=國造補佐)を添えて治めるのだ。
綾織と錦織もこれである。以上が『タカハタノリ(高度な機を織る方法)』のあらましである」
※統治の方法を機織りになぞらえて制度化していると思われる
官制の定め
アマテルは続けた。
「これより各々の政を定める。
・民の妹背(夫婦)は、筬(司)を一歯とする
・五家を束ねる長は、一手指(五本)の数とする
・八十手侍(ヤソテヘ=400屋)を束ねる長は、一人の粗長(アレヲサ)を小臣らが選任する
・八十粗侍(32,000屋)を置く県主は、一算(一握りの数)のモノノベである
・八十侍(80県主)の国にはツウヂ(國造)を置き、モノノベを派遣して経(法)を教え込む
・このクニツコ(国造)にヨコヘ(副官)を十人添えて、あまねく制度を公布する
・清汚臣のアタヒ(直)は、ツウヂ(國造)を経由して直ちに天(中央政府)に告げる天の目付である
・モノノベを800人束ねる主は、オオモノヌシである
・これに副官のムラジ(連)とコトシロヌシ(オオモノヌシの代行)の二人を添えて補助させる」
刑法の定め
アマテルは続けた。
「オオモノヌシの副官二人は織機で言うところのヘカサリ(綜絖)である。対してオオモノヌシは織機の主に当たる。ゆえに清汚(善悪)を清算する役目にあるのだ。清汚における科(悪)の基準は次のようにする。
・10の科までは、粗長組(五人組)を呼び、10以内であれば叱りつける
・10以上であれば、県主に告げる
・県主は90以内であれば杖打ちとし、方の科(90以上)はカトヤ(留置場)に入れて国造に告げて審議する
・方の科(90以上180未満)は杖打ち、県から追放とする
・二方科(180以上270未満)ならば国を去り、二方に余ればモノヌシに告げる
・200の科は、モノヌシの判断によって隅に追放する
・三方科(270以上360未満)は、髪・爪を抜き、入墨を彫る
・360以上の科は、天(中央政府)に渡して身を枯らせる。死罪と判断されればモノヌシの命令を受けよ
モノノベらはしかと聞くが良い。まず、ワガママに民を斬ってはならぬ。なぜなら民は皆 我が孫であるからだ。その民を守り治めるクニカミ(国守)は我が子である。国守は民のタラチネ(父)であるべし。ゆえに民は国守の子であるのだから、親が無闇に斬ってはならない。
・我が子を殺せば、罪180科
・継子を殺せば、罪270科
・妹を失えば、罪270科
・出産を拒否する女はヨソメ(避女)であり、兄も夫も枯らす。よって咎360科
・出産する気があって結果的に生めなければ、他所に生ませることで罪は無いものとする
・親を殺せば、咎360科
・継親を殺せば、咎400科
アメノリ(公法)を外れて民一組(五家)が乱れても、筬(おさ)が巡らねば機は織れぬ。
ゆえに治めるためのハタノミチ(機の道)を定めたのである」
八重垣の剣を打ったアマメヒトツ
その時、オオモノヌシ(クシヒコ)が次のように申し上げた。
「昔は(衣に関係なく)乱れず驕らなかったと言いますが、粗末な衣を着たところでどうなるのでしょうか?」
アマテルは笑んで、次のように言った。
「汝は昔が正しかったと思っているが、今から対策しておけば後の世が栄えるであろう?そうすれば『飢えを知らずに驕ることを楽しむほど満足な時代』が来ることであろう。
だが、飢えを忘れた頃には実りが無くなり、その時は真に飢えることになる。これを予ねて『ハノリ(衣服についての法)』を定めて鑑みるのだ、よって謹んでこれを守るべし。
昔、青人草(民)が繁栄を極めたことにより、調和の道を告げてもうまく届かず、コスエ(未来)が廃れる原因となった。その時に矛を振るって、速やかに道を通すものとして『剣』を作ることになったのである。
剣を作ると決まった時、早速 カネリ(金錬人)を十人召して剣を製造させた。その中の一人が特別に秀でており、その者が作った剣は刃が鋭く、極限を極めていた。そこで私は金錬人に次のように詔をした。
『汝の作った剣は良く研がれている。しかし、左右の活き枯れを知らぬようだ。そこで教えて進ぜよう、しかと聞くがよい。
タノメ(立の目)とは、勢い良く伸びる時節を指す。すなわち春のことである。これと同じく、タノメ(左の眼)に注力して錬成する剣は、イキミ(活き身)に近く枯れにうとい。ゆえに、もし誤れば恐ろしいことになる。
カノメ(朽の目)とは、枯れ衰える時節を指す。すなわち秋のことである。これと同じく、カノメ(右の眼)に注力して錬成する剣は、カレミ(枯れ身)に近く、活きにうとい。
罪のある者を"枯れ"といい、罪の無い者を"活き"という。右の剣(カノツルギ)は枯れた身(罪人)を好み、活き(善人)を恐れる。これを以って治めるがゆえに剣は宝物となるのである。よって、そのような剣を打つべし』
アマテルの詔を聞いた金錬人は、畏れて100日のモノイミ(物忌み)をし、右眼一つで錬成した剣を八振を献上した。
そこで私は次のように詔した。
『この剣は非常に優れている。我が実心によく適っており、まさに世を治めるに相応しい宝物と言えよう。よって、この剣をヤヱガキノツルギ(八重垣の剣)と名付けることにする』
このように金錬人を褒めて『アマメヒトツの尊』という名を与えたのである。
その後、ハタレが乱れた時にはカナサキをはじめとするムマサカミ(六将守)に八重垣の剣を与え、この剣を以ってハタレを討ち、ヤタミ(八民)を治めて国々を再興したのである。また、罪人は枯らせて、善人を栄えさせた」
剣(ツルギ)の語意
アマテルは続けた。
「剣(つるぎ)とは、例えば森林を伐り開き、焼いてコダマ(木の精霊)の居場所を無くすが如く、斬るべき咎は斬り尽くすゆえ、斬られたモノに思念は残らぬ。『ツルギ』の意は、以下のようなものである。
『ツ』は、木の樹齢が極みに達して枯れる『アノツ(塾の尽)』を指す。
『ル』は、柴が変われば燃えるような『ルキノホ(霊気の火)』を指す。
『ギ』は、枯れてしまえば思念すらも残らない『キ(木・帰)』を指す。
これらによって『ツルキ(尽霊帰)』と名付けられたのである。もし、民が驕って身の程も忘れてしまったなら、終いには その身に剣を受けることになる。ゆえに剣は『受けぬことを前提とした抑止力としての身の垣』なのだ。
また、もし司が驕って民を枯らすことがあれば、それは大罪である。その場合、ヨコヘを代理としてその職を改めて、その地の民を活性化させる。臣や小臣は驕りを忍び、トノミチ(調和の道)を守るべし。我が身のためのヤヱガキ(八重垣)とは、驕りを忍ぶことであるのだ」
オオモノヌシの誓い(ヤヱガキ・ヤタ・ヤヱの由来)
その時、オオモノヌシ(クシヒコ)が「ハタレを撃退する者を『ヤヱガキ(八重垣)』と呼ぶのはなぜですか?」と尋ねると、アマテルは次のように答えた。
「ハタレの業に対し、近付き難ければ弓矢を使って撃退し、近づけるのであれば太刀(タチ)で祓うものである。ゆえに、太刀とは武器では無く身の垣(盾)なのである」
また、オオモノヌシが「統治している民を『ヤタ』と呼ぶのはなぜですか?」と尋ねると、アマテルは次のように答えた。
「鏡は民の心が入る『入れ物』である。それゆえに『ヤタノカカミ』と呼ぶのだ。反面『ツルギ』は敵を近づけず、断ち祓う物である」
また、オオモノヌシが「垣に掛かる"ヤエ"とは何ですか?」と尋ねると、アマテルは笑んで次のように答えた。
「『ヤヱ』とは、昔、イサナギ・イサナミの二尊がこれによって国を領したことに由来する。
二尊は言葉を結び、創造する『モノイフミチ』であるアワウタによって国の調和を成した。アワウタの『ア(陽)』は天と父、『ワ(陰)』は母、『ヤ(和)』は我が身、すなわち人を表す。この『ア・ワ・ヤ』とは、喉より響く『埴の声(ハニノコエ=母音)』であり、国を調和する種(素)である。
『アワ』はアワ国(ナカクニ=中央政府)、『ヤ』は八方の青人草(民)を指しており、それによって『ヤタミ(八民)』と名付けたのである。『ヤタミ』という詞もまた、『ヤ』は家居、『タ』は治める、『ミ』は我が身を表している。
アワ国を家とし、そこから民を率いてヤシマ(八洲=全国)を調和する。ヤシマとはいえ、国家は八つの家ではなく、百千万の民の家を調和し、重ね合せたものであるゆえに『ヤヱガキ(家重垣)』と呼ぶのである」
アマテルの説明を受けたオオモノヌシは、笑んで次のように誓いを述べた。
「昔、モノヌシの役目を賜った時に これらの意味を深く考えましたが、自分では解けませんでした。ですが、今その説明を聞いてようやく意味が分かりました。この『ヤヱカキ』がモノノベの名の由来となった出来事は私の心に響きました。ですから、私がモノノベを統べて代々の垣となるのが本分だと思います」
オオモノヌシが、逆矛とヤマトヲヲコノミタマカミの名を受ける
オオモノヌシ(クシヒコ)の誓いを聞いたアマテルは次のように詔した。
「納得のいく答えであった。クシヒコよ、汝は御孫(ニニキネ)より『ヲコヌシカミ(大国主神)』の名を賜ったが、まだ不足している。この幸いにより、私が二尊より賜った逆矛を汝に譲ることにしよう。
また、汝は生まれてから素直にヤマトチ(和道)の教えに適っている。そのため『スヘラキノヤヱカキノヲキ(皇の八重垣の翁)』に『ヤマトヲヲコノミタマカミ(倭大国魂神)』の名を与えよう」
これにクシヒコは畏れてひれ伏し、しばらく応えなかった。その時、モノノベらが「さあ、受けてください」と進言したが、クシヒコはひれ伏したままだったので、アマノコヤネが次のように進言した。
「そのように深く畏れずに受けましょう。私は若いが、コモリ(クシヒコの子)とは仲が良くさせていただいている。そして、我々も君のためにナカコ(心)を一つにして忠を尽くそうではありませんか」
皆がこのように言うと、クシヒコはアマテルに敬服してこれを受けた。
クシタマホノアカリの臣への詔
この時、アマテルはフトタマとカグヤマツミにも次のように詔した。
「孫のテルヒコ(クシタマホノアカリ)のハネノオミ(羽の臣)であるフトタマは、代々アメノマツリ(天神地祇の祭祀)を執り仕切れ。
また、カグヤマツミはテルヒコのモノヌシとなり、60人のモノノベを司って民を治めよ」
ニニキネの臣への詔
アマテルは、アマノコヤネとコモリにも次のように詔した。
「この度、改めてキヨヒト(ニニキネ)のハネノオミとなったコヤネは、代々アメノマツリ(天神地祇の祭祀)を執り仕切れ。
また、コモリは代々のモノヌシとなり、共に守って民を治めよ」
皇孫への詔
アマテルは、スヘマコ(皇孫=テルヒコ・キヨヒト)にも次のように詔した。
「汝らが政を怠ることが無く、ホツマ成る時が来れば『ヤタ(民)』は平穏に治まるだろう」
クシヒコの最期
その後、クシヒコはヤマトヤマベ(大和山辺)に宮殿を造った。
その時の年齢は既に12万8,100歳であったので、死後の役目は『トヨケノリ(調の道に逆らう者を排除し、秩序を守ること)』を守ることであるとして、次のような遺言を遺した。
「精魂を添えて『スヘラキの代々(皇統)』を守護することに重要なのは『アメノミチ(和の道)』である」
このように述べた後、ミモロヤマ(三輪山)に洞を掘り、アマノサカホコ(和の逆矛)を曝け出したまま中に入った。そして、静かに和の道が衰えて再興を要する時を待った。この地には「後に真っ直ぐなる主を見分ける」ため「真っ直ぐな印の杉(しるしの杉)」を植えたという。
なお、以前にアマテルは次のような詔を残していた。
「ヲコノミタマ(大国魂)は親であり、オオモノヌシは親より継ぐべし」
これにより、コモリがオオモノヌシ(軍事長官)を引き継ぎ、副モノノベはトマミとなった。また、コトシロヌシ(オオモノヌシ代行)はツミハが引き継ぎ、皆でニニキネの守護を司った。
注釈
登場人物
・アマテル:『記紀』の天照大神に比定。八代君主の男尊。創造神アメミヲヤの顕現
・クシヒコ:『記紀』の事代主神、大物主神に比定。オホナムチの子
・クニトコタチ:『記紀』の国常立尊に比定。初代君主を指す
・オモタル:『記紀』の面足尊に比定。六代君主の男尊
・イサナギ:『記紀』の伊弉諾尊に比定。七代君主の男尊。アマテルの父
・イサナミ:『記紀』の伊弉冉尊に比定。七代君主の女尊。アマテルの母
・ミヲヤ神(アメミヲヤ):『記紀』の天御中主神に比定。万物の根源神たる神霊
・アマメヒトツ:『日本書紀』の天目一箇神に比定。八重垣の剣を八振造って献上した
・オオモノヌシ:『記紀』の大物主神に比定。天(中央政府)の軍事を司る長名
・ヲコヌシカミ:『記紀』の大国主神に比定。ホツマではクシヒコの称号を指す
・ヤマトヲヲコノミタマカミ:『日本書紀』の倭大国魂神に比定。クシヒコの称号
・アマノコヤネ:『記紀』の天児屋命に比定。カスガカミ
・クシタマホノアカリ:『記紀』の天火明命に比定。オシホミミの長男。アマテルの孫
・フトタマ:『記紀』の太玉命に比定。タカギの子。テルヒコの左臣
・カグヤマツミ:オオヤマカグツミの子。テルヒコの右臣
・ニニキネ:『記紀』の瓊瓊杵尊に比定。オシホミミの二男。アマテルの孫
・コモリ:神社祭神の子守神に比定。クシヒコ(コトシロヌシ)の子
・トマミ:神社祭神の天戸間見命に比定。クマノクスヒの子。アマテルの孫
・ツミハ:神社祭神の積羽八重事代主命に比定。コモリの次男。クシヒコの孫
関連社
・大神神社:ホツマにおける「ミモロヤマの洞」に比定
・別 名:三輪明神
・創建年:不詳(有史以前)
・主祭神:大物主大神
・所在地:奈良県桜井市三輪1422
・備 考:境内の「しるしの杉」は三輪大神の示現の神杉とされる
※ホツマツタヱの記述との対応関係に基づく解釈
関連知識
大和・日本の語源
23文によれば、大和・日本の由来は以下の通りです。
・大和(ヤマト):「トの教え」によって「ヰヤマト(大いなる調和)」の通る国となったため
・日本(ヒノモト):「トの教え」が「日の出のような原動力の根本」になるため
・日本(ヒノモト):「トの教え」が「日の出のような原動力の根本」になるため
大神神社との関連性
大神神社といえば、奈良県桜井市に鎮座する格式高い神社として知られています。主祭神は大物主大神ですが、この大物主という神は『記紀』において記述が揺れており、天皇の御代にも現れるなど、何者なのかがはっきりしない神です。
ホツマにおいては「オオモノヌシ」は天(中央政府)に属する行政官で、全国の「モノヌシ(武官)」を統括する長とされており、初代はオホナムチが任命されています。オホナムチがオオモノヌシだった時代は、クシヒコはオオモノヌシの代行である「コトシロヌシ」でしたが、出雲のカシマタチの一件の後にクシヒコが正式にオオモノヌシとなり、以降はその子孫が歴任したとされます。
23文においては、クシヒコが死の間際に神上がった後も秩序を守ることを宣言し、三輪山に洞を掘ってアマノサカホコを携えたまま中に入り、その際に当地に「真っ直ぐな印の杉」を植えたと記されています。この杉は今も大神神社の境内に「しるしの杉」として切株が残っており、ホツマの記述と一致します。
ただし、この先の文にも大神神社に関連する記述が出てくるため、クシヒコが主祭神の大物主大神であると断定することはできません。
『記紀』との主な違い(AI分析)
処刑・刑罰思想の扱い
ホツマでは、処刑の起源がオモタル代の治安悪化に伴う制度改革として語られ、「冤罪こそ最大の罪」という倫理観が明確に示される。一方、『記紀』では処刑制度の起源や刑罰思想は語られず、冤罪に関する思想も見られない。
国造り(ヤマト・日本の成立)の説明
ホツマでは、イサナギ・イサナミが千五百の邑を整備し、調和の教えが広まった結果「ヤマト国」となり、その教えが日の出の勢いとなるため「ヒノモト(日本)」と名付けられる。一方、『記紀』では国名の由来は語られず、国生み神話が中心となる。
三種の神器の意味づけ
ホツマでは、アメナルフミ(文)が統治理念(トノミチ)の象徴として説明され、神器が政治思想と結びつけられる。一方、『記紀』では三種の神器は天孫降臨の証として描かれ、思想的説明はほとんどない。
武力(矛・剣)の思想的意味
ホツマでは、アメノサカホコは「道を乱す者を正すための宝」とされ、剣は“活きと枯れ”を判別する象徴として扱われる。一方、『記紀』では矛や剣は神話的アイテムとして登場するが、倫理的・思想的説明は付されない。
官制・制度の成立
ホツマでは、五家・粗長・県主・国造・オオモノヌシなどの行政制度が体系的に説明され、衣服制度(算)や機織りの法も国家制度として語られる。一方、『記紀』では律令以前の官制の体系的説明はなく、衣服制度や織法も登場しない。
大物主神(オオモノヌシ)の位置づけ
ホツマでは、オオモノヌシは全国の武官を統括する行政官として明確に位置づけられ、クシヒコが三輪山に入ることで大神神社の神格の起源が説明される。一方、『記紀』では大物主は神格が揺れ、国造り・疫病鎮め・託宣など多面的に登場するが、行政官としての体系的説明はない。
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