現代語訳

ヤマトタケは、津軽・陸奥の国造5人に神の道(陽陰の道)を敷いて申せば、それらを召し連れて新治に到った
 ・そして津軽蝦夷からカソニシキ(上等な錦織)を10機、鷲の羽のトカリヤ(尖矢)100手を奉じられた
 ・陸奥(旧ヒタカミ)からは黄金10重、クマソヤ(熊襲矢)100手を奉じられた
・このときの靫は重く通常の200倍あったので、背負い手を求めた
 ・そこで、オオトモタケヒの侍4人が替わりながら背負って筑波に上り、その西南を経て諏訪サカオリ宮に到った
 ・このとき既に日が暮れて旅に遅れが出ていたので、これを叱れば、4人は応えて互いに言い争った
  ・「この靫が重く疲れれば眠むたくなる、日暮れなど考えている余裕は無いのだ
  ・合い持ちであるのに汝ばかりが疲れるワケが無いだろう、力を合せれられるように歌を詠め
  ・上の御代は歌、今は力が必要なのだ」
 ・このやり取りを聞いていたヤマトタケは、ツヅウタを歌見に染めて「返歌せよ」といって詠い始めた
  ・『新治出 筑波を過ぎて 幾夜か寝つる(新治を発ち、筑波を過ぎて幾夜日は寝てる)』
 ・この返歌に困った諸人が返せずにいると、火灯しのヨスナが君の歌に返歌した
  ・『かがなえて 夜には九の夜 日には十日を(考えてみれば夜が9回あったのだから、日にすれば10日です)』
 ・ヤマトタケは火灯しを褒めてタケタムラを与えた
  ・他の従者にはハナフリを与えた
  ・また、タケヒを褒めてユキベとし、兼ねて甲斐・駿河の二国守と定めた

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用語解説



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原文(漢字読み下し)

・国造(くにつこ)五人(ゐたり)
・神(かみ)の道(みち) 強(し)いて申(もふ)せは
・召(め)し連(つ)れて 到(いた)る新治(にはり)へ

・蝦夷(ゑみし)から 上錦(かそにしき)十機(とは)
・鷲(わし)の羽(は)の 尖矢百手(とかりやももて)
・奉(たてまつ)る 陸奥(みちのく)よりは
・黄金十重(きかねとを) クマソ矢(や)百手(ももて)
・奉(たてまつ)る この靫(ゆき)重(おも)く
・二百重(ふもを)あり 負(お)い手(て)求(もと)むる

・オオトモの 侍四人(さふらいよたり)
・負(お)い替(かは)り 筑波(つくは)に上(のほ)り
・君(きみ)臣(とみ)も 西南(つさ)経(へ)て到(いた)る
・サカオリの 宮(みや)に日暮(ひく)れて
・灯(たひ)遅(おそ)く 叱(しか)かれは応(こた)え

・靫(ゆき)重(おも)く 疲(つか)れ眠(ねふ)りて
・暮(く)れ知(し)らす また言(い)ふ四人(よたり)
・合(あ)ひ待(ま)ちそ 汝(なんち)はかりか
・何(な)と疲(つか)る 力(ちから)厭(いと)はは
・歌(うた)お詠(よ)め 応(こた)えて上(かみ)の
・御代(みよ)は歌(うた) 今(いま)は力(ちから)よ

・時(とき)に君(きみ) これ聞(き)こし召(め)し
・十九(つす)初音(はつね) 歌見(うたみ)に染(そ)めて
・返(かえ)せよと 詠(よ)え給(たま)はる

・新治(にゐはり)出(つ) 筑波(つくは)お過(す)きて
・幾夜(いくよ)か寝(ね)つる

・諸(もろ)済(な)さす 火(ひ)灯(とほ)しヨスナ
・君(きみ)の歌(うた) 返(かえ)し申(もふ)さく

・かかなえて 夜(よ)には九(ここ)の夜(よ)
・日(ひ)には十日(とおか)お

・ヤマトタケ 火(ひ)灯(とほ)し褒(ほ)めて
・タケタ村(むら) 他(ほか)はハナフリ
・タケヒおは 靫侍(ゆきへ)お兼(か)ねて
・甲斐(かひ)・駿河(するか) 二国守(ふたくにかみ)と
・殊(こと)お褒(ほ)む

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現代語訳文の目的・留意点

・この現代語訳は、内容の理解を目的としています
・原文を現代語で理解できるようにするために、原文を現代語に訳して箇条書きで表記しています
・原文や用語の意味などについては「ほつまつたゑ 解読ガイド」をベースにしています
・原文に沿った翻訳を心がけていますが、他の訳文と異なる場合があります(現代語訳の一つと思ってください)
・文献独自の概念に関してはカタカナで表記し、その意味を()か用語解説にて説明しています
・()で囲んだ神名は、その神の別名とされるものです
・()で囲んだ文章は原文には無いものですが、内容を理解し易いように敢えて書き加えています
・人物名や固有名詞、重要な名詞については太字で表記しています
・類似する神名を区別するため、一部の神名を色分けして表記しています
・サブタイトルについては独自に名付けたものであり、原文には無いものです
・原文は訳文との比較の為に載せています(なお、原文には漢字はありません)
・予告なく内容を更新する場合があります