ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社  [京都府]

真名井神社(まないじんじゃ)とは京都府宮津市にある神社であり、現在では籠神社の奥宮(境外摂社)となっています。

なお、当社は籠神社の元宮であり、創祀は神代に及ぶ相当古いものとされています。


概要


由緒


社伝によれば、籠神社の主祭神である彦火明命(ヒコホアカリ)邇邇芸命(ニニギ)の兄神に当たり、邇邇芸命(ニニギ)天照大神(アマテラス)の籠った神鏡を持って日向の高千穂に天降ったのに対し、彦火明命(ヒコホアカリ)豊受大神(トヨウケノオオカミ)が籠った神鏡を持って現代の丹後に天降り、丹後・丹波地方を開拓して そこに豊受大神(トヨウケノオオカミ)を祀ったことに始まるという。

その後、崇神天皇の御代に豊鍬入姫命(トヨスキイリヒメ)によって天照大神(アマテラス)が倭の笠縫邑から丹後に遷された際、豊受大神(トヨウケノオオカミ)を遷して天照大神(アマテラス)と共に祀り、宮名を「吉佐宮(よさのみや)」と称して4年間祀ったとされている。なお、この社が現在の奥宮・真名井神社であるとされる。

その後、第21代雄略天皇の時代(AD.478年)、天皇が天照大神の神託を受けて豊受大神が外宮に遷宮され、第29代欽明天皇の時代(AD.539~571)に「藤祭」を「葵祭」と改め、第40代天武天皇の時代(飛鳥時代)に宮名を「真名井社」に改名したとされる。

また、第44代元正天皇の時代(AD.719年)に籠神社が籠宮として現在地に遷ったため、以後 籠神社の摂社となった。しかし、籠神社に至るまでの歴史が古く、信仰も丹後に根付いているため、籠神社を凌ぐ聖域として現在も参拝者が絶えないという(実際に訪ねてみると、熱心な崇敬者が参詣している姿を目にすることがよくある)。

なお、真名井神社の祭祀形式は、社殿を設けずに磐座(御神体とされる巨石)を祀る磐座形式となっており、現在では拝殿の背後の鎮座する磐座の前に鳥居が建てられている状態で祀られている。

祭神


【磐座主座】

[主祭神]

・豊受大神(とようけのおおかみ):丹後の最高神・総氏神であるとされる
 → 社伝に、天御中主神(アメノミナカヌシ)、国常立神(クニノトコタチ)という別名があるとされる
 → 社伝に、その顕現の神を豊宇気毘売神(トヨウケビメ)・豊受比売(とようけひめ)と云うとある
 → 第21代雄略天皇(もしくは その時代に倭姫命)が天照大神の神託を受けて、伊勢に遷宮したとされる
  ⇒ 伊勢に遷ってからは豊受大神宮(伊勢外宮)の主祭神となった
  ⇒ 伊勢では天照大神の食事を司るとされ、御饌津神(みけつかみ)とも言うとされる
 → 食糧を司る神であることから、伊勢周辺では稲荷神と同一視される傾向が高い
  ⇒ フィールドワークの結果、伊勢周辺ではウカノミタマと同一とされる例が多い

[相殿神]

・罔象女命(ミズハノメ):水を司る原初の神
・彦火火出見尊(ヒコホホデミ):海幸山幸神話の山幸彦、ホオリとも呼ばれる(神武天皇の祖父に当たる)
・神代五代神(かみよいつつよのかみ):大戸之道尊(オオトノジ)・大苫辺尊(オオトマベ)か?

【磐座西座(日之小宮)】

・天照大神(アマテラス):皇室の祖神
・伊射奈岐大神(イザナギ):国産み神産みの男神であり、天橋立を立てたとされる
・伊射奈美大神(イザナミ):国産み神産みの女神

【磐座奥座】

・盬土老翁(シオツチノオジ):「日本神話」に登場する神であり、山幸彦や神武天皇に助言した
 → 社伝には、豊受大神・大綿津見神・住吉神に神格が含まれるとある
 → 伝説には、八人の天女が真名井に舞い降りた際、天女の羽衣を隠して結婚したとされる
・宇迦之御魂(ウカノミタマ):稲荷大神である
・熊野大神(くまのおおかみ):須佐之男神(スサノオ)とされる
・愛宕神(あたごしん):愛宕山の山頂に鎮座するとされる神
 → 社伝によれば、稚産霊神・伊弉冉尊・埴山姫命・天熊人命・豊受姫命・雷神・迦遇槌命とされる
 → 一般的にはヒノカグツチとされ、火伏せの神として信仰される

境内社


・真名井水神社:祭神不詳
 → 社家の先祖の天村雲命が天上から「天の真名井の水」を持ち帰り、豊受大神の神饌としたと伝わる

関連リンク


真名井神社(公式サイト)
真名井神社(ウィキペディア)
真名井神社(人文研究見聞録)
コノジンジャ(ほつまつたゑ 解読ガイド)

ヲシテ文献の記述


マナヰについて


・ミヤツ(宮津)にはサホコチタル国の政殿があり、当地はマナヰ(アメノマナヰ)と呼ばれた
・トヨケもアマテルも此処で政を執っており、両名とも当地の洞に隠れた(神上がった)
・アマテルが神上がる際、自ら「マナヰのアサヒ宮と同じ場所」と言い、サルタに穴を掘らせたという
・マナヰにて、アマテル神は内宮へ、トヨケ神は外宮に祀られたという
・宇治に伊勢神宮が創建された後、トヨケ神のイワヒト(斎人)はタニハミチウシとなった

トヨケについて


・トヨケは5代目タカミムスビ(ヒタカミを統べる役)であり、イサナミの父である
・オモタル・カシコネに代嗣が居なかったことから、暫定的に天君となる
・オモタル・カシコネの後継を設けるべく、イサナギとイサナミを結婚させて即位させた
・イサナギ・イサナミの御子であるアマテルは、トヨケにアメナルミチを以って教育された
・トヨケがマナヰの洞に隠れた際、アマテルがその上に建てた宮をアサヒミヤという
・トヨケは、神上がった後にアサヒカミとして祀られた
・本人曰く、クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケへと転生したという

アマテルについて


・イサナギ・イサナミの御子
 → 世を治めるに相応しい御子とするべく、二尊によって数々の儀式が為された後に身籠った
 → 同時にトヨケも8000回に亘る禊を為し、アメミヲヤ(根源神)に日月の神霊の降誕を願う祈りを捧げた
 → イサナミの胎内に96ヵ月も宿った後、ハラミ山(富士山)にてタマコ(胞衣)に包まれて誕生した
 → 誕生した時には黄金が八方に吹き出し、辺りの物が黄金に染まったという
 → 胞衣はシナノのヱナガタケ(恵那山)に納められた
 → 系譜としては、ヒルコの弟、ツキヨミ・ソサノヲの兄に当たる(ヒルコは後にイロトとして妹になる)
・16歳より87歳までヒタカミのトヨケの元で教育される
 → ここで「アメナルミチ」を学習したとされる
 → この時の学友には、タカギ(7代目タカミムスビ)が居たとされる
・皇君になる際、ハラミ(富士山麓)にヤスクニ宮を新造して即位したとされる
 → 12人の后を娶って五男三女の御子を儲ける(セオリツヒメが内宮になると、その穴埋めが為されて13人の后となる)
・トヨケが亡くなった際、一時的にミヤツに留まって政を執った
・オシホミミに帝位を譲ると、オモイカネにイサワ宮を新造させて遷宮する(ここをイセとした)
 → イサワの宮ではアメノマサカキ(暦を司る真榊)の植え継ぎをし、政を為したとされる
・アマテルはウガヤ朝まで生き続け、1,732,469歳で亡くなったとされる
 → 長寿の秘訣は、ハラミ山(富士山)に生える不老長寿の薬草を食していたからだとされる
・まとめると、日月の神霊の顕現であり、クニトコタチの皇統に代わる新たな皇統の祖とされる
 → クニトコタチの皇統は、6代目のオモタル・カシコネに代嗣が無かったために途絶えた
 → 当初はヒタカミが正統だったため、アマテルの皇統によって後々東国との確執が生まれることになる

セオリツヒメについて


・サクラウチ(オオヤマズミの祖)の娘で、当初はアマテルの南のスケ后であった
 → 後に内宮(皇后)となり、「アマサカルヒニムカツヒメ」という名でも呼ばれることとなる
・アマテルとの間にオシホミミを儲ける
・アマテルの脇に座し、鏡を持っていたとされる
・アマテルがミヤツで政を執ることになると、暫定的にハラミの政を執った
 → この時期に、紀州にて稲の害虫を祓う「ワカヒメの呪い」を行ったとされる
・アマテルが世を辞む際、「ヒロタ宮に行って、ワカヒメと共に妹心を守れ」との遺言を受けている
 → セオリツヒメ自身の死については触れられておらず、ホツマの中でも相当長寿であると考えられる

ムラクモ(アメフタヱ)について


・カンミムスビ(6代目タカミムスビ)の曾孫に当たる
・オモイカネの後任としてヒヨミ(暦を作る役職)を継ぐ
・大和を治めるクシタマホノアカリに同行することになると、ヒヨミの後任をタチカラヲとする
・ニニキネの八州巡りの際にタチカラヲが召されたため、再びヒヨミの任に就く(この際、アメフタヱの名を賜る)
・コヤネが世を去る際、コヤネに代わってイセノカンヲミの任を継ぐ

ヲシテ文献の対応箇所


ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケの最期【6】
ホツマツタヱ6文 日の神 十二后の文:トヨケ神【7】
ホツマツタヱ14文 代嗣祈る宣言の文:アマテルの出自【6】
ホツマツタヱ28文 君臣 遺し法の文:マナヰにて祀られるアマテルとトヨケの神【10】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:トヨスキヒメの巡幸【5】
ホツマツタヱ36文 ヤマト姫 神鎮む文:伊勢の外宮と内宮【7】

備考


真名井神社について


ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社  [京都府]

・古代の磐座形式で祭神が祀られている
 → 当方、霊的に敏感な方ではないが、磐座の前に畏怖せざる負えない雰囲気が漂っていることを肌で感じた
 → 畿内については数々の社寺を巡って来た自負があるが、これほど明確に感じたのは初めてだった
・入口には狛龍が配置される
 → 由縁は不明
・籠神社(真名井神社)には「六芒星」がシンボルとして用いられている
 → かつては神社入口の石碑に明確に刻まれていたとされる
 → 「日ユ同祖論」において、旧約聖書との関連を指摘する説が唱えられている
 → 同様に福知山市、京都市の市章も「六芒星」の様な形をしている(府外では西宮市など)
 → 実は日本各地の市章の中には「六芒星」の形をしているものが結構ある(参考:市章一覧
 → 日本では古来より「麻紋」として同様の形のシンボルが用いられていた
 → 伊勢神宮の周辺にも菊花紋章と六芒星が刻まれた石燈籠が多数配置されている
・真名井神社版の「羽衣伝説」がある
 → 八人の天女が真名井神社の神域に当たる場所に舞い降りて、酒造を行っていたとされる
 → 塩土翁が一人の天女の羽衣を隠して帰らせないようにし、後に結婚したという
 → この伝説によれば、豊受大神を祀る与謝宮(よさのみや)を建てたのは この天女であるとされる

伊勢外宮との関係


・雄略天皇の御代に倭姫命の夢に天照大神が現れて、御饌津神止由居太神(豊受大神)を伊勢に呼ぶように命じたという

その他


ホツマツタヱ・ミカサフミ現代語訳:真名井神社  [京都府]

・旧丹波国(但馬国・丹後国・丹波国)には、天照大神と豊受大神を祀る神社が多数ある
 → 宮津市:籠神社(真名井神社)
 → 京丹後市:比沼麻奈爲神社
 → 福知山市:元伊勢内宮 皇大神社元伊勢外宮 豊受大神社、天岩戸神社
 → 舞鶴市:笑原神社、田口神社
・籠神社には「彦火明命(ニギハヤヒとも)」と「イチキシマヒメ」が描かれた絵馬が存在していた
 → この絵馬にも六芒星が描かれ、その中には日と月が描かれている

ホツマにおける仮説


・トヨケと豊受大神の関係について
 → 上記で説明した通り、トヨケとマナヰ(真名井)の地には密接な関係がある
 → ホツマにおいてトヨケが自称した「クニトコタチ → キノトコタチ → トヨケ」が社伝と一致する
  ⇒ ホツマにおけるクニトコタチは、その初代に当たるミナカヌシを指すものと思われる
・真名井神社の祭神について
 → 磐座主座と磐座西座において、伊勢の祭神である豊受大神と天照大神が祀られる
  ⇒ ホツマでも、トヨケが真名井の辞洞に隠れる後、アマテルも同じ場所に隠れることにしたとされる
  ⇒ ホツマにおける辞洞は穴を掘って造られるものとされる
・真名井神社のシンボルとされる「六芒星」について
 → ホツマ的には「アメナルミチ・イセノミチ(陽陰和合の道)」を象徴するシンボルではないかと思われる
 → 西洋でも一部に「相対する要素の和合」を示すシンボルとして用いられている例がある
 → イスラエルのシンボル「ダビデの星」は17世紀を起源とすると云われるため、別物と考える(参考:ダビデの星
・社伝において主祭神である「彦火明命」は「天照御魂神」という別名があるとされる
 → 天照御魂神は「アマテルミムスビノカミ」もしくは「アマテルミタマノカミ」と読むとされる
 → ホツマにおいて、トヨケとアマテルの関係は睦まじく、切っても切り離せないほど密接な関係性にある
 → ホツマにおいて、マナヰの地はトヨケとアマテルが神上がった土地であり、墓所は同じであるとされる
 → 「イチキシマヒメ」は六甲比命神社の研究において「ムカツヒメ」の仮の名として祀られたという説がある
 → 籠神社には彦火明命と市杵嶋姫命をセットで描いた絵馬があり、六芒星と日月が描かれる
  ⇒ ホツマにおいて、この六芒星は「アメナルミチ」また「イセノミチ」のシンボルであると推測できる
  ⇒ ホツマにおいて、日は皇君、月は皇后を表し、日月はこの夫婦を象徴するとされる
 → ホツマにおけるアマテル(男神の天照大御神)は一般的にマイナーであり、触れている文献は少ない
  ⇒ 『記紀』に登場するアマテラスは女神として捉えられる(しかし、精査しても断定できる記述は少ない)
  ⇒ 『竹内文書』には男神の日神が居り、後に女神の天疎日向津比売尊(天照皇大神)が生まれたとある
  ⇒ 天照大御神が男神であるという説は古くからある(参考:天照大神男神説)
  ⇒ ホツマにおいてニギハヤヒも「アマテラスニギハヤヒキミ」の名を賜っている(同一視される要因か?)
・天村雲命はホツマのムラクモと悉く異なる
 → これに関しては検証が難しく、個人的には同名の別人であると仮定する
  ⇒ ただし、籠神社社伝にある天村雲命の逸話は、ムラクモと混同される部分があると思われる
・上記のことから、ホツマにおける真名井神社について以下のような仮説を立てることにする
 → 天照御魂神は「アマテル」を指すが、存在が公にできないために巧妙に隠されたのではないか?
 → 彦火明命の妻とされる市杵嶋姫命は「ムカツヒメ(セオリツヒメ)」の存在を示唆しているのではないか?
 → 籠神社・真名井神社に用いられた六芒星は「アメナルミチ(イセノミチ)」を暗示するシンボルではないか?
 → 彦火明命と豊受大神の関係は、アマテルとトヨケの関係に由来するものではないか?

※上記はあくまでもヲシテ文献の個人研究から推測した仮説です

まとめ


・ヲシテ文献と籠神社の社伝を表面的に照らし合わせてみると、悉く異なるということが分かる
 → 籠神社の公式では『記紀』『風土記』と照らし合わせた説明が為されている
・籠神社の歴史や祭神から考察すると、ヲシテ文献と合わさる部分が見つかることも事実である
 → ヲシテと社伝は分けて考えた方が良い(当サイトでは両方の記述を分けて推測することにする)

料金: 無料
住所: 京都府宮津市江尻(マップ
営業: 終日開放
交通: 天橋立駅(徒歩52分)

公式サイト: http://www.motoise.jp/yuisyo/index.php