『ホツマツタヱ』に見る 皇大神宮(伊勢神宮 内宮) [三重県]
皇大神宮(こうたいじんぐう)とは三重県伊勢市にある神社であり、一般的には伊勢神宮として知られています。
当社は伊勢の内宮(ないくう)に当たり、古くから天照大御神を祀る神社として人々から篤い崇敬を集めています。
スポンサーリンク
概要
由緒
社伝によれば、創建は垂仁天皇26年とされる。
『日本書紀』によれば、天照大神の御杖代となった倭姫命(ヤマトヒメ)は、天照大神の神霊が宿った八咫鏡を携えて諸国を巡幸していたが、伊勢に訪れた際に天照大神より「是の神風の伊勢の国は常世之浪重浪帰(とこよのなみしきなみよ)する国なり。傍国可怜国(かたくにのうましくに)なり。是の国に居らむと欲ふ」との神託が下り、これを契機に伊勢の地に鎮座することになったと伝えられている。
なお、『風土記』および『倭姫命世記』にも、伊勢関連の伝承が記されている。
関連リンク:伊勢にまつわる伝説・伝承
祭神
【主祭神】
・天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ):最高の神格を持つ太陽を神格化した神
→ 三種の神器の1つである八咫鏡(やたのかがみ)を神体とする
⇒ 『倭姫命世記』などによればこの八咫鏡は「八頭(八頭花崎八葉形)」という
→ 伊勢神宮では「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」あるいは「皇大御神(すめおおみかみ)」と呼ばれる
⇒ 神職が神前で神名を唱えるときは「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言う
→ 『倭姫命世記』によれば、祭神の天照大御神は「大日靈貴(オホヒルメノムチ)」という
→ 『日本書紀』によれば、「大日靈貴(オオヒルメノムチ)」はイザナギ・イザナミに産み出された日神とされる
⇒ 『日本書紀』では、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は別の書による神名と記される
→ 『古事記』によれば、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」はイザナギの左眼から化成したとされる
⇒ 『古事記』では、イザナギの禊から化成した最後の三神(三貴子)は誕生したときから特別に尊いとされた
⇒ 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は『古事記』による名称である
→ 『竹内文書』によれば、「天照皇大神」は別名を「天疎日向津比売尊(あまさかるひにむかつひめ)」というとされる
【相殿神】
・天手力男神(あめのたぢからおのかみ):天岩戸神話でアマテラスを岩戸から引っ張り出した神
→ 左方に祀られており、弓を神体とする
・万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと):オシホミミの妻、ホアカリとニニギの母に当たる神
→ 右方に祀られており、剣を神体とする
・天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ):最高の神格を持つ太陽を神格化した神
→ 三種の神器の1つである八咫鏡(やたのかがみ)を神体とする
⇒ 『倭姫命世記』などによればこの八咫鏡は「八頭(八頭花崎八葉形)」という
→ 伊勢神宮では「天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)」あるいは「皇大御神(すめおおみかみ)」と呼ばれる
⇒ 神職が神前で神名を唱えるときは「天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)」と言う
→ 『倭姫命世記』によれば、祭神の天照大御神は「大日靈貴(オホヒルメノムチ)」という
→ 『日本書紀』によれば、「大日靈貴(オオヒルメノムチ)」はイザナギ・イザナミに産み出された日神とされる
⇒ 『日本書紀』では、「天照大神(あまてらすおおみかみ)」は別の書による神名と記される
→ 『古事記』によれば、「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」はイザナギの左眼から化成したとされる
⇒ 『古事記』では、イザナギの禊から化成した最後の三神(三貴子)は誕生したときから特別に尊いとされた
⇒ 「天照大御神(あまてらすおおみかみ)」は『古事記』による名称である
→ 『竹内文書』によれば、「天照皇大神」は別名を「天疎日向津比売尊(あまさかるひにむかつひめ)」というとされる
【相殿神】
・天手力男神(あめのたぢからおのかみ):天岩戸神話でアマテラスを岩戸から引っ張り出した神
→ 左方に祀られており、弓を神体とする
・万幡豊秋津姫命(よろづはたとよあきつひめのみこと):オシホミミの妻、ホアカリとニニギの母に当たる神
→ 右方に祀られており、剣を神体とする
境内社
【内宮別宮】
・風日折宮:級長津彦命(シナツヒコ)・級長戸辺命(シナツヒメ)を祀る
・荒祭宮:天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)を祀る
→ 一説にセオリツヒメを指すとされる
【内宮所管社】
・瀧祭神:瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)を祀る
→ 磐座形式で祀られた社
・四至神:四至神(みやのめぐりのかみ)を祀る
→ 磐座形式で祀られた社
・御稲御倉:御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀る
→ 平安期はウケモチ、鎌倉期はウカノミタマを祀るとされた
・由貴御倉:由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)を祀る
・御酒殿:御酒殿神(みさかどののかみ)を祀る
・子安神社:木花開耶姫神(コノハナサクヤヒメ)を祀る
・大山祇神社:大山祇神(オオヤマツミ)を祀る
・風日折宮:級長津彦命(シナツヒコ)・級長戸辺命(シナツヒメ)を祀る
・荒祭宮:天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)を祀る
→ 一説にセオリツヒメを指すとされる
【内宮所管社】
・瀧祭神:瀧祭大神(たきまつりのおおかみ)を祀る
→ 磐座形式で祀られた社
・四至神:四至神(みやのめぐりのかみ)を祀る
→ 磐座形式で祀られた社
・御稲御倉:御稲御倉神(みしねのみくらのかみ)を祀る
→ 平安期はウケモチ、鎌倉期はウカノミタマを祀るとされた
・由貴御倉:由貴御倉神(ゆきのみくらのかみ)を祀る
・御酒殿:御酒殿神(みさかどののかみ)を祀る
・子安神社:木花開耶姫神(コノハナサクヤヒメ)を祀る
・大山祇神社:大山祇神(オオヤマツミ)を祀る
豊受大神宮(伊勢神宮 外宮)
豊受大神宮(とようけだいじんぐう)は、伊勢神宮の2つの正宮の内の1つであり、外宮(げくう)とも呼ばれている。
社伝によれば、皇大神宮(内宮)の創祀の約500年後の第21代雄略天皇の時代、天皇の夢の中に天照大御神(アマテラス)が現れて「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」という神託が下り、それを以って豊受大神(とようけのおおかみ)が丹波国から内宮付近の山田の原に遷されたとされる。
また、豊受大神の元々の鎮座地である丹後の真名井神社(現・籠神社摂社)の社伝によれば、雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたとされている。
なお、雄略天皇は景行天皇よりも大分 後の時代となるため、ヲシテ文献に豊受大神宮は登場しない(前身はマナヰのアサヒ宮(真名井神社に比定)であるとされる)。
【外宮の祭神】
主祭神
・豊受大神(とようけのおおかみ)
相殿神
・御伴神(みとものかみ)三座
主祭神
・豊受大神(とようけのおおかみ)
相殿神
・御伴神(みとものかみ)三座
関連リンク
・皇大神宮(公式サイト)
・皇大神宮(ウィキペディア)
・皇大神宮(人文研究見聞録)
・コウタイジングウ(ほつまつたゑ 解読ガイド)
ヲシテ文献の記述
サコクシロウチ宮について
・アマテルは晩年になると、内宮のセオリツヒメはミモカワ付近に最期の地であるサコクシロウチを得た
・アマテルは、イサワの宮からサコクシロウチに宮を遷し、そこで2万年過ごしたという
・アマテルはサコクシロウチ宮に自生した50鈴の真榊を見て死期を悟り、諸神を集めて世を離れる詔を発した
・その際、アマテルはマナヰのアサヒ宮を自らの墓所とするように伝えると、サルタを召して穴を掘らせた
・そして、諸神に遺命を伝えて神上がった
・その後、神逝の神輿はマナヰに到り、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られることになった
・この後、コヤネはサコクシロウチ宮を「アマテル神の内つ宮」と改め、自らはイセの神臣となった
・なお、サコクシロウチは「天の輪の中心」を意味し、ウチは伊勢の「宇治」の由来となったと推測される
・そして、このウチ(宇治)に後にイセ宮(内宮)が建てられることになる
イセ宮の創建の経緯
・トヨスキヒメから御杖代の役を託されたヤマトヒメは、イソベに遷ってアマテル神を鎮めた
・その後、アマテル神より「良き宮所は南にあり」との神託が下ったことから、オオワカゴをその地に派遣した
・オオワカゴがヰスズガワに到ると、208万歳になるサルタヒコが現れた
・サルタヒコはアマテルより預かった神宝をオオワカゴに渡し、これを主に渡すように告げて去って行った
・オオワカゴが神宝をヤマトヒメに渡すと、ヤマトヒメはウチ(伊勢の宇治)に到り、当地にイセ宮を建てることにした
・この際、サルタヒコの功績を讃えてサルタヒコの座っていたアグライシを祀った
・その後、オオワカゴらに宮地を整備させ、宮地の真ん中にオオミヤハシラを立ててイセ宮を造営した
・これを垂仁天皇に告げると、天皇は早速 伊勢の神主らを定める詔を発した
・この後、伊勢の神主らは各々がイセ宮を詣でたという
・なお、イセ宮の創建当初はイセ宮が内宮であり、アサヒ宮が外宮に当てられた
アマテルについて
・イサナギ・イサナミの御子
→ 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った
→ 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた
→ イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した
→ 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという
→ 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた
→ 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)
・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される
→ ここで「アメナルミチ」を学習したとされる
→ この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる
→ 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)
・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った
・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)
→ イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる
・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる
→ 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる
→ クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた
→ 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる
トヨケについて
・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという
ヲシテ文献の対応箇所
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテルの最期【6】
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:世に遺す歌【7】
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:還し宣歌【8】
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテル最期の詔【9】
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】
・ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:アマテル亡き後のカスガ【11】
・ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢神宮(内宮)の造営と、皇室の御幸【6】
・ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】
備考
伊勢神宮について
・現在のように大規模に造成されたのは、第40代天武天皇から第41代持統天皇の時代とされる
・神苑には神使として神鶏が放し飼いにされている
→ ホツマによれば、庭鳥(鶏)を飼えば民のカラカレ(空枯れ)は無くなるとされる
・伊勢神宮の周辺には、菊花紋章と六芒星の刻まれた謎の灯篭がある
→ ホツマによれば、キクは「高貴・究極・中心」なる意味を持つとされる
→ 六芒星には「対極なる要素の調和」の意があるとも云われ、ホツマにおけるイセ(妹背)の意と合致する
料金: 無料
住所: 三重県伊勢市宇治館町1(マップ)
営業: 5:00~18:00(夏期19:00、冬季17:00)
交通: 伊勢市駅または宇治山田駅からバス、五十鈴川駅(徒歩39分)
公式サイト: http://www.isejingu.or.jp/
住所: 三重県伊勢市宇治館町1(マップ)
営業: 5:00~18:00(夏期19:00、冬季17:00)
交通: 伊勢市駅または宇治山田駅からバス、五十鈴川駅(徒歩39分)
公式サイト: http://www.isejingu.or.jp/
スポンサーリンク
コメント
0 件のコメント :
コメントを投稿