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・主にヲシテ文献の『ホツマツタヱ』『ミカサフミ』の現代語訳文を扱っています
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2016年5月22日日曜日

ホツマツタヱ29文 タケヒト ヤマト打ちの文:東征の開始【5】

現代語訳

・上鈴51年キミヱ10月3日、上御子が自ら諸を率いて御船に乗り込み、ハヤスヒドに向かった
・そこで小船に乗った海人が寄ってきたので、アヒワケ※がその素性を問うた
 ・すると「私は国守のウツヒコ※です、海で釣りをしている時に御船が出ると聞いてやってきました」と答えた
 ・アヒワケは「御船を導けるか?」と問うと、ウツヒコは「あい」と答えた
 ・そこでタケヒトが詔をして、ウツヒコに垂棹の末を持たせて船に引き入れシイネツヒコという名を与えた
シイネツヒコが率いる船が宇佐に到れば、ウサツヒコがヒトアカリヤ(館)に招き入れて御饗を催した
 ・膳出の際に寄って来たウサコヒメタネコが妻に欲しいと父のウサツヒコに問えば、婚姻が成立した
 ・これ故に、ウサツヒコはツクシノヲシに任じられた
・次に安芸の国に到れば、チノミヤにて年を越した
・翌年の3月にはキビタカシマ(吉備高島)にてナカクニの政を治めて、3年間座した
 ・そこで内に調えば、御船は先に進んだ

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用語解説

・アヒワケ:アメフタヱの孫で、東征に同行する
・ウツヒコ(シイネツヒコ):東征の際に海路を案内した国守。『記紀』でいうウズヒコ、シイネツヒコに当たる

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原文(漢字読み下し)

・上鈴(あすす)キミヱの
・十月三日(かんなみか) 皇御子(あみこ)みつから
・諸(もろ)率(ひき)きて 御船(みふね)の到(いた)る
・速吸門(はやすひと) 寄(よ)る海人小船(あまおふね)
・アヒワケか 問(と)えは国守(くにかみ)
・ウツヒコそ 海(わた)の釣(つり)にて
・聞(き)く御船(みふね) 向(む)かふは御船(みふね)
・導(みちひ)くか あひと答(こた)えて

・御言宣(みことのり) 垂棹(しいさほ)の末(すえ)
・持(も)たしめて 船(ふね)に引(ひ)き入(い)れ
・名(な)お賜(たま)ふ シイネツヒコの
・率(ひ)く船(ふね)の 宇佐(うさ)に到(いた)れは
・ウサツヒコ 人(ひと)あかり屋(や)に
・御饗(みあえ)なす 膳出(かしはて)に寄(よ)る
・ウサコ姫(ひめ) タネコか妻(つま)と
・父(ちち)に問(と)ひ 筑紫(つくし)の治使(をし)と

・安芸(あき)の国(くに) チノ宮(みや)に越(こ)す
・三月(やよひ)には 吉備高嶋(きひたかしま)に
・中国(なかくに)の 政(まつり)治(をさ)めて
・三年(みとせ)在(ま)す 内(うち)に調(ととの)ひ
・御船(みふね)行(ゆ)く

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります

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