ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]

籠神社(このじんじゃ)とは京都府宮津市にある神社であり、伊勢神宮創建前の元伊勢として有名です。

なお、社家には先祖から齎された系図と神宝が伝わっており、奥宮・真名井神社の創祀は相当古いものとされています。


概要


由緒


社伝によれば、籠神社の主祭神である彦火明命(ヒコホアカリ)邇邇芸命(ニニギ)の兄神に当たり、邇邇芸命(ニニギ)天照大神(アマテラス)の籠った神鏡を持って日向の高千穂に天降ったのに対し、彦火明命(ヒコホアカリ)豊受大神(トヨウケノオオカミ)が籠った神鏡を持って現代の丹後に天降り、丹後・丹波地方を開拓して そこに豊受大神(トヨウケノオオカミ)を祀ったことに始まるという。

その後、崇神天皇の御代豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)によって天照大神(アマテラス)が倭の笠縫邑から丹後に遷された際、豊受大神(トヨウケノオオカミ)を遷して天照大神(アマテラス)と共に祀り、宮名を「吉佐宮(よさのみや)」と称して4年間祀ったとされている。なお、この社が現在の奥宮・真名井神社であるとされる。

これ以降は、天照大神(アマテラス)御杖代の皇女(トヨスキイリヒメ、ヤマトヒメ)と共に諸国を巡幸して垂仁天皇26年に伊勢に留まることになり、豊受大神(トヨウケノオオカミ)雄略天皇22年に伊勢に遷ったとされる。

なお、真名井神社は飛鳥時代初期まで「与謝宮(吉佐宮)」と呼ばれていたが、後に社家の海部家26代目当主である海部直伍百道祝(あまべあたえいほじはふり)が、祭神が籠に乗って雪の中に現れたという伝承に基づいて社名を「籠宮(このみや)」と改め、真名井神社の境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮したという。

そして、奈良時代の元正天皇の御代に、海部家27代目当である主海部直愛志(あまべのあたええし)が現在の籠神社の鎮座地へと遷し、それを契機に主祭神を海部家の祖神である彦火明命として、相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀った。これが籠神社の創祀とされている。

まとめると、籠神社は社家の海部家の祖神である彦火明命(ヒコホアカリ)が豊受大神(トヨウケノオオカミ)を神鏡を御神体として祀ったことに始まり、崇神天皇の御代に宮中から倭の笠縫邑に遷された天照大神(アマテラス)が遷し祀られて「吉佐宮(よさのみや)」となり、奈良時代の元正天皇の御代に現社地へと遷されて籠神社となったということになる(旧社地の真名井神社は奥宮となった)。

祭神


主祭神

・彦火明命 (ヒコホアカリ):社家・海部氏の祖神であり、天照大神の孫・邇邇芸命(ニニギ)の兄に当たる
 → 社伝に、彦火明命には天火明命・天照御魂神・天照国照彦火明命の別名があるとされる
 → 社伝に、賀茂別雷神と同神とある
 → 『旧事紀』に、天照国照彦天火明櫛玉饒速日命と同神とある
 → 『播磨国風土記』に、大汝命(大国主命)の子とある
 → 『日本書紀』に、火明命(彦火火出見命の兄妹)と同神とある
 → 一説に、丹波道主王と同一と云われる
 → 社伝では、アメノミチヒメ(大己貴神の娘)・イチキシマヒメ(宗像三女神)の2柱の妻が居るとされる

※数々の説が唱えられているため、多くの神々と混同されている

【相殿神

・豊受大神(トヨウケノオオカミ):丹後の最高神・総氏神であるとされる
 → 社伝に、豊受大神には天御中主神、国常立神の別名があるとされる
 → 社伝に、その顕現の神を豊宇気毘売神・豊受比売ともいうとされる
 → 社伝に、天火明命(彦火明命)の天孫降臨の際に共に天降ったとされる
 → 第21代雄略天皇が天照大神の神託を受けて、伊勢に遷宮したとされる
・天照大神(アマテラス):現皇室の祖神である
 → 伊勢の皇大神宮(伊勢内宮)の主祭神
 → 主祭神の別名にも「天照」とあるが、別神として祀られている
・海神(ワタツミノカミ):社家・海部氏の氏神である
 → 社伝に、山幸彦(ホオリ)の后である豊玉毘売(トヨタマビメ)とされる
・天水分神(アメノミクマリ):奥宮・真名井神社に祀られる水戸神の子とされる
 → 『丹後国風土記』における天橋立神話から、伊弉諾尊(イザナギ)を祭神とする説もある

境内社


奥宮(境外摂社)

・真名井神社:主祭神に豊受大神、相殿に罔象女命、彦火火出見尊、神代五代神を祀る

【摂社

・蛭子神社(恵比寿神社):彦火火出見命、倭宿彌命を祀る
・天照皇大神社:天照大神の和魂(あるいは荒魂)を祀る
・真名井稲荷神社:宇迦御魂、保食神、豊受比売を祀る

【末社

・春日大明神社:春日四神を祀る
・猿田彦神社:猿田彦神を祀る

関連リンク


籠神社(公式サイト)
籠神社(ウィキペディア)
籠神社(人文研究見聞録)
コノジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)

ヲシテ文献の記述


マナヰについて


・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった

トヨケについて


・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという

アマテルについて


・イサナギ・イサナミの御子
 → 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った
 → 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた
 → イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した
 → 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという
 → 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた
 → 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)
・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される
 → ここで「アメナルミチ」を学習したとされる
 → この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる
 → 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)
・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った
・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)
 → イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる
・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる
 → 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる
 → クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた
 → 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる

セオリツヒメについて


・サクラウチ(オオヤマズミの祖)の娘で、当初はアマテルの南のスケ后であった
 → 後に内宮(皇后)となり、「アマサカルヒニムカツヒメ」という名でも呼ばれることとなる
・アマテルとの間にオシホミミを儲ける
・アマテルの脇に座し、鏡を持っていたとされる
・アマテルがミヤツで政を執ることになると、暫定的にハラミの政を執った
 → この時期に、紀州にて稲の害虫を祓う「ワカヒメの呪い」を行ったとされる
・アマテルが世を辞む際、「ヒロタ宮に行って、ワカヒメと共に妹心を守れ」との遺言を受けている
 → セオリツヒメ自身の死については触れられておらず、ホツマの中でも相当長寿であると考えられる

タニハミチウシについて


・ヒコヰマスの子で、崇神天皇の命により丹波の治人となる(四道将軍の一)
・崇神天皇の御代に宮津のヨサ宮アマテルとトヨケを祀った際、ミケノモリ(神饌の守)となる

クシタマホノアカリについて


・オシホミミの御子で、ニニキネの兄に当たる
・春日を治めていたヰチヂの老齢のため、オシホミミから三種宝、アマテルから十種宝を賜って大和を治めることになる
・最初にイカルガ宮に座すが、凶兆によりアスカ宮に遷宮する
 → この際、大和に降って間もないのに遷宮を決めたことから臣が揉め、コヤネとクシヒコが守を離れる
 → そして、クシタマホノアカリを擁護したフトタマ・カグヤマツミが左右の臣を務めることになる
・スガタヒメ、ハツセヒメ、アメミチヒメを娶るが、代嗣は出来なかった
・カゴヤマの子のタクラマロを養子として迎えるが、ハツセヒメに疎まれてアメミチヒメとタカクラマロは追放される
 → アメミチヒメ:カグヤマツミとタキコの娘で、カゴヤマの妹
 → タクラマロ:カゴヤマの子のタカクラシタを指す
・テルヒコの死後、ニニキネの子の「ホノアカリ」の子である「クニテル」がアスカを継ぐことになる

クニテル(ニギハヤヒ)について


・ニニキネの御子のホノアカリの子であり、弟にタケテルが居る
 → クニテルから見て、クシタマホノアカリは伯祖父(祖父の兄弟)ということになる
・テルヒコの死後、アマテルの命によってアスカを継ぐことになる
・クニテルがアスカに降る際、アマテルから「アマテラスニギハヤヒキミ」の名と十種宝を賜る
 → この後、アメミチヒメを義理の母としてアスカに呼ぶ
 → 同時にタカクラマロも呼ぶが、タカクラマロはこれに応じることは無かった(クマノに住んでいたと推定される)
・アスカに入った後、クニテルはナガスネヒコの妹のミカシヤヒメを娶ってウマシマチを儲ける
・ナガスネヒコが春日の神庫から代嗣文を写し盗ると、この罪によって中央政府との確執が起こる
 → その後、タケヒト(神武天皇)によってアスカは攻められることになる
 → なお、クニテル(ニギハヤヒ)は皇軍と対峙した際に、早々に降伏を認めている
 → 以後、ナガスネヒコの独断で皇軍との戦が進められたが、この状況に収めるべく、クニテル自らが斬ったとされる

ヲシテ文献の対応箇所


ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】
ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】
ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】
ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】

備考


籠神社について


ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:籠神社 [京都府]

・崇神朝に御杖代の豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が当地にアマテラスを祀ったことから「元伊勢」と称する
・第4代懿徳天皇の御代に「藤祭」という祭礼が始められた
 → 欽明天皇の御代に「藤祭」を「葵祭」と改称したという
・海部家には、神宝として『海部氏系図(国宝)』と、十種神宝の「息津鏡」と「邊津鏡」が伝えられているという
 → 『海部氏系図』の海幸山幸神話では、彦火明命は彦火火出見尊であるとされるとも(参考:神奈備にようこそ
・籠神社(真名井神社)には「六芒星」がシンボルとして用いられている
 → 「日ユ同祖論」において、旧約聖書との関連を指摘する説が唱えられている
 → 同様に福知山市、京都市の市章も「六芒星」の様な形をしている(府外では西宮市など)
 → 実は日本各地の市章の中には「六芒星」の形をしているものが結構ある(参考:市章一覧
 → 日本では古来より「麻紋」として同様の形のシンボルが用いられていた
 → 伊勢神宮の周辺にも菊花紋章と六芒星が刻まれた石燈籠が多数配置されている
・籠神社には「彦火明命(ニギハヤヒとも)」と「イチキシマヒメ」が描かれた絵馬が存在していた
 → この絵馬にも六芒星が描かれ、その中には日と月が描かれている
・真名井神社版の「羽衣伝説」がある
 → 八人の天女が真名井神社の神域に当たる場所に舞い降りて、酒造を行っていたとされる
 → 塩土翁が一人の天女の羽衣を隠して帰らせないようにし、後に結婚したという
 → この伝説によれば、豊受大神を祀る与謝宮(よさのみや)を建てたのは この天女であるとされる

倭姫命との関係


・雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたという
・倭姫命の母は比婆須比売命(ひばすひめ)と云い、海部家の直系子孫であるという

その他


・旧丹波国(但馬国・丹後国・丹波国)には、天照大神と豊受大神を祀る神社が多数ある
 → 宮津市:籠神社(真名井神社)
 → 京丹後市:比沼麻奈爲神社
 → 福知山市:元伊勢内宮 皇大神社元伊勢外宮 豊受大神社、天岩戸神社
 → 舞鶴市:笑原神社、田口神社

ホツマにおける仮説


・社伝において主祭神である「彦火明命」は海部氏の祖神とされ、「天火明命」と同神とされる
 → ホツマでは「クシタマホノアカリ(テルヒコ)」に比定されるが、代嗣は無かったとされる(実子が居ない)
 → タナコ(イチキシマヒメ)はイフキヌシの妻となっていることから、社伝とは合わない
  ⇒ イチキシマヒメ:アマテルとハヤコの娘で、イフキヌシの妻となる
 → 『海部氏系図』の内容において、彦火明命と櫛玉饒速日命を同一とするのは時代的に難しいという見解がある
  ⇒ 「日本神話」の流れにおいて、宇摩志麻治の一世代前にしては期間が長すぎるため(参考:『勘注系図』の研究
 → ホツマではクシタマホノアカリが治めるアスカに関してはあまり記述されない
  ⇒ そのため、丹後とアスカおよびクシタマホノアカリの関係性は不詳
  ⇒ また、クシタマホノアカリとトヨケの関係性に関しても、具体的な記述は無い
 → よって、ホツマにおいて彦火明命とクシタマホノアカリの関係性は保留とする
・籠神社のシンボルとされる「六芒星」について
 → ホツマ的には「アメナルミチ・イセノミチ(陽陰和合の道)」を象徴するシンボルではないかと思われる
 → 西洋でも一部に「相対する要素の和合」を示すシンボルとして用いられている例がある
 → イスラエルのシンボル「ダビデの星」は17世紀を起源とすると云われるため、別物と考える(参考:ダビデの星
・社伝において主祭神である「彦火明命」は「天照御魂神」という別名があるとされる
 → 天照御魂神は「アマテルミムスビノカミ」もしくは「アマテルミタマノカミ」と読むとされる
 → ホツマにおいて、トヨケとアマテルの関係は睦まじく、切っても切り離せないほど密接な関係性にある
 → ホツマにおいて、マナヰの地はトヨケとアマテルが神上がった土地であり、墓所は同じであるとされる
 → 「イチキシマヒメ」は六甲比命神社の研究において「ムカツヒメ」の仮の名として祀られたという説がある
 → 籠神社には彦火明命と市杵嶋姫命をセットで描いた絵馬があり、六芒星と日月が描かれる
  ⇒ ホツマにおいて、この六芒星は「アメナルミチ」また「イセノミチ」のシンボルであると推測できる
  ⇒ ホツマにおいて、日は皇君、月は皇后を表し、日月はこの夫婦を象徴するとされる
 → ホツマにおけるアマテル(男神の天照大御神)は一般的にマイナーであり、触れている文献は少ない
  ⇒ 『記紀』に登場するアマテラスは女神として捉えられる(しかし、精査しても断定できる記述は少ない)
  ⇒ 『竹内文書』には男神の日神が居り、後に女神の天疎日向津比売尊(天照皇大神)が生まれたとある
  ⇒ 天照大御神が男神であるという説は古くからある(参考:天照大神男神説
  ⇒ ホツマにおいてニギハヤヒも「アマテラスニギハヤヒキミ」の名を賜っている(同一視される要因か?)
・上記のことから、ホツマにおける籠神社について以下のような仮説を立てることにする
 → 天照御魂神は「アマテル」を指すが、存在が公にできないために巧妙に隠されたのではないか?
 → 彦火明命の妻とされる市杵嶋姫命は「ムカツヒメ(セオリツヒメ)」の存在を示唆しているのではないか?
 → 籠神社・真名井神社に用いられた六芒星は「アメナルミチ(イセノミチ)」を暗示するシンボルではないか?
 → 彦火明命と豊受大神の関係は、アマテルとトヨケの関係に由来するものではないか?
 → 旧丹波国とアスカ王権には何らかの関係があったのではないか?(ホツマ内には記述が無い)

※上記はあくまでもヲシテ文献の個人研究から推測した仮説です

まとめ


・ヲシテ文献と籠神社の社伝を表面的に照らし合わせてみると、悉く異なるということが分かる
 → 籠神社の公式では『記紀』『風土記』と照らし合わせた説明が為されている
・籠神社の歴史や祭神から考察すると、ヲシテ文献と合わさる部分が見つかることも事実である
 → ヲシテと社伝は分けて考えた方が良い(当サイトでは両方の記述を分けて推測することにする)

料金: 無料
住所: 京都府宮津市字大垣430(マップ
営業: 7:00~17:00(境内には入れる)
交通: 天橋立駅(徒歩46分) 

公式サイト: http://www.motoise.jp/