ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:皇大神社 [京都府]

皇大神社(こうたいじんじゃ)とは京都府福知山市大江町にある神社であり、元伊勢伝承地(吉佐宮)の1つとされています。

また、周辺には「豊受大神社(外宮)」「天岩戸神社」もあることから、併せて「元伊勢三社」と総称されているそうです。


概要


由緒


由緒には諸説あり、以下のようなものが挙げられている

皇大神社 創建の諸説

・「社伝」:崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から遷座したことを創祀とする(吉佐宮跡としている)
・「不甲神社説」:所在不明の延喜式内社・不甲神社に比定する説
・「天手力雄神社説」:丹後で最古級の天手力雄神社であるとする説
・『丹後国加佐郡旧語集』:天照大神は大和国より遷されて、後に伊勢国高間原へ遷宮されたとする
・『加佐郡誌』:崇神天皇の御代、天照大神が大和国笠縫邑から吉依宮(吉佐宮)に還幸する際、一時的に留まったとする
・『丹後州宮津府志』:用明天皇の皇子・麻呂子親王が鬼退治の際に外宮とともに勧請したとする

祭神


【主祭神】

・天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ):太陽を神格化した神とされ、現在の伊勢神宮内宮の主祭神でもある

境内社


・奥宮(天岩戸神社):櫛御毛奴命(クシミケヌ)を祀る
 → スサノオの別名と考えられている(ただし、別説もある)
 → 櫛岩窓戸命・豊岩窓戸命の二神を祀るという説もある
・天手力雄命社:天手力雄命(アメノタヂカラヲ)を祀っていると思われる
・栲機千々姫命社:栲機千々姫命(タクハタチチヒメ)を祀っていると思われる
・御門神社:豊岩窓戸命(トヨイワマド)を祀る
・岩長姫命社:岩長姫命(イワナガヒメ)を祀る
・天龍八岐龍神社:八岐大龍神(ヤチマタノダイリュウジン)を祀る
 → 八岐大蛇(ヤマタノオロチ)と同神とされる
・熊野神社
・三女神社
・その他の末社(78社)

関連リンク


皇大神社 (ウィキペディア)
元伊勢内宮 皇大神社(人文研究見聞録)

ヲシテ文献の記述


マナヰについて


・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった

トヨケについて


・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという

アマテルについて


・イサナギ・イサナミの御子
 → 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った
 → 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた
 → イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した
 → 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという
 → 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた
 → 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)
・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される
 → ここで「アメナルミチ」を学習したとされる
 → この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる
 → 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)
・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った
・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)
 → イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる
・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる
 → 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる
 → クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた
 → 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる

ヲシテ文献の対応箇所


ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】
ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】
ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】
ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】

備考


皇大神社について


・京都府福知山市にあるが、豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)が天照大神を祀った吉佐宮と伝えられる
・付近には豊受大神社、天岩戸神社もあり、併せて「元伊勢三社」と称される
・付近には「五十鈴川」や「猿田彦神社」があるなど、伊勢の構図に酷似する
・境内には「真名井の池」と称される池がある
・境内には「岩戸(横穴式石室)」がある
・付近には「岩戸山(日室ヶ嶽)」と呼ばれる幾何学的な美しさを誇る山がある(ピラミッドとも)
・「節分の深夜に龍神が燈火を献ずる」という伝承がある
・社伝は真名井神社の創建伝承と重複する
・奥宮(天岩戸神社)には、アマテラスの伝承にまつわる場所が点在している

ホツマにおける仮説


・ホ28文に、アマテルの「神逝の神輿はマナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケは外宮に祀られた」とある
 → 「マナヰ」という名称は皇大神社にも存在する
 → ホツマにおける「ミヤツ」の詳しい範囲は不明
  ⇒ 古代には現在のように細かい地域区分は無かったものと推定する
  ⇒ 「福知山」は明智光秀の丹波平定後に定められたという(参考:福知山の由来
 → ホツマとの比較において、この文は内宮を籠神社、外宮を真名井神社に比定するという説がある
  ⇒ しかし、籠神社は奈良時代の創祀とされており、それまで当地にそれらしい神社が在ったかは不明
  ⇒ ホツマにおいて「内宮・外宮」の名称は28文が初出であるが、旧丹波国周辺で内宮・外宮を名乗るのは当社しか無い
 → ホ36文にも「内宮・外宮」が出てくる
  ⇒ これは伊勢神宮 創建後の話であり、内宮は伊勢内宮、外宮はアサヒ宮(真名井神社)を指すものと考えられる
・上記のことから、ホツマにおける皇大神社について以下のような仮説を立てることにする
 → アマテルの死後、最初に創建された「内宮・外宮」であると推定する
 → これは後に伊勢の「内宮・外宮」のモデルになったのかもしれない
 → 付近に猿田彦神社があるが、由緒は不明
  ⇒ ホツマにおいてアマテルの辞洞を掘ったのはサルタであり、サルタは伊勢神宮の創建にも関わっている
・余談だが、ホツマではイワナガヒメとヤマタノオロチについて、両者を結び付ける記述がある
 → ホツマでは、ヤマタノオロチは宮中を追放されて彷徨ったハヤコが変化した怪物であるとされる
 → また、ソサノヲに斬られたヤマタノオロチ(ハヤオロチ)の転生であるという
 → つまり、ヤマタノオロチとイワナガは両者とも元はハヤコであり、それが皇大神社に祀られていることが興味深い
  ⇒ これらは「天皇神道」の関係者が神示によって昭和期に創建したとされる

料金: 無料
住所: 京都府福知山市大江町内宮字宮山217(マップ
営業: 終日開放
交通: 大江山内宮駅(徒歩26分)、町営バス「内宮上」下車